【間章】夜明けを目指して
ある夜。師弟の対談は、非現実的な哲学から始まった。
「人が蘇るとは、一体どういうことでしょうね」
「何じゃいきなり。話を振るなら、ちゃんと論点を絞らんか」
ハルトとジルヴェスター、広い屋敷に2人だけ。会話なら〈情報共有〉でも可能だが、やはり重要な話は面と向かってする方がいい。表情が、それもお互いに行間の意を語ってくれるからだ。
少しだけ迷って、ハルトはテーマを限定する。
「じゃあ取り急ぎ、ルーファウスがやろうとしている方法について。ルフィーナでその一端に触れ、改めて感じました。やっぱり僕らは、何としてもそれを止めなきゃならないと」
愛する人を喪い、蘇生を願う者の気持ちを、ハルトはまだ想像としてしか語ることができない。しかしだからこそ、狂おしいほど、いや実際に狂ってさえ他人を巻き込むようなやり方に是と言うわけにはいかなかった。
その研究や実際の過程において、別の誰かが必ず犠牲となる。或いは死して尚、剣を握らされる兵士が量産される。それによって悲劇は人の間を移動するだけでなく、その数も増やし続けるだろう。
倫理として、ゲームの攻略として。両者に矛盾は無いとハルトは固く信じる。
そんな強い決意を察したのか、師は弟子が自分で答えを導くために、質問で返した。
「まずお主の考えを聞こう。ルーファウスの考えが、事象として読めるか」
「うーん……例えば時間を戻す、とか?」
一度で師の首を縦に振らせたことはまだ無い。残念ながら、それは今回も変わらなかった。
「時間とは観測から生まれ、皆が共有できるように作られた〈発明品〉じゃぞ。つまり物差しと同じ。それに進むも戻るもなかろう」
「僕の世界では、物体の運動によって時間の進む早さが変わると言われていますが」
「ほう、それは面白い。伸び縮みするものを物差しに使うのか」
「すいません。僕も詳しくは……」
その手の本を読んだことはあるが、ハルトはまだ16だ。いくら学業が優秀でも、まだ入り口でその知識は止まっている。
「何じゃ、つまらん。しかし少なくとも、時間が可逆であるというのだけは違うぞ。ウォーレンの〈無煌閃空剣〉も時を遡ったように見えるだけで、実際はそうではない。それは多くの矛盾を許すのと同じじゃからな」
「タイムパラドックスですか──確かに僕の世界でも、それに対する明確な答えは出てません。仮説ならたくさんありますけど」
そのまま、このテーマだけで夜を徹して話ができそうだった。しかし本題はそれではない。
ジルヴェスターはある例え話を持ち出して先を急ぐ。
「例えば、儂が百歳で死んだとしよう」
「えっ、百まで生きるつもりですか?!」
「悪いか。いちいち仮定に喰いつくな」
「ごめんなさい……」
百歳の師匠に叱られる、初老の自分。そんなイメージが、思わず不謹慎な発言を誘発させた。
「話を戻すぞ。それは『百年経ったから死んだ』のか、それとも『死ぬまでにかかった時間が百年だった』のか、どっちじゃ?」
「どっちも同じ……じゃないですね。後者です」
「そう、この世を支配しているのは時間ではなく因果律。そこを間違えてはいかん」
そこですべて理解するのを期待したのか、ジルヴェスターは少し間を置く。一方のハルトはキョトンとしたまま。彼としても、こんな姿を仲間には見せたくないだろう。
仕方なく老軍師は表現を変え、話を具体化する。
「『サラが死んだ』という事実が原因で、ルーファウスは『サラを生き返らせたい』と願うようになった。さらにそれを原因として、『蘇生の魔法を作ろう』としておる。一度刻まれたそれらの因果関係は決して覆ることはない。ならば、その魔法が完成して得られる〈結果〉とは?」
「サラが生き返る……」
「言い換えれば?」
「サラが死ななかったことになる……?」
隠そうともせず、ジルヴェスターは大きな溜め息をつく。
「だから、それが違うと言うのじゃ。あくまでも『サラが死んだ』事実は変わらぬ。つまり──」
「もう一度生まれる! それも、成人した姿で!」
老軍師は誘導が上手かった。ハルトの思考パターンなど、すべてお見通しなのであろう。
微かに笑ったような顔を見せて、彼はさらにその先を紡いだ。
「次はパンにでも例えようかの。同じ人間が、同じ材料、同じレシピで別々に作ったそれは、まったく同じと言えるか」
「〈テセウスの舟〉ですね。僕たちの世界にもある命題です」
ハルトも乗せられるのが苦ではない。答えに近づいているという確かな手応えが、寧ろ気分を高揚させるのだ。
「パンなら同じなんじゃないですか。少しぐらい形が違ってても問題無いし、もしそれで味まで変わったら、パン屋さんの信用ガタ落ちだ」
「表現力はともかく、考え方は悪くないぞ。その発想は何処からきた?」
「何処からって……僕が勝手にそう思っただけで──あ!」
辿り着いた。否、導かれた。
師が頷く。
「要するに、例え別物であっても、主観的な要件さえ満たされておればそれでよいのじゃ。サラに瓜二つで、サラと同じ振る舞いをし、サラと同じ感情を持って、サラが言うべき言葉を話す。
それはもはや、ルーファウスにとってサラそのものであろう。勿論『そう思い込むことで救われる』と言った方が、より正確じゃがな」
同じ例えで逆を考えるなら、ゲームをやり直して記憶がリセットされたジュリアは、今のハルトにとって別のジュリアだということになる。
「でも、そんなことが?」
「可能かどうかを疑っている段階では既に無いぞ。現に方法なら、いくつか心当たりがある」
「え──?」
「何しろ、精巧でさえあれば偽物でも構わんのじゃから、そう難しいことではない。サラを知る者の記憶と、人体に必要な材料を集めて合成する。魔法を応用すれば、それは可能じゃ」
さらりととんでもないことを言う師匠。蘇生ではなく創造という神の御業──思考実験だけでそれを断言するのだから、彼が敵でなくて良かったと心の底からハルトは思う。
「つまりもう、理論で躓いてくれるとは考えぬ方がよい。ならば材料、機器、魔法……別の側面から邪魔をするしかないな」
(──それらの関係はオアじゃなくアンド。どれかひとつを止めれば、全部が阻止できる)
自然と人差し指が口許にいく。そして少し俯いたまま、ハルトは結論を導いた。
「やはり〈集気変換装置〉の回収が最優先ですね。でも別の方法で力を集められたら意味がないから、奴らの動きを逐一把握することがとても重要になる」
アースガルド帝国にまだない機能、情報戦を制する諜報機関の創設。それを使って、新生帝国がどんな手を使ってこようが先回りし、必ずルーファウスを止めてみせる──少年軍師はやっと、いつもの微笑を取り戻した。
滅多に人を褒めないジルヴェスターだが、少しだけ目を細めると、独り言のようにそれを溢す。
「皇子、皇女の未来を託すにはまだまだ不安じゃが、吸収力だけはなかなか。やがて〈予言の勇者〉が戦乱を鎮める……か。さて、儂はそれに間に合うじゃろうか」
「やめて下さいよ、縁起でもない。僕らの世界じゃ、それを〈死亡フラグ〉って言うんです」
「誰が死ぬと言った、勝手に殺すな。この手で決着をつけられるかどうかを危惧しておるだけじゃ。まったくさっきから──お主は儂を殺したいのか」
「ごめんなさい……」
平謝りしながらも、晴れたはずの心がまたモヤモヤし始めるのをハルトは抑えられなかった。
ユリウスだと疑われる青年。ルーファウスはそれにサラを蘇らせる可能性を見出だした。
しかし肝心な方法はジルヴェスターにさえ解けていないのだから、少なくとも今のところ、ほぼ一からそれを構築しようとしているとみて間違いない。
つまり青年が本当にユリウスだとするなら、「記憶からの創造」とは別の方法で蘇ったことになる。
まるで謎であり続けることがその意味であるかのように、一向にストーリーに絡んで来ない設定。
だが点と点が繋がる時、それは一気にすべてを巻き込み、想定より先に驚くべき事象として現れることを予感させた。
謎をひとつ解けば10になって返ってくる──彼らを捕らえて離さない〈悲嘆〉。
弟子は師の顔をまじまじと見つめ、口を開く。
「ちゃんと百まで生きて下さいね。僕はまだまだ先生を頼るつもりでいるんですから」
「ふん、百になっても死んでやらんわ」
夜がまだこれから更けるように、さらに奥深い迷宮へと足を踏み入れることになる2人。
しかしこの師弟がいなければ、やがて世界が朝を迎えることなど無かったに違いない。




