いきなりの初戦
「た、助けて!」
か弱い女性が何者かに襲われている。……らしい。記念すべき最初のイベントなのだが、ベタ過ぎて逆に感情移入しそびれるソーマだった。
初めて出逢う〈この世界の住人たち〉は、足元に落ちた枝や落ち葉を乱暴に踏み荒しながら、ソーマたちを巻き込むために真っ直ぐこっちへ向かって来る。
ひとりの女性と、それを追う5人の男たち。頭ではゲームのキャラ、それに作られたストーリーだと分かっていても、彼らはソーマたちと何ら変わらない、ごく普通の人間にしか見えなかった。
まさに迫真の演技──この状況をすんなり受け入れるにはそう考えるのが一番手っ取り早いだろう。「この世界ではこれが現実である」と考えるより、慣れないうちはその方が寧ろしっくりくるのである。
「こっちだ。僕たちが引き付けるから、貴女はその隙に逃げて」
「あ、ありがとうございます! 貴方たちに女神の御加護を」
ハルトはもうこの世界の誰かになりきっている。とソーマには見えた。
東洋人と思しき哀れなその女性は、促されるまま小走りに去って行く。
「『ありがとうございます』って──いい大人が未成年に丸投げして、ひとりで逃げちまったぞ。助けたら何か進展するんじゃなかったのか」
「いいんだよ、彼女はただの〈きっかけ〉なんだから」
ハルトは「ノリが悪い」とでも言いたげだ。入れ替わるように追っ手がそこへ。
「何だ、てめえら。邪魔するつもりか」
そんなつもりが無くとも、邪魔しなければ先には進まないのだろう。
無駄に声が大きい男を先頭に、5人の大柄な男たちは全員が如何にもという悪人面であった。
「まだ餓鬼じゃねえか」
「構うことは無え。どうせ女の足じゃそう遠くへは行けねえだろうし、こいつらから先に身ぐるみ剥がしちまおうぜ」
「……外人なのに、日本語ペラペラ」
渡り台詞のように好戦的な言葉を発する男たちに対し、ソーマは違うところで面食らう。
「仕様だよ、仕様。いちいち言葉から覚えてられないだろ。それにしても──絵に描いたような〈やられフラグ〉だね」
苦笑しつつ、彼らと距離を取るようにスタスタと後方へ下がっていくハルト。
「それじゃ、あとは任せたから」
「はあ?」
男たちとハルトを交互に見ながら、ソーマは声を上げた。
「言っただろ、荒事はお前らに任せるって」
「任せるって……ええ? こんな奴らと戦うのかよ」
男たちは皆ダイキと同等か、それ以上の背丈がある。その上、ごつごつした筋肉で横幅もかなりのものだ。
「大丈夫だよ。よくあるじゃないか、開始後すぐに戦闘になるゲーム。説明するよりまず経験させる──チュートリアルのひとつさ」
「いやいや、いきなり過ぎるだろ。しかもあんなプロレスラーみたいな奴ら──」
焦るソーマの横で何かが動く。
「貴様ら山賊か。面白い、返り討ちにしてくれるわ」
ダイキだ。彼は考えるより先に手が出るタイプ。先手必勝とばかりに、男たちに向かっていった。
「ぬりゃああっ」
そして訳の分からぬ叫び声とともに、近くにいた男に飛び蹴りを喰らわす。それはあっさりと命中し、男は大袈裟なほど激しく転倒した。
「こ、この野郎!」
別の男がダイキを捕らえようと手を伸ばす。が、逆にそれを掴まれて懐への侵入を許すと、次の瞬間には宙を舞う。
時間が止まったかのような間を置いて、男は背中から地面に叩きつけられた。
「ヒュウ、一本背負いかよ。やるね」
既に〈圏外〉へ避難したハルトが舌を巻く。
ステータスを確認すると、早くもゼロを示す敵のHPゲージが2つ。
「貴様らっ。俺たちはあの〈ウルバノ一家〉だぞ。死にてえのか!」
まだ3人残っている敵の誰かが叫ぶ。そして後方にひとりを残し、ダイキ、そしてソーマに、それぞれ分かれて襲って来た。
「ふん。誰だか知らんが、貴様ら如き敵ではないわ」
既に2人を相手にしたダイキは、ニヤリと笑う余裕さえ見せて、3人目の大男と取っ組み合いを始める。
「──お前、馴染み過ぎ!」
そんなダイキを横目に、思わず叫んだソーマだった。彼の方は急な展開に頭と身体がうまく付いていかない。木々の間をすり抜けるように、必死に逃げる。
「何やってんだ、戦えよソーマ」
「お前が言うな!」
傍観するハルトに叫び返す、その声が林間に虚しく響く。
「大丈夫だよ、Aボタン連打してるだけで勝てる相手だ」
「何だよAボタンって。そんなもんどこに……うげ」
余所見していたソーマは木の根っ子に躓き、派手にすっ転んだ。
そこに山賊の男が迫る。そして、振り上げた拳がソーマ目掛けて飛んで……来ようとしている。
一撃を覚悟したソーマだったが、それを躱し、体勢を立て直すだけの時間があった。
「……遅い?」
男の動きは明らかにおかしかった。不審に思ったソーマの虚を突いて……突いたらしい男が、再び彼に迫る。が、やはり遅い。
今度は逃げず、彼は男の拳を掌で受け止めた。
──痛い。痛いことには違いないが、予想したそれを遥かに下回る。まるで小さな子どものパンチだ。
ソーマは男の見た目と、パワーやスピードのギャップが激しいことを悟った。これなら充分に戦える……はずだ。
しかし見るからに、素手で熊とでも戦えそうな大男が、幼稚園児並みの戦闘力で向かって来るのだ。それが何とも気持ち悪い。
「貴様らっ。俺たちはあの〈ウルバノ一家〉だぞ。死にてえのか!」
「それさっきも聞いたよ。何だこいつ、怖えよ」
戦闘拒否。泣きそうな顔で、やはりソーマは逃げた。
「しょうがないな」
呆れ顔でハルトが安全圏から腰を上げる。そして彼らが野営していた〈設定〉の場所まで移動すると、荷物の中から何かを取り出し、ソーマに放り投げた。
鞘に収まったままの、西洋の剣。
それをキャッチすると、連動するかのように体が勝手に動く。反転、ソーマは鞘ごと剣を振り抜いた。
「おらあっ」
一瞬の静寂。それは男の首筋に命中していた。呻き声とともに男が崩れ落ちる。
「さすが」
にっこり微笑み、親指を立てたハルト。数秒の間を置いてソーマが我に返る。
「悪い、助かった。……てか何だこれ。レプリカか?」
呼吸を整えながら、彼は手にした剣を片手で二度、三度と振って見せた。
「勿論、本物だよ。真剣の重みを体で覚えてるソーマには、オモチャにしか感じないだろうけど。剣が軽いんじゃない。ソーマの力が強いのさ、この世界ではね」
「じゃあ……」
ソーマは足元に転がっている男を見下ろした。
「これも?」
「そう。こいつらが弱いんじゃない、僕たちが強いんだ。プレイヤーが現実と同じ強さだったら、ゲームにならないだろ。お前らみたいな化物はともかく、遊ぶ人の多くは普通の人間なんだから」
そうだった、と漸くソーマは思い出した。余りにもリアル過ぎて肝心なことを失念していた。
この世界では「誰でも英雄になれる」のだ。
「そうだ、ダイキは──」
孤軍奮闘していたリアル格闘家のことを思い出す。彼は既に3人目も倒し、最後のひとりと対峙していた。
「あとは貴様だけだ」
「ぐぬぬ、役立たずどもめ」
リーダーらしきその男は、手に武器を構えていた。持ち手部分が異様に長い斧。
「おい……さすがにあれはヤバイんじゃねえの」
「改心して木こりを始めます……ってわけじゃなさそうだね」
ソーマが唾を飲み、この状況でさえハルトは軽口を叩く。
男が動いた。武器を縦に振り下ろす。やはり動きは緩慢に見えるが、これまでの男たちよりは疾い。
ダイキは躱すのではなく、後ろに跳んで距離を取った。しかしすぐさま追撃が来る。
今度は横に転がり、間一髪でそれを避けた──はずだった。その瞬間、鮮血が飛び散り、鉄の斧が不吉な赤に染まる。
「──え?」
動揺するハルト。
「ダイキ!」
同時に、剣を握り締めたソーマが駆け出していた。理屈が理解できたことにより、彼は本来の動きで──いや、この世界だけで可能なそれ以上の動きで、彼らに迫る。しかし、
「大丈夫だ」
ダイキがそれを制した。
「俺ではない」
その言葉にソーマは一瞬動きを止めた。よく見ると、ダイキは無傷である。
斬られたのは、彼に一本背負いで投げられ伸びていた男だ。斧が勢い余って、たまたま近くにいた彼の肩を掠めたのだ。
「……びっくりさせんなよ」
ソーマはひとつ息を吐く。だがその後ろではハルトが青ざめたままだ。
「ええい、ちょこまかと。鬱陶しい餓鬼どもめ」
リーダーが武器を持ち直す。しかしその時には、ソーマもダイキの横に並んでいた。
「相手は武器持ちだ。代われ」
「うむ、すまん」
さすがに意地を張る場面では無いと思ったのか、格闘家は剣士の言葉を素直に聞いた。1対1の構図になる。
両者は暫く睨み合い、同時に動いた。依然鞘に収まったままの剣と、血にまみれた斧。
それらが、ぶつかり合うと思われたまさにその瞬間──。
「そこまでだ!」
鋭く発せられた声によって、それは止められた。
「やはりウルバノの手の者だな。旅行者にまで手を出すとは、不届き者め」
声の主は女性だった。
勿論、先程逃げた女性では無い。抜き身の剣を右手に持ち、威嚇するようにこちらに近付いてくる。鎧のようなものを着ているが、それは防御力より動きやすさを重視したような軽装で、足取りにも重さを感じさせない。
頭部には何も着けておらず、ゆるやかにウェーブがかかった、銀色に輝く髪が露になっている。それは美しさを保ったまま背中まで伸びていた。
そして強い意思を感じさせる、凛とした瞳。それを真っ直ぐこちらに向け、彼らから少し距離を置いた所で彼女は歩みを止めた。
思わずその場に固まるソーマ。それは突然のこの事態故か、余りにも強く、そして美しい彼女のオーラ故か。
「──ぎ、銀髪の女剣士?」
一方、対照的にリーダーの男は激しく狼狽した。慌てて戦闘態勢を解くと、転がるようにその場から逃げ出す。
「あ、兄貴。待ってくれよう」
それに合わせるかのように、のされていたはずの男たちが一斉に起き上がった。そしてリーダーの後を追うように、一目散に退散していく。
「イベント発生、いや終了かな。これで戦闘も終わりってことだね」
そこへハルトが歩み寄ってきた。その表情はまだ冴えない。
「それにしても──いきなりだなあ」
「ん? ……ああ。何者だよ、あの人」
ソーマは言葉の意味を履き違えたのだが、それを訂正することも無く、ハルトは彼と肩を並べた。ダイキも加わり、3人で女剣士と向き合う。
歳は彼らより、ひと回りほど上だろうか。争いの場だというのにかなり落ち着いて見え、それが少年たちには大人の女性をより意識させた。
男たちが視界から消えるのを待って、彼女は剣を収める。
「余計なことをした……かな。遠目にだが、貴方たちの戦いは見ていた。なかなかの腕だ」
その口調、そして微笑みは、さっきまでの迫力が嘘のように優しかった。
「……っと、これは失礼。私はルシア・セノールと申す者。この先のレイス村に滞在している」
ぴくりとソーマが反応する。
「え? その名前、どっかで聞いたような……」
ハルトが頷く。そして彼女には聞こえないようにそっと耳打ちした。
「半分だけね。そう、彼女だよ。10年前、幼い皇子と妹を連れて、陥落寸前の帝都から脱出した、ラインホルトの娘さ」