異世界の約束
「ここが……神獣の世界……」
緑竜を助けるために放たれた、逆方向の召喚魔法。それに巻き込まれたリゼットとダイキは、はっきりそれと分かる異世界で、暫し呆然と佇んだまま動けなかった。
果てなく続く荒野。大きな岩がゴロゴロと転がり、赤茶けた大地が地平線まで続いている。
太陽らしきものは見えないが、夜を思わせるほど暗くもない。心に届くような肌寒さは、何処となく先程までいた洞窟のそれに似ていた。
「あ……ドラゴンさん!」
近くに緑竜ゲルトが倒れているのに気付き、リゼットが駆け寄る。
暫くして顔を上げると、彼女はほっとしたように笑顔を見せた。
「良かった……気は失ってるけど、容態は寧ろ安定したみたいです。さすがハルトさんですね。それにパトリシア──じゃなくて、ラシェルさん? も」
ここへ引っ張り込まれた不満を漏らすどころか、それが頭に浮かんですらいない。小柄な魔法士は、逆にダイキを道連れにしてしまったことを悔やむ。
「あの……ごめんなさい。私がドジなばっかりに、ダイキさんまで」
「いや、無事で良かった」
言葉とは裏腹に、険しい表情のダイキ。攻撃的な気配が、彼らめがけて集まって来るのを感じたためだ。
考えてやったことではないが、リゼットと共にここへ運ばれて正解だった。〈正負の転換〉があるとはいえ、治癒魔法士の彼女だけでこの場を凌ぐのは厳しかっただろう。
やがてリゼットも、迫り来る何かの群れに気が付く。
「あれは──」
「魔物。いや、確か神獣とかいう奴だ」
ユミルトスでの出来事が頭を過った。師匠ほど上手くはない見立てでも、ダイキはそれに獰猛なまでの力を感じる。
一方、人の気配は彼ら2人分しか無い。
「あの蛇女は何処だ?」
「多分私たちまで召喚されたことに気付かず、魔法を発動してすぐ元の世界に戻ったんでしょう。何しろ神獣にとって、魔法士はこの上ない御馳走なんです」
リゼットが真面目な顔で言ったため、それが冗談になっていないことをダイキは指摘できなかった。
師匠によれば、美しい女性に変わった蛇の正体は〈魔聖〉だという。つまりレオニールと同等の強さを誇るとみていい。
ここに残ってくれればかなりの戦力になったはずだが、彼女も何か事情を抱えていそうな雰囲気だったから、それに愚痴を溢しても何も始まらないだろう。
──俺が守る。
岩壁を背にする彼女らをさらに背負うように、ダイキは前へと進み出た。
やがて、最初の一団がそこへ到達する。そこにあるのは悪意ではなく、純粋な〈食欲〉のみ。
波動一式、〈咬〉!
勿論、むざむざと喰われるのを待つわけにはいかない。右手から繰り出された先制弾が、襲いかかる神獣をあっさりと撃退する。
しかしそれが悪手だった。彼らにとっては闘気もエサのひとつ。まるで吸い寄せられたかのように、さらに周囲から大量の神獣たちが現れたのだ。
「くそっ!」
ダイキは両手からの連弾に切り変える。無闇に闘気を放出しても敵を増やすだけ──が、真っ先に狙われるのは魔力を持つリゼットだ。それでなければ対処が間に合わない。
修行中とは見違えるほど威力を増した技が、以前なら苦戦したであろう神獣たちを次々と撃ち落としていく。
しかし、あまりにその数が多かった。撃てば撃つほど、それはいくらでも沸いてくる。
──キリが無い。
ダイキはその巨体を空高く浮かび上がらせると、実戦では初となる大技を放つ。
波動七式、〈拷伏〉!
球状に溢れ出た闘気が、さらに上空へ。それが急激に重みを増して落下──近くを飛ぶ神獣たち、そして地を這うそれらを捕らえ、一斉に下敷きにする。
絶対的な王者を前にした時のように、大地に伏した神獣たちは、そのままバキバキと嫌な音を立て潰された。
広範囲に渡るその攻撃で、敵の密度は下がる。だがそれも束の間、今の倍に相当する新手が彼に迫った。
何かを叫びながら、異界の怪物たちへ突撃するダイキ──。
──────────
数時間後。
「はあ、はあ……」
事態は一向に好転しなかった。
〈闘魂〉を持つダイキには、気力を失わない限り闘気の枯渇を心配する必要がない。それによってまだ無傷を保ってはいるものの、そろそろ体力の方が限界である。
1時間ほど前から、リゼットによる魔法の援護も止まっていた。
「ダイキさん、ごめんなさい……」
もう何度目か。彼女はしきりに謝罪ばかりを繰り返す。肝心な時に力になれず悔しいのだろう。
だがそれはダイキも同じ。魔力を使いきり、今にも倒れそうなリゼットに手を差しのべる余裕さえない。
「ごめんなさい……」
「大丈夫だ、そこで休んでいるといい」
敵はただ捕食に来ているだけ。行動がシンプルで読みやすい上に、今のダイキに対抗できる程の者もいなかった。
つまり無限を思わせるその数だけが問題だ。体への負担を軽くする技を選択して、可能な限り時間を稼ぎつつ、助けを待つ──今はそれが最良の策だろう。
「戦いに関して、俺は世界一諦めの悪い男になったのだ。まだまだいけるぞ。このまま1日でも2日でも、戦い抜いてみせる!」
「違うんです。私たちはもう、助からない……」
そこまで後ろ向きな弱音は初めて聞く。ダイキは思わず振り返った。
「そんなことはない。俺たちには仲間がいるではないか。それに、今回は師匠までいるのだ。必ず助けは来る」
「いいえ、よく考えれば分かったこと……ラシェルさんが使ったのは、現世から神獣界への召喚でした。だから場所を選ぶ必要も、活動領域を作る必要も無かった。もう一度ここへ来ようにも、目印になるものが何もありません。
私たちの魔力や闘気にしたって、向こうに届く前に全部食べ尽くされるでしょう。アースガルドより何十倍も広いここで、しかも別の世界から、たった2人の人間を見つけ出すなんて、とても……」
強制的にせよ、こちらに来れたのだから戻ることもできる──当然、それを前提にここまで戦ってきた。
嫌な予感を誤魔化すように、ダイキは無理に反論する。
「例えそうだとしても、今度は向こうから緑竜を召喚してくれるだろう。同じようにまたその光に乗れば」
「……思い出したんです。魔法学の本にありました。傷ついた神獣は冬眠に近い状態になり、回復するまで次の召喚が出来なくなる。瀕死の状態なら最低でも10日以上──単に気を失ってるんじゃなく、きっと緑竜は眠ってるんです」
1日、2日ではない。少なくとも10日の間、飲まず食わず、睡眠すらままならない中で神獣たちと戦い、生き延びたさらにその後に漸く助けが来る。
それは彼女を絶望させるのに充分な数字だった。
リゼットは身体を震わせ、遂には堪えきれずに涙を溢す。
「私が守るはずだったのに……仲間を、ダイキさんを、守るはずだったのに!」
このままでは、守るどころか自分のせいでダイキを死なせてしまう。他人を責めることを知らない彼女は、その分をすべて自分に向けてしまうのだ。
しかし、ダイキは「諦める」という言葉をその意味と共に捨てた男。慰めではなく本心からそれを言う。
「道は必ず切り開く。俺は誰かの盾ではなく、矛であり続けると誓ったのだ。例え、最愛の人を背にしたとしても」
「えっ──!?」
その台詞は、告白だと受け取られても仕方がなかった。ダイキも言ってからそれに気付く。
「……最低だな。こんな状況で無ければ、気持ちひとつ伝えられんとは」
「ダイキさん……」
真っ直ぐにお互いを見つめたまま、黙り込む2人。暫くして、意を決したようにリゼットが口を開きかける。
しかしダイキはそれを止めた。
「俺もリゼットも、今ここでそれを言うべきではないし、聞くべきでもないと思う。だが、約束しよう。助かったら必ず──俺の方から『好きだ』と告げると」
「……ダイキさん、言っちゃってます」
顔を赤く染め上げ、リゼットは俯く。
一方、またしても言ってからそれに気付いたダイキは、彼女と同じく真っ赤になって「むう」と呻く。
何をどう繋げればいいか分からない空気。だが、魔法が使えない男の魔法の言葉──それがやがて、リゼットの涙を笑顔に変えた。
──ここで諦めちゃダメだ。それはダイキさんの、そして自分の気持ちを裏切るのと同じことだから。
「泣いたりして──ごめんなさい。私も、ここから生きて帰って、きっと、『大好きです』って伝えますね。約束します!」
「……ああ!」
そして2人は前を向く。
小技で陣容を整え、大技で蹴散らす──それで得た時間で体力の回復。もう何度目か数えるのも嫌になるが、そろそろ次が来るだろう。
リゼットの言うことが事実なら、ただ撃退するだけでは駄目だ。じっと助けを待つ消極策から、何かもっと積極的な策へ──しかし突破するにしても、何処へ向かえばいいのか皆目見当もつかない。
あれこれ悩んでいるうちに、ふと友人たちの顔が頭に浮かび、その瞬間ダイキは決意を固めた。
彼は隣にいる魔法士に優しく語りかける。
「リゼットは皆の力になりたいと……ずっとそう願ってきたな」
「──はい」
「その志は見習うべきだ。だが俺は思う。俺たちはまだ若く、未熟者。ならば人の力を借りたって何ら恥じることなどないと」
「ダイキ……さん?」
ダイキが何かするつもりなのだと、リゼットにはすぐに分かった。相当な覚悟を感じさせるそれに、彼女は不安を覚える。
「安心してくれ、後ろ向きな気持ちなど何もない。さっきの約束を果たすためにも、俺は仲間を信じると──改めて誓っただけだ」
ソーマから学んだ前向きな姿勢。
ハルトから学んだ逆転の発想。
そしてフィンレイから学んだ戦う意思。
──〈限界突破〉!
それの発動と共にダイキは飛んだ。
迸る闘気の奔流が異世界に拡散する。〈非聖〉アドルフに対して発動して以来──つまり、修行後にこれを使うのは初めてだ。
だがその時とは基本がまるで違う。天井知らずの蒼い闘気が、世界の壁さえも貫くかに思えた。
すぐに、百を超える魔獣がそれに反応する。そして一斉に大量のエサを求め群がってきた。
「これを喰い尽くせるというなら、やってみろ! 俺は必ず、この力を仲間に届ける!」
助けを待つのではなく、呼ぶ。リゼットが諦めた理由を逆に言えば、こちらから居場所を示すことさえできれば、仲間に発見される可能性が生じるということだ。
そのために長く細い力から、瞬間的にでも最大のそれへと切り換える。そうすることできっと、仲間が彼らの居場所に気付いてくれるだろう。
それだけの闘気を賄うには、禁じ手とされてきたその技を使うしかなかった。
しかし、出し惜しみしたまま命を落とそうものなら、それこそ師匠があの世まで追って来て叱り飛ばすに違いない。
もしかしたら、気付いてもらえないかもしれない?
もしかしたら、体が持たないかもしれない?
──舐めるな。
仲間を、そして自分を。
「ダイキさん、神獣が!」
「分かってる。危ないからそこを動くな」
姿が見えなくなるほど多くの神獣に取り囲まれると、そこから壮絶な綱引きが始まった。喰われる前に弾き飛ばすか、それとも闘気ごと神獣の腹に収まるか。
「波動零式──」
頃合いをみてダイキはそれを使う。接触した敵を内部から破壊する、必殺奥義。
ほんの一瞬でいい、どうか、輝くような一撃を──。
〈生・者・必・滅〉!
その瞬間、異世界に太陽が現れた。
まるで闇夜に浮かぶ星が朝には不可視となるように、それは集まった神獣たちを、塵も残さぬほど粉々に消し飛ばす。
その破壊力に自分でも驚き、唖然とするダイキ。
しかし、その反動が表れるのも予想より早かった。
「ぐ、体が……」
「ダイキさんっ!」
ダイキの体とリゼットが、同時に悲鳴を上げる。
ただでさえ満身創痍だったところへ、〈限界突破〉──さすがに無謀だったのだ。
自力ではもう1ミリも動くことができず、あとは重力に任せて落ちるしかない──。
しかし間一髪、それを拾い上げた者たちがいた。
「危ない危ない。しかし、よく耐えたのう」
「竜王!」
そこは竜王ハストゥールの背の上。体を動かせないダイキは、声と目線の先にある尻尾でそれを悟った。
「ラシェルに道を作ってもらったのじゃ。しかし準備が整ったはいいが、失敗は許されんからのう。どうしたもんかと困っておったところへ、お主らが居場所を教えてくれた。随分と無茶をしたようじゃな」
抜けるほど残っていないが、それでも力が抜けた。助かったのだ。
「……誰だ?」
その背に気配がもうひとつ。竜王に跨がりそれを駆るのは、ルフィーナ国王、ダリル・シェレンベルク。
「遅くなってすまなかった。魔法士を集めるのに手間取ってしまってね」
体を起こしてもらって漸く顔が見えた。齢は50のはずだが、とてもそうは思えない。
灰色の髪の間から覗く鋭い瞳。痩せてはいても、その覇気は溢れんばかりに猛る。
「君たちのおかげで、最後の力の使い所を誤らずに済んだ。礼を言うよ」
王はただ臥せっていたわけではなかった。恐らくいざという時の備えとして、力を蓄えていたのだろう。
そして最後になるかもしれないそれを、異国の少年少女を助けるため惜しみ無く使った──そういう王なのだ。
「しかし何故、あんたたちが」
「皆、我先にと行きたがったがな。余所者にばかり頼っておられんということじゃ」
竜王は急旋回すると、リゼットのもとへ降りる。そして優しく彼女を掴み、ダイキの隣へそっと乗せた。
「ダイキさん……良かった」
「ああ、もう大丈夫だ。しかし──」
「ゲルトのことなら案ずるな。お主らを送り届けたら、ワシがここに残ろう」
背負う者が3人になっても軽々と舞い上がる竜王。
しかし恐れを知らぬ神獣たちが、またしても彼らの前に立ち塞がる。
それに対し、スピードを落とすどころか加速して、ハストゥールは大声で笑った。
「久しぶりじゃのう、ダリル!」
「はしゃぎすぎだ、ハストゥール」
最強の竜騎士による、最後の攻撃──。
〈罪なる時代の払拭〉!
竜槍術奥義、〈魔槍七星〉!
最上位種、竜族の王による怒りを込めた咆哮。そして〈竜聖〉が放つ、敵を全滅させるまで消えることのない魔槍の乱舞。
初めて。視界からすべての神獣が姿を消した。
「は……はは……」
死ぬ気で出した自分の技と、同等の威力をいとも容易く──もはや笑うしかない。
ただでさえフィンレイという怪物に辟易とさせられているのに、他にも超えるべき目標はたくさんいるのである。
彼にとっての長い1日は、そんな世界の広さを、物理的にも概念的にも、改めて思い知らされる機会となった。
しかし、とダイキは思う。
──こんなトラブルなら、たまには悪くない。
彼は目を閉じると、そのまま気を失った。リゼットと、しっかり手を繋いだまま──。




