執着
処刑の時が迫る。
始まりの場所、王宮ローゼンハイン。その謁見の間で、ラファエルとハインの両名は跪拝したままそれを待つ。
厳しい内部統制で知られる新生アースガルド帝国は、開国から暫くの間、失策の処断を恐れて野に下る〈任務落ち〉を急増させた。
しかし、その対策として〈血の誓約〉が義務化された今となっては、反抗どころか逃亡さえもが〈死の制裁〉を発動させ、その者を死へと誘う。つまり彼らが1分でも長くその生を繋ぐには、ここに戻る以外に選択肢は無かったのだ。
幸い、東部方面隊としての上官は穏健派のクライドであり、助かる可能性はゼロではない。
しかし数ヵ月前にリーザ皇女を奪還されてから、ずっとクライドの機嫌は良くなかった。ここで打つ手を間違えると、重臣である彼らにも容赦ない裁定が下されることになるだろう。
助命に見合うだけの対価を示すこと──それが何よりも重要。乾いた足音が近付くにつれ、彼らは緊張を高めた。
「せめて傷の手当てぐらいしたらどうだ、ラファエル」
現れたクライドは穏やかに語りかけ、彼らと対峙するように豪華な椅子に着座する。
「任務に失敗しておきながら、そのような勝手が許されましょうか。私は、そしてここに控えるハインも、如何なる処罰であれ拝受する覚悟──しかしその前に、ご報告が」
限られた人数で、〈空間転移〉を使っての任務であった。さすがに梟の巣の目も届いていなかったと思われるが、部下の方から、委細について先に裏を取られているとラファエルは読む。
手ぶらは論外。しかし既知の情報を口にして時間を浪費させたなら、その時こそ本当に命は無い。まだ主の知らない何か、それも今後の戦略を左右するほど重要な情報が必要になる。
それに値するかどうかは、結局賭けになるだろう。しかしひとつだけ、ラファエルはハインも知らない情報を握っていた。
「徒事では無さそうだな」
「──〈四神の影〉と接触しました」
鋭く目を細めるクライド。暫しの沈黙が場を支配する。
煌国の四神に次ぐ力を持ち、彼らにとって、ルーファウスを除く3人の四神とともに、最重要とされるターゲット。その人物は第2次統一戦争が終わるとともに姿を消し、それ以降は生死さえも不明であった。
尤も終戦は16年も前のことであるから、彼らは名前でしかその存在を知らない。
「……フィンレイ・クラークか」
「はい。しかも〈予言の勇者〉と繋がっています」
「それが奴だという証拠は?」
「〈零距離射程〉──フィンレイが得意にしていたという、所有者制限が僅かに2人のレアスキルです。それを今回、私は2人の敵から受けました。
1人は〈予言の勇者〉でしたので、それを助けに現れた他方がフィンレイであるに違いありません。私とハインに手傷を負わせたのも、その男なのです」
それはフィンレイについての情報だが、〈予言の勇者〉が会話に登場したことで、クライドは顔をさらに曇らせた。彼はそれに、大きな借りがある。
以前戦った時、ソーマとかいう少年は〈零距離射程〉を持ってはいなかった。それが事実なら、後に習得したか、残り2人のうちどちらかが所持しているということになる。それも、恐らくはフィンレイの指導によって。
「あくまでも、我が障壁として立ち塞がるか」
〈予言の勇者〉は戦翼傭団、つまりウォーレンと、さらにジルヴェスターとの接触を確認されていた。そこにフィンレイまでも加わったとなれば、それは脅威以外の何物でもない。
「四神の影が相手では、兵を引かせた判断も間違いとは言えまい。しかし──それを敵に回すとなると、さすがに陛下への報告無しに済ませられる事例ではないな」
フィンレイに抗える者など、アースガルド中を巡っても十指に満たないだろう。そのうちのひとりが、誰あろう遂に皇帝となった不死身の暗黒剣士、ルーファウスであった。
ラファエルは顔色を青く染める。報告の過程で、彼らの失敗が語られることは間違いない。命を明日に繋ぐための報告が、裏目に出たのだ。
クライドにもそれが分かっているが、そのためだけに打つべき手を躊躇するような甘い主君ではなかった。
しかし、そこに現れたひとりの男によって事態は急転する。
「私が出ましょう」
「──ゲイルノート!」
〈鬼眼〉ゲイルノート。黒葬騎士団の団長、ラファエルとハインにとってはもうひとりの上官である。立場上のナンバー2がクライドなら、実力でのそれがこの男だった。
基本的に前帝国の体制を引き継いだ新生帝国だが、黒葬騎士団だけはまったくその様相を変えている。単純に戦闘力だけを基準に選定され、人数も大きく絞られたのだ。
強い者ほど上へいく戦乱の世。つまりほぼ全員が何らかの役職を兼任していた。彼らが黒葬騎士団として勢揃いする時、それは全軍が集結するに等しいと言えよう。
「お久しぶりです、若様。できれば私めも話に混ぜてはいただけませぬか」
「何故、お前がここに」
「私は例の計画の、責任者でもありますのでね」
ラファエルらが実行しようとした作戦には、2つの目的があった。〈空間転移〉による集団移動のテストと、もうひとつ──。
〈果て無き宿命計画〉。
〈果て無き宿命〉とは、死者を再びこの世に呼び戻すために、新生帝国が総力を上げて開発中の魔法である。
皇帝の二つ名の如く不死身の軍団を作り上げ、無限とも言える戦力を手にすることが、その表向きの目的とされていた。しかし実際には、非業の死を遂げた細君サラの蘇生にこそ、ルーファウスの真意がある。
勿論、それは簡単な道程ではない。足りないものがいくつもあり、中でも理論上必要とされる、莫大な魔力の確保が最大の課題であった。
それを集めることを含む準備、試行、完成そして行使までが、その名を冠する計画の全貌なのである。
「近頃はすっかり暇になってしまいまして。部下が優秀なのも考えものですな」
ラファエルとハインは肩を震わせた。その実力の程は、黒葬騎士団の副団長、そして団員たる2人が肌身を以て理解している。
特にラファエルにとっては、自身が目標としてきた人物。魔法剣士というカテゴリーにおいて、ゲイルノートは世界最強の男であろう。
フィンレイに負けただけなら「仕方がない」で済んだかもしれない。だが彼らは、あろうことか〈果て無き宿命計画〉の核とも言うべき物を紛失したのだ。
正式名を〈集気変換装置〉。それが無ければ、魔法士を総動員しても目標の魔力には届かない。
正確にはそれそのものではなく、それによって集めたドラゴンの力が必須である。
ドラゴンは魔力を持っておらず、どちらかと言えば闘気に近いエネルギーの持ち主だが、何しろその量は途轍もなく膨大だ。ならばそれを奪って魔力に変換すれば、魔法の完成に大きく近づく。
そこで彼らは、〈竜国〉ルフィーナへの潜入を果たし、ある程度離れていてもエネルギーの強奪が可能な〈集気変換装置〉を仕掛けた。それに一定の力が蓄積すれば、〈空間転移〉の座標にも使えるため、次からは潜入自体が容易になる。
そして場所を変えつつ、次々とそれを設置。奪うエネルギーを増やすとともに、転移座標としてルフィーナ攻略の足掛かりも築く。
そのうち、上限まで溜まった1つを回収するのが、今回ラファエルらに課せられた任務であった。
無くした〈集気変換装置〉の座標を追ったところ、その移動が確認されたことから、恐らくは敵に奪われたのだろう。
〈空間転移〉を使えば瞬時にそこへ辿り着くこともできるが、フィンレイがまだその近くにいると考えるのが妥当。大陸屈指の強者でもなければ、死にに行くようなものだ。
「陛下の邪魔をする者たち。セリム皇子、セノールの娘、それにフィンレイ。皆、懐かしい名ばかりです。私にもやり残したことがありまして──それがこの10年、ずっと気がかりでした」
心の底から湧き出て来るかのような、黒い闘気。その色は業によって変わるとされ、黒は殺めた人数の多さを物語る。
「ゲイル」
「……おっと、これはとんだ失礼を。まあその2人の処遇については、戻ってから考えることにしましょう」
黒衣の騎士は、速やかにそれを鎮めた。
「ここへ来た理由がそれか。相変わらず、情報が早いな」
「いえ。発案は私ではなく、この男の策を採用することにしたのです」
呼ばれるのを待っていたかのように、そこへもうひとり、男が姿を現した。
伸び放題の髪にボロボロの衣服。しかし、その目だけを異様なまでにギラつかせ、何ら畏れる素振りさえ見せず堂々とクライドの前に進み出る。
マティアス。かつてセリムの下を追われた、元軍師である。
さすがにクライドは驚いて、ゲイルノートに詰問した。
「その男は大した情報を持っていなかった。それどころか、スパイである可能性が僅かでもある以上、投獄して処分の決定を待てと言われていたはずだ」
「その通りです。ですから、その決定に従って我らが陣営に加えることとしました。この男は──いや、この男の復讐心は使える。何しろ〈血の誓約〉を、自ら望んで受けたくらいですから」
「何だと?」
マティアスの腕には包帯が巻かれていた。自らの血を、魔法を籠めた杯にて飲み干すという猟奇的な儀式の痕である。
「どのような手段を用いたのか、獄中でも最新の情報を仕入れ、ある計画を提案してきましてね。私としても、寧ろその手腕に期待してみたくなったのです」
そこで始めて膝をつき、用意された文章を読み上げるかのように、淡々と言上するマティアス。
「セリムにフィンレイ、そして〈予言の勇者〉──新生帝国に仇なす者は悉く、この世から消え去ることになりましょう。但し、一息にそれをしたのでは面白くない。ひとりずつ確実に──後悔、無力感、絶望……あらゆる苦痛を与えた上で、不可避の死を与えるのです」
血の臭いさえ感じさせる内容とは裏腹に、彼の発言からは何の感情も読み取れなかった。それはクライドにさえ、一瞬声をかけるのを躊躇わせる。
「……それ程の策があると言うのか」
「無論、何の成果も得られなかった場合は、喜んでこの首を差し上げる所存」
まんまとハルトの策に嵌まり、新生帝国への身売りが叶わなかったどころか、逆にあらぬ疑いで牢獄に繋がれていたマティアス。その屈辱的な時間が彼を狂わせた。いや、覚醒させた。セリムを、そして誰よりもハルトを貶めるためだけに、生涯を捧げたその覚悟。
だがそれは、他の誰かが成したのでは決して報われることはない。彼の立てた策に溺れ、もがき苦しみながら死にゆく〈敵〉の姿だけが、彼を混沌から救うだろう。
それは復讐というより、歪んだ執着であった。そしてマティアスは、この献策により参謀の地位へと返り咲くことになるのである。




