黒い砂時計
突然の事態に驚いたのは、彼らだけではなかった。ここは辺境の地──敵もまた、移動先に人がいるとは想定していなかったようだ。
「何だァ、てめえら」
「お前らこそ誰だよ」
ソーマを睨みつけたハインは17才、まだ少年である。
一方、まるで女性のような顔立ちに、サラサラとした長髪を靡かせる将官ラファエル。彼は23才で、2人とも肩書きのわりにかなり若い。
「浅慮な発言ですよ、ハイン。エナジーを読めばすぐに分かること。〈予言の勇者〉です」
「──マジで?!」
ハインは無遠慮に彼らを見ると、嬉々として声を上げた。
「うお、すげえ! ホントに蒼いんだな」
「見つけたら、直ちに捕縛するよう命令が出ています。取り敢えず先手を打っておきましょうか。何しろあの〈勇聖〉を倒した程の者たちですから」
彼らは咄嗟に身構えるが、もう遅かった。ノーモーション、さらに詠唱さえ無く召喚された〈事象〉。
「うあ!」
「な、何よこれ」
思わず声を上げたルウとジュリア。急激に重力が増したかのように、足が地面から離れない。
さらにいつの間にか、上半身も見えない何かに拘束されている。
「〈封殺呪縛〉! 敵の動きを封じる魔法……」
パトリシアがそれを解説した時、従者や馬車を引く馬までもが、その虜囚となっていた。
「転移した先のことは、それが完了するまで分からない──やはりまだまだ改良の余地がありますね」
「それだけじゃねえぜ、ラファエル。何人か足りねえ」
「……上官には敬語を使えと、あれほど」
苦笑いしながら味方を振り返り、それを数えるラファエル。
「成程、何人か落ちましたか。もう二度と戻っては来れないでしょう。やはり前から言われているように、被転送者の力量にその原因があるのか、或いは時空魔法にも相性があるのか。
いずれにせよ、まだ軍隊レベルにこれを使うわけにはいかないようです」
「ぬうっ!」
「うおらあっ!」
闘気を発動させるダイキ、そしてソーマ。瞬時に、彼らは魔法の呪縛から解き放たれた。
「この程度で止められると思ったか」
「こっちを無視して、勝手に話進めてんじゃねえよ」
しかし表情すら変えず、ラファエルはそれに冷ややかな反応を返す。
「たった2人……意外に少ないですね。魔率に関係なく、高いエナジーを持つ者なら簡単に抜け出せる魔法なのですが」
「そんなことはどうでもいい。早くリゼットを解放しろ!」
「……そこは『皆を』って言ってよ」
ダイキにツッコミを入れるハルト。動きを封じられただけで、普通に話せる上に痛みもなかった。
しかしすぐ、彼はその面を引き締める。
相手は新生アースガルド帝国。こちらの素性を知られ、さらに先制まで許した。リーザ奪還作戦において、はっきり敵対する関係となった両者──ここでの戦いはもう避けられない。
「ソーマ、今度こそボスはよこせ」
他でもないリゼットの手前、ダイキはやる気満々だ。ソーマはニヤリと笑って、
「分かった。俺はあのヘラヘラした野郎をぶっ飛ばす!」
少年たちは二手に分かれ、敵の長を捉えにかかる。
「よく聞こえなかったなァ。誰が誰に、何をするって?」
すぐさま抜剣し、何の躊躇いもなく斬りかかるハイン。ソーマは刀でそれを受け、激しく剣戟を交えながら、味方から離れるように場所を移した。
「邪魔です。貴方たちは下がっていなさい」
ラファエルは部下に鋭く命じると、ダイキを誘うようにソーマたちとは逆へ飛ぶ。かなりのスピードだが、寧ろダイキは彼を上回る速度で後を追う。
皆がそれに目を奪われる中、敵兵のひとりが岩影から何かを拾い上げるのを、ハルトは見逃さなかった。
10センチ程のカプセルのようなもの。真っ黒で中身は見えないが、砂時計のように真ん中が窪んでいる。
(あれが仕掛けの正体か。だけど問題は、奴らがどうやってここに来たかじゃない。何をしに来たのかだ)
「──さあ、楽しもうぜ。遊び場なら俺が作ってやるからよ」
ハインは好戦的──いや、戦闘狂である。すぐさま、それに相応しいスキルを発動させた。
〈戦闘空間〉。オレンジ色の幕が、2人を覆うように広がる。
「勝負がつくか、俺が解くまでこれは消えない……と言っても、俺にしか見えてねえけどな。
この中にいる限り、誰にも手出しされねえし、逆に巻き込む心配もねえ。まさか、早々に負けを認めて逃げるなんてこたァしねえよな、勇者サマ?」
「舐めんな。そんなモンすぐに消してやるよ。勿論、俺の一方的な勝利で」
激しく衝突する彼ら。目で追うのも難しいほど、圧倒的なスピード下で繰り広げられる剣撃の応酬──。
「敵も強いけど力量は互角──なら、〈軍神の寵愛〉を持つソーマが上。そうよね?」
その戦況を見て、ルディが問いかけた。しかしハルトは額に汗を滲ませている。
「信じられないけど……ハインとかいう奴も〈軍神の寵愛〉を持ってる」
「えっ!?」
「まさかこんな所で出会うなんてね」
所有者制限が僅かに2人のレアスキル。それを持つ者同士が戦場で斬り結ぶなど、歴史的にみてもごく稀なことに違いない。
一方ダイキは、敵の背を追いながら、仕返しとばかりに先手を取る。
波動一式、〈咬〉!
技の名を叫ぶことは、前回の戦いで懲りていた。手指を折り曲げた右手からの砲弾──スピードと威力は、その前回より増している。
捕らえた──かに見えたが刹那、それはラファエルの体をすり抜け、遥か彼方へと着弾した。
「なっ──幻か」
見えている姿はニセモノ──だが改めて探っても、ラファエルのエナジーははっきりとその姿から感じられる。
「おのれ!」
恐らく何かのスキルか、魔法に違いない。〈零距離射程〉による打撃も空振りに終わり、ダイキはそう確信する。
触れることができない──それはまるで、幽霊を相手にしているかのようだった。
そんな彼らを見守るしかない仲間たち。
「ソーマには〈覇剣〉がある。けど、それを使ったら〈軍神の寵愛〉が敵に〈戦闘空間〉の応用を閃かせるだろう。まだ身に付けて間もないのか、決闘用のスキルだと思い込んでるみたいだけど」
動けなくても策は立てられる。ハルトはまず、ソーマ対ハインの戦いについて言及した。
「どういうこと?」
「〈戦闘空間〉の壁に当たった攻撃は跳ね返るんだ。さらにその壁は所有者にしか見えてない。
1つに繋がってさえいればいい空間──例えばコの字型にでも空間を歪められたら、目の前に壁ができて、攻撃が当たらないどころか自爆する可能性がある」
そのソーマも何やら嫌な予感がして、〈覇剣〉を撃つのを躊躇っていた。そのままでも負けはしないが、勝つにも決め手に欠ける。
〈軍神の寵愛〉同士の戦いは、そのまま一進一退の膠着状態へと突入した。
「それからあっち。ラファエルは、技の溜めを省略する〈瞬陣〉を持ってる。派手さは無いけど、魔法剣士にとっては強力なスキルだね。
さらに、さっきからダイキの攻撃を躱してるあれ。もうひとつのスキルを上手く使ってるみたいだ。なら、まずは──」
「ダメよ」
大声で何かを叫ぼうとするハルトを、パトリシアが止めた。
「貴方にも分かっているんでしょう? 彼らだって簡単には負けない。求められてもいないのに、アドバイスを送ることが、本当に彼らのためになることかしら?」
その言葉はハルトを沈黙させた。確かに、彼がずっと仲間の傍にいれるわけではない。戦略を立てるのはあくまでもハルトだが、今後、戦術については戦士たちに委ねる場面が増えるだろう。
「それが欲しい時は、ちゃんと彼らから言ってくる。本物の軍師になりたいなら、まず彼らを信じなさい。
誰ひとり信用していないように見えて、仲間を信頼し、さりげなく進むべき道を示す──ジルヴェスターはそういう人だった」
真面目にそう語る蛇。戦いから視線を外さないその顔を、思わずハルトは見つめる。
「……あんた一体、何者なんだ」
「本当は彼に協力してほしかった。だけど今は身動きが取れない。だからその弟子を頼った──それだけよ」
直接パトリシアがそれに答えることはなかった。
「どうやら底が見えましたね。それ以上の技は無い──ならば、情報収集もここまで」
攻撃が当たらない以上、打つ手がない。ダイキは悔しそうに唇を噛む。
「ご安心なさい、貴方たち2人と、金髪の少年だけは連れて帰ります。殿下へのよい土産になるでしょう。但し、その他は──」
リゼットたちに向けられる魔力。ダイキが顔色を変えた。
「まさか──おい、よせ! 貴様の相手は俺だろう」
「それが相手にならないから、こうなるのです。己の無力を呪いながら、そこで仲間がひとりずつ殺されていくのを、ぼんやりと眺めていなさい」
「あの野郎──痛っ!」
遠くからそれに気付いたソーマが反転するも、見えない壁に弾かれ、近付くことさえできない。
「おいおい、相手間違えてんじゃねえよ。これからが面白くなるとこだろうが」
「──くそっ!」
ソーマもまた囚われの身。今、自由に動けるのはダイキだけだ。
「それだけは──させん。絶対に!」
盾ではなく矛──ダイキは〈闘魂〉を発動する。そしてそれが、彼の持つ最強の奥の手を呼び起こす。
異常とも言えるレベルで生じる、闘気の爆発的膨張反応!
「リミット・ブレイ──」
「馬鹿野郎!」
突然現れてその頭を後ろから掴み、そのまま地面へ叩きつけたのは──フィンレイだ。
「それは使うなって、何度も言っただろうが」
「ふが……」
耳まで埋もれたダイキに、それはもう聞こえていない。
(軽微な危機って……こういうことだったのか)
ほっと溜め息をつくハルト。そもそも〈看破〉がそれを示さなかった以上、彼らに危険はないはずである。そしてその理由こそが、ダイキの師、フィンレイだったのだ。
「ソーマにはもう監視が付いていないのに、彼は跡をつけてきたようね。どこまで過保護な師匠なのかしら」
「いや──」
ルディもまた、胸を撫で下ろすようにそう言ったが、ハルトの見方は少し違う。
(それだけじゃない。彼には彼の思惑がある。そしてそれは、多分ルフィーナの危機と関係がある)
まだ全部には足りないが、ハルトの頭の中で、少しずつパズルは埋められていく。
「し、師匠……!?」
鼻血を垂らしながら、漸く身を起こしたダイキ。
「〈限界突破〉でこの辺り一帯を吹き飛ばせば、何とかなるってか。救えねえ馬鹿弟子だな。
あんなモン、こうやって……」
フィンレイは右の手首をポキポキと鳴らし、軽く振る。
ただそれだけの所作──すると、あらぬ方向からラファエルが現れ、抉られた腹を抑えて吐血した。と同時に、ダイキが戦っていたもうひとりのラファエルが姿を消す。〈零距離射程〉による、本体への一撃だ。
直後、背後から剣を振り翳し、フィンレイに迫るハイン。〈戦闘空間〉を消しての不意打ち──。
「こうやったら……」
その剣戟を腕1本で受け止めると、フィンレイは懐深く肘を撃ち込む!
「ぐは!」
「済むことだろうが」
瞬殺。彼らは言葉を失った。
「いつまでもレベル4で止まってるから、こんな手に引っ掛かるんだよ。ただ姿を透明にするだけ──使えるように見えて、闘気か魔力を読まれちゃ意味が無えスキルだ。だから先に分身を作り出してから、本体を消した。あれだけの精度──闘気の具現化じゃなく、多分魔法だな。
あとはバレないように、力の殆どを分身に与え、無敵状態を維持。弱体化した本体を危険に晒す大胆不敵な技だが、こんな小細工を使う奴が司令官を名乗るとは……新生帝国とやらの底が知れるぜ」
闘気習得レベルに合わせて、相手の闘気を探る力も変動する。ダイキは具現化の4止まり、対するフィンレイは最高難易度、残気の8だ。僅か1%でも本体に残存させれば、容易にそれを見抜く。
「ぐっ……」
踞りながら魔石を取り出し、ラファエルはすぐにそれを作動させた。すると、ハインを含む味方がすべて光に包まれる。
「逃がすかよ──ぶへ!」
それを慌てて捕まえようとしたソーマを、触れもせず転倒させるフィンレイ。
「やめとけ。準備なくそれに触れたら、ひきずり込まれて戻れなくなるぞ」
「ち……畜生っ!」
悔しげなハインの絶叫を最後に響かせ、敵影は消えた。〈空間転移〉によって退避したのだ。
それにより、ハルトたちも呪縛から解放された。
「目的はコレか」
フィンレイがポンポンと掌で弾ませているのは、敵が回収したはずの黒いカプセル。
「いつの間に……」
ハルトは驚きを隠せない。敵の策をあっさりと見破った戦術眼、戦闘力、そして物事の本質が何処にあるのか逃さない勘の良さ──まるで格が違う。それは、彼らが目指すべき戦士の姿に相違なかった。
「この〈気〉の流れ……グレゴールを呼ぼう。コレが何なのか、爺さんなら詳しく知ってるはずだ」
フィンレイは、それを興味ありげに見つめたまま、他の誰にも触らせようとはしなかった。




