空間転移
2台の馬車が、殺風景な荒野を行く。
確かに蛇──いや、パトリシアの言うとおり、あの後ルフィーナからの使者がやって来た。その求めに応じて彼らは〈竜国〉に入り、さらに北へ。王城に向かっているのだ。
「何か、久しぶりだね」
宿泊した街を出て、たまたま馬車に乗る組み合わせが〈予言の勇者〉たるプレイヤー3人だけになった。味方が増えるのは喜ばしいことだが、他に人がいれば話せないこともたくさんある。
「もう半年だ。このペースで大丈夫なのか」
溜まっていたものを吐き出すように、まず時間について不安を口にするダイキ。
アースガルドでの1年は、現実では僅か1日である。つまりまだ半日しか経過していない。
とはいえ、それで手にした国は2つ。クリアが現実へ帰還する方法かどうかさえも不明だが、もしそうだと仮定すれば、こちらの時間であと何年かかるか分からなかった。
医療措置の件も話として聞いただけで、現実世界とコンタクトできない以上、やはり安心はできない。攻略の遅延が命取りになる可能性は充分にあるだろう。
「この手のゲームは、序盤から中盤にかけて最も時間がかかるんだ。逆に終盤は強くなりすぎて、単なる作業になっちゃうことがよくある。甘く見るのは厳禁だけど、徐々に展開は早くなると思うよ」
不安を払拭するように笑顔で答えたものの、ハルトにも時間に対する懸念はあった。
特に、隣国と往復するだけで数日を要する移動──そのロスが地味に痛い。ラナリアを拠点とするならば、これから益々その距離は延びていくだろう。
「〈空間転移〉が自在に使えたらなあ。覚えてない? オープニングでルシアが作動させた仕掛け。あれって古代に発明された魔法なんだけど、今は使い手がいなくなった設定なんだ。あれば便利なはずなのに、どうしてだろう」
「そりゃ、〈並び方〉の意味が無くなるからじゃねえ?」
言ってからそれを考え、答えを出すこともあるハルト。だが今回は、意外にもソーマに先を越されてしまった。
土地の離れた新生帝国と一戦を交えたソーマは、地政学的なものの見方を、感覚的に捉えていたのだ。
アースガルドの地理は、下をかじったドーナツだと考えれば分かり易い。かじられた部分はユミルトスだから、通れはするが侵攻は不可。右下にラナリアがあり、穴にあたるオシピオス海を挟んで、左側の大半を新生帝国が占める。
例えば東端のラナリアから、いきなり西端の新生帝国へ──間にある国々を無視して侵攻できるなら、確かにゲームの趣旨そのものが崩壊するだろう。
(いや──待てよ)
いったん納得してから、ハルトはあることを思い付く。そして人差し指を口許にあてて、脳内でそのメリットの大きさや実現性などを検証し始めた。
(誰にも使えないってことは、それを可能にして独占すれば、圧倒的なアドバンテージになるじゃないか)
他ならぬ彼の師が、一度それを復活させている。ならば仕組みを教わり、それを活用することで戦略の幅を広げれば、よりスピーディーに攻略が進められるに違いない。
それが反則技だったとしても、今はクリアへの確かな道を選択する方が重要だ。
(一段落したら、久しぶりに先生に会いに行ってみるか。他に調べたいこともあるし)
〈情報共有〉で情報は共有しているが、ジルヴェスターの持つすべてがハルトに開示されているわけではなかった。
もし師の興味を引き出せなかったら、「勝手に調べろ」で話が終わってしまうのは確実。屋敷に眠る膨大な資料は持ち出し厳禁とされているから、それを参照するためにも、まず彼の下へ赴くことが必要となる。
「──要するに、行ったり来たりしなくて済むように、目の前の敵を確実に倒せばいいんだろ。戦翼傭団のいるイルドを差し置いて最強だとか言われてるこの国が、例え敵に回ったとしてもな」
最強の男に鍛えられたソーマは、他国がそう評価されていることに拘った。強い自信からくる対抗心故の発言だ。
「最強の理由は──ドラゴンか。そのままだが」
「ドラゴン!?」
「そっか、ダイキはユミルトスに行ったんだったね。なら、知ってても不思議じゃない」
ハルトはそれを否定しなかった。ファンタジーには不可欠の、架空の生物。誰でも容易にイメージできるそれに、説明は不要だろう。
「人間以外とも戦わなきゃならねえのか、このゲーム」
人対人の戦争──ソーマはこのゲームをそう理解していた。確かに3つの例外を除いて、魔物や亜人はゲームに登場しない。
やり込み要素としてユミルトスに出現するもの、〈神獣召喚〉で使役されるもの、そしてルフィーナに生息する10匹のドラゴンがそれである。
「ドラゴン1匹で1万人の兵に匹敵するらしい。兵力に換算すれば、それだけで10万もの大軍だ」
「10万──」
「それ程の奴は、ユミルトスにもいなかったぞ。運が良かっただけかもしれんが……」
槍のような牙と剣のような爪。怪力を誇る一方、軽やかに空を舞い、堅い鱗は砲弾ですら簡単に弾く。そして破壊力抜群の吐息──。
ソーマの妄想の中で生まれたドラゴンは、確かに〈最強〉だった。
「勿論、それだけじゃない。そのドラゴンを操る青竜騎士団は、人数こそ少ないけど、超武闘派揃い。さらにそれを束ねる王が十聖のひとり、〈竜聖〉なんだ」
ソーマの頭からドラゴンが消え、自然と獅子王レオニールの顔が思い浮かぶ。〈覇剣〉を習得していなければ、勝つことはできなかったであろう強敵。それと肩を並べる者がルフィーナにも──いる。
「ドラゴンに乗った騎士が戦場に現れたら、辺りは草木も残らない荒野と化すだろう。ルシアが言ってた、『軽々しく援軍を出せない』理由ってのが、それなのさ」
「ずるいだろ……そんなの」
個々に差はあるものの、ひとりが百人の兵に相当すると言われている戦翼傭団。同じ計算を当てはめれば1万の兵力になる。
強いことには違いないが、その10倍を超えるのがルフィーナという国だった。
「だけど、これには面白い仕掛けがあってさ」
まだ目的地までだいぶある。ハルトはニヤリと笑い、いつものように勿体振ることなく、友人たちにそれを話しておくことにした。
遥か昔、神話の時代──。
かつて、聖獣を従えた神族と、魔獣を従えた魔族という2つの種族がいた。彼らは永く争いを繰り返していたが、神族側が世界を隔絶させたことで、それも遂に終わりを迎える。その際、両者の狭間に生まれたのがこの世界だ。
双方の配下である獣たちは、一部がこの世界に取り残され、纏めて〈神獣〉と呼ばれるようになった。それを祖先に持つものが、ユミルトスの魔物やルフィーナのドラゴンだという。
しかし本来いるべき環境ではなかったため、彼らは年々その数を減らし、弱体化していくこととなる。特にドラゴンはそれが顕著で、ゲームスタートの時点で、既に滅亡へのカウントダウンが始まっているのだ。
あくまでも設定上の話だが、つまりドラゴンが戦力になる時間は限られている。加えて〈竜聖〉は第2次統一戦争で重傷を負い、床上の人。青竜騎士団も平均年齢が高い。
序盤に限って最強──それが〈竜国〉ルフィーナ。
「だから、力のあるうちに一気にクリアするか、ドラゴンを壁にして次世代をじっくり育てるか。ルフィーナを選んだ場合、極端な二択に迫られるってわけ」
「成程、無条件で〈最強〉というわけでもないということか。しかし今はまだ、その序盤だろう。それが何故……」
最強と呼ばれる所以は理解したようだが、それなら一層、このタイミングで救援を要請された理由がダイキには分からない。
蛇のパトリシアにしろ、その後の使者にしろ、「助けて欲しい」と言うだけで内容は教えてくれなかった。詳しくは王から直接依頼されることになっているためらしい。
しかしハルトは、当然それに先回りを試みている。
「〈竜国〉ルフィーナがラナリアの同盟国なのと同じように、その敵である〈魔国〉セヴィオラも、ウェルブルグの同盟国だったんだ。だけど今回、ウェルブルグが僕たちに敗れたことで、それが崩れた。
それに危機を感じたセヴィオラが、〈装国〉ヴェルガンドと手を組んで攻撃してきた──そんなところじゃないかな」
可能性としては充分にあり得ることだが、事実はその遥か上をいく。
その真偽を確かめるまでもなく、正しい答えは向こうからやって来た。
突然止められた馬車。前方からジュリアが歩み寄る。
「ハルト、ちょっといい?」
前を行く馬車には、ルフィーナとの交渉役であるルディと、ジュリア、リゼット、ルウの〈三ツ星乙女〉、そしてパトリシアが乗っていた。
「どうしたんだ?」
「うん……何かね、妙な気配を感じるって。パトリシアが」
「妙な──気配?」
ハルトは馬車を降りた。そしてすぐに〈看破〉を発動するが、敵は確認できない。
念のため、〈近未来予測〉の能力も使う。ジルヴェスターに教わることで、それは対象を明確にしないと発動しないことが分かっていた。
普段は自分自身に設定されているそれ。ハルトは真っ先にジュリアに向けるが、反応無し。
続けてルディ、リゼット、ルウ、パトリシア……対象を切り替えてみても、やはり何も起こらない。トラブルに巻き込まれがちなソーマでさえ素通りし、最後にダイキに当てた時──それは漸く機能を果たした。
『軽微な危機の到来。発現まで、残り10分』
(軽微な危機? しかもダイキにだけ……)
残念ながら、その力に時間以外の具体性は無い。まるで意地の悪い師匠に「あとは自分で考えろ」と言われたような気がした。
「大きな魔力の変動を感じる。何か来るわよ」
リゼットに抱えられたパトリシアが警告を発する。もともと人間だったからなのか、リゼットは意外に蛇が平気なようだ。
「何かって、何?」
「それが分かればこんな言い方しないわ。これでも案内役なのよ。普段はお茶目な私でも、こんな時に茶化したりしない」
何がお茶目だよ──と反論したくなるハルトだが、緊張がそれを上回る。すると、辺りを警戒する視線の先で何かが光った。
それはみるみる大きくなり、やがて直視できぬ程に光度を上げる。だがあまり音を立てず、静けさを保ったままだと言ってもいい。
暫くして、それが消えた瞬間──慌ただしく動き出す〈看破〉。そこに、ついさっきまでいなかったはずの武装小隊が姿を現した。
驚く間もなく、洞察より先にスキルが次々とその素性を暴く。
東方軍総司令官兼、黒葬騎士団副団長ラファエル。その副官ハイン。配下の兵士たちを含め、総勢17名。
「──新生アースガルド帝国!」
そう叫ぶと同時に、ハルトは救援要請の原因が彼らにあることを確信する。そして、自分の甘さに吐き気すら感じる。
かつて、皇子を取り逃がすという失態を演じた彼らが、その原因をそのまま放置しておくはずがなかった。目の前の光景──それは憎むべき仕掛けを徹底的に解析し、自分たちが使用できるレベルにまで開発を進めてきた、その成果に相違ない。
つまり、西端から東端への〈空間転移〉。それは既に完成していたのだ。




