意外な使者
アースガルド帝国のメンバーは、何らかの肩書きと、それに応じた役割を持つことになった。
まず、セリムとその姉リーザ。もとより皇族の2人だが、それは決してお飾りではない。セリムが積極的に外交に動く一方、リーザは同盟国の政治、経済の監督や調整にあたる。
その傍らに控えるのは、父と同じ近衛師団長に就任したルシア。そして身の回りの世話を、筆頭侍女として引き続きグレースが担当する。
戦闘面では、各国と連携する組織的なそれの大隊長にクレイグ。小隊長として、ハロルド、フーゴ、ラルスの3人が続く。経験豊富な彼らは、後身の育成や訓練なども担当することになるだろう。
それに対し、小回りの利く遊撃隊に選ばれたのが、ソーマ、ダイキ、ルウ、リゼット。「ソーマとダイキのどちらかを選ぶと、絶対ケンカになる」との理由から、その長はセリムが兼任する運びとなった。
勿論ハルトは参謀長へ。すっかり居着いてしまった〈姉弟子〉ルディは、その顧問として参画する。
さらにハルトの護衛として、ジュリアもそこに名を列ねた。それは「家名に捉われず、やりたいことをやれ」というルシアの配慮からだ。
例外として、まだ年端もいかないロイとレベッカは、血生臭い戦場から隔離される形で、ラナリアの士官学校へと編入を済ませた。
但し、成長パラメータは高い2人。今後、何らかの形で作戦に加わることはあるかもしれない。
その他、彼らに続くメンバーとして、ラナリア、ウェルブルグ両国から相当な数の志願があった。厳しい審査を経て、結局は総勢200名余りの勢力となったが、それはこれからも増え続けるだろう。
そしてここに、もうひとり──。
「──以上で、報告を終わります」
静まり返る室内。帝国の主要メンバーによる、定例会議である。
その説明にはまるで無駄が無く、質問を想定して組み込まれたそれには、足りないものもまったく無かった。
アースガルド帝国のセリム、ラナリアのレオニール、そしてウェルブルグのクロード。三者を繋ぐ橋渡し役として、特別政務官に就任したフィオナである。
それは、複雑な利害が絡み合う同盟国の公平性を構築、或いは維持するため、リーザの下に作られた役職であった。
特にラナリアとウェルブルグが手を携えて歩むために、避けては通れないのが後者の経済問題だ。それに与するだけのメリットをちゃんと示すこと──それが無ければ、例え王が恭順の意を表したとしても、不穏分子の抑制にはならない。
ウェルブルグの王女という立場を封印し、帝国の新メンバーとして初めてとなる課題に、フィオナは取り組んでいた。
彼女が目を付けたのは魔石。レイス村周辺で順調に採掘されるその原石を、ウェルブルグに流して活用する案を提示したのである。
軍事目的の製作はラナリアに限定し、あくまでも生活の糧として。それは戦争が終結した途端、祖国が困窮することのないようにとの理由からであった。
魔法士の育成と技術の確立を同時に進め、農作物の育たないウェルブルグを工業大国にする──そのリターンが、ラナリアをさらに豊かにもするだろう。
(彼女に任せておけば、大丈夫そうだな)
ウェルブルグでは寧ろ、政務官としての実績の方が大きかったフィオナ。彼女がいれば、参謀長としての仕事に専念できる。それはハルトにとって非常に大きなメリットだった。
勿論、崇拝さえしていた兄の覇業が閉ざされたのだから、フィオナにしてみても思うところはあるだろう。しかし他でもないその兄が決断し、前に進み始めた今、彼女がその足を引っ張ることは考えられなかった。
内から外へ、スムーズに議題は動く。
彼らと国境を交える勢力──まず、ラナリア北部に〈竜国〉ルフィーナ。ウェルブルグは北に〈魔国〉セヴィオラ、北西に〈戦闘遊牧民〉ティルジュ族、そして西は2つの小国と隣接する。つまり次の攻略対象となるのは、以上5つの勢力のうちどれか。
南にも国があるが、〈やり込みの国〉ユミルトスだから無視しても問題はない。
「なるべく戦力は分散させたくないわね。まずはルフィーナとの連携強化が第一」
ルディの発言に一同が頷く。
ラナリアの同盟国であるルフィーナを、アースガルド帝国の盟友に誘う交渉──彼女が取り纏めを担当したその経過は、至って順調であった。それは細かい条件など、既に詰めの段階にまで来ている。
「ルフィーナってどんな国なんだ? その先のイルドには何回か行ったけど、通り過ぎただけで、実はよく知らねえんだよ」
修行から戻ったばかりで情勢に疎いソーマが、ここで根本的な疑問の声を上げた。
ルシアがそれへ、穏やかな笑みを向ける。
「それだけの強さを誇りながら、アースガルドのことは本当に何も知らないんだな。〈竜国〉ルフィーナは、恐らく大陸最強の戦闘国家だぞ」
「そ、そうなのか?」
〈最強〉という単語が意外だった。今、それがすぐに連想させるのは、彼らの宿敵たる新生アースガルド帝国だ。
もしそれが事実で、戦力に余裕があるなら、先の戦いでラナリアに援軍を出してくれても良かったのではないか。
ソーマがそれを口にすると、ルシアはやや意地悪そうに、端正な顔の口角を上げた。
「軽々しく援軍を送れないほど強いと言えば、何となく分かってもらえるかな。〈魔国〉セヴィオラと〈装国〉ヴェルガンド。確かに三つ巴の争いこそしているが、それは彼の国に野心が無いだけのこと。彼らを怒らせると、とんでもないことになるぞ。何故なら──」
ふと、目の端で何かが動いた。30センチ程の紐のような──しかしここは窓を閉じた部屋の中。風も無く、紐ならひとりでに動かない。
それが大の苦手である彼女には、考えるのも躊躇われるが、まさか、それは──。
「きゃあ!」
恐る恐るそれを見て、ルシアは悲鳴を上げた。普段の、凛とした彼女からは想像もつかない、まるでか弱い乙女のような声。
現れたのは〈蛇〉だった。
但し、まだ子どものような大きさだ。にょろにょろと、コミカルにも見える動きで、それは彼らに近付いて来る。
「何だこいつ。どっから入って来やがった」
ソーマが刀の鞘で追い払おうとするが、意外にすばしっこい。半ばムキになって追いかけると、それがぴょんと飛んで、テーブルの上へ。
「ひっ──」
青ざめるルシア。それと目が合い、彼女は絶叫した。
「駄目なんだ! へへ、蛇だけは──私にとって」
動転した彼女はおかしな倒置法で喚きながら、椅子を蹴り飛ばして抜剣し、遂には闘気まで解放した。
「馬鹿、やめろって」
「し、城が壊れる」
ソーマとダイキが、それを2人がかりでどうにか取り押さえ、事なきを得る。
「……今、『可愛い』とか思ったでしょ?」
「そ、そんなことないよ」
ジュリアの冷たい視線に、ギクッと肩を震わせたハルト。
「ホントかなあ。姉上はああ見えて、あたしより女の子らしいから」
(ごめん……ちょっと思った)
焦るハルトをよそに、テーブルの上をうねうねと這い、セリムの前で頭を起こす蛇。
「──随分な対応ね。これでも使者なんだけど?」
時間が止まる。今確かに、それは喋った。
「つ──捕まえろ!」
思わず立ち上がり、声を上げたハルト。情報を集める中で噂を聞き、ダイキの師匠に推薦しようとした謎の生物──〈喋る蛇〉。それが目の前に現れたと確信したのだ。
その正体は一切不明だが、力のある〈何か〉であることだけは間違いなかった。
「任せろ!」
蛇を捕らえようとソーマが手を伸ばす。が──。
「うぎょおえあ?」
全身を襲うビリビリとした衝撃。ソーマは揉んどり打ってテーブルから転落し、なおも悶えるように床を転がる。
「私に触れていいのは〈イイオトコ〉だけ。10年早いわ」
(何だ今の──魔法か?)
それは〈電撃〉にしか見えなかった。ハルトは〈看破〉を発動するが、すべての項目で「?」が並ぶ。
「〈女の子〉相手に、おやめなさい」
落ち着き払ってリーザが嗜め、それにダイキが反応する。
「お、女の子? 〈メス〉の間違いでは……」
再び電撃。叫び声を上げ、床で暴れるソーマ。
「な、何で俺ばっかり……」
「あら、ごめんなさい。間違えちゃった」
蛇はしれっと舌を出す。だが、どうやら敵意は無さそうだ。聞き間違いでなければ、それは確かに「使者」だと言った。
「とにかく、話を聞いてみよう」
セリムの一声で、落ち着きを取り戻した会議室。
但し、上座の彼に寄り添うように座していたはずのルシアは、下座からさらに下、壁際で突っ立ったまま、目も向けようとしない。
それを見て、まだ痺れが抜けない体をさすりながら、ソーマはかつての戦いを思い出した。
──絶対、クライドと戦うのは無理だな。
よりによって、敵のラスボス親子は蛇をモチーフにした技を使う。ルシアがそれに耐えられるはずがなかった。
「──で?」
「で? とは?」
ハルトが1文字で質問し、蛇は3文字で聞き返す。気が急いたハルトは、早口になって質問を具体化した。
「あんたは何者で、どうして蛇なのに人の言葉を話せるのか。そして何処からの使者で、用件は何なのか。ついでにさっきの技は何だ?」
「質問が多すぎて、覚えきれない。もっかい言ってくれる?」
「こいつ──いい加減にしろよ」
自分だけ2度も電撃を喰らい、その態度に苛ついたソーマが思わず拳を振り上げる。しかし、
「乱暴はいけません」
隣に座るリーザに袖を引っ張られ、それは阻止された。
「分かったわよ、せっかちね。私の名前はパトリシア。これでも歴とした〈人間〉なの。まあ、正しくは元だけど。
実は、悪い魔女に騙されて──こんな姿に」
「そういうの、いいから」
〈看破〉を持つハルトに嘘は通じない。魔法か何かで、誰かに姿を変えられたのだとしても、蛇は蛇なりのステータスを示すはずだ。
能力はおろかその素性さえ掴めないということは、彼をかなり上回るレベルの持ち主であるか、自ら隠蔽している証拠──さらに魔法まで使えるとなると、単なる「可哀想な人」などであるはずかない。
つまり〈彼女〉が蛇の姿をしていることは用件にあまり関係が無く、ここでその事情を話す気もないのだとハルトは読んだ。
「……貴方、可愛くないわ」
蛇のくせに溜め息をつくと、漸くパトリシアは本題を切り出す。
「貴方たちが話していた〈竜国〉ルフィーナは、今窮地に陥ってる。そして彼らは、貴方たちの助けを必要としているの。
私は先んじて、それを知らせに来た。でもこんな格好だからね……さすがに正面からってわけにはいかなかったけど、間もなく正式な使者も来るでしょう」
「──何ですって?」
交渉役を務めるルディが立ち上がる。彼女が彼の国を訪れたのは、ほんの7日前のこと。その時にはそんな話は出なかったし、そもそも不穏な気配さえも感じられなかった。
何か目に見える変調があったのなら、彼女がそれを見逃すはずがない。つまりその後、僅か7日のうちに、何かが起こったということだ。
「あのルフィーナが……救援要請?」
最強国家に忍び寄る陰謀が、新たな道へ踏み出そうとする彼らを呑み込む。




