ルシア VS フィオナ
「この……無礼者め、放せ!」
その腕に抱えられたフィオナが暴れるも、ルシアはまったくお構い無し。コレム平原から離れてもそれは止まらず、その先の荒野で漸く王女は解放された。
「げほっ、げほ」
胸のあたりを締め付けられていたフィオナは、座り込んで激しく咳き込む。そして憎々しげな目でルシアを睨んだ。
「わ、私を誰だと思っているのか」
「フィオナ・ヴィンフリート王女だ。まさか人違いだとでも?」
敵に背中を向けたまま、首だけを動かしてそれに答えるルシア。
「ここなら誰にも邪魔されまい。さて、お初にお目にかかる。私は〈アースガルド帝国〉のルシア・セノールと申す者」
「えっ──」
フィオナは、尖らせていたその目を見開いた。名に聞き覚えがあったためだ。
「セノール……あのセノール家か」
ルシアは苦く笑って、
「まあ、察しの通りだろう。まだラインホルトの娘と言った方が分かり易いかな。それを言うとジュリアは嫌がるが、私は自己紹介が楽でいい」
それは敵への威嚇か、ただの照れ隠しか。彼女が父と過ごした時間は、妹のジュリアより10年も長い。漸く名を名乗れるようになった今でも、まったく褪せることのないその勇名を、誇りに想うルシアである。
「貴女が公爵家の姫君だったならば、本来礼を尽くすべきところだが──狂黒の乱を機に王族へ成り上がった今となっては、その必要もあるまい」
「なっ──私たちは元々、王家の人間よ。一時、権力に屈服させられていた時代があったに過ぎないわ」
フィオナはまだ20歳。レオニールが若干16歳で国王となったその年、漸くこの世に生を受けた彼女は、母親こそ違うが、確かに生まれた時は王の妹だった。
それから4年で戦争は終わり、アースガルド帝国に降ったすべての王は、ひとりの皇帝に仕える〈公爵〉となった。
狂黒の乱が勃発したのはその6年後。ルシアにとっては忌まわしい出来事だが、フィオナにとっては、兄が再び王として立ち上がった契機である。
それが敵対する直接の理由では無いものの、両者には相入れない〈何か〉が確実に存在した。
「降伏を勧める」
唐突に本題を切り出すルシア。言葉の意味そのものが理解出来ぬかのように、フィオナは沈黙し、説明を求めるかのように視線だけを送る。
「貴女は付加魔法士であって、自身の戦闘能力はほぼ皆無。私の役目は、後方支援を担う貴女を無力化することだ。こうして孤立した貴女と、戦う意味はもはや無い」
それを聞いたフィオナは、顔を真っ赤にして激昂した。
「何ということを! 私とて戦乱に身を投じた一軍の将。敵を前に戦いもせず、降伏など断じてするものか」
王女は短剣を抜き、今にもそれを突きつけんばかりの勢いでルシアに迫る。
しかし身動きひとつせず、様々な感情が混在した瞳を王女に向けたまま、ルシアはぼそりと呟いた。
「強いのだな──貴女は」
動きが止まるフィオナ。強い責務と、それを全うする自信を覗かせながら、一方で自虐的な台詞を吐くルシアに困惑したのである。
あの日からずっと、ルシアは戦い続けた。それは皇子セリムを守るという使命があったからこそ可能だったのであり、傍にはいつもそのセリムがいた。
だが今日、戦術的な理由から、彼女はセリムとは別の戦場で剣を握る。アースガルド帝国が始動したとはいえ、やはり戦力不足は否めない。常に傍に控え、その命を守るだけでは、もはや充分に役目を果たしたとは言えないのだ。
セリムを皇帝にする──それが、ルシアの新しい使命。
そのために、セリムがいない所でも彼女は戦う決心をした。広義での目的こそ変わらないが、ルシアにとって、ある意味これは〈初戦〉と言えるかもしれない。
「私は怖いのだ。皇子を乗せた秤は、他方に何を乗せても決して傾くことはない。だからこそ、相手が何者であれ、私は迷わずに剣を振るってこれた。
だがこれからは、秤に乗らない相手にも、剣を向けなければならなくなる」
「だから──私を斬れないと? 笑わせるわ。守るべきものは背後に無く、広く空の下にある。そこが王族と家臣との違いよ」
強い語気を取り戻すフィオナ。彼女には彼女の、戦うべき理由があった。
「ウェルブルグの民はね、本当にひたむきなの。荒れた土地を切り開き、例え貧しくても生きることに一生懸命。でも弱国であるがために、決して多くはない財産まで奪われた──それを救ったのが、他ならぬ兄上よ。
けれど、アースガルド帝国に降ることで、結局それも止められた。争いこそ無くなったものの、目立った特産物も無いウェルブルグは、交易でも常に下に見られたわ」
アースガルドがひとつに纏まっていたのは、僅かに6年間。しかも、ウェルブルグがその属国となったのは一番最後である。
もともと周囲が敵だらけだったこともあり、帝国の、調整者としての目が細部まで届いていなかったのは事実であった。
「豊かなラナリア国民には、理解すらできないでしょうね。これは神から与えられたチャンス──兄上が、そして私たちこそがウェルブルグを導く!」
「つまりは、国民のためか。だが──」
ひとりの皇子のために戦うルシアと、何万という国民のために戦うフィオナ。背負うものの数で覚悟が決まるならば、後者に分がある。
否、そうではない。ルシアはセリムのために──だがそのセリムは、何百万、何千万もの民のために立ち上がったのだ。フィオナの決意は、却ってそのことをルシアに気付かせた。
「如何に自国民のためとはいえ、搾取を目的とした他国への侵攻が正当化されるはずもない。我らが皇子は、両国の民にとって利する道を歩まれるだろう。
お互いに失言だったな──私にもう迷いはない」
ルシアは剣を抜く。〈永遠の純雪〉──セリムが魔煌石によって取り出したもので、剣技に長けた彼女が預かる、皇族の守剣である。
それは輝く雪のような、美しい銀の色彩を放つ。彼女の技の多くは、その剣からインスピレーションを得たものだ。
平和の象徴として、血で染まらずに済むようにとの願いが込められ、その銘が打たれたという。ジュリアの大地と違って特別な能力は付加されていないが、魔法によって鍛えられたそれは、軽く細身でありながら無類の強度を誇る。
それを振るのは、セリムが立ち上がる時と決めていた。いよいよルシアが歴史の表舞台に登場する。
「ゆくぞ」
闘気は解放していないが、その実力に裏付けられた確固たる自信。フィオナは思わず後ずさり、半ば無意識に魔力を高めた。
「〈能力強化・攻防速〉!」
そして付加魔法発動。それはクロードに使ったものと同じで、王女の能力全般を大きく向上させる。
ルシアを視界に捉えたままさらに後退し、フィオナは攻撃に備えた。
「えっ──?」
しかしそのルシアがいない。目の端に映るのは、後ろから首元へと突きつけられた剣先。
「くっ」
逆へ跳ぶフィオナ。そして振り返るも敵影は無く、また背後から──斬られる予感。
「無駄だ。貴女では勝負にならない」
──疾すぎる。
並の戦士ならともかく、相手はルシアだ。魔法士たるフィオナが身体能力を数倍に高めようが、物理の攻防で差は埋められない。
「……勝負はまだ、これからよ」
予想外の強敵に対し、フィオナは気丈にも反論する──が、それはブラフではなかった。
「なに──」
フィオナのスピードが上がる。緩急の差がフェイントとなり、一瞬ルシアはその姿を見失った。
しかし捉えられぬ程ではない。ルシアはすぐに後を追い、剣を強く握った。そして──。
背後からの一撃を受けた。
「ぐ……」
さらにフィオナがスピードを上げたのだ。ルシアが蹴りを、しかも背後から喰らうなど、初めてのことである。
だがダメージは殆ど無く、ルシアはすぐに顔を上げた。
「〈重ねがけ〉か!」
「ご名答」
そしてまた、王女は疾くなる。回避は困難とみて、ルシアは剣を盾にしようとした。しかしそこでさらなるスピードアップ──今度は斜め上から、その蹴りを首に受けた。
それでも、転倒する寸前で体勢を立て直し、素早く正眼の構えへと戻すルシア。
「へえ」
フィオナは感嘆する。計算では、今の一撃でかなりの手傷を負わせるはずであった。
だが慌てる必要はない。その差が埋まるまで──いや、超えるまで、魔法をかけ続ければいいのだ。
「たかが付加魔法士と、舐めてかかったわね。さっき私の首を刎ねなかったことを、後悔させてあげるわ。〈次〉で貴女の人生は終わる」
フィオナは付加魔法に特化した魔法士である。その分、発揮される効果は大きい。
加えて、その魔法は相手との相性、適合率によって能力の上昇幅が左右される。自分自身へのそれなら適合率は100%──それを重ねて使うことで、加速度的に能力が上がっていく。
「早く闘気を解放するのね。でないと本当に──」
「……もうよせ。死にたいのか」
ルシアは王女の忠告を遮った。
体はそのままに、力だけが過剰に増していけば、やがてそれを崩壊させる。理屈としてはダイキの〈限界突破〉と同じだ。
だがそれは、フィオナも充分に承知した上でのことであった。彼女は表情を一変させ、鋭い眼差しで敵を睨む。
「私は──負けられないのよ」
自軍が追い込まれ、兄王までも苦戦する状況。まさか1対1で戦うことになるとは想像もしていなかった彼女に、後事を考える余裕などなかった。
「気遣うくらいなら、早く死んで頂戴!」
何度目か分からぬ付加魔法をかけ、今度は短剣を構えるフィオナ。それで露出した首を狙えば、さすがに耐えることは不可能だろう。
しかしルシアは、片手でそれを弾いた。
「そんな──闘気も使わずに」
「うちの優秀な軍師のお望みでね。貴女を殺すわけにはいかないから、闘気は使わない。このまま決着をつけさせてもらうが──少し急ぐぞ」
ここまでしても、それはルシアにとって、集中すればまだ対処可能なレベルであった。フィオナの限界が近いことを見抜いた彼女は、ここで勝負を決めにかかる。
だがそれに反して、フィオナはまたしても付加魔法を上乗せし──遂に壊れた。
「あああ──」
大きな器を求め、暴走を始めるエネルギー。肌には血管が浮き、軋んだ骨がビキビキと音を立てる。
王女は悲鳴を上げた。
「くそっ!」
一歩遅かった。ルシアはフィオナから離れ、片膝をつきながら目を凝らす。
──どうすれば。
このままでは死なせてしまう。付加魔法を解除する方法──知識としてそれはあるが、魔法士でないルシアには実行することができない。
別の方法、例えばフィオナの気を失わせることで魔法が止まったとしても、体の崩壊まで止まる保証はなかった。
「私は……もう……。お願い、〈スヴァローグ〉……」
涙さえ浮かべる王女の、死を引き換えにした最後の望み。そして不意にルシアを襲う悪寒──。
明らかにこの世のものではない何かが、近付いてくる!
「──〈神獣召喚〉!?」
ルシアの目が見開かれた。何度か見たことはあるが、敵として対峙したことはない。
事象または生物を、魔力によって召喚するのが魔法である。そのうち後者を神獣召喚というが、フィオナはそれを発動したのだ。
「馬鹿な──正気か」
神獣は聖獣と魔獣に大別され、それぞれに違う特性を持つ。中でも対照的なのが、その召喚条件だ。
聖獣が契約に従い、決められた魔力を喰って術者に協力するのに対し、魔獣はそれを破り、法外な見返りを求めることが少なくない。それは時に魔力以外にも及び、最も多い事例が〈術者の命〉であった。
神獣召喚自体は、技術的にそう難しいことではないから、理屈としては付加魔法士でも可能である。但し、エサとなる魔力が大量に必要なため、結局それは人を選ぶ。
フィオナが聖獣召喚を使えるなら、リスクの高い戦い方は避け、もっと早い段階で使用していたはずだ。今この場で発動させたということは、使えるのは魔獣召喚だけ。
確かにそれならば、魔法士としての実力や、魔力の枯渇とは無関係に召喚できる。その命さえ──差し出せば。
いずれこうなることを予期して契約しておいた、まさに最後のカードだったのだろう。
そして想定した場面が今日、訪れた──フィオナにしてみれば、ただそれだけのことだったのかもしれない。
「レオニール兄様……後はお願い……致します」
フィオナは吐血とともに小さく呻き、その場に倒れた。すると、次第に暗い霧のようなものがあたりに立ち込め、彼女を呑み込んだ後、さらに広がっていく。
何者かが活動するための、現世に切り取られた異空間。不穏な気配はさらに近付き、そして──それは姿を現した。
炎の魔獣、スヴァローグ。
人型に変形してゆく霧、だがまだ完全ではない。身の丈が10メートルにも達する巨人であること、頭に角のようなものが認められる他は、特徴を表すことができなかった。
その姿がはっきりしてくるのに合わせ、気温が急激に上昇する。召喚が完了した時、あたりは灼熱の海と化すだろう。
ルシアは闘気を発動し、一気に全開まで高めた。そして息を吐くと、すぐさまそれを発動する。
〈刹那の銀世界〉!
超速移動に特化した技──その身を白銀の光に変え、ルシアは飛んだ。
冷たい軌跡が、スヴァローグを取り囲むように幾重にも連なる。それはやがて、外から視認できぬまでに巨大な監獄を形成した。
目標を多角的に捉えるルシア。そして〈刹那の銀世界〉からの派生、且つ〈永遠の純雪〉でなければ使えない必殺技を、異界の怪物に向けて解き放つ。
〈冬剣乱舞〉!
初撃にして全身全霊。檻が崩れ、数えきれない程の斬撃と化して、その中心にあるスヴァローグの巨体へと降り注ぐ。
冬色の激震の中で、その体を形作る黒い霧が砕け、削られ、そして──散る。
「ここにお前の居場所は無い。帰れ」
「ウオアアッ……」
魔獣の咆哮。
力を行使する前なら、契約は不成立に終わる。欲深き魔獣であっても命は奪えない。
だが発現への過程で、フィオナの体を破壊しようとした過剰なエネルギーは魔獣に吸い取られ、付加魔法の効果とともに消えていた。
「召喚が成立するまでに叩く──それが魔獣召喚への対処法だ。こう見えて、魔法学の成績は良かったのでな。
感謝するぞ。あのままでは、私にはどうすることもできなかった。命を捨てた魔法のおかげで助かるとは──皮肉なことだが」
ルシアはゆっくりと闘気を鎮めた。それと同じくして、荒野に静けさが戻る。
完敗──薄れゆく意識の中で、フィオナはその2文字を思い浮かべた。




