炎極を阻止せよ(1)フォルセム要塞
正午。天にまで轟くその号令によって、遂に戦端は開かれた。
「皆の者、我に続け!」
フォルセムの要塞に迫るウェルブルグ本隊、その数約3千。果敢に先頭を行くのは国王レオニール・ヴィンフリート、そして彼に続くのは赤備えの赤天騎士団である。
コの字型に左右がせり出したその要塞は、左右に高く聳える城壁に、段違い、そして三重の射出口が備えられ、正面は厚さ3メートルにもなる鋼の扉が敵の行く手を阻む。
袋小路となる空間のすべてが守備側の射程圏内であり、そこへ飛び込むことは自殺行為に他ならない。
だが獅子王は敢えてその道を選んだ。決して命を軽んじてそうするのではなく、むしろ逆だ。
戦力が結集したその場所で、一息の内に雌雄を決する。戦を避けられぬ双方にとって、それが被害を最小に抑えられる方法だと、彼が信じているからだ。
「幕──?」
守備方の射程圏内はおよそ百メートル四方。そこに差し掛かろうとした時、レオニールの目が奇妙な物を捉える。要塞の正面、最探部を覆い隠す巨大な幕。
フォルセムは用途に応じて大門、中門、小門と3つの大きさで開閉できる仕組みであった。その上部には正面から敵を攻撃する射出口が、さらにその上には指令室があり、そのことは既に知れた事実である。
幕はその上部を隠すのではなく、門そのものに掛けられていた。まだ少し距離があるものの、それが何か特別な力を持つ代物でないことに王は気付く。
つまり、それは見た目のまま、視界を遮るために張られた物だということだ。
「面白い。今さら門を隠して何を企む?」
レオニールはその考察を寧ろ楽しむかのように、馬を駆る速度を上げた。そして目を鋭く光らせたかと思うと、素早く後方の騎士たちに指示を飛ばす。
「矢が来る。頭上に〈炎幕〉を張れ」
当然ながら、門まで何事もなく近付けるはずがなかった。射程圏内に突入した彼らに向け、上空から雨あられと降り注ぐ大量の矢。そしてそれは〈氷の属性〉を伴っていた。
これ程の数を魔法で賄うのは無理だ。恐らく魔石を使っているのだろう。
──やはり、油断ならぬ。
魔石後進国であるラナリアが、これだけの魔石を確保していようとは。王は驚きを禁じ得ない。
いや、それ以上に技術力の方が問題だ。魔法士の数ならウェルブルグより多いラナリアが、それに魔法を籠める効率的な術を手に入れたとするなら、決して楽観できぬ脅威である。
赤天騎士団は、王に倣い全員が〈火の属性〉を持つから、そこを突いての氷の矢だろう。しかし、だからこその炎幕であった。通常の防具では容易に止められぬそれを、味方に届く前に、すべて上空にて灰にする。
それを可能にしているのは闘気の具現化。それが出来ぬ者に赤天騎士を名乗ることは許されない。この部隊への配置は半数の50騎程度だが、特にレオニールのそれが桁外れである。彼らの力を合わせた闘気は後方へと延び、それを使えぬ味方をも矢の脅威から守った。
互いに弱点となる属性の衝突は、力の優劣で勝敗が決まる。何百、何千と射たれようが、それに勝る彼らに矢が届くことは無いだろう。怯むことなく、また実際に一騎も損なうことなく、喚声を上げながら進撃するウェルブルグ勢。
敵の攻撃は弓矢のみで、門前に、いや幕の前にその姿は無かった。レオニールはいよいよその闘気を高め、そこを突破するべく剣を握る手に力を込める──。
「何──?」
まだ幕は張られたまま。しかし王は見た。それは一瞬だけ彼の体を硬直させ、狼狽を誘う。
次の瞬間、守備側によって故意に落とされる幕。それによって姿を現したのは──〈向こう側の景色〉だった。まるで「どうぞお通り下さい」と言わんばかりに、大門が開いているのである。
「何故──」
進軍の速度を落とすレオニールに、まず4人の騎士が追い付く。四重炎──本隊に随行するのは、若くも猛々しい彼らだ。
「陛下! あれは──」
「一体、どういうつもりでしょう」
彼らも口々にそれを叫ぶ。しかしその時、レオニールは既に要塞の先にある気配を探っていた。
もはや完全にラナリア領内となるそこには、確かに強い闘気が幾つか──しかしその数は少なく、総数でも恐らく百前後。
「罠、でしょうね。明らかに」
リーダー格のエレンフリートがニヤリとして主を見る。門を開いた要塞などもはや要塞としての体を成していない。それを敵の方からする意味はひとつしか無かった。
問題は、それが一体どんな罠なのか。
「構わん、炎極に停止は無い。通れと言うならそうするまでだ」
レオニールの決断は早かった。馬の腹を蹴ると、再び速度を上げて、誰よりも先に門の中に飛び込んで行く。
「ははっ。だから王のお供はやめられねえ!」
愉悦の表情さえ浮かべて、エレンフリートがそれに続いた。残りの3人、そして他の騎士たちもだ。
注意深く、短いトンネルを抜けたレオニール。視界が開けると同時に、警戒を最大限まで引き上げる。そして、
「むっ──!」
その目が左手、遠方にいる〈2人組〉を捉え、止まった。
強い──それも両方が。明らかにこれまでのラナリアには居なかった、歴戦の強者。
それによって王は敵の意図を悟る。赤天騎士団を通過させた後で門を閉じ、炎極を分断、双方の主力だけをラナリア側に固める。つまり要塞の前ではなく後ろで、対決する作戦なのだと。
そしてすぐさま、それだけではないことも王は知った。大地に浮かび上がる、五芒星が発する光によって、馬の足が絡め取られているのだ。
「封印──結界術か!」
本来、彼がその手の罠に嵌まることはあり得ない──のだが、現にそれは功を奏していた。これこそが敵の、真の狙い。
広大な五芒星の、頂点を結んだ円の面積が、その密度を高めながらみるみる狭まり、やがて直径3メートル程に落ち着く。レオニールはそこから出ようとするが光の結界に弾かれ、剣で斬ってもそれは壊れない。
他の騎士たちには効果が及んでいないことから、それは始めから王だけを標的にして仕組まれたものに相違無かった。
「くっ──」
その結界はレオニールの力を封じるのでは無く、ただその行動範囲を狭い領域に押し留めるだけのもの。だがその分、拘束力は強い。
王は遂に馬を止めて振り返ると、要塞最上部にある指令室を仰ぎ見る。そこには──やはり、微笑を湛えたあの少年軍師が。
今や彼が予言した通り、アースガルド帝国の参謀長となったハルトである。傍らには皇子たるセリムの姿も。
見上げたレオニールと目が合うと、若き参謀長はニヤリと右の口角を上げて見せた。
一方、そこから少し離れた丘の上にいるのは、レオニールが一瞬目を奪われた、マックスとヴァシリー。
「あいつ──『ここなら全体がよく見えるよ』とか言って、俺らを使いやがったな」
「ちょっと不愉快。殺してもいい?」
「そういう奴なんだ。勘弁してやってくれ」
その近くで、ストレッチに余念がないソーマ。ここまでは、完全にハルトの描いた絵の通りに推移している。
それを自分が台無しにするわけにはいかない。彼は緊張気味にひとつ息を吐いた。
同じように緊張した面持ちで、軍議で交わしたハルトとの会話を思い出していたセリム。
「僕らにとっては厚さ3メートルもある門だけど、レオニールにとってはたかが3メートルだ。壊されるのが分かってて、それを頼るのはどうかな。修繕費が勿体ないだけだと思うよ。
それに、レオニールには〈先見の明〉のスキルがある。最大でも10秒程度だけど、〈看破〉の近未来予測と違って、彼にはそのままにしておくと起こる展開が、具体的に読める。逆に言えば、それが不都合なら回避も出来るってこと」
「でも、どうにかして彼を止めないと、僕らに勝ち目は無いんだろう?」
「そうだけど──厳しいね。炎極発動中は止まるわけにはいかないから、正面に立ってさえまともに相手にしてもらえない。ていうか、強過ぎてまず相手にならない。
何とかして足止めしようと罠を張っても、そのスキルのせいで掛かってくれないし。その彼を止めるなんて、本当に至難の業だよ」
だが彼はそれをやってのけた。その視線に気付いたハルトが、理由を解説する。
「〈先見の明〉の効果時間は集中力に比例するんだ。だからまず門に幕を張って〈考えさせ〉、属性の反する氷の矢で〈疲れさせ〉、そして戦翼傭団の2人で〈驚かせ〉た。注意力を分散させたおかげで、その時点では先を読めても僅か1、2秒だっただろう。だから薄く広く延ばした、最も単純な足元の罠に捕まってくれた──それだけのことさ」
「わざわざルフィーナまで仕入れに行ったアイテムだね。あれは一体……」
「魔石だよ。でもちょっと特殊で、結界術を練り込んだそれは、区別して〈結界石〉って呼ばれてる。狙って当てられる相手じゃないし、そもそも闘気との合成術だから、石だけじゃ〈場〉が作れない。だから予め術式を書いた五芒星を敷いて、踏んだら発動するようにしといたのさ」
すべてはレオニールを封じるためだけの布石であった。まるでその解説を聞いていたかのように、王は〈遠話〉のスキルで、ハルトへ静かに話し掛ける。
「久しぶりだね。ハルト君──だったかな」
あくまでも冷静を装い、否、本当に王は冷静だった。
「私を閉じ込めて、どうするつもりかな。炎極は落伍者を容赦なく置いて行く。例えそれが私であってもだ」
現に四重炎は既に王を追い抜き、先へと進んでいた。他の赤天騎士団も全員要塞を抜けている。
巨大な門を閉ざすには少なくとも数分はかかるから、後続はまだまだラナリア領内へ雪崩れ込んで来るかに思われた。
「王を止めたんだから、他も止めるさ。前も、後ろも」
その瞬間、フォルセムの門前、つまりウェルブルグ側で轟音が鳴り響く。
門によって四角く切り取られた視界の先に、レオニールはそれを認めた。落下する巨大な氷の塊。
「炎幕か──!」
そしてすぐその正体に気付く。途中から、氷の矢が〈凍らせる矢〉へと変わっていたのだ。炎幕を張った者たちは既に門の向こう。そして置き去りになった闘気の塊が氷の山と化し、その重みに耐えかね落下してきた──。
それは逃げ遅れた兵士を下敷きにし、さらに門に代わって彼らの行く手をも塞いでいた。
「勿論、門も閉じさせてもらうよ。貴方が後ろ向きに進むとは思えないから、もう誰にも開けられない」
レオニールを挑発するハルト。王は初めて歯軋りし、今度は前方を睨む。
「おい、いいのか。陛下が結界に──」
「構やしねえ。俺らの助けが要る御方かよ。却ってラッキーだぜ。いつもひとりで片付けちまうから、こりゃあ出世の大チャンスだ」
慎重派のティーロに対し、野心溢れるエレンフリートはそう答え、前方に迫る敵に向けて剣を抜いた。
「もし彼らが、王を止めさえすれば勝てると踏んでいるなら、浅薄に過ぎる考えと言わざるを得ませんね」
「どうやらクレメンス親子さえ居ないみたいだぜ。舐めやがって!」
〈大盾〉のアロイスと〈速撃〉のイェルクもエレンフリートに賛同し、彼らはラナリア軍との交戦に入る。
その他の騎士と、辛うじて門を突破した傭兵たちを含めても、ウェルブルグ勢は僅か60余名。対するラナリア勢は、要塞に殆どの兵を注ぎ込んだとはいえ、倍近い100名。
分断作戦によって一気に規模を落とした戦となったが、どちらも選ばれた精鋭たちである。
作戦通りに事を進めているのはラナリア。しかし、戦局はすぐに逆転した。
ラナリアの主力は、この日のために何度も模擬戦を行い、修練を積んできた白鷹騎士団、そして魔法士たち。しかし実戦で鍛え抜かれた赤天騎士団、特に四重炎が強過ぎた。見事な馬上戦術で、右に左に大車輪の活躍を見せる。
一方、実戦では連携が思ったようにいかず、みるみる数の優位を失い、僅か数分で崩れ出すラナリア軍。
「おい、行かなくていいのか?」
マックスが、未だ体をほぐしているソーマに問い掛けた。
「心配する位なら、手伝ってくれよ」
「はっ、やなこった。俺たちは任務以外じゃ動かねえ」
「過干渉の禁止か。まあ、黙って見てろよ。俺が出なくてもすぐに終わるから」
そう言い放ったソーマの視線の先に、〈援軍〉が姿を現す。劣勢のラナリアに加担するのは〈アースガルド帝国〉が誇る、4人の戦士たち。
クレイグ、ハロルド、ラルス、フーゴ。フォルセム隊に配置された彼らの役目は、レオニール以外の赤天騎士団〈すべて〉を止めること。
勿論ラナリア兵にも「ちゃんと戦わせる」ことが、彼らを鍛えたクレイグの判断であった。
「よし、よくやった。あとは任せて退け」
まだ敵は50名以上残っている。しかし満足げな笑顔さえ見せて、クレイグたちが戦線へ。
「何だァ、お前ら」
エレンフリートが怪訝そうに彼らを見る。と同時に、戦場を駆け抜けて来た勘のようなものが働く。
──こいつら、危険だ。
そこから再逆転まで、時間は必要無かった。クレイグたちは敢えて四重炎を狙いから外し、それ以外の者に攻撃を加えたのだ。
槍で突撃するフーゴ、それを魔石で援護するラルス、さらに遠方からハロルドが矢で射抜く。そして得意の大鎌を振り回し、単独行動しているように見えて、他の3人が戦い易いよう、巧みに戦局を作るクレイグ。
「な、何だ、あいつら──」
あっという間に、勇猛で鳴らした赤天騎士団が倒れていく。そしていよいよ、四重炎との対決──。
「彼らにも何か呼び名が欲しいね。あの実力に見合った、敵を震え上がらせるような」
ハルトがそう呟くと、何故か隣でセリムが嫌そうな顔をした。
「古い呼び名なら聞いたことがあるよ。4人だけじゃないけど、砦を守ってた頃のクレイグ隊の別名」
「へえ、どんな?」
「〈殺戮の戦獣〉──恐過ぎるでしょ」
ハルトは苦笑するしかなかった。
一方、そんな戦況を見つめていた囚われの王、レオニールのもとに〈遠話〉が届く。別動隊を背後から支える妹、フィオナからだ。
『申し訳ありません、レオニール兄様。炎極を──止められました』
王は言葉を失い、そして静かに覚悟を決める。この結界が解かれたとき、自身の成すべきことを。
予想を遥かに超えて来る敵に対して、もはや〈徳ある王〉では居られぬことを。




