軍議
ウェルブルグ南東に位置するエバートン領。この地には、レオニール・ヴィンフリート国王の居城があった。
城の名を炎帝宮と言う。十聖、勇聖、獅子王──多くの代名詞を持つ彼だが、〈炎帝〉もそのひとつ。彼の武勇を讃え、改名までされた城なのだ。
城内の会議室には、有能な彼の配下たちがずらりと並んでいた。言わずと知れた、ラナリアとの開戦に向けて召集されたメンバーである。
「〈炎極〉を同時に──それでは遂に、〈双極〉を発動させると仰るのですか」
軍務大臣のバスティアンは思わず立ち上がっていた。いつか実行されると知りながら、なかなかその機会を得られなかった必勝の策。
「不服か」
「いえ、滅相もありません。これで我らの勝利はますます揺るぎないものとなりましょう。それどころか、今後に備え、よいシミュレーションとなります」
バスティアンは興奮気味だ。老齢の彼はもはや戦場に出る立場ではないが、元は戦功を重ねた歴戦の戦士。頭の固い文官たちと違い、徹底的な現場主義者である。
「本来なら、我が国の二大戦力たるレオニール王とクロード様が同じ戦場に出られることはない。我らに時間を与えたのは、ラナリアにとって失敗でしたな」
後顧の憂いに万全を期して始めて可能な作戦。賛同する立場を示したのは、一般正規兵を束ねるドミニク将軍だ。
彼らの軍勢は、その一般正規兵、臨時傭兵、魔法師団、そして勇名高き赤天騎士団から成る。
状況に応じて、その組み合わせや配分を変えて出撃するが、敵の多いウェルブルグで彼らが一堂に会する戦など、これまでならほぼあり得なかった。
「無論、方々に──特にティルジュ族への備えを疎かにはできん。よってラナリアへは8千人の精鋭にて臨む」
淡々とそう告げたレオニールの言葉に、会議室はざわついた。第三国にも知られている宣戦布告──その隙を突かれる可能性は確かに高い。
しかし、相次ぐ戦争によって減っているとはいえ、各拠点に常備兵を残しても、彼らに動員出来る総兵力はおよそ3万。他国に侵攻するには余りに少ないその数字に、動揺が走ったためである。
「──成程。だから〈双極〉ってわけかい、兄者」
それでもレオニールには充分な勝算がある。そう察した弟のクロード・ヴィンフリートは不敵な笑みを見せた。
赤天騎士団の副団長を務め、兄に従順でありながら、単純な戦闘力ならその兄をも凌ぐとさえ言われる猛者である。
「ラナリアは広い。しかし主な権力は中央に集まっており、その要害さえ落とせば他は自ずと我らに下る。天下を志す我らにとって、消耗戦に持ち込むは愚策。故に短期決戦にて決着を付けると、そういうことですね」
レオニール、クロード兄弟とは腹違いの、歳の離れた妹──フィオナ・ヴィンフリート王女が兄の意図を解説する。
彼女は優秀な付加魔法士であり、戦時においては魔法師団を率いる。だが寧ろその才は政治向きであり、彼女は彼の国の政務全般を取り仕切る立場でもあった。
「私はどちらに?」
「クロード隊だ。地理的には遠くなるが、平野を進むそちらの方が、機動に難のある魔法士が活きるだろう」
「承知しました」
「目標は首都エルムト、そしてラナリア城。陥落させるまでそれ以外に労力を割くな。先に到達した方がそれを占拠、他方は直ちに敵の追撃と要人の捕縛に回れ。但し北に追い詰めるとルフィーナが出てくるから、なるべく南へ。くれぐれも深追いは厳禁だぞ」
レオニールは国王であると同時にアースガルドでも有数の戦略家である。誰もその計画に口を挟むことなく、軍議は終了するかに思われた。しかし、
「弱兵のラナリア如きに〈双極〉とはね」
末席から異を唱え、部屋の空気を一変させたひとりの男。いや、正確には4人を代表する1人だ。
「王の〈炎極〉だけで充分なんじゃないっすかね。何なら俺たちだけでエルムトを落としたっていい」
赤天騎士団の問題児、通称〈四重炎〉である。
エレンフリート、ティーロ、アロイス、イェルク。それぞれが強大な戦闘力を持ちながら、4人揃った時にはさらにそれが増す〈協力闘技〉の使い手。
まだ若く、無官の身分だが、その武功から軍議に列することを許された者たち。未だ敗北を知らない彼らには、無敵と信じる王の慎重さが些か滑稽に映る。
「お前ら、兄者の言うことを聞いてなかったのか。もう何度も『ラナリアを侮るな』と言われたはずだぜ」
荒くれの彼らを黙らせることが出来るのは、身分の高い者ではない。実力に勝る者──この中ではヴィンフリート兄弟、ドミニク将軍くらいである。
「すいません。でも敵の主力があのクレメンス親子じゃ、余りにも退屈な戦になりそうなんで」
リーダー格のエレンフリートが、如何にもつまらなそうに言う。
だがそれも無理からぬことであった。レオニールは密約を律儀に守り、セリムたちの素性を身内にさえ明かしていない。
勿論、彼の中ではそれを加味した上での〈双極〉作戦であり、決して軽視できぬ相手として万全を期したのだが、それが油断を生んだのでは意味が無くなる。
彼は間接的にその存在を示すことで、緩んだ戦意を引き締めた。
「ラナリアの内乱を鎮めた者たちのことは聞いているだろう。此度の戦、敵の主力は間違いなく彼らになる。それに勝利して尚、『退屈だ』などと言えるなら、お前たちには然るべき官職を用意しよう」
「む……」
そう言われては、エレンフリートたちも閉口するしかなかった。
王自ら実力を認め、それ程までに警戒させる敵──それは一瞬で役不足による不満を消し去り、戦に存在意義を求める彼らに、却って武者震いさえ起こさせることに成功する。
「さあ、諸君。いよいよ決戦だ」
炎の如く立ち上る獅子王の野望。「あと10年早く生まれていたら──」などと言われた先の大戦のようにはいかない。
彼の強さのピーク、それは他でもない〈今〉なのだから。
─────────
所変わって、ラナリア城。こちらでも軍議が開かれていた。
しかし場はざわざわと落ち着きが無く、一向に収まる気配さえ見せない。
軍議でありながら、召集されたメンバーは軍事関係者だけではなかった。ゼルギウスに代わる政務副大臣を始め、外務、財務、農商工の各トップ、さらには教育担当まで──各大臣クラスが顔を並べる。
彼らは先んじて知らされたのだ。セリムがマリオスなどという貴族でなく、アースガルド帝国の正統後継者たるセリム・レイアース皇子であること。そして先日連れて来られた女性がその姉、リーザ・レイアース皇女その人であることを。
ここでも魔煌石がその証明となった。セリムのそれは異空間に物を出し入れ可能な〈次元石〉。
リーザも同じくペンダントとして所有しており、それは祖父である初代皇帝アルヴィンや、父である先代皇帝ヒーゼルら皇族の姿を空間に映し出す〈肖像石〉。
加えて、ソーマたちが予言の勇者であることが告げられ、彼らはもはや驚愕を通り越して困惑しているのである。
すべては、アースガルド帝国の復興宣言に向けた準備に他ならない。もはやそれは敵国に知られても問題ない時期に来ており、正式な公表は開戦時と決まっている。
しかしながら、いざというときに混乱を招けば戦争どころではなくなるから、組織の長に対しては今のうちに、というわけだ。
予想されたこととはいえ、まったく収拾がつかない現状を見て、ジェラルド・ルーベルク大公は軍事関係者以外に別室での待機を命じる。
すると漸く、豪奢な会議室は落ち着きを取り戻した。
「まあ、あんなこと急に聞かされたんじゃ、無理もないけどな」
傷だらけの顔で苦笑いしながら、クレイグは一気に人数の減った面々を見渡す。
戦闘経験ならこの中で一番。ここ数ヵ月で兵の訓練を担当した彼は、軍事作戦においても自ずと発言力が増している。
「本当に奴らは二手に分かれて攻めて来るんだろうな。戦力の分散は基本、悪手だぜ」
そのまま軍議の口火を切った彼。それはハルトに向けられたのだが、例によってルディが先に答える。
「本当に戦力が分散されるなら、その通りね。でも今回はそうとは言えない」
ルディは国境付近の地図を広げ、そこに敵味方を模した駒を配置した。
戦局を左右する陣形。それは大きく縦陣、横陣、そして斜陣に大別される。それを組み合わせることで、さらに複雑な陣形が形成されるのだ。
ウェルブルグが最も得意とするのはシンプルな縦陣、彼らが呼称するところの〈炎極〉であった。ルディは敵の駒を一列に並べる。
「先頭は王自ら率いる、主力にして最強の赤天騎士団。その後ろに傭兵、正規兵と続き、最後が魔法師団。突破力にすべてを費やした大胆不敵な陣形ね。そして、彼らはこれで負けたことがない。だから今回も必ずこれで来るはず」
本来なら後方に控える本隊が先陣を務め、敵陣を堂々と突破するという他に例を見ないその陣形。側面からの攻撃に弱い一面も持つが、途中で分断されようが、目標までその突撃は決して止まらない。
つまり先頭部隊を止められなければ、後続をいくら包囲しようとも、勝利には結び付かないのである。それどころか、後続の分断に注力し過ぎると、気が付けば味方の拠点が既に落とされているということも。
彼らの行動は至ってシンプルだ。赤天騎士団が敵を散々に討ち破り、傭兵がさらに追撃する。そして魔法師団のひとつ前にいる正規兵の一部隊が要所を占領し、そのまま残留。最後に来た魔法師団がそこで怪我人の治療などを行い、また前衛を追尾する。
敵の拠点を占領する度に正規兵部隊をひとつずつ減らしながら、前衛が目標に到達するまでそれを繰り返すのが〈炎極〉である。
「戦争の構図としては、国内が落ち着かず困窮するウェルブルグが、豊富な資源を持つラナリアへ侵攻し、それを〈盟主〉たる私たちアースガルド帝国が中心となって迎え撃つ──ということになるわね。だったら戦場となるのは国境付近。
背後に不安のある彼らは消耗戦を避けたいはずだから、ここエルムトへ最短距離で越境できる場所を選ぶ。つまり──」
「まさか、要塞フォルセム!?」
フォルセムは国境となる山地を切り開き、惜しみ無く資材を投入して築き上げたラナリア最大の要塞である。崖に挟まれた天然の要害で、平和な時代には交通の要所として使われたが、狂黒の乱以降は一度も開門されていない。
「ラナリア一の守備力を持つ砦だぜ? そこをわざわざ狙って来るのかよ」
「正々堂々、完膚なきまでに。それがレオニールの矜持だからさ。一見無謀に見えるけど、そのインパクトは絶大で、且つ戦略的にも理に適ってる」
漸くハルトが発言する。ルディにはいつも先を越されるが、特に修正する点も無いので彼にとっては楽だ。
「フォルセムさえ落とせば、エルムトとの間にもう障壁は無い。だからこそ難攻不落の要塞なわけだけど、逆に言えばそれさえ落とせばもうエルムトを落としたも同然、本国との連携も容易になる。レオニールにはその自信があり、この場合は何より、いつもの占領部隊が僅かひとつで済むってことが最大のメリットだ。つまり他方から攻め込むより兵が浮く」
渡り台詞のようにルディがその後を継ぐ。
「加えて、フォルセムの前ではどうしても隊列が間延びするから、遊兵を減らすには必然的に少数精鋭で挑む形になるわ。それが〈別動隊の結成〉という保険に繋がる」
さらにハルトが被せる。
「彼の有名な〈炎極〉はレオニールあっての作戦だと──先の大戦までは思われてた。けどもうひとり、それを可能にする男が現れたんだ。弟のクロード・ヴィンフリート──彼の部隊もまた〈炎極〉で無敵を誇る」
「だったら、それを別動隊にしない手は無いってことよ。戦力の分散は本来悪手──ただこの場合は、遊兵を有効に使う手になるというわけ。こちらとしても戦力を二つに分けざるを得ないわけだし、決して不利にはならない。
勿論、後方の抑えとして出撃しない可能性もあるわ。けど、私たちとしてはそう楽観するべきじゃないでしょ。それに恐らく、彼らはユリウスの予言も重視してる。つまり、予言の勇者が敵にいる以上、決して手を抜いたりせず──出来る限りの戦力を詰め込んでくるはず」
「すげえ……ハルトが増えたみたいだ」
2人の間で視線を往復させるソーマ。他のメンバーは口を挟む余地さえ無い。
「別動隊はフォルセムより少し北の、なだらかな山地を越えて来ると予想される。渡河せずにエルムトへ向かえるのは、あとそこだけだからね。
フォルセムでは勿論要塞を盾にして戦うけど、こっちは野戦になる。高地の利を失わせるために、少し引いた──コレム平原で陣を構えよう」
ハルトが、喋りながら次々と地図上の駒を動かしていく。そしてその手が止まったとき、セリムと目が合った。
これまでとはまるで責任の異なる立場で戦争に挑む──それが段々実感されてきて、セリムはごくりと唾を呑み込む。
「こっちの総司令官はセリム、フォルセム隊の司令官を兼任。要塞を有効活用するために兵数は5千。他方、コレム平原隊の司令官はミュラー将軍。兵数は1万2千。万一敵が現れなかった場合はすぐにフォルセム隊と合流すること。
さらに念のため、双方どちらにも詰められる位置に後詰め部隊を8千。その司令官はマシュー魔法師団副長。総勢2万5千、数ではこちらが有利なはずだ」
ミュラーを始めラナリアの各将は緊張した面持ちでそれを聞いた。例え数で勝っていても、ほんの少し前まで、まともに戦えるような相手ではなかった強国ウェルブルグ。それといよいよ戦端を開くときがやって来たのだ。
しかも、突如として現れたセリムたちによって、勝つ可能性を見出だす──いや、必ず勝つと誓いを立てられる程に、彼らの意識は変わっていた。
「忘れちゃいけないのが、もうひとりの存在ね。〈炎極〉がふたつ、つまり〈双極〉は『ここぞという場面でいつか発動する』と巷でも囁かれてきたけど、敵の主力は決してレオニールとクロードだけじゃないわ。
彼らに安定した勝利を齎しているのが、その背後にいるフィオナ王女の存在なの。つまりヴィンフリート家の3人、この〈三極〉を止めない限り、この戦には勝てない」
さあ来た、とセリム一味は一斉に前のめりに身を乗り出す。彼らを止めるのはこの中の誰か、それは間違いなかった。
ハルトは彼らを見渡し、
「この3人には、こっちも最強の3人をそれぞれ宛てるよ。但し他にも要注意人物がいるから、結局は総力戦になる。特に──ジュリア」
急に名指しされ、ドキッとする彼女。
「お前の力が勝敗を左右する。だから打ち合わせ通りに──任せたよ」
「う、うん!」
そのまま別の世界に行ってしまいそうな2人を、慌ててソーマが呼び戻す。
「思わせ振りなまま終わらせんじゃねえよ。誰が誰と戦うのか、はっきりさせろ」
ハルトはいつもの微笑を崩さず、
「決まってるだろ。こっちで最強の3人と言えば、ソーマ、ダイキ、ルシアだ。組み合わせは敵次第だけど──多分こっちの考えたとおりになる」
皆の視線が、自然とクレイグに集まる。
「──試すまでもなく異論は無え。だが俺たちにも見せ場は用意しとけよ」
「勿論。逆にクレイグたちじゃなきゃきつい相手もいるからね」
まるですべての顛末が見えているかのように、ハルトは頭の中に描かれた戦場と地図を重ねて、ひとつ頷いた。




