リーザの予知
月明かりさえ無い闇夜に、ぽつぽつと点された火の光が、ラナリア城を幻想的に浮かび上がらせていた。
ウェルブルグとの開戦も間近に迫り、最終確認となる重要な軍事会議を前日に控えたこの夜──ハルトの元を訪れた2人。
彼らの顔は幾分緊張しており、望んで占いの館に足を踏み入れながら、その結果を畏れる客のようだ。
ソーマとリーザ皇女である。
「ハルト、ちょっといいか」
セリム、そしてルディとともに明日の打ち合わせをしていたハルトが、ドアの方に目を向ける。
ジュリアとのことを散々冷やかされた仕返しに、意地の悪い言葉を浴びせようとして──彼はそれを呑み込んだ。彼らの、何やら思い詰めたような空気を感じ取ったためである。
「構わないよ。こっちの話も今終わったところだし」
「この3人だけか。ちょうどいい、一緒に聞いてもらおう」
空いている椅子に座り、テーブルを囲む5人の男女。年長のルディでさえ20歳、下はセリムの15歳。
まだ少年少女と言っていい彼らだが、すでにこれからの時代を担う覚悟を決めた者たちである。
「3人──この状態をそう呼ぶなら、確かにそうだね」
ハルトは眉間に皺を寄せた。
「どういう意味だよ」
「ハルトと私は〈情報共有〉というスキルで、ジルヴェスター先生と繋がってるのよ。先生をマスターとして」
答えたのはルディ。ラナリアを訪れた際にハルトの素性を知った彼女は、〈姉弟子〉として、その面倒をみることを半ば強引に認めさせた。
彼女によると、〈情報共有〉とは、得た情報を認可されたメンバー同士で共有できるスキルである。
管理者にあたるマスターを軸に構成され、メンバーの誰かに既知である情報なら、そこから自分の脳内へと引き出せる仕組み。逆に、新たに得た情報は直ちにそこへアップされる。ハルトがDBと呼んだのはそれのことだ。
それにジルヴェスターは更なる改良を加えていた。能力の応用で遠方にいても会話が可能、睡眠時にも安心な伝言機能付き。
勿論、盗聴の類は不可能な上にプライバシーも完全保護と、まさに完璧な機能を備えている。
「この子ったら、先生に何回もダメ出しされちゃったから、すっかり拗ねちゃって」
「それはルディだろ。僕は別に拗ねてなんかないよ」
遠方にいてもその教えを乞うことができる──それは師を連れてきたダイキと同様、期日が過ぎても修行を継続できるということに他ならない。
一方、ウォーレンの下を離れたソーマにはそれができないから、〈軍神の寵愛〉によるハンデもこれで少しは埋まると言えるだろう。
「すげえな、スマホみてえ」
「スマホ──? それはどんなスキルですか?」
リーザが興味ありげに身を乗り出す。ソーマは笑って、
「スキルじゃねえよ。俺らの世界──国じゃ、当たり前の通信技術だ」
「東国はアースガルドよりずっと進歩しているのですね。いつか行ってみたいです」
「──行けるさ」
そして彼らはまた、妙にしんみりとなる。見かねてハルトが舵を切った。
「ところで、話って?」
「ああ、これなんだけど」
ソーマは、リーザの予知を記したメモを渡す。内容は以前からまったく変わっていない。
蒼く輝く風により、時代は動く。
王は我を求め、風が我を掠う。祈りは届かず、我は静かに消え逝くだろう。
哀哭の王に風が終焉を齎す時、人々は終わりなきものに終わりが訪れることを知るのだ。
「リーザには予知能力がある。けどその中身が不吉でさ。勿論、そんなことにはさせねえ──んだけど、具体的に何が起きるのか知ってた方が、対処しやすいだろ」
「成程。これを〈解読〉しろと」
ハルトはメモをルディに、そしてセリムに回す。すると、セリムが血相を変えた。
「姉様、これは──!」
「大丈夫ですよ、セリム。私のことはソーマが守ってくれますから」
「でも──」
リーザはにっこりと微笑む。それはソーマに対する信頼の表れだが、それが却って悪い前兆に見えて、セリムを不安にさせた。
「どう思う、ルディ」
ハルトは真っ先に、ルディの意見を求める。
「人にものを尋ねるときは、まず自分の意見を述べてから──そう教わったでしょ」
「勝手な意見で先入観を与えるなとも言われたよ。どっちにしても〈ハズレ〉を引かないようにしてるのさ、意地の悪いあの爺さんは」
「貴方ね──まだ〈接続〉が切れてないこと、分かって喋ってる?」
「勿論。リーザの命に関わる重要な話──嫌でも協力してもらうさ。そのためには、聞き耳を立てたくなるような陰口も必要だろ」
やれやれと、負けず嫌いな〈弟〉の素行には、暫く目を瞑ることにしたルディであった。
再びメモを取ると、彼女は暫しの間それを食い入るように見詰め──やがて静かに口を開く。
「大きな違和感が2つ。人称に関してと、登場人物の相関に関して」
そしてズレてもいない眼鏡を掛け直す。
「今はどのあたりだと思う?」
「既に成就された、或いは実行中なのは1行目だけね。2行目以降はこれから起こる。但し具体的な時期までは不明」
「そこまでは同意かな」
2人だけで話が進む。ソーマ堪らず割って入った。
「全然ついていけねえんだけど」
するとルディが居住まいを正し、そのソーマではなくリーザの方を向く。
「リーザ皇女。この予知がどのように見えたか、詳しくお聞かせ願えますか」
「リーザでいいです。私だけ〈皇女〉なんて、何だか寂しくて」
「そうはいきません。仲が良いことも大事ですが、これからのことを考えると、民を統べる御立場として、毅然とした態度を示されることも重要です。──勿論、皇子もですよ?」
苦笑いするリーザとセリム。ルディはまるで、幼い頃彼らに仕えていた養育係のようだ。
「えっと……予知と言っても、その場面が頭に浮かんでくるわけではないのです。〈誰か〉の言葉が聞こえてくるだけで」
「それは男性の、ですか。それとも女性の?」
「女性です。私より少し歳上の──大人の方のようでした」
「それを未来におけるご自身の声だと、感じられたことは?」
リーザは驚いてルディを見詰め返す。
「──いいえ。そのように感じたことは一度も」
「そうですか──安心しました」
キョトンとするリーザたち。そして満足げに目を光らせるルディ。ハルトはいつもの微笑を湛えている。
「結論から言いますと──それは予知ではありません。いえ、正確には皇女の予知ではありません」
「──え?」
「但し、皇女には他人の予知を聞く力がおありのようです。〈神託の巫女〉とでも言いましょうか」
「神託の──巫女……」
予知能力に関して、既に知られたものは例外なく〈映像〉として頭に浮かぶ。だから、始めから言葉としてそれを聞いただけなら、神事における巫女のようだとルディは言うのである。
つまりリーザ本人に予知能力は無い。ハルトが否定しないということは、少なくともスキルとしてそれは所有していないということだろう。
「所々補完しながら、分かりやすくこの予知を通訳すればこうなるでしょうか。
『〈我はこれから汝に予知を託す〉。予言の勇者が現れるとき、戦争は終結に向かうであろう。その中で我は、王──或いはそれを象徴する何者かに求められ、予言の勇者によって連れ去られる。そして王の祈りも虚しく、やがて静かに──息を引き取る。
王は悲しみに暮れるが、予言の勇者によって倒され、終わりが無いと思われた戦争にも、やがて終止符が打たれるのだ』」
確かに最初の一文を入れるか入れないかで、そこから後の文意がまるで違って聞こえた。
「何だか僕らが悪者みたいに聞こえるんだけど」
「善悪なんて、その立場によってどうとでも変わるものよ。貴方たちは自分の信じる方向に進めばいいの。もし間違っても私が引き戻してあげるから」
ハルトは肩を竦める。ルディは再び皇女に対して、
「まず、予知の〈語り手〉が、皇女の一人称である〈私〉でないこと。さらに予知の方法が本来の〈視覚〉に依らず〈聴覚〉であること。以上から、これは皇女ご自身の能力ではなく、ただ予知を聞かされていただけだと考えられます。
つまり〈我〉は皇女とは別の誰か──そうなると、当然〈消え逝く〉のも〈語り手〉であって皇女ではありません。もし皇女の未来を予知したのなら〈貴女〉または〈汝〉などと言うはずですから」
「そんな──」
勘違いしていた? それに気付いたときから、もう何年も。リーザには俄に信じられない。
だが確かに、〈声〉は何かに例えることはあっても、それまで一度として私、貴方、彼など人のことを人称で指したことがなかった。それだけに今回の予知はリーザに大きな衝撃を与えたのである。
「その他の登場人物──風はハルトたち〈予言の勇者〉、人々はそのまま不特定多数の人々──これは間違いないでしょう。ですが〈我〉が何者であるかを名乗っていない以上、それを求める〈王〉も誰のことなのか不明です。
彼の立場が特に不明瞭ですね。〈我〉たる彼女を求め、それを喪うことで涙まで流すような人物で、結局は〈風に倒される〉なんて」
リーザはソーマと目を合わせる。そしてゆっくり視線をセリムに移した。
「私は──セリムが生きていると知ったとき、王とはセリムのことだと思いました。この子の要請でソーマが私を連れ出すのだと」
ルディは頭を振る。
「いいえ。事実はそうでも、予知のそれとは違うでしょう。何故なら、風はその哀哭──悲しみに対してではなく〈王そのものに〉終わりを齎すと読み取れます。ハルトたちがセリム皇子にそんなことするはずありませんし、そもそも〈その後で〉戦争は終わるのです。それがやがてアースガルドを統一される皇子なはずはありません。
つまり王とは風に敵対する者。その〈語り手〉を、風が『王の求めに応じて掠って来る』のではなく、『王が求めているのに何処かへ掠って行く』ということです」
思わぬ方向に進む予知の謎。ソーマは一先ず安心しながらも、余計に頭を抱える。
「俺はクライドが〈王〉だと思ってた。あいつはリーザを皇帝にしようとしてたからな。それなら辻褄が合うって──でも〈我〉がリーザじゃないなら、結局それも違うってことか。じゃあ一体誰なんだよ。その〈我〉と〈王〉は」
「さすがにそこまでは──ただ、皇女がその役目を与えられたからには、勿論、何か意味があるのでしょうね」
「はあ……」
両手で挟んだ頬を紅潮させるリーザ。ソーマがそれを覗き込む。
「どうした、リーザ」
「は、恥ずかしいのです。そうとは知らず、分かったような顔で、勝手に死を覚悟して……」
ソーマは声に出して笑った。
「何言ってんだよ、良かったじゃねえか。その誰かにゃ悪いけど、これで皆とずっと一緒にいられる。成長した子どもたちにも会える。だろ?」
「え、ええ。それはそうなのですが……」
リーザは、身の危険が払われてさえ、不安を拭えずにいた。
ルディが言うように、予知が別の誰かの能力で、それを伝えることこそが、与えられた役目なのだとしたら──その意味がまるで理解できていなかった自分に、果たしてそれが務まるだろうか。そんなことで、セリムやソーマたちを守ることが出来るだろうか。
差し当たりリーザに危険は無い。そう判断した彼らは、未だ不明の〈我〉と〈王〉についてその後も検証を続けることにして、その会をお開きとした。
ぽつんとひとり、その場に残ったハルト。彼は誰も居なくなったことを確認してから、虚空に向かって話し掛ける。
「予知能力があったのはサラ──そうじゃないですか」
〈我〉の正体とは、今は亡きルーファウスの細君。そう推測したハルトの頭に、応えが響く。
『だったら、何じゃ』
堂々と陰口を叩かれた声の主は機嫌が悪い。しかしリーザの命が懸かっている以上、ぞんざいに扱うわけにもいかない。
そんな感情を匂わせる相手に対し、ハルトは平然と続けた。
「〈王〉はルーファウスだということになりますね」
『──理由は?』
「そう考えるとすべての辻褄が合うからです。ルーファウスはサラを求めてる。それもその死後、ますます強く──禁忌を侵そうとしてまで。
彼女は一旦それで蘇るものの、他にも次々と蘇る敵への対処として、僕らがその方法を根本から止めることになるんでしょう。それによってサラは再び眠りにつき、嘆くルーファウスとの決戦に勝って、戦争が終わると」
『ふん、随分と都合のいい〈辻褄〉じゃな。既に亡き者がどうやって予知を伝える? 残念ながら、サラにあったのは〈リーザ様と同じ能力〉じゃ』
「えっ──それって、つまり……」
『不思議な力には違いないが、サラもまた〈我〉では有り得ぬ。人称の話をするなら、その時点で気付け』
「それを言ったのは僕じゃなくてルディですよ。だけど、サラとルーファウスの組み合わせでもないとすると──」
『同時に考える必要はない。答えの出し易い方を求めれば、自ずと他方もそれと分かる』
「なら、肩書きだけでも知れている〈王〉が先ですね。でも今のところ、該当する人物には思い当たらない──」
放っておいてもハルトはそれに気付くだろう。だが通話の相手は、ほぼ答えとなるヒントによって時間を節約した。
『ならば、まだ我らの知らぬ誰か、若しくは知っていても王と認識できておらぬ誰か──ということかの』
ハルトは人差し指を口許に当てる。自分たちにも深く関わる〈王〉。勿論、未知の相手である可能性は充分あるだろう。
しかし、ユリウスの予言が彼らとこの世界を結び付けたように、リーザを通じて彼らに知らされた予知──それもまた、バラバラだった材料を繋ぐためのものだとしたら──。
「もし、ですよ。もし〈彼〉が先生の仮説通りの人物で、その〈王〉だとしたら……〈彼〉が求める〈我〉とは──まさか!」
『〈女神〉ということになろうな』
予め用意していたように、天才軍師ジルヴェスターの答えには淀みが無かった。




