再会、集いし者たち(2)
予想通り簡単な手続きで〈竜国〉ルフィーナに入ったハルトたち。目的の街は国境に近いから、程なく到着するだろう。
漸くハルトとまともに会話できるようになったジュリアは、道すがら、それとなく彼から聞き出すことに成功する。気にしていたルディという女性のこと。
それによると、彼女はハルトの同門であり、ライバルにして信頼のおける仲間──だが決してそれ以上の存在では無かった。ハルトの様子からそれを確信したジュリアは、内心胸を撫で下ろす。
ルディが彼らに合流したのも、すべて「現場で学べ」というジルヴェスターの指示によるものであり、ハルトはむしろ、兎角世話を焼きたがる〈自称〉姉弟子の扱いに困っていると言う。
一方、何があったのか──修行から帰還して以来、ハルトはジュリアに優しかった。
今日、彼女が遂に見せた努力の成果についても、まず素直に驚き、手放しで褒めてくれたのだ。
ジュリアの成長がハルトの予想を超えていたことは紛れもない事実で、それによって採るべき戦術に幅が生まれたのだから、確かに軍師として賛辞を送ることに惜しみは無かっただろう。
だがハルトには〈看破〉がある。修行によって一層〈目〉も鍛えられていたから、お披露目されるまでもなく、それと知ることはできたはずだ。
しかし結局、それまでの彼には考え難いことに、彼女の意を汲むという理由だけでハルトはそうしなかった。ジュリアへの接し方が明らかに以前とは違う。
そんなハルトの変化に気付いたのが、ジュリアの他にもうひとり。普段から何に対しても物怖じしない、余りに直線的なルウの質問によって、彼らの関係は大きく変わることになる。
「ハルトは、ジュリアのことが好きなの?」
「え──?」
この場にいるのはルウ、ハルト、そしてジュリア本人である。ここでそれに返答することは、想いの内をジュリアに伝えることに他ならない。
さすがにハルトは面喰らったが──それ以上に、いつもなら「何言ってんのよ!」と割り込むはずのジュリアが、息を呑んでその先を待ったことにもっと戸惑う。
暫くして彼は、もう何も誤魔化すべきではないと、その居住まいを正した。
「うん、好きだよ。でもこれからもっと好きになると思う」
ジュリアは──絶句する。そしてハルトと目が合い、その言葉に嘘偽りがないことを知る。
「だって! 良かったね、ジュリア!」
「あた、あたしは……別に──」
真っ赤になって下を向くジュリア。〈まさか〉だ。しかし、はっきりとそう告げられたことで、漸く彼女自身もその想いに気付く。
──あたしも。
いつからだろう。その自信たっぷりな態度に惹かれるようになったのは。皆の先頭に立ち、鋭い刃物のような頭脳で道を切り開くその姿に、憧憬の念を抱くようになったのは。
そして彼の導く、冷淡にさえ見える答えには、いつも優しさが隠されていると知ったのは。それに気付いた自分が、特別な目で彼を見るようになったのは。
──言え。今ここでちゃんと言うんだ。
ジュリアは少し震える手を握り締め、ハルトに応えようとする。しかし、想いはなかなか言葉になってくれない。
そんなジュリアの姿に、ハルトは僅かに目を細め、優しく微笑み掛けた。
「僕は先生の所で、自分が自惚れてたことを嫌というほど思い知らされてさ。実力を付けるには、何より僕自身が成長しなきゃいけないんだけど──それでもひとりじゃ何もできないって痛感したんだ。
すべては仲間がいてこそ。特にジュリアが存在くれることが、僕にとっては凄く重要で。だからこれまで以上に──傍で僕に力を貸してくれないかな」
ハルトが自分を頼っている。
傍に居てくれと言っている。
それも軍師としてだけでなく──個人的に。
「……うん。分かった……」
イエスかノーで答えられる問いに変わったことが、返答を楽にした。ジュリアは遂にそれを口にする。
彼らの使命が〈告白〉を和らげた感もあるが、急いで関係を改める必要もない。今はまだそれでいいと、ハルトは思う。
「ありがとう。改めて、これからも宜しく──ジュリア」
これまでに何度も呼ばれたはずのその名。だが今回は特別だ。ジュリアは泣きそうになるのを堪えて前を向く。
「うん! こちらこそ──ハルト!」
「わあ!」
ルウが、飛び跳ねて2人を祝福した。彼らが本当に感謝すべきなのは、彼女だ。
(この瞬間で──止まればいいのに)
当初はゲーム内での恋愛を「楽しめ」とまで言ったハルト。だが元来、彼は自分から積極的にアプローチする方ではない。
そんな彼がここまで素直になれたのは、やはり修行中に起きた心境の変化に原因があるだろう。
ハルトは──元の世界に戻れる可能性を〈五分〉とみている。
いや、それは途中で救助される可能性を考慮した、かなり楽観的な数字だ。このまま〈外〉からの干渉が無ければ、例えゲームをクリアしたところで、彼らが助かる保証など何処にもない。
ゲームオーバーを回避したくとも、セーブが出来ない以上、〈初見殺し〉の敵やイベントもすべて、1回でクリアしなければならない厳しい状況。つまり時間的なやり直しが利かない点で、もはやこの世界は現実と何ら違わないと言っていい。
とはいえ、修行によるレベルアップにより、ただクリアするだけなら、ハルトは以前にも増して自信が持てるようになっている。
問題は、ジルヴェスターに師事することで知った、天下統一と何処まで関係があるのか分からない例の設定であった。
四神のうち3人を足止めする〈蘇りし何者か〉。世界に危機を齎す程の、その存在。
ストーリーが予想以上に捻くれている。これはそういうゲームでは無かったはずだ。
ジルヴェスターと共に検討を重ねてさえ、その意味を計りかねたハルトは、現実へ無事に帰還するための道程に影が射すのを感じるようになった。
だから、彼がその背中を押してくれる存在──ジュリアを強く求めるようになったのも、ごく自然な流れだったのかもしれない。
しかし無論、ハルトは一方的に力を貸して欲しいと願っているわけではなかった。これから何が起ころうとも、知識と知恵のすべてを使って、ジュリアを、そして仲間を危険から守る。
それを証明するかのように、〈看破〉が危機の到来を告げた時──たちまちハルトの目は鋭く、容赦のない軍師としてのそれに変貌した。
「──何やら金目の匂いがするぞ、弟よ」
「うへへ。肉の匂いもだよ、兄貴。柔らかくて旨そうな、女の肉」
唐突に現れた、2人組の賊。兄は狡猾そうな小男、弟は人間の域を越えた巨漢──彼らは動物のように鼻を震わせ、ハルトたち3人の進路を妨害する。
恐らく、この辺りに足を踏み入れると発生するエンカウントバトルだ。それも、問答が無用な類に相違なかった。
「何よ、こいつら」
せっかくの幸せ気分を台無しにされたジュリア。だが、さすがにこれまで踏み越えてきた場の数が、彼女をすぐにバトルモードへと導く。すぐ隣ではルウも臨戦態勢だ。
「うお? 兄貴、こいつら俺たちと戦うつもりかな。きっと馬鹿なんだね」
「馬鹿は──どっちよ!」
あらゆる意味でついて来て正解だった。こんな奴に、ハルトには指一本触れさせない。
未だ高鳴る鼓動そのままに、ジュリアは自慢の剣に手を掛けた。が──。
「──抜けない!?」
ジュリアは気勢を削がれる。剣が、どうやっても鞘から抜けないのだ。
目を移すと、ルウも、同じように二対の黒剣を解放させられずにキョトンとしていた。
「ほれみろ。やっぱり〈馬鹿〉」
弟が下品に嗤う。だが戸惑うジュリアに対し、ルウの切り換えは早かった。
武器がダメなら徒手空拳。闘気を込めれば相手が大男でも問題ない。
「はああっ!」
〈空中散歩〉によって宙を駆け上がり、高空から重力に乗せて右の拳。闘気を覚えたてのジュリアと違い、彼女は考えずとも体が動くレベルである。
「──あれ?」
しかしルウは拳を引く。それは間一髪で、ニヤリとした弟より先に反応した。空中で思うように足場が作れる彼女でなければ、間違いなく大男に捕まっていたであろう。
「闘気も──?」
落下しながらルウはそれを悟る。援護しようとしたジュリアもだ。
どういうわけか、武器と闘気が使えない。2人とも魔法が使えないから、もしこのままなら、生身の力だけで戦うしかなくなる。
見た目以上の筋力はある彼女たち。だが目の前にいる筋肉の塊に対しては、余りにハンデがあり過ぎた。
「〈この程度〉なら問題なく勝てると、侮られましたね? 我々はしっかりと準備をした上で、貴方たちに話しかけたというのに」
背後に控える兄が不気味に目を光らせる。
「これは〈結界術〉と言いまして。魔法に似ていますが、それとも違うものです。貴方たちの武器と闘気は〈封印〉させてもらいました。極めれば、このように対象の異なる術も〈重ね掛け〉できるのです」
「──何だって?」
こんな戦い方があるなんて。しかしそれ以上に、滅多に聞かれない、驚愕するハルトの声を耳にしたジュリアは、思わず彼を振り返る。
士気の低下に直結する軍師の動揺。彼らの役どころを直ちに理解した兄は、愉悦の表情さえ浮かべて、大仰に両手を広げた。
「驚かれるのも無理はない。何しろ〈結界術〉は、使い手そのものが少ない高等技術で──」
「勝率100%? それ程だって言うのか」
その発言は敵味方関係なく──言葉を奪った。やがてジュリアが、心配そうにその名を呼ぶ。
「ハルト──?」
「ん? ああ、ごめん。何だっけ──〈結界術〉か。勿論知ってるよ、それを取りにこんな所まで来たようなもんだし。
魔法が人や物を対象として発動するのに対し、それは〈場〉に対して効果を顕す。つまりその〈場〉にいる者なら、何人でも同時に術に掛けられるってわけだ。但しそれは味方も含む。
今の状況だと、武器と闘気が封印されても魔法は使えるわけだから──そこの筋肉ダルマをそれで〈強化〉し、あとは一方的に嬲るつもりなんだろう。普通にやったんじゃ勝てないと踏んだ洞察力は認めてやるけど、〈馬鹿〉みたいに臆病な作戦だね」
「き、貴様──!」
兄が顔色を変えた。誇示するように手の内を晒すのは〈結界術〉についてのみ。弟の〈強化〉をばらすのは、絶望した相手をさらにその底へ叩き落とす、二の手になるはずだったのである。
「このままでも、勝つ方法なら幾らでもあるよ。だけど僕は〈100%〉の理由が知りたい。あと2分で〈あいつ〉が来る」
真っ先に反応したのはルウだ。それは即ち──。
「ソーマ!?」
「うん。だからそれまでは逃げ回るだけでいい」
「オッケー、楽勝」
やはりハルトはハルトだ。まだ敵の術中にありながら、ジュリアとルウは勝利を確信する。
見たところ、兄に戦闘力はない。ならば的を絞らせないよう散開するだけ──。
「ぐぞおおっ」
弟は決して代わってもらえない、鬼ごっこの鬼となった。〈強化〉されたのは攻撃力と防御力のみ。スピードに勝る彼女らには触れることさえ叶わない。
「笑止。逃げ回るだけでは勝機はありませんよ。誰が来ようがその状況は変わらない」
「そんなに気になる? まあ、もうすぐだからさ。僕らにとっての〈希望〉、お前らにとっての〈絶望〉が来るまで」
そしてその2分が経過──。〈彼〉は小高い丘の上にその姿を現す。
「見つけたぞ、この野郎」
「ソーマ!」
ハルトとジュリアに触発されたのか、彼に飛び付こうとルウが駆け寄る──が、そのとき既にソーマはそこにいなかった。
代わりに出会したのは、厳つい顔の大柄な男と、全身をフード付きローブに覆われた不気味な男。その只ならぬ気配にルウはぞくっと身を震わせる。
ソーマはジュリアを、そして敵さえも素通りし、真っ直ぐにハルトのもとへ。
そしてその胸ぐらを激しく掴んだ。
「てめえ、よくも俺をあんな地獄へ送ってくれたな。おかげで俺は、俺は──うぷっ」
「うわ、汚い! 急に現れて急に吐くなよ」
ハルトは咄嗟に飛び退く。ソーマのトラウマは、リーザ救出後にさらに強化されていた。
「ふ……ウォーレン直々に指導を受けた者が、その代償に必ず侵される〈思い出しゲロ〉だ」
「ふ……とか気持ち悪いし、何そのネーミング。殺すぞ」
マックスとヴァシリー。ウォーレンの指示によりソーマに随行していたのは彼らだ。
その意図はよく分からないが、〈後継者〉を監視するためだとソーマは聞いている。
「無視された──俺、馬鹿にされるの嫌い!」
何の恐れ気もなく、側を通り抜けられたことが癪に障った。息を切らせたまま奇声を発し、踞るソーマの背後へと迫る〈鬼〉。しかし──。
「うるせえ!」
裏拳一発。〈鬼ごっこ〉は一瞬で、乱暴な〈だるまさんが転んだ〉に──気が付くと、筋肉ダルマはマックスたちのすぐ近くまで飛ばされていた。
仰向けに、潰れた鼻から血を噴き出しながら、彼は尚もその身に起きた不幸の故を理解できていない。
「〈剣〉を習ったんじゃないの?」
ハルトは冷たい汗が額を伝うのを感じながら、それでも口角を上げる。
ソーマたちにも〈場〉の力は働いていた。それを知らずに、初動で剣を選択していれば遅れを取ったはずだ。だが彼は〈何となく〉そうしなかった。
それにより、彼が〈軍神の寵愛〉を完全に自分のものにしていることをハルトは悟る。加えて、いったいどんな修行をしたのか──戦闘能力がとんでもなく向上していることも。
(強く──なったな。でも、〈100%〉を揺るぎ無いものにしているのは、彼らだ)
ハルトは、ソーマが連れて来た2人の男に目を配る。
(何回戦っても勝負が着かずに定着した──2人のナンバー4? 戦翼傭団の四天王、別名〈四神を継ぐ翼〉!)
師の情報網からハルトはそれを知る。ただ、どんなに実力差があっても勝率が100%になることなど滅多にない。いや、敵が賊の類であれば、実力差があるほど逃亡の可能性が上がり、むしろ勝率としては低くなる。
それをさせないということは──何か因縁の相手か。
ハルトは同じく情報網で得た敵の素性を、わざと大きく声に出してみた。
「小さい方は〈結界術〉を使って、武器と闘気を使えないようにしてる。相棒に補助魔法を掛けているのも奴だ。でかい方は腕力だけで、特別な能力は無し。
どうやら新生帝国の諜報機関〈梟の巣〉の任務落ちらしいね。──ネルテ兄弟だって」
新生帝国は失敗を許さない。〈任務落ち〉とは、任務を達成できず、その処断を恐れ帰還することなく野に下った者たちを指す言葉である。
「聞いた名だな」
「〈リスト〉じゃない? 確かルーカスの」
「ああ、商人に扮装して行商の途中で裏切り、品物を持ち去った盗賊か。護衛任務のルーカスが、怪我人の対処でやむ無く逃がしたってやつ」
2人のナンバー4がゆっくり動く。
失敗が許されないのは戦翼傭団も同じ。新生帝国と違うところは、しくじった案件は〈リスト〉入りし、その時点で後始末が全員の指令となることだ。
「悪いな、ソーマ。お前が入る前のリスト案件だ。こいつらは俺たちが貰うぜ」
立ち上がろうとするネルテ弟の首を、マックスが掴む。長身の彼だが、弟はそれ以上。中腰になった所で背が並ぶ。
「先に行け。俺たちは盗られた物の在りかを吐かせてから、それを取りに行く」
マックスが余所見したその隙を──弟の〈武器〉が狙う。しかしあっさりとそれは砕け、元がどんな形状だったのかさえよく分からない。
「あれ──あ?」
(結界を一瞬だけ引っ込めて不意をつく〈三の手〉か。本当に姑息だな──ってか、無傷どころかそれを壊すのかよ。どんな体だ)
ハルトからはもはや溜め息しか出ない。
「分かってると思うが──俺たちのいないトコで〈覇剣〉を使うんじゃねえぞ」
何事も無かったように続けるマックス。ソーマも苦く笑うしかなかった。
「分かってるよ」
「さて……取り敢えず、ルーカスの礼からだ」
首を掴んだまま、マックスはそれを地面に叩き付けた。弟は上半身をめり込ませ、そのまま動かなくなる。
一方、兄は既に逃げていた。新手がルーカスの仲間──つまり戦翼傭団なら、正面きって争える相手ではない。
弟がやられる瞬間、彼は振り返った。しかし我が身が第一と前を向いたそこに──ヴァシリーがいる!
「な──」
「俺から逃げられるのは死ぬ時だけ。はい、お仕舞い」
ぱし、と上から頭を叩いた──それだけにしか見えなかったのだが、兄は大地へとダイブ。一瞬にして砂煙の中へと消えた。
「行こうぜ」
遠目にそれを認めたソーマは、ハルトへの恨みもいつの間にか冷めていた。呆れるほどに強い先輩2人。戦翼傭団に行かなければ出逢うことさえなかった、誇れる仲間たち。
「ダメ」
南へ向かおうとハルトを促した、ソーマの腕をルウが引っ張る。
「2人は用事があるの。だからラナリアには私たちだけで」
それはハルトとジュリアを2人きりにしてやりたい想いからか、自分たちこそがそうなりたいからか。恐らく両者だ。
「用事? そう言えば、何でこんな所に」
理由を聞いたソーマだが、さすがに妙な空気だとすぐに気付く。ハルトとジュリアはバツが悪そうに、そわそわとして目を合わせようとさえしない。
「何か変じゃねえ? お前ら」
「私も、ソーマと変になりたい」
「──はあ?」
役者は揃った。彼らはそれぞれの想いを胸に、道なき道を歩き出す。
時に手を携え、絆を深めながら──。




