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ソーマ編(5)運命に抗いし者③

 決して、一撃を加えた程度で油断していたわけではない。


 しかしクライドの、片膝を付いたその状態こそが技の構えであったこと、また、通常では考えられない〈攻撃で回復を図る〉迷いなき動作によって、ソーマは僅かに遅れを取った。

 反射的に上空へ飛んだが、黒影はすぐに彼の周りを取り囲む。


 直後、黒い大蛇が描く螺旋──その間隔がみるみる狭まり、その中心で遂にソーマは捕まった。

 そして尚もその収縮は続き、体から悲鳴が聞こえるほどの力で締め上げられる。


「う──うわああっ!」

 蛇を媒介としてクライドと繋がったソーマ。それは即ち、圧殺の攻撃対象として拘束されたのみならず、その力を容易に奪われる状態になったことを意味する。


「……ふふ、わはは!」


 急転する戦況。クライドは一瞬だけ垣間見せた狂気から脱し、勝利を確信したように(わら)う。


「い、痛えっ! この──何だよ、これ!」

 まるで本物の大蛇のようなそれは、痛みとともに根源的な恐怖を煽った。もがけばもがくほど、四肢が不自然な角度で押し固められていく。


「──ソーマっ!」

 リーザが初めてその名を呼んだ。いや、叫んだ。

 荒事は苦手だが、彼女は自分のために戦うソーマから目を背けてはいない。震える体を懸命に抑えながら、黒い渦に見え隠れする彼の姿を必死に探し求めた。


 だがその声が、クライドの意識に再びリーザの存在を呼び戻すこととなる。


「どうされました、リーザ皇女。漸くお心変わりでもされましたか。確かに今ならまだ、私とともに王宮へ戻る機会を差し上げることも出来ますよ。

 だがまあ、この状況だ。〈条件〉は呑んで戴きますが」


 リーザの行動理念はよく理解しているクライドだ。子どもたちの代わりに得た、ソーマという新たな人質。しかもその命が危機に瀕した状況では、それはより積極的な意味に変わる。

 暗黙の牽制から明確な脅迫へ。圧倒的に優位な状況が、本当はリーザを手放したくなどない──いや、今度こそ手に入れたいという、クライドの奥底にしまわれていた感情の蓋をもこじ開けた。


「貴女に手を掛けることなど、勿論私とて望んではいないのです。だが貴方の不吉な予知──それを成就させるも阻止するも、もはやこの私次第だということをご理解下さい」


 リーザの予知における「蒼く輝く風」とは、〈予言の勇者〉に他ならない。そう信じるクライドは、風──つまりソーマが、リーザを(さら)うことに失敗すれば、その後のリーザの死も回避出来ると言うのである。

 何も言えぬリーザの反応にむしろ満足し、クライドはソーマに目を移す。


「ソーマとか言ったな。貴様、皇女を(さら)いに来たということは、我々以外の勢力──恐らくラナリアに付いたのだろう。

 何故だ。既に大勢が決している今、浅慮だとは思わなかったのか。我々以外に、アースガルドに覇を唱えられる者など存在しないというのに」

「う……るせえ、俺はお前なんか──嫌いなんだよ」


 冷酷な目が細くなったと同時に、さらに強められる力。ソーマは絶叫した。


「やれやれ、困った少年だ。我々はユリウスの予言を軽んじてはいない。今からでも構わん、我々の麾下(きか)に入れ。どういう訳か皇女も貴様を気に入られたご様子。彼女に仕えられるなら、そう悪いことばかりでもなかろう」


 人質の命を具体的な形で保証する。それによって、リーザの心はますますこちらに傾くだろう──それがクライドの狙い。

 ここでいよいよ、彼はリーザに決断を迫る。


「貴女をお守り出来るのは私をおいて他に無い。さあ、今こそ私をその皇配として、戴冠されることに──是と」

「お断りします」


 リーザは即答した。その声色は強く、些少な迷いも見られない。


「──何故?」

 僅かに動揺するクライドの視線の先にいるのは、もはや彼の知るリーザではなかった。自らの予知に流され、ただ時を待つだけの浮木のような面影など、もう微塵も無い。


「必ず勝つと──ソーマは約束してくれたのです。だから私はそれを信じ、己の運命とも向き合います。もう貴方の望み通りにはなりません」


 クライドの解釈が正しいとするならば、それは自ら予知のストーリーを進める──即ち〈静かに消え逝く〉ことを受け入れることに他ならない。

 だがリーザのそれは、既に戦う者の瞳。ソーマと一緒に、彼女もまた戦っていたのだ。


 そして得た結論──流れに抗えば、きっと運命は変えられる。


「よく言った──あとは、任せろ」


 今やその姿は完全に大蛇(おろち)の中。だがリーザは、そしてクライドも、この状況下で勝利を確信したかのようなソーマの声を確かに聞いた。

 嫌な予感がクライドの陶酔に水を差す。皮肉にも彼は、それによって漸くその身に起きている異常に気付いたのである。


 先程ソーマに斬られた傷が、思うように回復していない──。


 それは〈隷属の螺旋(デッドスパイラル)〉で拘束している割に力の吸収量が低いためであり、それはさらに、あれ程の闘気を(まと)っていたソーマに微弱な力しか残っていなかったためである。

 それによって、受けたダメージの回復に自らの闘気を使わざるを得なくなり、その分、攻撃技としての吸収力自体も低下していた。

 つまり負の螺旋(スパイラル)に陥っていたのは──クライドの方だ。


 だがそれならば、溢れんばかりに満ちていた、ソーマの闘気はいったい何処へ消えたというのか。

 その答えはすぐに──天から(・・・)降って来た(・・・・・)。鮮やかに蒼く煌めきながら、一直線に大蛇の腹を目掛けて。


「遅えよ、闘気スカスカでもう死ぬとこだ! でもこんだけやられたんだから、その分威力は上がったはず──だよなァ、〈雲外蒼天(あいぼう)〉!」


 捕縛される寸前、闘気の殆どを刀に込め、ソーマはそれを空へ解放していた。

 なかなか落ちて来なかったのは、彼が思い切り投げ過ぎたせい──だがその間にも、〈背水の陣(リスキーバースト)〉によってさらに攻撃力を上げ続けた刀が、今漸く〈力ごと戻って来た〉のだ。


 刀はただ自由落下しただけ。だがその衝撃は眩いばかりの閃光を伴い、刹那のうちに大蛇(おろち)は散った。


「馬鹿な──」

 轟音に掻き消されるクライドの言葉。


 自由になったソーマはすぐさま刀を取る。その瞬間、今度は刀からソーマへ一気に流れ込む闘気。彼はすぐにそれを自身の膂力(りょりょく)に換えた。

 そして〈竜爪〉とは真逆、柄を短く両手に持ち、呆然とするクライドの(ふところ)へと一直線に飛び込む。


 刀を幾千回振れども、覚悟無き者に決してそれは扱えぬという。

 二の手への展開、反撃への対処、その他一切の備えを捨て──ただ一刀に己のすべてを籠めることでのみ踏み込める、最深の間合い。それは命を捨てることで拾う、矛盾の境地。


 ニノ太刀要らず──蒼真流奥義〈虎擘(こはく)〉!


「ぐ──はっ!」

 〈次〉への余力を残して受け切れる剣ではない。蒼き光が深くその体を一閃すると、完全に勝負あった。

 奪ったものすべてを失い、ゆっくりとクライドは崩れる。


 だが彼は──倒れなかった(・・・・・・)


 突然(・・)だ。一瞬前までいなかったはずの何者かに、クライドはその体を支えられていたのである。


「こんなになるまで──済まない」


 ソーマは驚愕する。目で捉えるどころか、その男は近付く気配さえまったく感じさせなかった。まるでユルゲンの〈時間外活動(アウトオブタイムズ)〉が解除されたときのように──しかしそれは、彼にしか使えないスキルのはずだ。


「ノエル──か。私は……死ぬのか」

「まさか。君は世界の王になる男だよ。こんな所でやられるわけがないだろう。さあ、早く治療を──ボクの闘気を使うといい」


 クライドを庇いながら、ノエルは顔だけを向けてソーマを牽制する。


「急所を外したのは、わざとかい?」

「……ああ。殺さねえって約束したからな。リーザにも、そいつにも」


 嫌な汗がソーマの額を濡らす。ノエルというこの男、クライドとは別の意味で──強い。いや、得体が知れない。

 〈虎擘(こはく)〉を使ったソーマにはもう戦える力が残っていなかった。ここで後詰めが来るとは、完全に想定外だ。


 だがノエルにも、続きを始める意思は無かった。


「今はクライドの治療が最優先。〈君たち〉の所には、いずれお礼に伺うよ。ボクの親友をここまで痛めつけ、尊厳まで損なわせたことに対して──後悔しきれない位ね」


 冷酷な眼差しがソーマを射抜く。それは負け惜しみの類ではなく、明らかな宣告であった。


「まだ──だ。傷さえ、治れば──私が……」

 クライドは諦めていない。弱々しく途切れる言葉に反して、その殺意は次第に大きく、鋭さを増していく。

 だがノエルは、静かにそれを諌めた。


「ダメだよ。もう街からは居なくなったみたいだけど、代わりに今──完全に(・・・)囲まれてる(・・・・・)から」


 ノエルは周囲を気にする仕草を見せた。そしてそのまま、リーザに目を移す。

「何処へでも行くといい。予知が正しいなら、放っておいても君は死ぬんだ。願わくば、それを成すのがボクであって欲しいけどね」


「ノエル──」

 クライドが何かを言おうとする。ノエルはその先を制して、

「別にいいじゃないか。このままイシュトリアにいるよりは、命が延びるかもしれないよ」


 ルーファウス・シュトラー。リーザに代わり即位を目論む父の顔が脳裏に浮かび、クライドは思わず唇を噛む。


「ただ、何処へ逃げてもボクの刃は君たちの喉に届く。夜も眠れないほど警戒しててよ。あっさり殺しちゃったらつまらないから」


 そう言い残し、彼らは消えた(・・・)


「何──なんだ、あいつ」

 ソーマは尋ねるように呟いたが、リーザも知らない男らしく、彼女はただ怯えながら首を横に振っただけだった。


「何だか、すっきりしねえけど」

 溜め息をひとつ吐くと、青ざめたままのリーザを安心させるように、ソーマはその頭をポンポンと撫でた。


「取り敢えず、誘拐成功みたいだな。あとは、どっかでユルゲンたちと合流できたらいいんだけど」

 ソーマは再びリーザを抱えようとして、苦痛に顔を歪める。大蛇(おろち)に何本か骨をやられていたのだ。


 リーザはその手を優しく振り払う。そして逆に、ソーマに肩を貸すように身を寄せた。


「え、何で──」

「ソーマは、歳は幾つですか」


 一瞬、無言になるソーマ。リーザの顔を窺うと──あの、有無を言わせぬ笑顔が戻っている。


「……16だけど」

「やっぱり。私の方が2つもお姉さんじゃないですか。だったら、私の言うことはちゃんと聞いて下さいね。ここからは私がソーマを──守ります」


 頬を紅く染めるリーザ。照れて小さくなった語尾は、よく聞こえなかった。ソーマは少し笑って、

「ちょっとカッコ悪いけど──言う通りにするよ。皇女様には畏れ多くても、リーザ(・・・)になら、いいよな?」


「そういうことです!」

 リーザは嬉しそうに、ますます照れる。


 今、敵に襲われればひとたまりもないだろう。まだまだ気を抜けぬ状況の中、運命に反抗的な2人は、ゆっくりと東へ向かって歩み出した。


 それを見守るように──気配を殺した幾つもの〈影〉がある。


『まったく、イチャついてんじゃねえよ』

『ふふ、やはり思った以上に腕を上げているね』

『そんなことより──いいの、さっきの奴ら。何なら今からでも殺しに行こうか?』

『いや、いい。過干渉は我らの矜持(きょうじ)に反する。ただ、矜持と言うなら、美しく完璧なる勝利こそが我らのあるべき姿なのだけど。その意味では──まだまだかな』

『そりゃ、我らの矜持じゃなくて、あんたオリジナルの持論でしょうが。よくやりましたよ、あいつらは』

『火災は全部偽物(フェイク)。煽動に情報操作、街を大混乱させた上で住民にひとりの怪我人も無し。彼ほどの素質があれば、こちらと同じくらい美しい仕事運びを期待したいところだけど……まあこれからに期待しよう』

『団長も人が悪いよね。2人だけと見せかけて、実は組織を上げてバックアップとか』

(むし)ろ当然だろ、皇女の命に関わる1級指令だぞ。あの2人が適任だったのは事実だけどよ、任せきりにしていい案件じゃねえ。かと言って事前に知ってたら、奴らにも甘えが生じる』

『じゃあ、そろそろネタばらしする? さすがに、皇女に怪我人を背負わせたまま行かせるわけには行かないっしょ?』

『だな。あいつは終わったらすぐに連れ戻すよう団長にも言われてるし。だけど、ちょっとだけ待ってくれ。もう少し、余韻に浸らせてやりてえ』

『意外に優しいんだな』

『気持ち悪い。殺していい?』

『うるせえよ!』


 師匠、先達、仲間……ソーマたちに訪れた、数々の貴重な出逢い。如何にプレイヤーと言えど、それが無ければ、その後を戦い抜くことなど到底不可能だっただろう。

 それ程にこの世界は不安定で、歪に捻れていたのである。


 そして風は時代を動かす。余りにも深い哀しみを、その代償として──。

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