ソーマ編(3)運命に抗いし者①
〈時間外活動〉は、果たして文句のつけようがないほど便利な能力だった。
国境に備えた関所の類は完璧にスルー。さすがに太古から存在する地形までは通り抜けられなかったが、それでもほぼ最短ルートで、彼らは古都イシュトリアの外れまでやって来れたのである。
この辺りはイーリスという名の土地で、かつて帝国直轄領だった。
新生アースガルド帝国は、元々ルーファウスの所有していた南のティバルディアに拠点を移していたから、現在この地を治めるのは嫡子のクライドである。
「これからは情報が戦局を左右する時代や。今回はしゃーないけど、次からはお前も準備しといた方がええで」
ユルゲンはイシュトリアの街並み、そしてリーザのいる王宮ローゼンハインの見取り図を入手していた。
後から分かったことだが、1級の指令ともなると事前に2級以下のそれが複雑に組まれ、様々な下準備が行われるとのことだった。つまりユルゲンはそれを受け取っただけで、別に彼が威張ることではない。
「一応、固定トラップや結界の場所は押さえとけよ。ワイのスキルさえあったら無意味やけど、何が起こるか分からんからな」
見取り図にはそれらも詳細に記入されていた。無論、皇女が軟禁されている場所もだ。
ユルゲンの他にも、戦翼傭団には潜入任務に長けた者がいるのだろう。
「戦闘は無しがベスト、あっても最小限で。確かにお前は単純な戦闘は強いやろうけど、能力に嵌めるタイプには弱そうやし。
けど、それでもどうしようもない場合は任せたで。何しろ、スキル無しやとワイはゴットロープに勝てるかどうかも怪しいからな」
戦翼傭団の門番であるゴットロープはメンバー最弱のはずだ。これも胸を張って言うことではない。
「よし、次の〈探知〉が始まったら作戦開始や」
彼らにとって最も厄介なのが、15分間隔で行われる広範囲の索敵魔法であった。専用の魔法士が複数で行うそれは、王宮のみならず、街の隅々まで侵入者のチェックを可能にする。
滞在の許可を取ればそれから逃れることもできるが、数日から数週間を要する徹底した審査が待っているから、勿論そんなリスクは冒せない。
リーザ救出の鍵を握るのは〈時間外活動〉の待機時間だろう。スキルはリーザを加える際に一度解除する必要があるため、どうしても時間の使い方が限られてしまう。
シミュレーションの結果、彼ら2人で5分間スキルを使用した場合、待機時間は安定して10分25秒であることが分かった。〈探知〉の時間は5分、その15分後には次が始まる。
彼らの作戦はこうだ。各時間帯の0分、20分、40分に始まる正確な〈探知〉のサイクルを利用し、それが始まった瞬間に〈時間外活動〉を発動する。そして目標に一番近い位置から、防壁その他の人工物をすべてすり抜け、全力疾走でリーザの元へ。
〈探知〉が消えるタイミングで能力を解除、そこから15分以内にリーザを納得させ、能力を再発動して逃げるのである。
リーザの傍に誰かいれば、それを気絶させることで能力解除を兼ねる。リーザがひとりなら、適当に机か壁などを攻撃し、やはり能力を解除する。
万一失敗した場合、敵も何らかの防衛策を講じてくることは確実だから、次があるとは考えない方がいいだろう。
「よっしゃ、行くで!」
ユルゲンの掛け声とともに行動開始。壁に向かって突撃するという奇行も、ここに来るまでにすっかり慣れた。彼らは打ち合わせ通りのルートを全力で飛ばす。
程なく彼らは、オープニングで無惨に焼かれた王宮に辿り着く。狂黒の乱が勃発したまさにその場所。ソーマはそこへ、まさかこんなに早く足を踏み入れるとは思ってもみなかった。
見たところ外観だけでなく、中も完全に復旧しているようだ。壁はすり抜けるのに、何故床や階段を踏み抜くことがないのか──呑気にそんなことを考えながらも、ソーマは先を急ぐ。
「ここか──ひとりや!」
情報通りの場所で、ターゲットであるリーザの姿を確認すると、〈探知〉が消えるまで数秒待ち、ユルゲンはすかさず手近のテーブルをナイフで斬る。ここまで5分ジャスト、待機時間は10分25秒に確定──順調だ。
「きゃあっ」
女性の短い悲鳴。突然の物音、そして2人の男が何もない空間から急に現れたのである。「騒ぐな」という方が無理であった。
「静かに、敵じゃない」
沈黙を要求すると同時に、ソーマは、悲鳴の主であるリーザが紛れもなくリーザ・レイアース本人であることを確信する。
彼のよく知るセリムと酷似したエナジー。緑色の髪。そして美しいが意思の強さを感じさせるその瞳。偽者を疑うどころか、持たされた写真で確認する必要さえ無かった。
「俺たちはジェラルド・ルーベルク大公の手の者だ」
セリムとどちらの名を出すか一瞬迷ったが、ユルゲンの手前、ソーマは大公の方を使った。
リーザが体を震わせたのは一瞬で、すぐに肩の力を抜く。
「……ごめんなさい。そうとは知らず、急に大きな声を出したりして──驚かれたでしょう?」
「あ、いや……それはこっちの台詞なんだけど」
予想と異なる展開に、いきなり調子を崩されるソーマ。しかしリーザが歩き出すのを見て、すぐに警戒を戻す。
が、彼女が向かったのはドアではなく、部屋に備え付けられたキッチンだった。
「すぐに美味しい紅茶を煎れますね」
時間停止のスキルかと、ソーマは──素早くドアに身を寄せていたユルゲンもだ──本気で信じるところだった。
この事態に際してこれだけの余裕、一体何者だろうか。いや、彼女こそが救出すべきリーザ皇女に違いないのだが。
「どうぞお構い無く──じゃなくて!」
ソーマの訴えは叫び声に近かった。
「俺たちはお前を助けに来たんだよ」
「皇女サマに〈お前〉ってあるかボケ」
ソーマとユルゲンが睨み合うも、リーザは涼しげな笑顔を彼らに向けた。
「まあ、ありがとうございます」
にこにこ。そして止まらない紅茶を煎れる仕草。
「あの──ちょっと?」
もはや狼狽を通り越して、意味不明のソーマである。
「ええ、分かっています。有り難いお申し出なのですが──私はここから出ません」
「な、何でだよ。お前、ここに囚われてんだろ」
嫌な予感がしたと同時に的中してしまった。リーザの拒絶──想定されたあらゆる事態の中で最悪のパターンである。
リーザは手を止めると、少しだけ哀しそうに、ソーマの目を見つめた。対するソーマは柄にもなく、すぐに顔を紅く染める。
「私には予知能力があります。彼のユリウス様のように具体的ではないですけれど。勿論、今日のことも事前に知っていました。それが成就する今──私は死ぬ運命にあるのです」
「……は?」
もうこれ以上は勘弁してほしい。だがソーマには、その先を繋ぐ言葉が見付からない。
「貴方は〈予言の勇者様〉ですね。貴方がここをお訪ねになる予知──それを最後に、その先の未来を、私の予知は何も知らせてはくれないのです。それはつまり、私が間もなく死ぬことを意味します」
「あ、あのさ……」
ソーマは困ったようにユルゲンを見る。だが彼は自分以上に放心していた。
こんなときハルトがいてくれたら──と叶わぬ願いをしようとして、そもそもこれがハルトの差し金であることに気付き、ソーマは頭に浮かんだ金髪の友人を恨む。
しかしリーザは聡明な女性であった。彼らが困り果てていることを見て、違う側面からの説明に切り替える。
「貴方たちが突然現れたその力を使えば、確かに誰も傷付けることなく、私をここから出して戴けるでしょう。ですが私がそれに付いていけば──〈あの子たち〉の命が無いのです。かと言って、全員を連れて逃げることなど不可能──違いますか?」
現実的な話になったことで、ようやくソーマの頭は思考停止状態から脱した。そしてすぐ、リーザが僅かに視線を向けた窓に駆け寄る。
その向こう側は、城の中空に造られた人工庭園であった。窓の横にある小さなドアから、出入りも可能なようだ。
そこに──6人の子どもがいる。
「調査不足だぞ、ユルゲン。逆人質だ!」
ソーマは瞬時にリーザの置かれた立場を理解した。彼女が逃亡を含めた反抗の意を示した場合、あの子どもたちがその罰を受けるのに相違ない。
リーザは決してそれを許さないだろう。そして、そのためならどんな不条理な命令にも、進んで従うだろう。
「ワ、ワイに言うなや。けど、どないすんねん。このままやったら──」
無理矢理にでもリーザを抱えて逃げることは出来る。しかしそれは、子どもたちを見殺しにすることと同義だ。
ソーマの性格を考えた場合、もはや子どもたちまでも、彼にとって人質になったと言っていい。
「あの子たち──身内は?」
「いません。皆、戦争孤児です」
少しの逡巡の後、ソーマは腹を括った。
「セリムが生きてるんだ」
「──え?」
そしてゆっくり、リーザに向き直る。
「セリムだけじゃない。ルシア、ジュリアの姉妹──知ってるよな? あとリゼットにグレースも」
ソーマは、リーザと面識がありそうな名前を次々と挙げ、最後に「皆、お前を待ってるんだ」と結んだ。
すると、たちまちリーザの目から、大粒の涙が流れ落ちる。
「ああ……やはり、生きて……生きていてくれたのですね。どんなに立派に成長したことでしょう」
「国は無くとも立派に皇子様やってるぜ。今はラナリアにいるけど、あいつはアースガルド帝国を復興させようとしてる。それにはお前の力が必要なんだ」
予知のことはよく分からないが、ソーマには、今のおかれた状況をリーザがすべて受け入れているように感じられた。
だから、セリムについて話すことで、生きてここから出る──リーザからその気持ちを何とか呼び起こそうとしたのだ。
だがそれは逆効果だったかもしれないと、言ってから気付いた。リーザならば、セリムの足枷になるくらいなら、喜んで自らの死を受け入れるだろう。そんな心境になられては、ますます彼女の救出は困難になる。
それに、リーザの気が変わったとて、子どもたちを何とかしなければ事態は何も好転しない。
しかし先程、調査不足の苛立ちをユルゲンに向けたことが、起死回生の一手に繋がった。ごく微小ながらユルゲンに対して生じた敵意が、ソーマにあることを閃かせたのだ。
可能性なら──ある。
「ならば、尚のこと──」
「死ぬのはダメだぜ。絶対に」
リーザの言葉を、ソーマは乱暴に遮った。
「俺はあいつと約束したんだ。必ずお前を助け出すって。それにあの子らはどうする? これまで、従順でいることでお前が守ってきたんだろ。なら、最後まで面倒みてやれよ」
止まらぬ涙が、ソーマの顔を滲んで見せる。リーザは反論を封された。
他ならぬ自分のために捕らわれた子どもたち。自分が死ねば用済みとなるだろう。確かに、彼らを救うには、何としてでもここから逃がさなければならない。せめて彼らだけでも──。
「違う。それで終わりじゃねえ。言っただろ、最後までだ」
その心を読んだように、ソーマが言葉を被せた。それは決して彼女のせいではないが、それでももしリーザが責任を感じているなら、子どもたちを逃がすだけではまだ足りない。彼らが平穏に暮らせる所まで、しっかりとその手で導く。
セリムが生きているなら、行く宛てだってちゃんとあるのだ。それこそが、リーザが本当に望む未来であるはずだった。そのためにはまず、リーザ本人が生き延びることを考えなければならない。
「お前がいなきゃ、あの子らだってきっと寂しがる。だから、お前がその手で連れてってやれよ──セリムの所へ。
察するに、お前の予知能力は本物だろ。けど、それが何だ。俺は〈予言の勇者〉だぜ? そんなあやふやな能力、俺が何とかしてやる。何もしねえで勝手に諦めてんじゃねえよ」
強引なまでに無茶な理屈を通すソーマ。しかしそれは力強く、本当に何とかなりそうな期待──いや、予感を呼び起こす。
初めて。リーザの心は揺れた。
「でも──私、どうしたら……」
生きたい。セリムやその仲間たちに会いたい。不幸にも箱庭に閉じ込められた、あの子たちの未来を──その目で見たい。
それを感じ取ったソーマは、ユルゲンに指示を飛ばす。この僅かな間に、主導権は完全にソーマに移っていた。
「おい、ユルゲン。待機時間が過ぎたら──あの子ら全員、消せ」
突然出てきたセリムの名前、アースガルド帝国の復興──混乱の上塗りで固まっていたユルゲンは、急に現実へ呼び戻された。
「はあ? 何言うてるねん。ワイが消せるのはあと2人だけや」
「お前言ってたよな。自分でもそのスキルのことはよく知らなかったって。これまで無理だったなら、今初めて成功させろ。俺らを入れて──全部で9人だ。3も9も変わんねえだろうが」
「全然ちゃうわ、阿呆か。無理に決まってるやろ」
無茶苦茶な理屈だ。確かにまだ検証の余地はあるにせよ、その時間も無ければ、一気に9人というのも無謀である。だがソーマの本意もそこにはなかった。
ユルゲンを〈敵〉として仮定した場合──。
〈軍神の寵愛〉がソーマの頭の中に語りかける。いや、閃かせる。それはまるで、ハルトの〈看破〉のように。
ユルゲン自身にたいした戦闘力は無い。注意すべきはそのスキルと、それを仲間に使われた場合だ。
そのスキルは最大で2人まで消すことができる。但し、たまに失敗もする。そして人数が増えるとその分、待機時間も加算される。2人で5分使えば、安定して10分25秒──。
そうこうしているうちに、時間が迫って来る。ソーマはリーザに、なるべく騒がないよう子どもたちを部屋に招き入れるように言った。
幸い、まだ侵入に気付かれた様子は無かった。待機時間を満たしてから次の〈探知〉まで、まだ少し時間がある。それを使って、まずは人数制限の確認をするのだ。
「確認だけだから、発動は一瞬でいいぞ。子どもたちを優先で」
有無を言わせぬソーマの指示。ユルゲンは仕方なくそれに従う。
静かに息を呑む彼ら。そして遂に、待機時間は満たされた。
「〈時間外活動〉!」
すると──ユルゲンとともに、6人の子どもたち全員の姿が消えた。一方、ソーマとリーザには効果が及んでいない。
「よし!」
ソーマは右の拳を握る。すぐさま机に傷を付け、それを解いたユルゲンは、現れると同時に口を開いた。
「──な、何でや!」
「〈体重〉だよ。いや、この場合〈質量〉って言った方が正しいのかもな。どっちにしろ、人数制限じゃなかったんだ。
俺の体重は65キロ。お前はたぶん60キロくらいだろ。5キロ×5分、その差が2倍プラス〈25秒〉になった。だから、でかい奴が混じると制限オーバーで失敗もする」
通常は戦闘中に効果を発揮する〈軍神の寵愛〉。戦闘を有利に運ぶために、広義では〈敵〉の能力解析もそれに含まれる。それを応用すれば〈味方〉にも、それに近いことが出来るとソーマは気付いたのだ。
5才くらいの子どもが6人──総体重は120キロ程であろう。60キロの大人なら2人に相当する。そこが限界だと仮定すれば、120キロ以上ありそうなマックスなどは、例え1人でも消せないというのが、ソーマの結論であった。
「せやかて……お前らを消せんかったら、何の解決にもならんやんけ」
「いい。俺はリーザを抱えて普通に逃げる」
言い方は悪いが、この際一番の足手まといは子どもたちだ。それさえ安全に逃がせるなら、あとは何とかなる──いや、何とかしてみせる。
ソーマは了承を得ることなく、リーザを右の肩に担ぎ上げた。左手には新しい相棒、〈雲外蒼天〉を抜き身に持つ。
もう時間が無い。そろそろ次の〈探知〉が始まるのだ。
「ちっ、しゃーない。言うとくけど、戦翼傭団の任務に失敗はないで。だから──」
「分かってる。お前こそ──」
「任せたで!」
「任せたぞ!」
再三、〈時間外活動〉発動。同時に、ソーマは部屋を飛び出した。
「きゃっ」
「悪い、怖かったら暫く目を瞑ってろ」
人ひとりを抱えているとは思えぬスピードで、ソーマは駆ける。
廊下を曲がった所で出会した衛兵を一瞬で斬り伏せると、さらにその先を急ぐ。
「峰打ちじゃ、安心せい──わはは、1回言ってみたかったんだよな、コレ」
やはり、こそこそするより派手な方が自分には合う。ソーマは計画外のこの事態を楽しんでいた。
気配を探る限り、敵の数は、思った程ではないが少なくもない。だがどういうわけか、それきりなかなか遭遇しなかった。
所々に仕掛けられたトラップや結界も、外からの侵入を阻止するためのもので、内側から通り抜ける分には易しい。リーザには子どもたちという最強の牢が課せられていたから、やはり必要以上の警戒はしていなかったようだ。
そして、意外なほどあっさりと──ソーマは王宮を抜けた。だがそこで、驚愕の光景を目の当たりにしたのである。




