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ソーマ編(1) 世界最強の男

「あの野郎……絶対に、許さねえ……」


 薄れゆく意識は、闇に落ちることで安易にそこから逃れようとする主に背き、頑ななまでに留まりながら、ただ耐えることを強いた。


 どれだけ傷付こうが一向に体は慣れてくれず、深く、記憶にまで刻まれ続ける痛み。四肢どころかもはや指先さえ動かすことができぬ。

 一方、感覚は研ぎ澄まされており、窓ひとつない閉塞的な空間いっぱいに、その触手を伸ばしている。


 ソーマは今、絶妙に生かされていた。


 楽観的なまでにポジティブな志向を持つこの少年は、これまで「死んだ方がマシ」など比喩としてさえ考えたことは無い。

 そんな彼でさえ、何度もそれを覚悟させられ、実際にその寸前にまで追い込まれていくうちに、遂には終焉という意味において、死に憧憬(しょうけい)を抱くまでになった。


 だが彼は死ねない。望んでさえそれが叶わない。


「ちくしょう……もう来やがった……」


 広いフロアに響く乾いた靴音。その人物を特定するために振り返る必要はなかった。死力を尽くして漸く倒した相手──それが〈戻って来た〉に過ぎないのだ。


 男が、背後から静かに近付く。何をされるかは分かっていた。〈超回復〉の魔石によって、ソーマの傷を癒そうとしているのである。


 痛みから逃れるには、素直にそれを受け入れるべきだろう。しかしソーマはそれに抗おうと、指示通りにならない手足に、動くことを祈りさえした。

 何しろそれがもう何度目なのか、数える気力さえない。刹那的な快楽の後に堕とされる地獄は、より深く残酷だ。


「や……めろ」


 辛うじて試みた言葉による抵抗は無視され、無言を貫く男の手から放される魔石。

 すると一瞬にして、眩いばかりの光がソーマの体を包み込み、たちまち傷が、体力が回復していく。それは空腹さえ満たし、半死人だった状態から、通常どころか絶好調と言えるレベルにまで、強制的にソーマを導いた。


 この後のことは訊かずとも分かっている。ボロボロになった衣服を替えれば、〈また始まる〉のだ。


「──くそっ」


 その魔石が気力には作用しないことも、意図的なものだろう。それはやる前から既に折れていたが、それでも立ち上がることを余儀なくされている。

 まるで〈挫ける〉という概念を、根源的な部分から根刮(ねこそ)ぎ削り取るかのように、ひたすら繰り返される儀式の如き戦い。


 ところが今回は事情が違った。着替えのため歩み出したソーマの背後で、男の口から意外な言葉が飛び出したのだ。


「〈仕事〉に行って来い」


 ソーマは振り返り、ようやく男の顔を見る。


 アースガルドでその名を知らぬ者無し。第一線を退いて尚、最強を求める者たちの、未だ頂点に君臨し続ける不敗の男。

 〈煌国の四神〉のひとり、ウォーレン・ハイドフェルドは冷淡に用件を告げたのみで、呆けるソーマに対し僅かな喜色さえ浮かべなかった。


 ──────────


 ひと月前。


 ソーマは〈自治都市〉イルドに入った。ゲーム開始時に選択できる勢力の中で、唯一の都市型勢力である。

 そこはアースガルド最大の商業都市であり、言わば商人のための街。元締めたる大商人たちの連合組織によって統治され、王はいない。


 国家レベルの勢力が乱立する中では、一見不利な印象をプレイヤーに与えるだろう。しかしハルトによれば、恐らくこのイルドこそが1番人気になるとのことであった。


 理由は大きく分けて3つある。


 まず、その特質的な地理条件に起因する、自治という政治体制。

 イルドは〈竜国〉ルフィーナ、〈魔国〉セヴィオラ、〈装国〉ヴェルガンド、三つ巴の争いを続ける3国の〈国境が交わる1点を街の中に持つ〉都市なのである。


 中に入るのは比較的容易で、先の3国のいずれかから入場専用ゲートを通り、どの国から入ったのかが分かる証明書を手渡されるだけだ。

 一方、出国の条件は厳しい。住民でない者が入国元以外に出ようとした場合は、イルドを経由した他国への渡航となるから、3国側から厳格な審査と、莫大な通行課税を受けるのである。


 面倒にもこのようなシステムが機能しているのは、戦争により国交が断絶した状態でありながら、実際のところ3国の、広義ではアースガルド全体の交易を維持するために必要な処置であるからに他ならなかった。

 従ってイルドは、〈公平な取引〉を盾にしている限り、交通の要所としての利を保ちながら、どこからも攻め込まれる恐れがない中立都市なのである。


 理由の2つめは商業都市ならではの特典。ここで入手できる装備やアイテムの種類は豊富で、質も高い。それだけでも序盤から他勢力より優位に立っていると言える。

 また、〈血縁〉による統治が主である他勢力に対し、ここだけは〈金〉がそのまま権力に直結する。資金稼ぎの方法も様々に用意されているから、金銭でのしあがる内政重視のプレイヤーを大いに満足させるだろう。


 そして最後に──世界最強の傭兵団である〈戦翼傭団(ウイング)〉を擁している点である。


 戦翼傭団(ウイング)は第2次統一戦争終結の2年後、つまり今から14年前、退役した〈煌国の四神〉ウォーレン・ハイドフェルドが、復興の一環として商業保護を目的に設立した傭兵団であった。

 数としては安定して百名前後の規模ではあるものの、最強として知られる団長の勇名が全国から猛者たちを集わせ、一騎当千の少数精鋭部隊を形成している。

 それは即ち、トラブルや犯罪が多発しがちな商業都市の悪質を彼らが抑え込み、世界一とも言われる治安の良さを実現していること、何より彼らの存在自体が、武闘派のプレイヤーをも魅了する要素になっているということだ。

 〈強くなる〉ことを目的としたソーマの目当ては、つまるところ戦翼傭団(ウイング)──いや、その頂点に立つ男との接触であった。


 イルドのほぼ中央、旧商工議事堂を改築した高く(そび)える塔に、戦翼傭団(ウイング)は居を構える。

 ソーマがその裾に広がる敷地に差し掛かったとき、突然大柄な男に背後から肩を抱かれた。


「よう、少年。入団希望者か」

 油断は──していた。だがダイキの遥か上をいく巨躯(きょく)、身長は2メートルを越える大男に肩を組まれるまで、ソーマはその気配をまったく捉えることができなかった。


「入団っていうか、ウォーレンって人に会いたいんだけど」

 一瞬体を強張らせたが、ソーマはすぐに警戒を解く。まだ何処かの刺客に狙われるほど知られた存在でもないし、相手がその気なら不意討ちで勝負が決まっていた。

 ただ、この大男はこれまでに会った誰よりも強いと確信する。今のところ敵意どころか馴れ馴れしさしか感じないが、恐らく〈メンバー〉であろうことは簡単に推測できた。


「団長に会えるのは雇い主か、戦翼傭団(ウイング)の団員だけだぜ。ま、仕事の契約は最近クレイティスに任せきりだけどな」


 気さくな大男は果たして戦翼傭団(ウイング)の団員で、マックスと名乗った。クレイティスというのはナンバー2の名らしい。

 ソーマは早速足掛かりができたことを素直に喜び、見た目に相応しい名を持つマックスにある質問をしてみた。


「客か団員以外だったら? 例えば〈敵〉とか」

「はっ。そんなモン、尚更会えるわけねえよ」


 マックスが戦翼傭団(ウイング)の中でどの程度の強さなのかは分からない。だが確かに、これほどの団員が百人もいたら、頭目を引っ張り出すだけで国家レベルの軍隊が要りそうだ。


「……だろうな。じゃあ弟子入り志願者は?」

 ソーマは傭兵になりたいわけではなかった。ウォーレンの下で己の武力を磨きたいのだ。マックスは得心したように、

「成程、お前はそっちか。まあ、実際それを目的にやって来る奴らも多いけどな。それにしたって、まずは入団しなきゃ話にならねえ。見ろ」


 彼が指した先には、長槍を手に、門前でにこやかに観光客らしき者たちの記念撮影に応じる男の姿があった。


「誰でも歓迎ってわけじゃねえんだ。最強の男へ挑むにしろ、お前みたいに力を付けたいにしろ──大前提として、弱い奴にあの門はくぐれねえ。門番は最弱団員の仕事と決まってるんだが、つまり──」

「分かった。要はあいつに勝ちゃいいんだな」


 門番を討ち伏せることがでなければ、目当ての男には会うことさえできないらしい。

 ソーマは買ったばかりの中古の剣に手を掛けると、門前の広場へ進み出た。


「気を付けろよ。あいつ最近〈主旨が変わってきてる〉からな」

 何か含みのある言葉を発したマックスに、ソーマは振り返らず手を振り、真っ直ぐに門番の元へ。戦時中にも拘わらず、観光を楽しむ呑気な富裕層の一団は、そのただならぬ空気に慌てて散開した。


 しかし一定の距離を保った所で彼らは歩みを止め、何かを期待する目でソーマと門番の対峙を見守る。

 イルド名物〈門前払い〉。それを間近に見れる幸運に、彼らは興奮しているのだった。


「最近は減ってきたんだけど。今日だけで3人目──まるでお祭りだ。何か特別な日だったか」


 門番の男、ゴットロープは和やかな雰囲気を一変させ、長槍を構える。返事を期待しているようでもなく、どうやら始めから問答は不要なようだ。

 ソーマにしてみても、ややこしい手続きを省いて、最もシンプルな方法で事を運べるのは歓迎すべきことだった。


 次第に人だかりが増えていく。両手持ちに剣を握るソーマに対し、ゴットロープはいきなり闘気を発動した。

 闘気、或いは魔法を使えること──それが門番と戦うための、必要条件なのである。冷やかし程度の者はこの時点で脱落。またそれらの使い手であっても、ゴットロープの力量を認めて捨て台詞を吐き、戦わずして退散する者が大半を占める。


 ソーマは既に、闘気の解放を自在に出来るようになっていた。とはいえ、まだそれを戦闘に応用するには充分でなく、力を持て余すレベルである。

 相手は大陸最強の傭兵団。その狭き門を前に様子見などする立場ではない──ならば。


「全力だ!」

 ソーマは持てる闘気を全開する。すると蒼い光がその体を包み、溢れ出た分が周囲へ無差別に拡散した。


「な──」

 ゴットロープは驚きの声を上げ、信じられないものを見たかのように目を見開く。

 それでも尚、ソーマの闘気は無限に湧き出る泉のように、一定量に収まる気配さえ見せない。


 その背後に、薄く笑いながらも冷たい汗を(にじ)ませるマックスの姿。

「こりゃあ──珍客だ」


「くっ」

 ソーマが力任せに踏み込もうとしたそのとき、ゴットロープは、あろうことか自らの闘気を鎮めた。

 それに気付き、ソーマも慌てて剣戟を止める。


「……合格だ。通れ」

 一瞬だけ悔しそうな表情を垣間見せたが、それだけを言うと、ゴットロープは門番としての佇まいに戻った。

 するとそこへ、マックスがやって来て、怪訝そうな顔をしたソーマの背中を押す。


「──だとよ。良かったな、これでお前も戦翼傭団(ウイング)の一員だ」

「何だよ。戦うんじゃなかったのか」

()る前に相手の力量が測れない奴なんざ、うちにはいねえのさ。それを押してまで戦うべき時かどうかなんて、尚のことな」


 マックスに促され、後ろ髪を引かれるようにソーマは門を潜る。

 闘気の総量では、確かに自分が上回っている自信があった。しかし経験、技術がその差を埋めるだろうから、実際に勝敗となると何とも言えないというのが、ソーマの率直な感想だ。


「ご苦労さん」

 すれ違い様にマックスはゴットロープに声をかける。既に平静を取り戻しているようだが、ゴットロープの顔色は若干陰っていた。


「お疲れ様っす、マックスさん。どこで見つけて来たんすか、あんな──」

「いや、俺もそこで会ったばかりだ。何か面白そうな奴だとは思ったが、まさか〈予言〉の、とはな」

「言っときますが、それが理由じゃないっすよ?」

 少し拗ねたようにゴットロープは言う。


 ちょうど百人──それまでの団員数がキリのいい数字であることも手伝って、彼の〈入門テスト〉はかなりシビアであった。

 実際、彼が門番になって3年近く、誰もその横を通さなかったのだ。中には将来的に見込みのある者もいたが、それでも彼が容赦することは一切無かった。


 自分が最強だと信じてここに来て、あっさりと返り討ちに遭い、何度目かの挑戦でようやく勝ち取った地位。それ以来、上を目指すのではなく、自分と同じように自惚れた戦士たちの目を醒まさせることに、ゴットロープは使命感すら感じるようになっていたのである。


「商売繁盛で俺ら皆クソ忙しいんだ。正直、もっと人手が欲しいんだけどな」

戦翼傭団(ウイング)に俺以下の半端者は要らない、ただそれだけっす。そうじゃない奴なら、ちゃんと通しますよ」

 マックスは肩を(すく)めてソーマの後を追う。


 通称〈翼の塔〉。1階は依頼の受け付けだけでなくレストランやバーもあり、一般人にも解放されていた。

 案内役を買って出たマックスは、歩きながら簡単な説明を始める。


 それによると、団員には番号が割り振られ、団員の証になると同時に、その数字が小さいほど強いという意味も持つらしい。月に1度、下位ナンバーからの挑戦を受ける義務と、上位ナンバーへ挑戦できる権利とが与えられているとのこと。

 強いほど居住スペースが上の階へ移り、待遇も良くなるというのだ。


「ま、所詮お遊びみてえなモンだ。そうした方が向上心を煽るだろう、程度の」

「ふうん。で、マックスは何番なんだ?」

「4番」

「4って……一桁かよ」


 ソーマは改めて大男の風貌を窺う。歳はまだ25だが既に充分な貫禄を持っている。鍛え抜かれた体は、服の上からでも見かけ倒しでないことが分かった。

 何より〈如何にも〉という雰囲気の男たちが、彼を避けているように見えるのも気のせいではないだろう。


「そりゃあどっちの驚きだ? 俺が4番なら大した組織じゃねえってのか、俺でさえ〈まだ〉4番ならすげえ組織だってのか。はっきり言ってみろ」

 マックスはわざと凄んでみせた。しかしソーマは平然として、

「後の方だよ、勿論。でもすぐに追い抜くけどな」

「そう来たか。この野郎、一番無礼な答えじゃねえか」

 マックスは豪快に笑うと、肝の据わったこの少年のことを一層気に入ったのだった。


「あれ、こっちなのか」

 先導するマックスが、階段を降りようとしたので、ソーマは疑問を口にした。

 下から順番に勝ち上がった先に、目当ての人物がいると誤解したためである。


「最初のランク付けは団長自ら決めるんだ。2階も闘技場だけどな、それはあくまでも〈一般用〉で、地下にあるのは強化した〈特別用〉。ほら、建物中がざわついてやがるだろ。何しろ3年ぶりの入団式だから、お前一斉に注目されてる(・・・・・・)ぜ」


 そう言われると、ソーマにも何やら落ち着かない空気が感じられた。

 〈特別用〉というフロアも、その団長が自ら行う入団式に備えたものと推測できるから、自然と体に緊張が満ちる。


 地下に降りてすぐ、彼らは、全身を隠すようにフード付きのローブを(まと)った男と出会(でくわ)した。

 ソーマより背が低いものの、少年という感じはしない。マックスと同程度の力量──闘気を発現させたソーマには、それが分かるようになっていた。


「何だ、ヴァシリー。まだ生きてたのか」

「黙れ、殺すぞ」


 マックスと、ヴァシリーというらしい小柄の男。状況から見て仲間のはずだが、彼らは互いに殺気を剥き出しに睨み合う。


「やめろ、入団の儀が始まる」

 少し奥から、紫色の長髪を(なび)かせた美青年が彼らを(たしな)めた。

 するとビクッと肩を震わせ、すぐに好戦的な空気を鎮める2人の男。


「君が新人だね。私はクレイティス、戦翼傭団(ウイング)のナンバー2だ。宜しく」

 間接的にだが、二番手──つまり一番最強に近い位置にいる男の実力を垣間見たソーマは、促されるまま爽やかに握手を交わす。


「俺は……ソーマ」

 敵意など微塵もない相手。だがその瞬間、得体の知れない悪寒がソーマの全身を巡り、抑えようのない汗が吹き出した。

 この期に及んで、何かとんでもない所へ来てしまったという、後悔にも似た感情にソーマは囚われる。だが本当の恐怖はこれからだった。


「何だよここ、バケモノの巣か。あのさ、俺は別に入団したいわけじゃなくて──」

「よい」


 その男は〈さらに階下から〉現れた。


「お前が何者で、何処から来て、何を目的に、この先何をしようとしておるのか。百の筆舌より一振りの剣にて聞こう」


 崩壊したアースガルド帝国の元将軍であり、戦翼傭団(ウイング)の団長。世界最強の男、ウォーレン・ハイドフェルドは、歩を進めながら静かに剣を抜く。


 その刹那、ここまで案内してくれたマックス、小柄で口の悪いヴァシリー、そして爽やかながら不気味な気配の漂うクレイティス──彼らの存在すべてが視界から、意識から消え去り、ソーマの目はウォーレンというひとりの男に支配された。


 グレーの重厚な全身鎧を身に纏っている。胸に刻まれているのは戦翼傭団(ウイング)の紋章。手にした剣も、ひと目見ただけで世界有数の業物であることが窺える。

 しかしそれを着ている彼自身は髪も、口から顎に繋がった髭も、既に白い。ソーマからすれば老人と表現しても差し支えない。それなのに──。


 剣を抜こうとして、できなかった。

 何かを言おうとして、それもできなかった。


 それはウォーレンが発する余りの存在感に押し潰され、体が(すく)んでしまったためであり、さらには呼吸すら困難になっているためであった。


 一振り剣を交える? この男を相手に?


 ソーマには戦うという選択肢が途轍もなく傲慢な──いや、神に唾棄するに等しい愚かな行為に感じた。〈軍神の寵愛(アレスフェイバー)〉は発動しないのか、したが打つ手がない(・・・・・・)のか、ただ石ころのように固まることしか出来なかったのである。

 そのソーマが、耐え難い対峙の時を破り、全力の闘気を込めた剣でウォーレンに向かっていったのは──生きるための〈本能〉だったとしか言えないであろう。


 だがその直後、何かが砕けちる音とともに、ソーマは気を失った。


  ──────────


「──仕事?」


 無条件の修行──それが修行と呼べるのならであるが──ではないことは、ソーマも理解している。

 しかし余りにも唐突な話で頭が付いていかず、露骨にも眉間に(しわ)を寄せるしかなかった。


「お前も戦翼傭団(ウイング)の一員だろうが。いつまでもタダ飯を食わせるわけにはいかぬ。どうにか戦えるようになった以上、それ相応の働きはしてもらわんとな」


 そう言われて初めて、ソーマはここに来て一度も食事を取っていないことに気付いた。食事どころか睡眠もだ。驚くべきことに、魔石による回復だけで、実にひと月もの間、ひたすら戦いのみに明け暮れていたことになる。

 反論しようと口を開きかけて──ソーマはすぐにそれを閉ざす。ウォーレンが今、確かに「どうにか戦えるようになった」と、初めて彼を認めるような発言をしたことに気付いたからだ。


依頼主(クライアント)はラナリア大公国のジェラルド・ルーベルク殿下。行き先は古都イシュトリア。指令は──」

 ウォーレンは相変わらず眉ひとつ動かさない。近所へお遣いにでも出すような口調で、とんでもない内容をソーマに突き付ける。


「〈リーザ皇女の奪還〉だ」


 それが戦翼傭団(ウイング)として初めて、ソーマに与えられた指令(ミッション)だった。

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