帝都の陥落(4)
命の天秤が完全に傾く前に訪れた、対峙の時。
「お久しぶりです、セノール閣下」
多量の出血によって息も絶え絶えのラインホルト。そして大勢の部下を伴って、彼の眼前に姿を現したその男。
「さすが、と言うべきでしょうな。裏切り者とはいえ躊躇なく部下を皆殺しとは。──まあ我々も、これで事が済むとは考えていませんでしたが」
〈鬼眼〉ゲイルノート。大陸でも十指に入る剣の使い手であり、最強とも言われる〈黒葬騎士団〉団長である。背後に整然と並ぶのは、その配下の騎士たち。
「……やはり貴様か」
「おや、驚かれませんな。私だけは疑義の外だと思ったのですが」
〈煌国の四神〉の片腕たるこの男は、ラインホルトより5歳年下でありながら、既に老成と呼べる程の落ち着きと貫禄を有していた。それは数々の戦乱を潜り抜けてきたことの証明であるかのようだ。
その眼は人工的なオッドアイである。右眼は生来のものだが、左眼に宿した赤い光は魔石を埋め込んだもの。その石の力により、剣士でありながら高度な魔法の使用も可能であり、彼が〈鬼眼〉と呼ばれる所以である。
「殺したのか、四神を」
ラインホルトは質問で答えた。
「さて、何のことやら」
「惚けるな!」
その語気に部下たちが騒然となるも、〈鬼眼〉は軽く手で制す。
「……何故、そのように?」
「あれは魔法だった」
ひとつひとつ思い起こされる事象。それが線で繋がった時、目の前の男が脳裏に浮上したのだ。
「それも議場内側からのな。しかしあの場で魔法を使えるのは、ひとりとしていなかった」
それを前提にするならば、答えは自然とある一点に落ち着く。
「単純なことだ。魔石を使ったのだ」
「ほう」
まったく表情を変えず、ゲイルノートは応えた。
魔石は、発動させる所作さえ知っていれば、誰にでも魔法の使用を可能にする。その発動条件も様々に組み込むことが可能であった。
「確か、魔石の持ち込みは禁止されていたはずですが?確認も念入りだと聞いております」
「その通りだ、普通に所持している限りではな。しかし〈体内に埋め込んだ状態〉では、さすがに検知しようが無い」
技術的には難しいはずだ。しかし既に、それを武器として応用している者が存在する。
「例えばそう、貴様の〈鬼眼〉のように。それは外から視認できるが場所を変えればそうではない。そして貴様にならそれが出来る──いや、貴様にしかできない」
「それだけではまだ推測の域を出ませんな」
この期に及んで〈鬼眼〉は揺るがない。蓄えた口髭をさすりながら、余裕さえ見せる。
「確かにそうだ。だがこの際重要なのは、あの爆発は魔石以外にはあり得ないという事実。そして誰にも見つからずそれを議場に持ち込むには、身体の中に隠す以外にないということだけだ」
ラインホルトは剣を支えに立ち上がった。まだゲイルノートに隙は無い。
「それが爆発系の魔法であったことが、次の事実を指し示す。体内で魔法が発動すれば、持ち込んだ本人は確実に死ぬ。そして周囲の人間もな」
殆どの貴族には保身しかない。誰かの為の捨て駒になど決してならない。
確かルッツも──そのようなことを言っていた。ラインホルトは沈痛な面持ちで、それを思い出す。
「つまり、持ち込んだのが誰であれ、それは本人の意図ではない。たとえば意識を奪うなどした上で、魔石を彼の体内に埋め込んだのだろう。そして遠隔か、時限式かは分からぬが、それを起動した。
勿論、これらを画策したのは、爆発に巻き込まれる会議参加者であったはずがない。貴様の主たる四神も含めてな」
ラインホルトは時を待った。ゲイルノートは勝利を確信している故に急ぐ必要がない。
それを利用して、彼は状況を詳細に整理していく。
「しかしそれなら、私以外にも可能性はあると思いますが?──例えば属国による反乱」
「それは無い」
短くも明瞭な否定。
「まだ情勢が完全に安定したとは言えぬ今、もし帝国が崩壊すればどうなる?あらゆる勢力が横に並び、再び戦乱が始まるだけだろう。
それを自ら起こすには、その中で頭ひとつ抜け出す算段が不可欠となる。新たな領土、資金源──例えばこの帝都だ。要人暗殺により機能が停止するこのチャンスを、しかもそれを成した勢力がみすみす逃すものか。
属国なら、帝国直轄領イーリスの政務会議ではなく、自軍を近くに配置できる別の機会を選ぶ」
つまり帝都に近い軍事組織による反乱であるというのが、ラインホルトの考えだった。その中で最も大きな力を持ち実際に成し得るのが、目の前にいる〈鬼眼〉の男だったのだ。
「唯一の疑念は、あの方への忠義に篤い貴様が、果たして裏切るだろうかという点だった。しかしそれすら計算のうちだったとすれば、納得がいく。
あの方を屠るには、長い年月をかけてでも、それくらいの〈準備〉は必要だろうからな」
「──成程。結局一択に過ぎなかったというわけですか。いやはや、さすがですな」
ゲイルノートは不敵な笑みを浮かべた。それを見ながら──極めて注意深く──ラインホルトは声量を上げる。
「議場にいたすべての人間──陛下を、貴族たちを、護衛の者たちを、そして主たる四神に至るまで、貴様が殺したのだ!」
その迫力に、歴戦の強者が揃う筈の騎士たちでさえ、一瞬たじろぐ。
「それだけではない。その爆発をきっかけにして、貴様は更に〈意思操作〉の禁呪を発動した。──いや、正確にはそれを感じた瞬間に発動するよう、何日も前から仕組んでいた。
魔法は発動後で無ければ検知が難しい。それを利用して、爆発以前には決して悟られぬよう、細心の注意を払って」
「ほう?」
ゲイルノートは面白そうに口髭を擦った。
「いったい何を根拠にそのような」
「街の争乱だ。あれは至る所で起こっていて、外からの侵攻に対峙していたのではなかった。街中には敵などいなかったはずなのに、私の部下はいったい誰と戦っていたのか」
ラインホルトの表情はより険しくなる。その目は怒りに満ち、睨み付けるだけで人を殺めそうな殺気さえも放つ。
「私の部下と、だ。だが血の誓約と死の制裁──我が部隊に内応者などおらぬことは、貴様も知っていよう。
本来なら反意を抱いただけで死に至らしめるはずのもの。不完全な禁呪では心の奥底まで操れぬことを逆手に取ったのだろうが──ルッツだけはそれに抗い、自らの意思で我が剣に斬られた。恐らく、それ以外に解除する手立てが無いと悟ってのことだ。──見事だった」
信頼のおける部下たちを手にかけざるを得なかった彼は、敵を、それ以上に未然に防げなかった自分を、決して赦すことはないだろう。このまま死してもずっと。
「他に答えなど無い。あの爆発を機に、操られた者とそうでない者の間で戦闘が始まったのだ。ルッツたちが狂ったのも恐らくその時」
「その通りです」
〈鬼眼〉の男は素直に認めた。
「ここから街の状況は、遠目にしか見えないはずですがね。やはり歴戦の士たる〈不動の赤壁〉の目は侮れない──と言ったところでしょうか」
「目的は何だ」
眼が霞む。そろそろ体力の限界が近いようだ。しかしまだ終われぬ。
「それにお答えするには、ふたつの誤解を解かねばなりません。まずひとつめ。同士討ちに関して、我々は〈何日も〉前から準備していたのではありません。〈何年も〉前からです」
ゲイルノートは大袈裟に、そこから見える街の方へ手を広げてみせた。
「当然でしょう、これ程多くの人間を操るのです。彼らの信仰心を利用し、教会に手を回して礼拝に来る度に少しずつ魔法を浸透させたのです。爆発の衝撃に呼応して発動するように」
「半数に留めたのも、計算か」
「そこまでお見通しとは。均一に充分な効果を及ぼすことはさすがに難しいので、効き目が薄い者は敵に戻ってしまう可能性がありました。ですから少しでも数を減らすよう、互いに争うように仕向けたのです。
もっとも、近衛兵全員に仕掛けるのは、物理的にも無理でしたがね。貴方のようにまったく効かない場合もある」
つまり殺し合いさえしてくれれば、どちらが勝とうが問題ではなかったのだ。反撃が不可能なほど疲弊させた後で、本隊をゆっくり侵攻させればよい。
「苦労しましたよ。何しろ、いろいろ嗅ぎ回る方がおられましたので」
ゲイルノートは挑発するような視線を向けたが、ラインホルトが表情を変えることは無かった。
「そしてもうひとつ。重大な誤解があります」
唐突に沸き起こる、理由の分からぬ悪寒──。ラインホルトは目の前の人物に注視していた為に、それに気付くには致命的な遅れをとった。
「暗黒剣・蛇ノ神鳴」
黒い稲妻。そうとしか形容できぬ何かが、轟音を伴う波動となり、死角から彼を貫く。
「ぐ……はっ」
口から溢れ出る血液と苦痛の声。既に手負いであるラインホルトから、意識を、そして命を奪うのに充分な一撃であった。
だが彼は、信じられぬ精神力で持ち堪え、膝すら地に着くことなく、それが発せられた方へ向き直る。
「ば……馬鹿な……」
そこには、爆発に呑み込まれたはずの、最後の四神が立っていた。
「そろそろ古き時代の幕を引こうか、ラインホルト。そして新時代の幕開けを」
アースガルド帝国最高軍事顧問であり、〈煌国の四神〉のひとり、ルーファウス・シュトラーその人である。
背中にまで届く赤みがかった黒髪。短めの口髭と顎髭。細身だが決して華奢ではなく、大柄なラインホルトの上をいく長身。
そして、長きに渡る戦乱で、数えきれぬ程の命の終焉を見てきたであろうその鋭い眼。
歳は40も後半のはずだ。しかしその覇気には、些かの衰えも感じられない。
「何故……だ。あの爆発を──至近距離で受けたはず」
実際に目にしてさえ、ラインホルトにはそれがルーファウスであることが信じられなかった。
不死身とさえ言われる男だが、それはただの比喩。決して死なないわけではない。
だが──そう呼ばれるだけの理由があるのも、また確かだった。
「やれやれ、私も甘く見られたものだ。まあ確かに多少の火傷は負ったがな。治癒魔法など使わずとも、完治に一日も要らぬ」
「……化け物め」
ラインホルトは遂に膝を折った。
「それはお互い様だろう。お前もそうして生きているではないか。わざわざ手の込んだ〈演出〉までして、指揮を混乱させようとしたのだが……まさか、都合良く巻き込まれてくれようとは」
ルーファウスは未だ剣を離さぬラインホルトに向かって、まったく臆することなく歩み寄って来る。すると騎士たちが一斉に道を空け、片膝を着いた。
「お前はゲイルが私を裏切ったと思っていたようだが、それは無い。この者の忠義はお前の、皇帝へのそれと何ら変わらぬ」
恭しく主を迎えると、その側に控えるゲイルノート。ラインホルトを横目に追い討ちをかける。
「そう見せかけようとしたのは事実です。それだけ、シュトラー閣下は貴方の能力を高く評価されていたのですよ。
本来なら、貴方と対決し抑え込むのは私の役目でした。私とて、出来れば万全の状態でお手合わせ願いたかったですがね」
ラインホルトは〈鬼眼〉を睨んだ。その眼に悔しさを滲ませて。
「侮るなゲイル。もしこの男が五体満足なら、貴様が〈鬼眼〉を解放してさえ、恐らく相討ちが限度。確実な勝利の為には、結局私が自ら剣を振る以外に無かったのだ」
「は、申し訳ございません」
主の言葉にゲイルノートは平伏した。
「さて、話を戻そうかラインホルト。目的──だったな。それは勿論、この国を、帝国を盗る為だ。人がいいだけの脆弱な皇帝に代わってこの手に覇を掴む。これでは不服か?」
ラインホルトは顔を上げ、ルーファウスの眼を見た。それは決して、欲に取り憑かれた男のそれでは無かった。
「先代陛下への、貴方の忠義──あれは確かに本物だった。綺麗事だけでアースガルドの統一は叶わない。四神の中でも、汚れ役を進んで引き受けた貴方は、むしろ最大の忠臣だったと、私は信じている」
彼は立ち上がろうとする。が、もはや身体の重みさえ支えられず、その背を守るべき扉へと委ねた。
「貴方を狂わせたのは、やはりあの事件が……」
鈍い音とともに、くの字に折れ曲がる体躯。
「……もうよかろう。そこを退け。最後の仕上げが残っている」
ルーファウスの眼は冷たく、まるで見るものを凍えさせるかのようだ。その興味は既にラインホルトから離れていた。
「──皇子まで手にかけるおつもりか。まだ5歳の幼子だぞ」
「それがどうした。生かしておけば成長する。成長すれば、やがて私の障壁となる」
もはやどうにもならぬ。ラインホルトは遂に最後の賭けに出た。
「同じ〈煌国の四神〉でありながら、貴方はあの方の恐ろしさをご存じないようだな。この扉には、塔には、ある策が講じられている。いくら貴方でも、突破は叶わぬ」
だが、嘲笑と共に反論したのはゲイルノートだった。
「〈自動防御魔法〉──確かに厄介ですな。しかしながら、我々が無策でここに来たとでも?
人数にして154人。誤差は5、6人。その結界を無力化するのに必要な命の数です。その為の意思操作でもありました。
もっとも、貴方の手で幾らか駒は減ってしまいましたが。足りない分は街から補充すればいい」
それを聞いたラインホルトは、ニヤリと口角を上げる。
「……やはり、知らぬようだな」
彼の意外な反応にゲイルノートは──ルーファウスでさえ──怪訝な表情を彼に向けた。
そして彼は、不自然なまでの大声で言い放つ。
「もう一度言う。貴様らはあの方の恐ろしさを知らぬ。私はここまでだ!覚悟を決めよ!それを発動する時は──今だ!!」
その瞬間、塔が煌めいた。窓から、扉の隙間から、光が溢れ出てくる。
何が起こったのか分からず、反乱分子はたちまち混乱に陥った。
「結界によって中の声は拾えぬ。しかしこちらの声は聞こえていたはずだ。〈謎解き〉に付き合ってくれたこと、感謝するぞ〈鬼眼〉」
ゲイルノートの顔から、初めて笑みが消える。
「この塔には、結界の他にもうひとつ──ごく一部の者しか知らぬ〈特別な仕掛け〉がある。脱出の為の〈空間転移〉がな」
「何──だと?貴様──!」
それは既に失われたはずの古代魔法である。思わぬ事態に言葉を失うゲイルノート。顔色を変えたルーファウス。そして──声を上げて笑うラインホルト。
四神の男は扉に手を差し出すも、激しく火花が散り、それは容易く拒絶される。
「待ち伏せや、逆に侵入の可能性がある抜け道を、あの方が塞いだことは周知の事実。だが何の代替策もなく、それをされる御方だとでも思っていたのか。
尤も、皇族を除けば、これは王宮守護職たるセノール家の者しか知らぬこと。──つくづく私には過ぎた娘だ」
背にした扉の向こう側ですべてを聞き、父の意向を理解し、さらに躊躇することなく事を成した娘。それはラインホルトの誇りそのもの。
「馬鹿な──またしても〈あの男〉か!」
一層その激しさを増した光に、正対する者たちは目が眩む。その中でルーファウスの怒号だけが響き渡った。
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やがて光は消え、人数にそぐわぬ静寂だけが残る。
ラインホルトは漸く、その役目を遂げた。彼の後ろにはもはや守るべき者はいない。
まだ幼い皇子や娘たちの、この先の苦難を思うと決して気は晴れなかった。しかし彼らは必ず生き延びる。そして新たな味方を得て立ち上がり──次の時代を担う時がきっとやって来る。
そう信じて静かに眼を閉じると、剣を握り締め、彼は最後の力を振り絞って立ち上がった。
「うおおおっ!」
黒き敵陣に単身で身を投じるラインホルト・セノール。
それから10年の時を経て、物語は再び動き始める──。