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ダイキ編(2) 「非」聖なる男

「ちゃんと30数えてからだからね。わかった? おじちゃん」

 村で懐かれたミリーという名の少女。まだ6歳だ。


 戦争によって両親を奪われ、ここへ流れ着いた孤児であり、子どもの少ないこの村では、彼は格好の遊び相手だった。


「ああ。しかし〈おじちゃん〉ではないと、何回言えば──」

 ミリーはもう聞いていない。もう彼が目を閉じ、カウントを始めているものと信じて駆け出す。


「いーち、にー、さーん‥‥」

 その無邪気な後ろ姿に向けて嘆息すると、仕方なくそれを数え出すダイキ。

 そう言えば、アレキスの砦の防衛戦でも、倒した敵の数をこんなふうにカウントしていたな──と彼はふと思い出した。


 ラナリアでの彼は、仲間内に限って言えば、マリオス──セリムのことである──に次ぐ有名人だ。

 ソーマやハルトも内戦鎮圧に大きく貢献したが、それは表立った活躍ではない。正確には「100人」でも「斬った」わけでもないのに、何故か「100人斬り」の猛者として、彼はその名を轟かせることになった。


 それが今や、地図に載っているかどうかさえ怪しい田舎の村で、子どもを相手に隠れんぼの真っ最中である。


 勿論、今はこんなことをしている場合ではない。


 しかし師事を許したはずのフィンレイは、一向に稽古をつけてくれようとはしなかった。

 彼は、焦るダイキに目もくれず、村の周囲をぐるぐると回り、時折しゃがみこんではまた歩き出す──そんな動作を延々と繰り返すだけ。そして気が付けばふと、村からいなくなり、暫くするとまた戻って来るのだ。

 それはまるで、何かを調査している研究者のようであった。


 そして今も、彼はどこかに出かけたまま戻らない。外出前に「早く修行を始めて欲しい」とダイキが訴えると、「今のお前じゃ無理だ」とあの日と同じことを言われた。

 全面的に協力する──彼が提示した条件の中に〈それ〉を邪魔しないことも含まれるから、ダイキは黙って見送るしかなかったのである。


 あれから2日。


 山で亡くなった女性は、フィンレイによればこの村の住人ではないらしい。

 どこの誰だか分からぬ上に、あんな無惨な遺体を持って街や村を訪ねて回るわけにもいかないから、彼らはそこで彼女を丁重に葬ることにした。


 眉間に(しわ)を寄せるダイキ。この世界の流儀には合わないかもしれないが、静かに手を合わせ、その冥福を祈る。


「何という──不条理だ」

「不条理?」

 その言葉に反応するフィンレイ。


「助けた人間が、その後ずっと何の不幸にも見舞われず、幸せな人生を送ってくれるとでも思ったのか」

「──何だと?」


 師への礼儀も忘れて、ダイキはフィンレイを睨んだ。しかし、そのフィンレイは顔色ひとつ変えず、辛辣(しんらつ)な言葉を重ねる。


「何のためにこんな所へ来たのか知らねえが、この女だって、この山が魔物の()み家だってことは分かってたはずだ。死んだのは自業自得じゃねえのか。不条理どころか〈必然〉と言ってもいい」


 ダイキは思わず師に向かって拳を振り上げた。が、フィンレイが軽く指を動かしただけでその膝が折れ、大地に崩れる。


「くっ……」

「今は戦争中だぜ? 命を拾った次の日に、あっさり()っちまうことだってある。人を助けた(・・・・・)気になりたい(・・・・・・)だけなら(・・・・)、もうやめとけ」


 弟子を、冷ややかな目で見下ろす若き師。


「いいか。今度、絶対に勝てない相手に出会(でくわ)したら、迷わず逃げろ。傍に誰がいようと、足手まといになるようなら、それを見捨ててでもだ。

 死体をひとつ増やすんじゃなく、拾った命で出来ることを考えろ。お前は俺と〈契約〉したんだからな──これは命令だ」


 耳を痛めるだけのその言葉。しかし力ずくで彼を黙らせることなど出来ない。

 悔しそうなダイキに、彼は「まだ無理だな」とこぼした。


 フィンレイの言うことは、理屈としては理解できる。戦った結果として死ぬならともかく、戦う〈前〉に死ぬと分かっていたのなら、確かにそれは避けるべきだろう。

 そのときは勝てなくても、逃れることさえ出来れば、いずれ逆転できる可能性を残す。逆に殺されてしまえば、その機会さえ永遠に奪われてしまうのだ。


 しかしそこに、他の誰かが関係してくれば、事情はまるで違ってくる。誰かを殺そうとする何者かに、自分では歯が立たないどころか、それを逃がすことさえできない時──。


 共に死ぬか、自分だけ助かるか。


 数の理屈としては、どちらが〈マシ〉かは言うまでもない。しかし心情的には、どちらがいいなどとは決して言えぬ。

 狩り場で、彼がまさにその窮地へ陥ったときは、フィンレイによって助けられた。しかしそう何度も、都合よく助けが来るとは限らない。


 しきりに「まだ無理だ」と繰り返すフィンレイは、彼に非情さを要求しているのだろうか。ダイキにはその意図がまったく読めないでいる。

 考えれば考えるほど、ますます焦りが募るダイキ。だが、彼がその答えを得るために必要なもの──それは時間ではなかった。


「酒だ、酒!」

 もともと人の少ない村である。彼らが入って来た途端、村中がそれに気付いた。


「このへんには、ちと厄介な奴がいてな。特にそいつとだけは事を構えるな」


 ダイキはフィンレイの言葉を思い出した。〈十聖〉のひとり、アドルフ・ヘニング。


 ダイキの10倍、〈千人斬り〉の異名を持つが、実際には数千人を殺めたと言われる。

 ただ戦場に身を置くためだけに主をころころと変え、それに乗じて殺戮(さつりく)の限りを尽くした男。その圧倒的な強さから〈十聖〉のひとりに名を(つら)ねた。


 彼らは皆、個性を象徴する一字を当てて表されるが、彼はその残虐非道ぶりから〈聖〉を打ち消す〈非〉を合わせて〈非聖〉と呼ばれ、悪い意味でその名を広めた男である。


 先頭に立つ男が他ならぬ彼であることは、その顔を知らぬダイキにも、村人の様子だけで分かった。

 ただ、彼は徒党を組んで街や村を襲撃する類ではなく、機嫌さえ良ければ、酒を喰らって帰るだけである。村人たちは、なるべく関わり合いにならぬよう、慌てて家の中へ消えた。


 カウントすら途中で止めていたダイキは、はっとミリーのことを思い出す。その姿はどこにも見当たらない。

 彼らの遊びが隠れんぼで良かった。騒ぎには気付いているだろうから、そのまま出て来なければ大丈夫だ。


「おい、お前」

 ダイキもどこかへ身を(かわ)そうとして──それを目撃してしまった。


「新しい戦斧を手に入れたんだけどよ。試し斬りしてえから、悪いけど死んでくれ」

「な、何を──」


 村の男がひとり、彼らに捕まった。怯えた目で彼らを見るが、既に手下によってその身を拘束されている。


「どうせ弱っちい、ゴミみたいな命だろうが。満足したらお前ひとりで許してやるからよ」

「ひいっ」


 絶対に勝てない相手に出会したら、迷わず逃げろ。それを見捨ててでもだ──。


 村人は〈それ〉に従っている。彼に身内はいないのだろうか。いや、いたとしても出てこれないのか。

 これが不条理でないなら、一体何だ。


「待てっ!」

 考えることはもうやめた。ダイキは彼らの前に進み出る。

「その男を放せ。試し斬りの相手なら、俺がなろう」


「はあ? 何だ、お前」

 〈非聖〉アドルフは、明らかに機嫌を損ねたようにダイキを見下ろした。つまり190センチを超えるダイキより、彼の方が背が高い──いや、大きい。

 その体を、如何にも固くて重そうな、ゴツゴツした造りの鎧が覆っている。


 ダイキはそれを睨み返しただけ。そして静かにその目を閉じると、ここにはいない友人たちを想う。


「すまんな、ソーマ。ハルト。今頃、修行に励んでいる最中だろう。俺にはどうしてもこれを見逃すことが──できん!」

 言い終わる寸前、ダイキは不意討ちを仕掛けた。アドルフに突撃すると見せかけて反転、村人を捕らえている男の足元に滑り込むと、その足を払う。


 まさか、向かって来る者がいようとは予想だにしていなかった彼ら。それは功を奏し、村人は解放された。そのまま地面を()うように、必死の形相で逃げ出す。

 彼らはそれに唖然とし、男を追うことなく、次第にその表情を怒りのそれへと変える。


 ダイキには、それが愚かな行為であることが分かっていた。激昂した彼らが村中を暴れ回る可能性。

 彼のしたことは、逃げた男だけでなく、村人すべてを危険に(さら)すかもしれない。


 師にはまた叱られるだろう。しかし後はただ、その師が戻って来るまで、村人に被害が及ばぬよう彼らの的で(・・・・・)あり続ける(・・・・・)だけ。

 (もっと)も相手は〈十聖〉のひとり。「自分より強え奴とは()らねえ」という理屈によって、フィンレイは戻って来ないかもしれない──それでも。


 〈闘魂(スピリッツ)〉が発動し、ダイキは持てる力のすべてを出して戦った。力も、技も、命さえも投げ出した渾身の一撃を、休むことなく打ち続ける。

 しかし彼は、アドルフ本人を相手にすることさえ出来なかった。その手下は、先日の名も無き暴漢よりさらに強い──いや、遠い。


 増え続ける傷は体中に広がり、もはやどこが痛むのかさえも分からない。

 この地を訪れて得たものは、結局、そんな幾多の傷と、「自分は弱い」という事実だけだった。


 フィンレイはまだ戻らない。ひとりも倒せぬどころか、腰に下げた武器さえ使わせぬまま、抗う力も尽き──やがてゆっくりと、彼はその場に崩れ落ちる。

 その時──。


「おじちゃーんっ!」

 物陰から飛び出す小さな影。ミリーだ。


 誰かが家の中から絶叫するも、決して速くはないその足を懸命に動かして、少女は一直線にダイキのもとへ。


「ミリー!」

 それが、闇に染まりかけた意識を現実へ引き戻す。ダイキはミリーを受け止めようとして──出来なかった。アドルフが片手でそれを捕らえたのだ。


「こりゃあ、いい」

 〈非聖〉の男はニヤリと口角を上げると、軽々と少女を持ち上げた。


「試し斬りはこいつに決めた」

「な──」


 ダイキは慌ててその足にすがりつく──が、まるで石ころのように蹴り飛ばされる。


「おじちゃん! ──痛い、放して!」

「待て、待ってくれ。それだけは──」


 すぐに起き上がるダイキ。体を引きずるように、再びアドルフの足元でそれを懇願する。

 しかしアドルフと、周囲の男たちは、ただ嘲るように(わら)うばかり。


 この期に及んで、村人はまだ出て来ない。こんな幼い少女でさえ、ダイキを助けようと(・・・・・)飛び出して来たというのに。


 彼は、生まれて初めて、愛想笑いでその場を(しの)ごうとした。作られたその笑顔は(みじ)めで(みにく)い。

 するとアドルフは、可笑しくて仕方がないように、それに対してゲラゲラと下品な声を上げながら、少女の首を掴むその力を強める。


「やめろ! やめてくれ! ──誰か」

 無神論者のダイキに祈るべき神はいない。しかしこの際、それが悪魔であっても構わない。この状況を打破してくれるならば──。

 そうだ。フィンレイだ。きっと彼は、こんなヒヤヒヤさせるタイミングで登場するのだろう。もうその頃合いだ。さあ、早く。


 しかし誰もやっては来なかった。


 ──バキゴギ。

 嫌な音が響き渡る。悲鳴さえ無かった。


 想像を絶する恐怖と痛みに、ミリーはその目を見開いたまま──ダイキに何かを言おうと口を開けた。

 しかし、そこから飛び出したのは声ではなく、血。


 最期の言葉すら許されなかったミリー。瞬く間に小さな命が散り──そしてその生きた(あかし)が、ダイキの顔を赤く染める。


「兄貴、試し斬りするんじゃなかったんで?」

「そうだったな。いや、こいつがあまりにも面白えツラしてやがるから、つい」


 つい?

 人ひとり死ぬ理由が──つい?


 だがそれは俺のせいだ。俺が師の言うことを聞かなかったから。俺のせいでミリーは死んだ。俺のせいで。俺の……オレノセイデ。


 遅すぎたその瞬間、ダイキはすべてを悟った。

 彼だけ助かるのではなく、2人とも死ぬのでもなく、第3の選択肢。


 簡単だ。相手を倒せばいい。


 敵わない相手なら、それを超えればいい。それもいずれ(・・・)ではなく──今すぐ(・・・)に。


「うわああああっっ!!」

 激怒の咆哮(ほうこう)。怒りをきっかけに闘気(それ)に目覚める者は多い。

 しかしそれは〈キレた〉どころではなく〈爆発〉だった。蒼く輝く闘気は留まる所を知らず、いつまでも、どこまでも高まっていく。


 しかもそれに〈闘魂(スピリッツ)〉が呼応する。度を超えた感情の揺らぎによって生じる、異常反応。


 〈限界突破(リミットブレイク)〉!


「ぐ──はっ!」

 真正面から(ふところ)を突く正拳。防ぐどころか、アドルフにはそれが見えなかった。

 ダイキの拳は固い鎧を容易く突き破り、彼の腹部を直撃──皮を、骨を、内蔵を、次々と破壊する。いや、既にしていた。


 背中にまで到達するかと思われた一撃はそこで止められ、それを引き抜いたダイキの、今度は後ろ回し蹴り。

 歪んだ顔が見えたがそれは刹那。次の瞬間にはアドルフは遥か遠く、村の外へと消えた。


 それでも止まらぬ蒼い怒り。


「うわ……うわああっ!」

 手下たちも闘気の使い手。それが如何なるものか瞬時に察した。

 触れただけで死ぬ(・・・・・・・・)。そして、その跡には何も残らぬ(・・・・・)


 しかし散開する彼らを、ダイキは追わなかった。


 ──遅い。あまりにも遅すぎた覚醒。

 止めどなく流れる涙でさえも、闘気の発する熱によってすぐに蒸発する。彼は未だ蒼い光に包まれたまま膝を落とし、幼い亡骸(なきがら)に触れようと、その手を伸ばしかけた。が──。


「退け!」

 彼は乱暴に突き飛ばされ、それが叶わない。

 顔を上げると──涙でぼやける視界の先に、フィンレイの背中が見えた。


 彼は闘気を発動させ、掌を(かざ)して〈ミリーであったもの〉にその光を集中させる。


「何を……」

「黙れ、気が散る! 干渉するからそれを鎮めやがれ」


 今さら現れて、何をしようと言うのだ……とぼんやり思う。しかし師の言葉には、有無を言わせぬ力があった。

 やり方は何故か体が理解している。ダイキが息を吐くと、次第に収まっていく蒼い闘気。


「──よし! ミーナ」

「ええ。任せて」


 駆けつけたのはフィンレイだけではなかった。ミーナと呼ばれた女性。

 線の細い、金色の髪を(なび)かせ、彼女は魔法を発動する。


「〈蘇生(リザレクション)〉!」

 その瞬間、それまでの殺伐とした空気が消え、急に冬から春へと移り変わったかのように、暖かい風が(そよ)ぐ。


「──どうだ?」

「この娘は大丈夫。満たしてる」


 訳の分からぬやりとり。


 ミリーは、一度は確かに失ったはずの、その未来を取り戻した。

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