ダイキ編(1) とある不条理
ユミルトスは捨てられた国だった。
そこはアースガルドに存在する国の中で、ただひとつ攻略の対象から外れる。換言すれば、自勢力として選択することができず、完全にスルーしてもクリアに何ら支障は来さない。
何故なら──やり込み要素のためだけに作られた国だからだ。
国土の殆どを埋めるのは、広大な山脈地帯。人対人の戦争がテーマのこの舞台で、そこには多種多様な〈魔物〉が棲み、プレイヤーはそれらを相手に、身に付けた力や技を試す。
そこは所謂〈狩り場〉であって、さすがに人命をその対象にするわけにはいかないから、魔物という〈謎の生物〉をフィルターとしているわけである。
人智を超えた最強生物を倒す。ドロップするレアアイテムを狙う。或いは完全制覇を目論み、遭遇率が低いそれを求めひたすら彷徨う。
目的は人それぞれあるが、統一戦争自体には特に関わりも無く、言ってみればただの〈オマケ〉に過ぎない。
ユミルトスを治めるのは「魔物だろうが命を持つ者であればそれと共存する」という主義を持つ殊勝な民族。王もいれば民もいて、当然ながら街や村もあるのだが、その規模は小さく、あくまでも国家としての体裁と、プレイヤーに休息の場を提供するためのものだ。
だからそこに、外交的な要素は皆無である。彼らが外に討って出ることは決して無く、逆にそこへ侵攻しようものなら、無限に沸き出で来る魔物と直接対峙することになるだけ。
魔物がこの国を出て人々を襲う仕様でもないから、なるべく関わりを断ち、放置するしかない──アースガルドの民には〈そういう国〉として認識されている。
選んだ勢力によっては、早くから訪れることが可能なその地。ダイキはそこへ足を踏み入れた。
「早く何とかせねば……あいつらに遅れを取るわけにはいかん。強くなるにはどうすればいいのだ。そしてリゼットの好きな食べ物は何なのだ──あ、いや違う」
彼がこの国の、とある村に落ち着くまでに要したのは、実に半月。
その間、彼は誰と戦うでも、師事するわけでもなく、魔物に遭遇さえしていない。セリムたちが辿ったというその道程を、ただ反対に突き進んだだけ──つまり出発前と何も変わっていない。
帰りも同じだけかかるとするならば、彼らが期限としているウェルブルグとの開戦まで、実質あと2ヶ月しか残されていないことになる。
「やはりパワーか。しかしそれでは『予想通りだね』とか言われかねん。柔よく剛を制す──ここはひとつ意外性でいきたい。そしてリゼットが好きな花とは何なのだ。『お花が好きです』だけでは分からん。もっと詳しく聞いておくべきだった──はっ!」
……勿論それには理由があった。きっかけを作ったのはソーマだ。
「この中で誰が一番強くなれるか勝負しようぜ」
「いいよ。但し基準は〈レベル〉ね。戦闘じゃ僕が圧倒的に不利だし、〈軍神の寵愛〉の分も補正して計算するけど」
ハルトがそれに呼応する。それ自体はダイキとて望むところ。その瞬間から、彼らは仲間であると同時にライバルになった。
問題はその後である。
彼らがそれぞれに最強を目指して、誰かのもとで修行に励むなら、当然その師は〈今のところ〉最強である者が望ましい。
彼らがすぐに思い当たるのは〈煌国の四神〉。
ハルトは当然のように、そのひとりにして天才軍師であるジルヴェスター・ベルハイムに弟子入りすることを表明した。彼はゲームを始める前から既にそれと決めていたようだ。
そして同じ四神のうち、不敗の軍神であり世界最強とも言われる男──ウォーレン・ハイドフェルド。彼は〈剣を得意とする〉という理由でソーマに取られた。
競い合うならば、お互いに途中経過が観察できる、同一人物への師事は気が進まない。加えて、経験値を倍増させる〈軍神の寵愛〉を持つソーマと同じことをしていては、彼がその勝負に負けるのは確定的だ。
ハルトは『補正する』と言ったが、それでは実際として『ソーマの方が強くなる』と言っているようなもの。彼にはそれが癪に障る。
かと言ってルーファウスは敵であるから、残るはひとり。オーランド・ブラックストーン──しかし彼は〈大魔導師〉だった。
エナジーの100%を〈闘〉に割り当てられたダイキは、仮に百年修行したとしても魔法が使えるようにはならない。
「〈十聖〉とやらはどうだ?」
「四神以外ならそうなるね。確かにダイキの師匠にピッタリな〈拳聖〉っていうのがいるんだけど──残念ながら場所が遠いから、時間的に無理だ。
他の〈十聖〉もダイキには合わないか、政治的に厳しい」
例えばウェルブルグの獅子王ことレオニール・ヴィンフリート。〈勇聖〉と称される彼もまた、師事するどころか敵である。
だが代替案も無しに、不可能なことだけを言うハルトではなかった。当然あるであろうその続きにダイキは期待する。
「〈千年の時を生きる仙人〉。他に、僕が城の書庫で調べたり、人から聞いた中で気になったものと言えばそれだ。南の山奥に住むと言われてるけど、その姿を見た者さえ殆どいないらしい。何か如何にもって感じだろ?」
「──何故俺だけ、そんな怪しげな者に師事せねばならんのだ」
思ったような答えが得られず、憮然とそれを拒否するダイキ。
彼がその才能を開花させ、強くなることは、ハルトにとっても喜ばしいことのはず。だがいつもの微笑みのせいで、彼がそれを真面目に言っているのかどうかさえよく分からない。
「じゃあ〈喋る蛇〉は? 蛇のくせに、これがなかなか強いって噂なんだ。何よりそのミステリアスな感じ──どう?」
「もはや人ですらないではないか。それに何だ、さっきから〈感じ〉とばかり。いつもの〈論理性〉はどうした」
確かにロジックを重んじるハルトである。しかし別に、彼はインスピレーションを軽視しているわけではなく、むしろそれをロジックに先駆ける起点と捉えている。
だがそこは、さすがに長い付き合い。彼が修行に託つけて〈あわよくばその正体を知ろうとしている〉ことをダイキは見抜いた。
今回の修行は期限付きなのだ。そんな得体の知れないものを相手に、時間を浪費するわけにはいかない。
「これも駄目? 僕はいいと思うんだけどなあ……」
「──もういい。無理に誰かに師事しようとは思わん」
そうして、名残惜しそうなハルトの提案を蹴って、彼はここへ来ることを決めた。レベルを上げるために魔物を狩りまくる──それが彼の選択した手段だ。
しかしながら、それにはリスクが伴う。魔物との遭遇は、領域に縛られない完全なランダムエンカウントであった。
つまり子どもでも勝てるような雑魚のときもあれば、クリアデータを引き継いだ〈2周目〉の猛者を瞬殺する怪物まで──実際に出現しない限り、それと分からないのである。
仮に、ダイキに万一のことがあれば、ソーマとハルトを道連れにゲームオーバーになってしまう。
彼は敵が強大であるほど燃えるタイプであるものの、今はそれが如何なる結末をもたらすかまったく不明であるから、そのことが彼を狩り場へ足を踏み入れることを躊躇させているのだ。
このままでは差が広がる一方──しかし漸く、葛藤に苦しむダイキにそのときが訪れた。
「きゃああっ」
耳を貫くような女性の悲鳴。ダイキは声のした方を振り返る。
「何か普段と違うことが起きたら、それは〈イベント〉だよ」
ハルトが確かそのようなことを言っていた──が、彼が走り出したのはそれが理由ではない。
誰かがピンチに陥っている。熱血漢のダイキにはそれだけで充分だ。
そして彼は、遂に境界線を越えてそこへ辿り着き──驚いた。いや、拍子抜けと言った方がいいかもしれない。
悲鳴の主と思われる女性を取り囲んでいるのは、3人の〈人間〉だったのだ。
「ちょっとぐらい、いいじゃねえか。俺たちと遊ぼうぜ」
「こんな人気の無い所をうろついてたんだ。あんただってその気だったんだろう?」
「そんな──違います」
よくある雑魚キャラと、それに絡まれた可哀想な人との会話。ダイキは気勢を削がれ、思わず足を止める。
「危ないところを助けていただいて──お礼と言っては何ですが、これをどうぞ」
ダイキの脳裏に、そんな言葉とともに、薬草3つを手渡される絵が浮かんだ。確かにそれでも〈イベント〉であることには違いないだろう。
しかし、思い切って踏み込んだオチがそれではあまりにも切ない。そのまま放置するわけにもいかず、落胆したまま、ダイキは3人の前に立ちはだかる。
「何だてめえは」
言葉を返す気にさえならないダイキ。無言のままさっさと終わらせようとして──出来なかった。
「〈火焔爆撃〉!」
「な──に!?」
魔法である。〈溜め〉は無かった。
完全には躱しきれず、軸にしたダイキの右足をそれは灼く。
痛みとともに、急激に戦いへのそれと研ぎ澄まされていく感覚。だが体勢を立て直す前に、彼は背後から蹴りによる一撃を受けていた。
「馬鹿な──」
後ろを取られた──攻撃そのものより大きいそのダメージ。突っ伏すように前方へ倒れ込んだダイキは、起き上がることが出来ず、僅かに頭を上げたのみ。
「やっちまえ」
雑魚が雑魚らしい台詞を吐くが、それと強さがまったく合致していない。
ダイキは3人に囲まれたまま、まるで弱い者いじめのような殴る蹴るの暴行を受けた。
「待て、待ってくれ」
要所を懸命にガードしながら彼は叫ぶ。それは逃れるための嘆願ではなく、ただこの故を考える時間が欲しい。
しかし敵は、楽しむように笑いながら、手を抜いたそれを繰り返す。
「待てと……言ってるだろうが!」
込み上げる怒りが〈闘魂〉を発動させた。まるで突風に煽られたかのように、3人の男たちが後方へと飛ばされる。
「何だコイツ……急に強くなったぜ」
「まさか手抜いてやがったのか? 俺たちを相手に、命知らずな野郎だな」
男たちが発するのは、確かにやられる前のフラグ。時は満ちたとばかりに、ダイキは全身に漲る力を感じながら、漸く立ち上がった。
だが──顔を上げてすぐ、その表情が固まり、嫌な汗が滴る。
3人の男たち──さっき魔法を使った者でさえ──の体が〈闘気〉に包まれる。それも、まだそれを使えぬ彼にはっきりと視認させるほどの大きさで。
素の状態では分が悪いと踏んでの選択だろう。だが、彼らが闘気を発動したことよりも、敵を知ってあっさりと手法を切り替えたことにこそ〈違い〉がある。
ゲームが始まってからダイキはレベルを上げた。アレキス砦でもほぼ100人を倒した。しかしだからこそ分かった。
──勝てない。
レベルが違い過ぎる。彼らが強いのではなく、ダイキがまだ弱い。彼がここを訪れるには早過ぎたのだ。
行動範囲が広がった途端、安易に新たな地へ足を踏み入れ、思わぬ強敵に遭遇して──あっさりと全滅するRPG初心者のように。
〈闘魂〉が発動した状態でさえ、ひとりを相手に勝敗は微妙。それが2人になれば敗色濃厚、3人なら確実に殺される──。
頭に友人たちの姿が浮かんだ。一方、怯えて身動きすらできない女性は、彼のすぐ傍らにいる。
逃げるわけにはいかない。しかし、ダイキは彼らに勝てない。
認めたくはなかった。敵が強いほど果敢に挑むのが自分という男。敵前で戦意を挫かれることなどあろうはずがない。
それがこんな、名前すら無さそうな雑魚にやられるのか。そんなはずがない。自分は主役たるゲームのプレイヤー。そんなはずが……。
そのとき、理想と現実を行ったり来たりの自問自答を繰り返すダイキを、さらに混乱させる事態が起こる。男のひとりが突然、隣の男を殴り付けたのだ。
殴った男が、もうひとりの男に蹴り飛ばされる。そしてその男も、自分から助走を付けて、近くの岩へと頭をぶつけた。
ダイキは一瞬、彼らの気が狂ったのかと誤解する。
しかし彼らはすぐに立ち上ると、呆然とするダイキを余所に、彼以上に困惑した表情を浮かべながら、「何しやがる」、「お前こそ」とまた仲間内で争い始めた。
視線が動いたことで、ダイキは漸くそれに気付く。少し離れた場所に立ち、しきりに腕を動かすひとりの男──。
年季の入ったローブに身を包み、赤い髪が鋭い刃物のように幾つも逆立っている。その顔には、左半分に何かを象徴するようなタトゥーが──いや、アザがあった。
彼の腕と男たちの動く呼吸が、どう見ても〈連動〉している。まるでアザ男の操り人形であるかのように、彼らは同士討ちを繰り返すのだ。
それは少しずつ激しさを増し、血を流してさえ止めようとはせず──遂にはひとりが気を失った。それでもその男は倒れることなく、首を項垂れたまま、仲間に攻撃を加え続ける。
3人ともぐったりとなった頃合いを見て、アザのある男は右手の拳を握り締めた。それを左側へと動かして制止させると、3人の男たちも棒立ちのまま動きを止める。
そして今度は手を開きながら、号令するようにそれを素早く右へと払う。
次の瞬間、男たちが弾け飛んだ。まるで大砲に詰められて射出されたように、大の男が3人揃って宙を舞ったのである。
そしてかなりの高さまで上昇すると、釣糸が切れた魚のように急に浮力を失い──彼らは地面へ墜落した。
生死は不明だが、そのままピクリとも動かなくなる。
ただその様子を見守るしかなかったダイキ。彼の中で、ぼやけた何かが重なり、次第にそのピントが合っていく。
腕を動かすだけの所作で、闘気を発動した男たちを翻弄し、触れることさえなく撃退した──〈技〉。
「──そうか!」
屈辱的な戦いの経過など何処かへ消え失せ、代わりに、彼の頭にある映像が蘇った。大男をバッタバッタと薙ぎ倒す華奢な老人の姿。
武道に関する知識ならダイキはハルト以上。スキルや魔法による可能性を通り越し、直感的にそれが〈気功術〉或いは〈合気道〉、それらを足した──いやまるで掛け合わせたかのような武術であることを察したのである。
同時に、彼はある思い違いをしていた自分に気付く。強くなることと敵を倒すことは決して同義ではない。
強い者が勝つのではなく、勝った者が強いという理屈。それを時の運ではなく確実に実行出来たとしたら──。
強者を相手にしてさえ、否、敵が強ければ強いほどその効果を発揮する〈技〉があるとしたならば──。
柔よく剛を制す。それこそが彼の求める最強。
「弱えのに出しゃばってんじゃねえよ」
何度も頭を下げ、立ち去った女性を見送ると、男の方からダイキに声を掛けてきた。
「漸く見つけたのに、死なれちまったら意味ねえだろうが」
何のことかさっぱり意味は分からぬが、自分のことで頭がいっぱいのダイキは、その場に膝を着き、惜しみ無くその頭を下げた。
「頼む! どうかその技を俺に教えてくれ」
「ほう?」
値踏みするように、懇願するその姿を見た彼。暫くして、何が面白いのか突然声を上げて笑い出した。
「こりゃ意外な展開だな。無理矢理にでも連れて行くつもりだったのに」
フィンレイと名乗ったその男。彼は驚くほどあっさりと師事を認めた。但しダイキが、彼に『全面的に協力すること』いう条件を付けて。
藁どころか、掴んだのは大木である。このチャンスを決して逃すまいと、ダイキは詳しく尋ねることなくそれに合意したのであった。
恐らく、この世界において特殊な武術の達人であると思われるフィンレイ。師匠と呼ぶにはまだ若い。まだ20代か、せいぜい30くらいだろう。
この地へ来て日の浅いダイキは、その姿を見たことが無かったが、何の因果か彼とは滞在する村までも同じだった。
「強くなりてえならさ、まず何より自分より強い奴とは戦らねえことだ。死んだらそこまで。それ以上強くはなれねえだろ」
村への帰路で早速、その持論を展開するフィンレイ。しかし愚直な弟子は、それを咀嚼することなく言葉を返す。
「しかし漢には、負けると分かっていても引けぬ時がある。弱き者が蹂躙されそうなその前を、黙って素通りできるものか」
それを聞いたフィンレイは、露骨に嫌そうな顔を見せ「まずはそのへんからだな」と溜め息混じりに呟く。
そして──彼らは見た。
無惨なその姿は、人の手によるものではないと一瞥しただけで分かる。恐らく魔物に〈蹂躙〉されたのだろう。
先ほど暴漢から助けたばかりの女性。彼女は境界線まであと少しというところで、物言わぬ亡骸と化していた。




