ハルト編(1) 女軍師と老軍師
灯台もと暗しとはまさにこのことだ。
「強くなる」とは言ってもハルトは軍師。磨くのは知力であって、体を鍛えるわけではない。
この世界の〈外〉から持ち込んだ知識も序盤に関するものが殆どだから、これからは今まで以上に、〈内〉からも情報を得る必要があるだろう。
それを最も効率よく吸収するには、その頂点を極めた者に師事するのが一番。そしてそれは彼以外に考えられなかった。
ジルヴェスター・ベルハイム。〈煌国の四神〉のひとりにして、元アースガルド帝国参謀長。
マティアスも心酔していたというその天才軍師は、何とラナリアにいたのである。
所有制限1人のレアスキル〈神眼〉で森羅万象を見通し、その策謀は外れたことがないとさえ言われるジルヴェスター。退役後、表舞台から完全に姿を消してしたはずだったが、その所在を求めたハルトは、マシューからあっさりとそれを即答された。
街でも村でもないラナリア東部の外れに、尋ね人はひっそりと居を構えているというのだ。
尤もマシューには「行くだけ無駄だよ」とも言われた。彼はラナリアから現役復帰を強く要請されたにも拘わらず、それを頑なに固辞し、そこから一切動かずにいるという。
確かにラナリアの人材に関して、予め得た知識の中に彼の存在は含まれなかったから、そこに住んでいるからと言って──いや、ラナリアに限らず彼は、どの陣営にも加えることができない設定なのかもしれない。
だがハルトには、直接は関与させられずとも、間接的にならその助力を仰ぐことができる自信があった。そうでもなければ、隠遁の身でありながらゲームに登場する理由が無いからだ。
但し、ストーリーの根幹に関わる重要人物であるから、シルビオ司祭のような単なる〈お助けキャラ〉とも違うだろう。進め方によっては味方に、そして敵にもなり得る存在だと予想された。
〈ラスボス〉たるルーファウスと肩を並べる〈彼ら〉とどんな関係を築くか──それによって、戦乱の展望は大きく左右されることになるのである。
そして、ハルトはそこへやって来た。
遠目にうっすらとそれが見えた時、彼には俄に信じられなかった。だが、近付くにつれその確度は高まっていき──いざ目の前にすると、もはや疑いようもない。
瓦葺きの三角屋根に土壁。見晴らしのよい平地に建つそれは、何と木造建築だった。完全に昔ながらの日本家屋──いや、まるで寺だ。高さ2メートルほどの塀に囲まれていて、それにも瓦が乗っている。
ハルトは、彼の原風景とも言えるそれに目眩がするほどの懐かしさを覚え、突然現実へ連れ戻された錯覚にさえ陥った。
西洋をモデルとしたこの舞台では、〈ひっそり〉どころか他に間違えようのないその屋敷。一体どんな趣向であろうか。
暫し呆然としていたハルト。しかしいつまでもそうしているわけにはいかなかった。前を向くと、入り口を求めて回り込むように歩を進める。
そして──反対側から来た彼女とまさにばったりと出会した。少し前にせり出していた門構えによって、お互いに相手が見えていなかったのだ。
「半歩……私の方が先だったわね」
どのくらいの時間か──何となく気まずい空気に沈黙していた2人。最初に口を開いたのは彼女の方であった。
「つまり貴方は、ここで引き返すしかない。そうでしょう?」
「──はい?」
眼鏡の下で目を光らせ、なおも観察するようにハルトを見る彼女。
濃いブルーを基調にした髪を後ろでひとつに束ね、地味なローブを着ている。それはまるで修道女のようだが、重そうな荷物を抱えているため、何となく滑稽にも見えた。
「あの……どういうこと?」
「はあ。10を理解するのに10の説明を要するだなんて──嘆かわしいわ。時間も惜しいし」
彼女は失望を隠さなかった。わざわざ荷物を置き、両手を広げると「やれやれ」と溜め息をつく。
「いいかしら? ここは彼のジルヴェスター・ベルハイム様のお屋敷。そこへたったひとりで、まるで旅行にでも行くかのような荷物を持った貴方が訪れた。
帯剣しているものの華奢で、とても敵意を持った武人には見えない。かといって出入りしている御用聞きにも、まして天才軍師を『我が陣営に』と誘いに来た役人になんて、もっと見えない。
つまり貴方は──その勇名を頼りに弟子入りを志願しに来た、未来の軍師を夢見る少年ってわけ」
渋々だったわりに彼女は饒舌で、且つ得意気だ。滑舌もよく解説を続ける。
「でも、貴方にとってとても残念なことに、そこへ先んじて私が現れた。先に来た方が先に訪ねるのが道理よね。
私が〈弟子入り〉するから、貴方にはその道が閉ざされる。よって貴方は引き返す以外にない。──分かった?」
彼女もまた、弟子入り志願者だった。ズレてもいない眼鏡の位置を直すと、満足そうにハルトの反応を窺う。
振られた以上仕方なく、彼は応じた。
「どうして貴女が弟子入りすれば、僕はダメなのさ。2人とも弟子になれるかもしれないだろう」
(または、貴女がダメで僕だけそうなるとか)
ハルトは、ここへ来た目的については否定しなかった。その反応を予想していたのか、彼女はニヤリと口角を上げる。
「これまで一体何人がそれを志願し、断られてきたと思う? それは彼が、世を憚り静かに隠棲したいからだと言われてるけど、私はそのお目に適う者がいなかっただけだと考えてるの。
それを覆す者が同じ日、それもほぼ同時に現れるなんて──確率論的にあり得ないわ。頂点たる彼を継ぐ者はひとりいれば充分だから、私が弟子になれば募集は締め切り。悪く思わないでね」
勝ち誇ったようなその顔。彼女の弁は堂々としていて、自分が弟子入りを断られるという想定など微塵もないようだった。
だがハルトも、勿論そんな理由で引き下がるわけにはいかない。彼女は「時間が惜しい」と言ったがそれは彼とて同じこと。彼は彼のやり方で話を前に進めることにした。
「それを見極めてくれるのは彼の天才軍師なんだし、僕もせっかくここまで来たんだから──細かいことは気にせず一緒に行こうよ、ルディ」
「あら、何てこと。直接ノーと言われるショックを和らげてあげようとしたのに──」
そこまで言って彼女ははっと気付く。少年は確かに彼女の名を口にした。
「ちょっと待って。貴方、今──」
「へえ、〈大いなる軍配〉なんて軍師らしくていいね。確か伝令を使うことなく部隊に命令を伝える、Bランクのスキル──だったっけ?
ちなみに僕はハルト。宜しく」
そう──確率論的にこの出会いが偶然なはずはなかった。恐らくここを訪れると発生する〈イベント〉なのだ。そう理解したハルトは自己紹介を欠かさなかった。
一方、ルディと呼ばれた女性は唖然としたが、さすがに軍師を志す者。すぐにその理由に辿り着く。
「読心術──の類じゃないわね。スキルまでとなると、まさか〈看破〉!」
答える代わりに、ハルトはにっこりと微笑んでみせた。
自身の持つスキルより取得条件が厳しく、所有者も絞られるAランクのそのスキル。それを、どう見ても年下の少年が持っている。
非論理的な思考プロセスを好まぬ彼女に「信じられない」という言葉はない。実際にこうして、それを見せつけられたのだから。
「──成程。伊達にここへ来たわけではないようね。でも優秀なスキルだからってそれに頼ってばかりじゃ、いずれ痛い目をみるわよ──ハルト君」
そのスキルを所有し、さらに使いこなしている──それだけで素養としての証明は充分だった。
ルディは、会話はこれで終わりとばかりに門をくぐろうとする。
「何してるの。グズグズするなら本当に置いていくわよ」
どちらがその弟子として相応しいか、ジルヴェスター本人にその判断を仰ぐ。
ルディは少しだけ悔しそうな表情を見せたものの、門前で払うべき相手ではないと頭を切り替えると、彼をそう誘う。
(どうやら、思い込みが激しいだけの人じゃないみたいだね)
ハルトは小さく息を吐き、門の向こう側へ消えた彼女を追った。
塀の中に小さく切り取られた光景は、予想に違わぬ、手入れも行き届いた日本庭園であった。燈籠に鹿威し、枯山水にぽつぽつと浮かぶ庭石は、仰々しくも寂しくもなく、自然な風景を想い起こさせる。
どれもかなりの年代物らしく、あちこちに傷が見られ、建物自体も古い木材と新しいそれが入り交じっていた。
「おや──お客様ですかな」
彼らを出迎えたのは、好好爺然としたひとりの老人。彼は和装に身を包み、竹箒を手にしている。この見事な庭園の清掃に励んでいたのだろう。
彼らが用向きを伝えると、「主はどなたとでもお会いになります。ですが首を縦に振られたことは一度もございません」とハードルを上げてくれた。
彼らは老人に先導され、靴を脱ぐと、畳張りの一室へと落ち着く。いろいろと珍しいものが多いのだろう、ルディはしきりにあたりを見渡し、所在なさげにしていた。
程なくして、声かけすら無く唐突に襖が開く。その姿を見て──彼らは仰天した。
「若いな」
家の中だと言うのに漆黒の鎧を纏って現れたその男。それは西洋鎧で、部屋の雰囲気にはまったくそぐわない。
びしっと背筋を伸ばした佇まいは、まるでどこかの国の騎士のようだ。白髪のその頭が見えていなければ、年齢を誤認したかもしれない。
何より目を引くのは、左目の上から下にかけて走る古い縦傷。だが視力は失われるどころか、その鋭い眼光が容赦なく彼らを見下ろしていた。
「ジルヴェスター・ベルハイムだ。用件を聞こう」
男は簡潔にそれを促すも、ハルトたちは暫し言葉を発することができなかった。
その生涯の殆どを戦乱の中で過ごし、幾多の敵と相見えながらも生き抜いてきた、確かな迫力──彼らはそれに圧倒されたのだ。
「僕は──」
「私はルディと申します。こちらはハルト。たまたまそこで会っただけで、特に関係はございません」
やがて意を決したハルトを、滑らかにルディが遮った。彼は思わず、隣に座した彼女を見る。
(僕の分まで喋るなよ──それもついでみたいに)
「ジルヴェスター・ベルハイム元参謀閣下の、神にも例えられる博識と知略を聞き及び、師事を志願するべく参りました。この者も同様です」
(だから、付け足すなってば)
ハルトは苦虫を噛み潰す。鎧の男は何も語らず、彼らと対面するように着席すると、ようやく短い言葉を発した。
「志すその理由は?」
「それは……」
ハルトと出会ってから初めて、ルディは言い澱む。このまま話を進めるべきか躊躇したのだ。
それによってハルトはようやく先手を取ることができた。
「それは直接、ベルハイム元閣下にお伝えするわけにはいきませんか」
「──何?」
男は眉間に皺を寄せ、その強面がさらに恐ろしい顔になる。
だが強面合戦ならクレイグに軍配が上がるだろう。ハルトは物怖じせずに続けた。
「ですから、ベルハイム元閣下と直接お話がしたいのです。挨拶程度なら、さっき済ませましたけどね」
「小僧……何が言いたい」
「貴方はジルヴェスター・ベルハイムではない。そして先ほど庭を掃除していたご老人とお話がしたい、と言っているのです」
不敵な笑みさえ浮かべ、あろうことかハルトは、殺気だけでも人を殺せそうな眼前の男を睨み返したのである。
〈ジルヴェスター〉はそれに臆するどころかより凄味を増して、黙ったまま先を促す。ハルトは発言の故を問われているのだ。
「元閣下──閣下でいいですか──は、その代名詞とも言えるSランクスキル〈神眼〉をお持ちです。それは僕の〈看破〉を超える、上位互換のような能力でしょう。
その閣下が僕たちの姿を見て『若いな』、すでに庭にいたお爺さんに伝えたはずの『用件を聞こう』──あり得ません」
ほんの僅かだが、男は後ろへ仰け反った。
「付け加えるなら──その容姿です」
この男を前に否定の論破を展開することは、さすがに恐ろしい。しかし負けてはいられないと、ズレていない眼鏡を直すとルディが割って入る。
「建物に庭園──これほど東洋の美にこだわっておられる御方が、ご自分の服装にだけ西洋の鎧を選ばれることが解せません。先ほどのご老人でさえ東洋のそれを着ておられました。
その庭園ですが、一見、綺麗に保たれているものの、よく見るとあちこちに傷があります。とうろう──と言うのでしたか? それや庭石、門にも修復した跡がありました。
それらはついた時期もバラバラなら、剣、槍、矢──魔法によるものまで理由もバラバラ。それはつまり、そこで何度か争いがあったことを意味します」
話が途切れる隙を窺い、人指し指を口許に当てていたハルト。続きは彼だ。
「それは、自らの陣営へ引き込む交渉が決裂した結果か、初めから閣下の命を狙ってやって来た何者かとの戦闘でしょう。仲間にできない──それは敵になる可能性があるということ。閣下を敵に回すくらいならいっそのこと──というわけです。
街や村から離れ、こんな不便な地に住んでいるのも、他の人たちを巻き込みたくないから。それに……」
「平地である。これは下手に山奥などに隠れるより、敵の所在、規模を明らかにする効果があります。
いつ襲われるか分からない状況、且つ決して防御力が高くはないここで、外への警戒心は強いはず。なのに、待ち構えていた様子もまるでなく──中へ入って来るまで、そのご老人は私たちに気が付かなかった。
私たちが見かけによらない刺客だったとしたら、既に命を落としています。それはつまり──」
「気が付かなかったんじゃなく、そのフリをしていただけだということ。
何故なら彼こそがジルヴェスター・ベルハイムその人で、〈神眼〉を使って来訪者をチェックしていたからこそ、特に構える必要が無いと分かったんです。
見知った人間がここを訪れる可能性も高いはずだから、そうするのが一番確実、且つ効率的でもあるはず。
『どなたとでもお会いになります』──真っ先に会うんだから、当然だね」
一瞬の間が空き──互いに譲らないハルトとルディは顔を見合わせ、火花も飛び散らんばかりに視線をぶつけた。
「ふむ。面白い」
そう言っておきながら、まったく面白くなさそうな憮然とした表情のまま、ジルヴェスターであることを否定された男は、まだ充分でないとばかりに反論に出た。
「小僧、〈看破〉を使えると言ったな。ならば分かるはずだ。この私こそが、この世にひとりしか持てぬ神眼を会得していると」
「ああ、そのことですか」
しかしハルトは、あっさりと受けて立った。それを持たないルディは、悔しそうに唇を噛む。
「確かにそれは貴方が持ってる。対するお爺さんは、ごく〈一般的なお爺さん〉のスペックしかなかった。
でもそれが本当に見たままなら、そんな戦えもしない人を危険な目に合わせていることになるから、さっきの推論を助長するだけ。──つまりそれは〈偽造〉ですよ。
せっかくこんな〈試験〉を用意しているのに、スキルで簡単に見破られたんじゃ意味がないですしね。ただ、お爺さんはそれでいいとして──僕のレベルで閣下のスペックを見破れるなんて不自然だから、それは寧ろ僕たちへのヒントなんでしょ?」
「……参ったな」
男は遂に認めた。それと同時にその厳つい顔をたちまち破顔させ、まるで別人のような表情を見せる。
「降参です。たいしたものだ。──ジル様、やはり私では手に負えません」
「もうよい、ヘルマン」
再び襖が開き──そこに彼は立っていた。
庭を掃いていた好好爺。そのときの面影などもはや微塵もない。
少し黒の入った白髪をぎゅっと後ろで括り、口髭と顎髭がバランスよく整えられている。皺が刻まれた分だけ増したような、隠遁による衰えなどまったく感じさせぬ精悍な顔つき。
その眼は鋭利な刃物のように鋭く光り、何ものをも見逃さぬと宣言しているかのようだ。
一瞬だがハルトは、ヘルマンというらしい鎧の男と老人の、中身だけが入れ替わったのかと本気で疑った。
「下らぬ茶番に付き合わせた詫びだ。直接、話を聞く時間を取ろう」
今度こそ本物の、ジルヴェスター・ベルハイムの登場であった。