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【間章】帝都に咲く花は未来を憂う

 一面に咲き誇る花。優しい風がそれを踊らせ、春を想わせる陽の光が、豊かな色彩を包み込むように照らす。


「まあるい、おやまの、そのさきは──」


 池の(ほとり)からは無垢な歌声。まだ年端もいかぬ子どもたちの輪ができている。

 その中心に座るひとりの女性。不意に強くなった風が、その淡い緑色の髪をさらさらと撫でた。


「見て、花冠! 上手にできたでしょう」

 少女が差し出すそれを、まるで女神のように、柔らかい眼差しで受け止める彼女。

「まあ、ほんと。うふふ、私のよりずっと綺麗」


 太陽と、その周りを巡る星たちを、人の影に落としたとすればこんな形であろうか。

 いつまでもそうあって欲しいと願うのは、恐らく不条理なこと。彼らには未来(さき)があり、明日へと続く瞬間(いま)だからこそ、儚くも美しい。


 だがそれは──作られた光景。作られた日常。作られた平和。

 一陣の冷たい気配(くうき)とともに 、(もろ)く壊れる。


「やはりここにおいででしたか。──失礼。ノックはしたのですが、さすがにここまではね」

 歌声や歓声はぴたりと止み、子どもたちが怯えたように散開する。


「場所を変えましょう。ここではお茶を出すこともできませんから」

 彼女は顔を上げると、微かな笑みでそう応えた。それは皮肉ではなく、文字どおりの意味である。


 世界から隔絶された、偽りの空間においてさえその心を失わない。

 彼女──リーザ・レイアース皇女とは、つまりそのような人物であった。


 ──────────


「まだお気持ちは変わりませんか」


 部屋に落ち着くなり、彼は本題を切り出す。リーザには、小手先の駆け引きが通じぬことを承知した上でのことである。


「あら、何だったかしら。ごめんなさい、物覚えが悪くて」

 紅茶を注ぐ手をわざわざ止めて、彼女は振り返る。


 これが故意に惚けた話術であったなら、どんなに楽な相手だっただろう。彼は辛抱強く言葉を繋ぐ。


「空席となったままの皇位を継ぎ──私をその皇配とすることです」

 比喩は要らぬ。彼は端的にそれを告げた。


 彼の名はクライド・シュトラー。〈狂黒の乱〉の首謀者で、新生アースガルド帝国を率いる、ルーファウスの嫡子である。


 まだ21歳と若い。父譲りの長身で痩せ型。黒い長髪を後ろへ流しているが、その一部は顔にかかったままだ。

 そこから覗くのは端整な顔立ちで、切れ長の鋭い目は、その思慮深さを窺わせる。


「もはやこれ以上、父を抑えることは敵わないのが正直なところなのです。

 何があったのか──先日の襲撃事件以来、父は変わってしまった。このままでは、あれほど躊躇(ちゅうちょ)していた自らの即位を断行しかねない」


 配下の者を手にかけることさえ(いと)わず、この時代を熾烈に切り開く男。そんな父を強硬派とするなら、クライドは穏健派と言うことができるだろう。

 彼の存在によって、恐怖という鎖でしか繋がっていない新生帝国が、バランスを保っていられるのだ。


「それはつまり、貴女の身を危うくするということ。どうかお聞き入れ願いたい」


 彼は真摯に説得を試みるものの、それは〈脅迫〉と受け取られても仕方がなかった。


 10年前、まだ8歳だった彼女から、皇帝たる父を始めとする家族を、自由を、そして未来までも奪ったのは他ならぬ彼らである。

 真意がどうあれ、彼はルーファウス陣営の、しかも中核を担う男。「彼女のため」などと言っても、それが彼の口から発せられる以上、詭弁でしかない。


 だが確かに、その10年前ならともかく、他国の懐柔が不要なほど勢力を拡大した彼らにとって、リーザが即位するか否かは、既に大きな問題ではなくなってきている。

 ルーファウスが皇帝を名乗れば、もはや彼女は用済み。彼女の命を繋ぎ止めるには、他に方法が無いのも事実であった。


 リーザは困ったような顔で言う。

「その件なら、もう何度もお断りしたはずです」


 予想できた答えとはいえ、クライドは紡ぐべき言葉の糸を切らす。

 リーザの拒絶は憎悪に起因しない。彼にとって非常に厄介なことに、彼女には一切の敵意が存在しなかった。それによって強引に事を運ぶことも、切り捨てることも(はばか)られる相手なのだ。


「私が皇帝になること──たとえそれが傀儡(くぐつ)であっても、それで戦乱に終止符が打たれるのであれば、喜んでそれに従いましょう。ですが今となっては、それで誰も矛を収めたりはしない──父君に逆らい無理にそれを進めれば、(むし)ろ貴方のお立場を悪くします」

「しかし……」


「このアースガルドに吹く新しい風──蒼く輝くそれこそが戦乱を終わらせ、疲れた人々を真に癒すでしょう。それに(さら)われるようにもうすぐ──消えていなくなる私が、即位なんて以ての外。

 その風は間もなく訪れます。私はただ、それを静かに待ちたいのです」


 クライドは目を細める。リーザの言葉は詠うようにようになめらかで、それでいて力強く、確信に満ちていた。


 さらに説得を続けようと口を開きかけるクライドだったが、何かに気付くとドアの方を一瞥する。


「来たばかりだというのに──。申し訳ありません、今日のところはこれで失礼します」


 結局出された紅茶にひと口もつけぬまま、クライドは慌ただしく席を立つ。

 そしてドアを開け、少しの間を置いて振り返ると──それまで決して尋ねまいと思っていた疑問を、遂にリーザへとぶつけた。


「貴女は……我々が憎くはないのですか」


 彼女は一瞬きょとんとしたが、すぐににっこりとした微笑みを見せると、優しい口調で返す。


「憎しみが生み出すのは新たな憎しみだけ。そうではありませんか?」


 それも、予想していた答え。


「私には……理解できかねます」

 クライドは、敢えて彼女の目を見ようとはしなかった。


 ──────────


 部屋を出た彼は、空室であるはずのドアを躊躇(とまど)いもなく開けると、中へと踏み込む。


 誰もいないかに見えたその部屋。しかし後ろ手に閉じたドアに、ひとりの男が寄りかかっている。

 クライドは驚きもせず、彼の方から静かに語りかけた。


「ノエル──何の用だ」

「つれないね。親友に会うのに、いちいち用事を作らなきゃダメかい?」


 ノエルと呼ばれたその男──髪はクライドとは対照的に白く、それによって片目が覆われている。だがそれは老齢によるものではなく、歳はクライドと変わらない。


「皇女との語らいを邪魔する程だ。何かあったのだろう?」

「箱庭の皇女か──相変わらず熱心なことだね」


 ノエルは顎に手を当てクスリと笑うと、訊かれたことには答えず、質問で返す。


「それで──〈語らい〉とやらの成果は?」

「新しい情報だ。戦乱を終わらせる新しい風──それは〈蒼く輝く〉。そして〈間もなく〉訪れる」


「へえ」

 興味深そうにノエル。


「確かこれまでは、戦況を変える何かが現れ、皇女が消える──つまり〈死ぬ〉ことだけだったね」


 ノエルはわざと語尾の方を強調した。クライドは眉間に(しわ)を寄せる。


「リーザのあの力──我々には貴重だ。残念ながら父上はそれに関心を示されていないが、まだ失うわけにはいかない」

「それだけじゃないだろう」


「無論。彼女にはまだ少なからず影響力もあり──あの(・・)父上が皇帝を名乗られれば、それが曖昧な現在より求心力が低下するのは必至。やはり彼女が皇位につくのが、形としては一番いい」

それだけじゃ(・・・・・・)ないだろう(・・・・・)


 同じ言葉を繰り返したノエル。暫しの沈黙が2人の間を流れる。


「──他に何がある」

「失礼。如何に親友とはいえ、未来の皇帝陛下には少々過ぎた真似だった」


ノエルは半身を折り、腕を添えて頭を下げた。


「……まあいい。それで?」

「〈鉤爪(かぎつめ)〉が死んだ。──いや、それは正確じゃないな。奴の〈死の制裁(ラスト・コマンド)〉が作動した。恐らく捕縛されたか、それに近いところまで追い込まれたんだろう」

「あの卑劣な小男か。それがどうした」


 新生帝国が誇る大規模な諜報機関。中でも〈鉤爪〉の所属する特殊諜報部、〈梟の巣(アウルズネット)〉は、敵国に対して機密情報の収集や工作を仕掛ける精鋭部隊であり、上層部とも深い繋がりがあった。

 (もっと)も〈鉤爪〉は、姑息な手段を好み自己保身を第一に考える小物だったから、彼らにとってその損失はたいした痛手ではない。


「奴の死んだ〈場所〉が問題でね。諜報部が奴に探らせていたのは──ラナリアだ」


 表情こそ変えなかったが、クライドはそれだけですべての意味を察した。

 経済力では新生帝国にひけを取らぬラナリア。だが、平和に慣れた彼らとは、戦力として見ればその差は歴然である。

 ジェラルド・ルーベルク大公爵以外に、主だった者の名を挙げることさえ難しい。間者の侵入も容易いその国で、〈鉤爪〉がその存在に気付かれ、まして捕らわれることなど、これまでの彼の国では考えられないことだった。


「他国の優秀な間者と、遭遇戦になっただけかもしれない。けど、もしそうじゃないなら──」


 戦端が開かれて10年。人々が、特に世の権力者たちが切に待ち望むその存在。

 〈蒼く輝く〉それは〈間もなく〉訪れる──。


「その理由が気にならないかい?」

 ノエルは薄く笑った。

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