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手が出せない問題

 もぞもぞ。


 過眠気質のソーマである。しかし深手を負ってからというもの、殆どの時間をベッドの上で過ごしていた彼は、これまでには考えられないほど目覚めがいい。


 もぞもぞ。もぞもぞ。


 だから背中に〈それ〉を感じたとき、彼にはすぐ、絶好のチャンスが到来したと確信することができた。おとなしく寝息を立てるフリをしながら、静かに時が来るのを待つ。

 そして──。


「今度こそ捕まえたぞ──」

 布団の中で鮮やかに反転し、


「ロイ……いいいっ?」

 絶叫する。それはロイのイタズラに換算して100回分以上の衝撃──彼には、自分の口から心臓が飛び足す絵までが見えた。


 黒い前髪から覗くあどけない顔立ちと、その華奢な体。彼の寝所に無断で侵入していたのは、ロイではなく──ルウだ。


「んん……」

 まだ幼さの残る声ながら(なまめ)かしく呻き、彼女はうっすらと目を開ける。


「あ。ソーマ……おはよう」

「おは……おはおは」


 思春期の彼にとって、それはまさに〈事件〉クラスの出来事。


「おはよう──じゃねえ! 何でこんな所にいるんだ!」


 かばっと布団を跳ね退けると、文字通りソーマは飛び起きる。鋭く空中で一回転しベッドの傍へと着地。剣士としての補正と、連戦によるレベルアップがそれを可能にしたのだ──が今はそんなことはどうでもいい。


「起こしにきた……」

「寝てただろうが! 一緒に! 隣で!」

「……そう言えば。何で?」

「知るかっ?」


 動揺の激しいソーマとは対照的に、ルウは落ち着き払っていた。

 いや、それがルウにとっての〈普通〉である。(むし)ろソーマは、彼女が妹以外に初めて関心を示した人物だから、これでも少しは興奮している方なのだ。


「妹は──レベッカはどうした?」

「今日は司祭様の所に行く日だから」


 その言葉でソーマは思い出した。陰謀渦巻くこのラナリアで、不幸にもその犠牲者となってしまったレベッカ。彼女にかけられた魔法を解いたのが、シルビオという名のその司祭である。

 今日はその経過観察ということで、教会へ行く予定になっていた。但し彼女を連れて行くのはルウではなく、既にそこへ通い、治癒魔法の訓練を開始していたリゼットだ。


 というのも、ルウは教会が苦手だった。正確に言えば彼女にその自覚があるわけではなく、闇属性である彼女は、光属性に近いそこに足を踏み入れただけで気分が悪くなるのだ。

 レベッカは心優しいリゼットによく懐いたし、ルウもまた、ソーマ以外の人間にも少しずつ心を許していった。彼らは皆、それまでに彼女が接してきた人間とは、同じ生物とは思えぬほどに、何もかもが違うと感じたのである。


 かといって彼女はそれに甘えているわけではない。ごく普通の子どもとして過ごすことを許されなかった彼女にも、自分のしてきたことが、決して消えることのない〈罪〉であることは理解できている。

 どうすればそれを償えるかは分からないし、そもそもそんなことは不可能かもしれない。

 しかし『これからをどう生きるかだよ』と温かく彼女を迎えてくれた彼らのために、何かがしたい。ただその想いだけに強く突き動かされていた。


 そして彼女なりに、それを実行に移した──その結果だったのだが。


「朝っぱらからうるさいぞ、ソーマ。ちょっと元気になったからと言って──え?」

 部屋に入るなり、その光景を見て固まるダイキ。ルウはまだ、ベッドの中で半身を起こしているだけである。


「やけに騒がしいね。せっかくの静かな朝が台無し──ぶへ?」

 そしてハルト。彼のそんな声が聞けるのは貴重な体験かもしれない。


「お前……いつの間に」

「俺たちの中で一番遅れを取っていた……はずではなかったか」

「違うっ!」


 全力で否定するソーマ。彼とて何が何やら分からなかった。

 横目でルウの様子を窺いながら、気まずそうにハルトが言う。


「朝食後はそのまま会議の予定だから──今のうちに話しておきたいことがあったんだけど」

「だから違うっての。ほら、ルウ」

「え?」


 彼女に空気を読むことは、まだ難しかった。きょとんとした表情で、なおもベッドから下りようとさえしない。


 仕方なくソーマは実力行使に出る。あくまでも優しく、ルウの腕を掴み、外へ連れ出そうとした──まさにその瞬間だった。


 世界が暗転した。


 ソーマはルウが何かしたのかと誤解する。確かに掴んだはずのその腕が、微動だにしなかったからだ。


 しかし異変は彼女だけでなく、その部屋の中すべてに──いや、彼とその友人2人を除くすべてに起こっていた。

 視界が突如モノクロに変化し、朝の光に目が慣れた彼らを一瞬暗闇へ誘ったのだ。だがすぐに視力は回復し、それによってさらに彼らは驚愕する。


 ルウが、ソーマに引っ張られた姿勢のまま、固まっていたのである。


 それが故意でないことは、一瞥しただけで分かった。彼女の髪までも不自然に、ふんわり浮いたままなのだ。布団も剥がれかけた状態で制止(・・)し、重力に逆らっていた。


「敵──」

 ソーマとダイキがほぼ同時に身構える。だが、すぐにその理由に辿り着いたハルトは、自分でも気付かぬうちに大声で叫んでいた。


「〈外〉──繋がったのか!」


『おい、聞こ……か』

 何やらノイズ音が酷く途切れ途切れ。しかしそれは、3人ともに確かに聞こえた。

 ハルトが絶叫に近い声で問いかける。


「もしもし? 柴崎さん──柴崎さんですよね」

 応答はあるが何を言っているのかまったく聞き取れない。分かるのは〈外〉でも慌てていて、大声で何かを訴えていることだけだ。

 それでもハルトは素早くメモを走らせる。


『すまな……不測の……。これは単なる‥‥ミング上の問題……。……らく、産業スパ……工作か……テロ。いずれかによるウィルスの侵……考えられる。

 それによって……セーブ、ロー……中断さえ不可……。この状況で……終わらせれば、君たちを……回収できるか……。

 いいか。とにかく……を避けるんだ。必ず助け……。だからもう少し……くれ。こっちの君たち……既に医療処置……大丈夫だ。

 次にいつ交信が……分からない。だからもう一度言う。ゲーム……なるな。できることなら』


 そして唐突に、それは途絶えた。と同時に、空間モニターさえも、すっかり消え失せてしまっている。

 それでもハルトは諦めずに、何度となく虚空に向かって呼び掛けるが、静寂が返って来るだけだった。


「おい……何だ、今の」

 何となく聞いてはいけないことのような気がして、恐る恐るソーマが尋ねる。

 ハルトはそれには答えず、人差し指を口許にあてたままメモに視線を落とした。時々そこに何かを書き足しては、また考え込む。


「そんな馬鹿な──サイバー攻撃(・・・・・・)だって? 確かにこのゲームが発売されたら、業界には激震が走る。でも、だからこそ機密保持には相当の予算を投じていたはずだ。そんな簡単に……」


 それは思わず声に出ていた。ソーマとダイキが心配そうに、しかしそれを邪魔してはならないかのように、黙ってその独り言を聞いている。


 それに気付いたハルトは、やがて意を決したように語り出した。


「すまない、不測の事態だ。これは単なるプログラミング上の問題ではない。恐らく、産業スパイによる工作か──サイバーテロ。いずれかによるウィルスの侵食だと考えられる。

 それによってゲームのセーブ、ロードはおろか中断さえ不可能だ。この状況でゲームを終わらせれば、君たちを無事に回収できるかどうか分からない。

 いいか。とにかくゲームオーバーを避けるんだ。必ず助け出す。だからもう少しそのまま我慢してくれ。こっちの君たちについては、既に医療処置を取ったから大丈夫だ。

 次にいつ交信が可能になるか分からない。だからもう一度言う。ゲームオーバーだけにはなるな。できることなら……。

 ──細かい点は違ってるかもしれないけど、だいたいこんな所だろう。意味は合ってると思う」


「お前……すげえな」

 肝心な内容の前に、まずそれに驚いたソーマであった。


「英語の虫食い問題を試験に出す所さえあるからね。その対策が役に立った──と言いたいところだけど」

 ハルトは暗い表情で(こうべ)を垂れた。


「ごめん。実は前兆ならあったんだ。これまでなかなか機会が無くて──ちょうど今、その相談をしようと思ってた。

 バグがどんどん酷くなって、通信のとおり、今僕らは完全にこの中に閉じ込められているんだよ」


「何だと! ──では、俺たちはどうなるのだ」

 ダイキが鋭く詰問する。ハルトはこのゲームに彼らを誘っただけで、この事態に対する直接の責任はない。それが分かっていても、他に尋ねるべき者がいないのだ。


「僕にも分からない。本来ならそろそろ中断して、現実(あっち)の僕たちにも休憩が必要な頃だ。

 ただ、柴崎さんは『医療処置を取った』と言ってた。あそこには病院並みの設備が揃ってたし、実際に被験者の体調を管理しながらのプレイだったから、それは信じてもいいだろう。何かあってもすぐに病院へ搬送してくれると思う。だけど──」


 ここから出られない。


 その可能性に先んじて触れていた彼は、あとの2人が受けた衝撃よりいくらかマシだった。しかし改めて、それを事実だと突きつけられたことによる動揺は大きい。

 それでもハルトは、努めて冷静に、前を向いた発言を試みる。


「この状態でゲームを終わらせるとどうなるか分からない──とも言ってた。中断以外にゲームを終わらせる方法は、クリアするか、ゲームオーバーになること──この2つしかない。

 クリアは自発的な行動だからともかく、問題はゲームオーバー。それを避けるには、セリム勢力が健在で、且つ3人とも無事である必要がある。逆に言えば、それさえ守れば少なくとも現状を維持できる──僕はそう解釈した」


 ここまで、思わぬ事態に遭遇しながらも、何とかゲームオーバーにならずに進めてきた彼らである。

 しかも、ラナリアの内戦を鎮めたことで、今は比較的落ち着いた状況──たちまち危機が切迫しているわけではないから、その言葉で僅かながら安堵できた。


「ただ、ひとつ気になることがある」

「『できることなら』──の先か」


 ソーマも同じところに引っ掛かったらしく、メモを覗き込みながら言った。


「うん。いったい何だろう。『ゲームオーバーになるな』から繋がってるとは思うんだけど、いろいろな予測ができる。

 自然に繋げれば『できればクリアしろ』──かな。だけど、それでもゲームが終了することには違いない。クリアだけは〈回収〉の仕方が異なるんだろうか」


 ハルトは眉間に(しわ)を寄せた。自責の念からか思うように頭が働かない。


 〈外〉との通信が入るとポーズがかかり、プレイヤー以外のすべてが制止する。その間はプレイヤー補正も停止するから、今は軍師ではなくハルト個人として、それを考えなければならなかった。

 この世界において、如何に補正やスキルに頼っていたかを彼は気付かされる。


「とにかく、ゲームオーバーにさえならなければいい。ならば無駄に戦わず、おとなしくしていればいいんじゃないか」

 ダイキは落ち込むハルトの姿を見て、彼に詰め寄るような真似をした自分を反省した。

 だがハルトは、その提案に対し弱々しく首を振る。


「ダメだ。そうしている間にも敵はどんどん大きくなる。こちらが休むと差が広がり、手がつけられなくなって──いずれセリム勢力は滅ぼされる。そうなれば、たとえ僕らが生き延びたとしてもゲームオーバーだ」


「じゃあ、いいじゃねえの。ちょうど面白くなってきたところだし、このまま続けようぜ」

 深刻な問題のはずだが、それを何でもないことのように、あっさりとソーマが言った。


「クリアするかどうかは、そこまでゲームを進めてから、また考えりゃいい。そのうち直るかも知れないだろ?」


 この期に及んであまりに楽観的な発想。しかし、それがハルトには救いとなった。


「なら──予定どおりだね。何も変える必要はない」

 もともと最短でのクリアを狙っていたハルトである。彼は漸く、いつもの微笑を取り戻した。


「僕らは暫く〈別行動〉しようと思う。目的は大幅なレベルアップ。レオニールと1対1(サシ)で戦えるくらいに──それこそ、わざとゲームオーバーにしようとしても、簡単に出来ないくらいに。

 方法なら色々ある。3ヶ月後には、僕らが戦力の筆頭になるはずだ」


 彼らの目的は、単なる〈クリア〉から〈無事に現実世界へ帰還すること〉へと変わった。

 セーブもロードもできないから、もしその方法がクリアすることだったとしたら、それはリロード無しの完全クリアだということになる。


 勿論、不安は大きい。しかし、期せずして大きく(そび)えることになった困難を前に、彼らにとって強力な味方が現れるのである。

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