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帝都の陥落(3)

 ラインホルトは吹き飛ばされた。


 分厚い壁に背中を叩き付けられ、それを砕いてさえ勢いは失われず、遥か先まで転がり続けた所で漸く止まる。


 どれ程の時間か。さすがの彼も暫し意識を失い、気が付いた時には、そこは既に彼の知る王宮では無くなっていた。

 立ち込める白塵と黒煙。その中で煌々と上がる火の手だけが異様な色彩を放っている。争い事どころか生命の気配はまるで無く、まるで突如として現れた別世界へと誘われたようだ。


 だがそれも視界に入るだけで意識には届かない。既に致命的と言ってよい傷を受けていたラインホルトであったが、肩に刺さっていた何かの破片を力任せに引き抜くと、すぐさま起き上がった。


「──陛下!」


 理由や理屈など不要である。その任に就いた時から──否、セノール家の嫡子として生を受けた時から、彼の本能に叩き込まれた鉄の忠誠心が、血に染まるその体を突き動かす。

 至る所に張られた結界によって、爆発の被害は局所的に留まったようだ。しかし、その中心たる議場周辺は瓦礫の山と化しており、かつてそれがあったことなどもはや一切認められない。


 まだ熱の冷めぬそこへ躊躇(ちゅうちょ)なく飛び込むと、ラインホルトは狂ったように皇帝の姿を探し求めた。


「陛下──陛下!」


 そして──。


「へい……か……」


 血まみれの手でそれらを掻き分け、ようやくその中に皇帝らしき〈もの〉を見つけた時──。


 彼は天に向かって咆哮(ほうこう)した。


 突然の終焉。彼の死は、守るべき者の〈前〉でなければならない。そして、それはもう叶わない。


 強烈なカリスマ性で戦乱を収めた初代アルヴィンとは違い、凡庸と揶揄(やゆ)されることの多かった2代目皇帝ヒーゼル・レイアース。しかしその温厚な性格は民に愛され、また誰よりも彼自身が他人に惜しみ無い愛情を注ぐ人物でもあった。

 その優しさには一切の分け隔てが存在せず、笑顔が絶えたこともない。それは任務上ずっと傍にいて、(やや)もすれば敬遠されがちな近衛兵たちに対しても同様だった。

 ラインホルトにとって、そんな彼を守ることは、アースガルドのすべての民を守ることと同義ですらあったのだ。


 その皇帝が──死んだ。否、殺された(・・・・)。それも、彼が守りにつくその中で。


 皇帝に殉ずる為か、或いは責任の故か。彼の手は無意識に剣を抜いていた。しかしその刃を自身の首に突き付ける寸前、それは止まる。


 ──まだだ。まだ死ぬわけにはいかない。


 彼の忠誠心は、守るべき対象の死から目を背けるような生易しいものでは無かった。それがどれだけ不吉なことであろうが、実際にそれを想定し、行動できるだけの訓練を自らに課してつもりである。

 守るべき者が守りたいと願う者──それがまだ生きている(・・・・・・・)なら、万が一にも続きがある。狂うにせよ、自らの命を終わらせるにせよ、すべてはその後だ。


 そう悟った瞬間、ラインホルトの思考能力は急激に目を醒ます。


 これは明らかな〈攻撃〉だ。そして敵の目的はまだ不明である。議場にいた誰か、或いは全員の暗殺で、すべての事を成したとは限らない。

 ラインホルトは懸命に脳内の混乱と戦い、爆発前の状況を思い起こした。皇帝亡き今、この王宮に残る皇族は皇子だけのはずだ。そしてそこには、彼の最愛の娘たちもいるはずだ。


 近衛師団長として、親として。いざという時の行動は決めていた彼であった。

 しかし今は、幸運にも葛藤を必要としない状況である。向かうべき場所に迷いなどあろうはずも無い。


 彼は再び走り出し──最後はその身体を引きずるように、王宮に隣接するその塔へと到着した。


 一般には禁踏である皇族の居住区。賊の侵入を防ぐ為、その塔には地上からの出入り口が無く、中に入るには王宮三階から延びる石橋を渡るしかない。つまりその先にある扉を通る以外、塔の中に入る方法は無い。


 扉には竜を象った彫刻が飾られている。特殊加工した魔石が()め込まれた、その竜の右目は赤、左目は青に輝く。

 それらは扉を含むこの塔全体に結界が張られたこと、そして内部にはまだ被害が及んでいないことを表していた。敵意を自動的に判別し、凶事から内部を守るための〈自動防御魔法〉が働いたのだ。


 敵意をすべて取り除かなければ、もうラインホルトでさえ扉を開けることは叶わない。

 中の声すら届かず、直接無事な姿を見ることも出来なかったが、それは敵の侵入を阻止することでもある。それによって彼は、漸く僅かばかりの安堵と時間を得た。


 帝都が一望できるその橋。まだ止まらぬ血を拭いながら、満身創痍(まんしんそうい)の近衛師団長は街の様子を窺う。


 彼が命を賭けて守った、帝都イシュトリア。アースガルドの長き歴史の中で、唯一他国の侵攻を許さなかった街。そして平和の象徴となったこの世界の中心。

 だがそれは見るも無惨な状態であった。


 爆発からどれほどの時間が経ったのかは判然としないが、既にそこら中に火の手が回り、倒壊した建物も少なくないようだ。何よりそれはまだ終わっていない(・・・・・・・・・)ことが見てとれた。


 それが建物ならば、街並みならば、また建て直せばいい。しかし罪もない人々が逃げ場を失い、その命を散らしていることを思うと、今の彼には唇を噛むことしかできなかった。

 同時に彼は理解する。戦禍が街にまで及んでいるということは、やはりあの爆発──恐らく魔法によるもの──は始まりに過ぎなかったのだ。敵の目的が要人の暗殺だけでなく、この帝都の制圧にあることは明確であった。


 敵は必ずここに来る──そう彼が確信した時、王宮側から響く、耳慣れた人物の声。


「隊長!」


 ルッツが、数名の仲間を率いて現れたのだ。その顔は幾分青ざめている。


「ご無事でしたか!いや、その傷──早く治療を」


 促された兵士たちがラインホルトに駆け寄り──剣を抜いた(・・・・・)


「覚悟!」


 次の瞬間、ふた筋の閃光が煌めく。だが倒れたのは斬りかかった兵士の方だった。

 ひとりは首から、他方は胴から、真っ二つに斬り裂かれている。ラインホルトの手にした剣から、鮮血が滴り落ちた。


(ぬる)い」

「くそっ!」


 3人目の兵士が迫る。しかしまるで予期していたかのように巧みに剣を合わせると、ラインホルトはそれをあっさりと返り討ちにした。

 〈次〉をただ待っている男ではない。ラインホルトは自ら踏み込み、手近にいた不幸な兵士を瞬殺する。そしてルッツが気付いたときには、既に5人目の兵士がその生涯を終えていた。


「──何故だ!完全な不意討ちだったはず」


 ルッツ以下、残りの兵士5名は剣を抜き彼から距離を取る。


「何故?それはこちらの台詞だ。何故(・・)王宮を背にしている」


 ルッツではなく、隣の兵士を静かに睨み付けるラインホルト。その視線に先んじて、剣はその男に向けられていた。


「ここにいるはずのお前が、何故王宮から出てくるのだ、オリバー」


 名を呼ばれた兵士は動揺を隠せない。


「たったそれだけの理由で……」

それだけ(・・・・)だと?笑わせるな。お前たちを鍛えたのは誰だと思っている。小隊長たるお前自身が、持ち場を無人にしてまで成すべきことなど何も無い。

 お前が〈私の知るお前〉なら、その生死に関わらず、ここを一歩も動かぬはずだ」


 彼は容赦なく、部下に斬りかかった。一撃目をかろうじて防ぎ、しかし間髪入れぬ二撃目にあっさりと、オリバーの首は飛ぶ。


「ええい、如何に隊長と言えど手負いだ。討ち取れ」


 ルッツを除く3人が一斉にラインホルトを取り囲んだ。しかし逆に、右に左に容赦のない反撃が兵士たちを襲う。部下の血飛沫(ちしぶき)を浴びるその顔は苦渋に満ちつつ、剣撃には微塵の躊躇も感じられない。

 瞬く間に、石橋の上に生存するのはラインホルトとルッツ、その2人だけとなった。


「──さすがですね。しかし我々はどうしても先に進まねばなりません。そこを……退いて戴けませんか」

「聞けぬ」

「どうしても、ですか」

「何度も……言わせるな。ここだけは通さん。我が命に代えても」


 苦いものでも噛んだような表情で、上官を見詰めるルッツ。


「──その台詞に恐怖を感じるのは初めてです」

「陛下を、仲間を、街の人々を……私は誰ひとり守ることができなかった……だが」


 ラインホルトは悔いるように目を閉じ、剣を握り締める。しかしそれが再び開かれたとき、そこに迷いは無かった。


「悪夢は……ここで終わらせる」


 〈敵〉が動く。そして激しく火花を散らす剣戟。お互いに手の内は知り尽くしている両者だ。


「うおおっ」


 小手先の技など通じる相手ではない。ルッツは防御を捨てた渾身の一撃で上官の頭部を狙った。

 ラインホルトにとっては回避も、切り返しも可能な技──のはずだったが、失血による目眩がそれを妨げる。


「ぐっ──」


 それでも、体に染み付いた戦闘の勘だけで、ラインホルトは何とか直撃を免れた。しかしルッツの剣は彼の右目を(かす)め、その視力を奪う。

 生まれた死角から、さらに放たれる追い討ち──。


 だがほんの一瞬、体を強張らせるようにルッツの動きが止まる。その僅かな隙を突いて、ラインホルトは気配を頼りに剣を一閃した。


「ぐは……っ」


 左の腰から右の肩に抜けたその剣撃。致命傷としては充分だった。時が止まったかのような数瞬の間を置いて、力の抜けたルッツの手からこぼれ落ちる剣。


「隊長……私は……」


 倒れ込むルッツを支えるラインホルト。そのままゆっくりと仰向けに寝かされた部下の目から、涙が伝う。


「何も言うな。良くやった」


 もはや焦点も合わぬその視線を受けながら、彼はその言葉で、片腕たる部下を静かに送った。


 そして込み上げる──怒り。死んだ者たちの遺志を剣に宿すかのように、それを握る力は強められる。

 ラインホルトはここを死地と覚悟を決め、〈真の敵〉から塔を守るため、扉を背に陣取った。


 深い悔恨と、限りない決意。


 陽は既に大きく傾き、夜を迎えようとしていた。

 それはまるで、彼の残された命の灯火を表しているようだった。

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