アレキス砦の攻防
アレキスの砦──それは補給点としての役割を担うことを主とし、戦略上はさほど重要視されていない。
平地にあるため地形に頼った防衛は困難で、砦自体も決して堅固とは言えないほど平凡な造りであった。堀によって囲まれてはいるものの、四方のどこからでも攻めることが可能なのである。
レオニールの情報により、辛うじてそこに先着することが出来た彼ら。常備兵たちに状況を説明した上でそれを統治下に置くと、すぐにハルトが講じた作戦どおりの布陣を敷いた。しかし──。
「いくら何でも、これは無いんじゃない?」
東西南北にそれぞれある跳ね橋のうち、南側だけは橋が掛けられたままになっている。
その上にぽつんと、ひとりの偉丈夫が砦を背に仁王立ちしていた。ダイキだ。
「あの……私もそう思います」
ジュリアやリゼットが心配するのも無理はない。ハルトはダイキを〈壁〉として、一点集中型の防衛策を取ろうとしているのである。
だが彼はいつもの微笑さえ崩すことなく、飄々と言った。
「大丈夫だよ。何より本人がやる気満々みたいだし」
砦の上から彼らが見下ろすと、その視線に気付いたダイキは振り返り、拳を高々と掲げて見せた。
「でも……」
戦と呼ぶには小規模だが、レオニールによれば敵の数は千に上る。砦からの援護があるにせよ、俄に詰めた自軍はせいぜい150。
敵をたったひとりで足止めすることになるダイキの身を案じて、特にリゼットは気が気でない様子だ。
「本当にいいのかい?」
ルーベルク大公から本作戦の指揮を任されたセリムが、彼女たちとは違う理由でハルトに尋ねた。
「ウェルブルグとの盟約が成った今、彼らにここを落とされようが後が続かない。砦から人を逃がした上で、説得を試みる方法だってあるんじゃないか」
しかしハルトは冷たく笑って、
「レオニールも言ってただろう。今ラナリアに必要なのは〈内側の大掃除〉だ。新体制を構築するにせよ、お互いの顔色を窺ってたんじゃ事が進まない。ここは一気に反乱分子を排除するべきだと、僕は考える」
つまりハルトは、ウェルブルグとの盟約について、ボッシュ家へ積極的に伝える気は無かった。彼らが反意を示したことは事実であるから、毅然と討伐するべきだという方針を示したのである。
一度でもそれに背を向ければ民の信頼は失墜し、諸国からも侮られることになるだろう。ここは少々無理をしてでも、謀反には厳しく対処する姿勢と、実際に砦を守り抜く実力を示す必要があったのだ。
もはや軍師としてのハルトに信頼を寄せない理由は無い。セリムは沈黙することで了承の意を伝えたものの、そのまま深く思案に沈む。
彼には、人の上に立つ者としては、自分が甘いという自覚があった。対照的な2人の王との出会い──それによって、自己を省みる時間が増えている。
最後はハルトによって五分に持ち込まれたとはいえ、敵国の王が成した所業にセリムは衝撃を受けた。許可なく謀略に走った彼の部下には、恐らく何らかの処分が下されているであろう。
一方、ラナリアの大公は、ゼルギウスに刺客として雇われたルウの罪を不問にした。それには致し方ない事情があったにせよ、彼女が国家の要人を次々と的にかけたことは紛れもない事実だ。しかしハルトたちの嘆願もあり、恩人たるソーマの命を懸命に繋ぎ止めた件を以て、彼女の身柄をセリムに預けることを彼は決定したのである。
人を処断した男と逆に許した男。どちらも実際に国家と人民を統治し、生殺与奪の権を握る王である。その判断の是非について、彼は彼なりに持論を展開することさえまだ出来なかった。
王たる者の資質──それが果たして自分にはあるだろうか。自身への問いかけばかりが頭から離れない。
「──来たよ」
砂埃を巻き上げながら砦に向けて進む一隊を目に留め、ハルトがやや緊張した面持ちで告げる。セリムはその声にはっと顔を上げると、今はそれどころではないと首を振り、砦の全貌が見渡せる位置へと移動した。
そして大きく息を吸うと、ありったけの声量で檄を飛ばす。
「我が名はマリオス・レイノール。ラナリアの客将として大公閣下より本作戦を預かった。目的はこの砦の死守──皆の者、思う存分功を立てよ!」
若き司令官の鼓舞。それに応じた者たちの歓声が砦を包む。射手は弓を構え、そのやや後方で魔法士たちが集中する。砦の中は急に慌ただしくなった。
北西の方角から現れたボッシュ家の軍勢は、少し速度を上げたのか、みるみる砦に接近して来る。外に敵がいないことを視認すると、的を絞らせないために、彼らはそのまま左右に大きく散開した。
その西側に進路を取った部隊が、先にそれに気付く。
「隊長、南側だけ橋が降りたままですぜ」
「援軍を迎え入れるつもりか。よし、逆手を取ってそこから一気に突入しろ」
視界のよい平地とはいえ、彼らにとってそれは〈奇襲〉であったはずだ。普段は降りたままの跳ね橋が、一箇所だけを残して上がっている理由を、彼らはもっとよく考えるべきだった。
受け手は敢えて溜めを作り、敵が充分に近付いてから矢を放つ。しかし疎らでしかないそれは、彼らが慌てて防衛に出たようにしか見えない。多少の混乱は起きたものの、その程度は予想の範疇とばかりに、敵はそのまま南側へ回り込むように進軍する。
他方、東側に進路を取った別部隊も、同じように矢を躱しながら突き進み、砦の南方で両者が再び合流する形となった。
敵は少しずつ、ハルトの思い描いた絵の中に嵌まっていく──。
「さあ来い!」
格闘家らしく素手のまま、まるで熊が立ち上がって威嚇するときのように、ダイキが両手を上げて敵を出迎えた。
たったひとりで入り口を塞ぐこの少年に、さすがに敵は面食らう。橋を上げる様子もなく、中から増援が飛び出してくる気配さえもない。
「馬鹿が。たったひとりで英雄気取りか」
一瞬だけ躊躇したものの、敵は我先にと孤軍の少年に襲いかかった。だが、その僅かにズレたタイミングから応戦する順番を冷静に見極めると、ダイキの拳が唸る。
「いち!」
一番槍を狙った野心的な男は、不運にも最初の犠牲者となった。顔が歪むほどの一撃を受けあえなく退場する。
「に……さん……し!」
そのカウントに合わせるかのように、敵は次々と彼の拳の餌食になっていく。鈍い衝撃音から少し遅れて、右へ左へと彼らが堀に落とされる音が響き渡った。
敵は皆、武器を手にしている。しかし、ダイキにとってその振りはのろのろと、待ちくたびれるほどに遅く、足技さえ使う必要がないほどに力の差は歴然としていた。
(このままでも問題なさそうだな)
これまで活躍の場をことごとくソーマに譲ってきた彼に、ようやく巡ってきた晴れ舞台である。ハルトは文字どおり孤軍奮闘するその姿を見て、頼もしく思うどころか呆れ果てていた。
「じゅうご、じゅうろく……なな、はち。まだまだっ!」
(けどまあ、あれだけの数だ。さすがにそういうわけにもいかない)
彼の予想どおり、狭い入り口に寄せ手が集中したことで、橋の周りには次第に大きな人だかりが形成されていった。
それを見たハルトは目で合図を送る。
「射手、南方へ集中! 撃てっ」
セリムの号令に従い、一団となった敵の最中へ、今度は大量の矢が一斉に放たれた。前方に詰めていた者は味方に退路を阻まれ、その目標から外れることができない。
この砦の常備兵は、僅かに30人ほどのはずであった。しかしいつの間にか、砦の南側に備えた射出口が、その数では足りないほど、右から左までびっしりと弓隊で埋め尽くされていたのである。
敵は瞬く間に大混乱に陥った。
「くそっ、いったん引け。側面と──北側にも兵を回すんだ」
敵の指揮官はハルトが書いたシナリオどおりの台詞を吐き、そして兵を動かそうとする。しかし、
「ボッシュ家の私兵はとんだ腰抜け揃いよ。たったひとりの敵を突破できず、慌てふためいて逃げ出すぞ」
砦の中から飛ぶ安い挑発に乗って、進む者と引く者が激しくぶつかり合い、敵は移動さえも上手くいかない。
ダイキに、矢に、そして味方の馬にまで踏み潰される中、どうにかそこを抜け出した一団が、やがて砦の東西へと展開した。
「梯子を掛けろ」
この砦の制圧を目的にしていた彼らはそれを用意していた。堀を越えるのに充分な長さがあり、しっかりと砦に届く。
そして重みによってたわむほどに、次々とそれをよじ登り始めた。
「初めからそれを使えっての」
ニヤリと口角を上げながらそれをギリギリまで待ち、再びハルトの目配せ。指示を飛ばすのはあくまでもセリムの役目だ。
「今だ、魔法発動!」
若き指揮官の号令に合わせ、それまで姿を見せなかった魔法士たちが一斉に前衛へ。そして充分な時間をかけて準備していた魔法を放つ。
「〈火焔爆撃〉!」
それは敵ではなく梯子を焼くためのもの。急に足場を失った兵たちは、情けない絶叫を上げながら堀へと転落していく。
そこへ追撃の新たな射手──。
「何だ……一体何がどうなっているのだ!」
敵の指揮官がさらに混乱するのを余所に、涼しい顔でハルトは数字の分析を続けていた。
(砦に先着できなかった場合、防衛の成功率はゼロ。それができたことで30%までは上がった。敵がそのことを知らずに、裏をかくことで45%。〈鼓舞〉のスキルを持つセリムが指揮官だから、命中率その他のステータスが上昇して、60%。
ダイキの壁作戦でそれは85%まで上がるけど──もうひと押ししておくか)
敵から見える位置まで進み出ると、ハルトは周囲の喧騒にも負けないほどの大声を張り上げた。
「内通は既に知れた。レオニール・ヴィンフリート王との密約により、ウェルブルグからの援軍は来ない。
──つまり何をどうやっても、お前たちに勝利は無いんだ!」
それは投降への説得を意図していない。あくまでも敵の士気を下げ、混乱させるのが狙いである。
「何を馬鹿なことを。者ども、かような流言に騙されるな」
負けじと敵の指揮官が叫ぶが、予想を超える兵数に加え、魔法士まで登場したのである。そうでもなければ説明のつかない陣容であるから、兵たちの間に動揺が広がるのを、彼には止めることが出来なかった。
(これで95%──いや、待てよ)
〈看破〉の扱いにも、だいぶ慣れてきた。行動成果率の判定も、作戦自体の勝率に応用している。
(さすがに疲れてきたか)
体力がかなり落ちているダイキ。彼には何か重要な意味があるのだろう、几帳面に数え続けたそのカウントは早くも50を超えていた。
(マイナス5%。仕方ない、あの手を使うか)
ハルトはリゼットを傍に呼んだ。
「下へ降りて、魔法でダイキの体力を回復してくれないか。但し前へ出過ぎないように注意して」
「でも私……上手くできるかどうか」
ソーマが瀕死になった際には、無我夢中でそれを成功させたリゼットである。しかし訓練不足の彼女には、同じことが出来る自信がなかった。
「大丈夫、きっと出来る。軍師が言うんだから間違いない」
不安がる彼女を安心させるように、ハルトは笑顔で言い切った。魔法は使い手の精神力に依存するところが大きいから、その気にさせることが極めて有効なのだ。
それでもリゼットは一瞬の間を空けたが、決心したように強く頷くと、階段に向けて駆け出した。
剣を手にしたジュリアがそれに続こうとするのを、ハルトが慌てて止める。
「ジュリアはダメだよ」
「どうして? あたしも下で戦う」
「だって……怪我してるじゃないか」
ジュリアはルウとの一戦で手傷を負っていた。程度は軽く、手当てもされているものの、確かに万全ではない。
「これくらい大丈夫だってば」
「ダメだダメだ。軍師の言うことはちゃんと聞いてもらわないと」
ぷくっと膨れるジュリア。しかし珍しくムキになったハルトは頑なにそれを認めない。実力者である彼女が参戦した方がより勝利に近付くはずだが、これは規模が小さくとも戦である。彼女の身に何か予期せぬ事態が起こることを懸念したのだ。
一方、千人の敵前へ友人をぽつんと配置したのも、他ならぬ彼なのだが。
「ダイキはひとりで戦ってるんだよ?」
「あいつは怪物だからいいの!」
それはまったくロジックを欠く説得。だがその勢いに負けジュリアが渋々ながら後ろへ下がると、それに満足したハルトは、まさに彼の例えた通りに暴れ回るダイキに視線を落とす。
「ダイキ、リゼットがそっちに行った。すぐ後ろから回復してくれるから、何とか踏ん張れ!」
「リゼットが? ──うおおおおっ!」
その効果は覿面だった。ダイキの持つレアスキル、闘魂──感情の昂りに呼応してステータスが爆発的に上昇するそれが、瞬時に発動したのだ。
リゼットがすぐ背後にいる責任故か、彼女にいいところを見せようというのか──理由はともかく、ハルトの狙いはそれである。リゼットには悪いが回復魔法は言わば〈ついで〉であり、こうなれば魔法が不発に終わったとて特に問題は無かった。
「喰らえ、無限爆裂拳!」
ソーマに負けじと格闘家の少年は〈必殺技〉を繰り出した。──と言っても、正拳をひたすら連打するだけの技である。
(絶対、今思い付いただろ)
ハルトは冷ややかな目でそれを見たが、肝心な威力の方は驚嘆に値した。一撃がとてつもなく重く、盾でガードしようがそれごと吹き飛ばす。
さらにそれを間断なく放つことで、敵が面白いように四方へ散っていった。それはまるで、橋の上に小さな台風が発生したようだ。
(これで100%──カンストだ。答え合わせするまでもない)
ハルトは勝利を確信した。だがもし、先に砦を落とされ、立場が逆転していたらこうはいかなかっただろう。
(攻城戦は守備側の10倍の人数が要るとされる。間に合ったのはレオニールのおかげだから、悔しいけど半分は彼の功と言えるかな)
そのレオニールと、3ヶ月後には戦わなければならない。それに勝利するには何が足りず、どれだけの準備が必要なのか──彼の思考は早くも次へ向けて動き出していた。
一方、指揮系統が乱れに乱れ、もはやまともな戦闘にさえなっていない敵方は、誰もが退却の2文字を思い浮かべていた。
しかし彼らの本拠地は、支城のひとつではあるものの、豪奢なだけのまるで宮殿であるから、そこに立て籠ったところでどうにもならない。
引くに引けず──敵の被害は益々大きくなっていった。
そこにふと、ある光景が加わり、さらに彼らを絶望の淵へと叩き落とす。東の方角から、別の一団が向かって来たのだ。
先頭で華麗に馬を駆るその姿を、ハルト、そしてセリムはほぼ同時に認め、思わず口を揃えて叫ぶ。
「ルシア! クレイグたちも」
頼もしい味方の登場。先駆けする彼らに続いて、怒濤のような軍勢が押し寄せて来る。演習から急ぎ帰還していたラナリア軍が、報せを受けて進路を一転したのだ。
万事休す。指揮官の命令を待つまでもなく、敵は一目散に退却を始めた。
「追撃は彼らに任せよう」
ハイタッチで勝利を祝うハルトとセリム。だがその眼下には、ひとりで喚く少年がいた。
「きゅうじゅう……ご。おい待て、どこへ行くのだ」
そのカウントが正確ならば、ダイキはたったひとりで95人もの兵を倒したことになる。しかし何とも中途半端な数──彼はそれに納得がいかない。
「こら、待てと言うのに──せめて5人だけでも戻って来い!」
散々に去っていく敵の背に向けて、ダイキは無茶な注文を付けたのだった。
──────────
そして時は移り──。
彼らは無事、ラナリア城への帰還を果たした。敵より遥かに少ない手勢でありながら砦を死守し、死者は皆無──完勝である。
今頃は彼らの後を受けた正規軍が、ボッシュ家の居城を取り囲んでいるだろう。
彼らは大勢の者たちに歓声を以て迎えられた。山賊討伐の功を上げたとはいえ、異例の厚遇を受けていた彼らを怪訝に思っていた者たちも、明らかにその見る目を変えた。
〈客将〉マリオス・レイノールなる貴族とその仲間たちは、ここに確固たる地位を確立したのである。
出迎えの中にはグレースやロイ、そして演習から直帰していたマティアスの姿もあった。そのうち、マティアスは帰還した英雄たちの中にハルトの姿を認めると、ぎょっとしたように硬直する。
ハルトがそれに気付いた。
「悪いけど、先に行っててくれるかな」
そう言って兵たちを先に通すと場所を移し、セリム一行だけが城外のあるスペースへと落ち着く。床上にあるソーマ以外の面々が久しぶりに顔を揃えた。
「覚えてるかい? 僕たちがまずするべきことは〈内側の大掃除〉だってこと。彼をこのまま城に入れるわけにはいかないんだ」
ハルトは、すぐ隣にいたセリムに伝えるには不必要なまでの声量で言い放ち、そして鋭い眼光をマティアスへと向ける。
そのマティアスはあくまでも冷静さを装い、ハルトを睨み返すと彼と真正面から対峙した。
セリムにも大きな決断が迫られるときがやってきたのである。




