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一難去って

 足のあたりに感じる、ふんわりとした重み。目を覚ましたソーマは、それに驚いて体を動かそうとするが、まったく言うことを聞かない。


「まだ起きるのは無理だよ」

 声の方に視線を向けると、疲れ果てたような顔で、ハルトが僅かに微笑んでいた。

 彼は少し離れた位置で椅子に腰掛け、窓の外を見ていたようだ。柔らかな朝の光がそこから差し込んでいる。


「まったく──無茶し過ぎなんだよ。闘気に覚醒したとはいえ、そんな体で暴れ回るから」

「え? ……ああ、悪い。心配かけたみてえだな」


 少しずつ記憶がはっきりしてくる。そしてひとつの事象にピントが合った途端、ソーマは突然目を見開き、友人へと問いかけた。


「俺……やっちまったのか」

「ゲームの敵をやっつけただけだ。気にするな」


 答えたのは、ドアを背に腕組みをしていたダイキ。

 表情が豊かな方ではないこの武骨な格闘家でさえ、その疲労の色は隠すことができない。恐らく殆ど一睡もしていないのだろう。


「俺は……人を斬った」

「だから〈人〉じゃなくて、ゲームの〈敵キャラ〉だってば」

 椅子から立ち上がり、ハルトがベッドに歩み寄る。

「お前は誰も殺してない。リセットすれば彼らは元気に復活して、また僕たちを襲ってくるんだから」


 無理に笑いながらの、軽いジョーク。

 とても釣られる心境では無かったが、手に残る嫌な感触を拭い去るように何度か首を振ると、ソーマは気持ちを転換した。


「──このままじゃダメだな。もっと強くならねえと」


 弱いから加減が利かない。強ければ自分を見失うまでに追い込まれることもなく、無用な殺生を避けることもできたはずだ。彼は無理矢理にでもそう思い込もうとした。


「そうだね。そうすれば彼女をもっとスマートに救うことも出来ただろう」


 そもそもこのゲームが、ゲームとしての体裁をきちんと保てていないのが元凶である。

 しかし敢えてそれには触れず、ハルトは自身への反省に転化すると、ソーマの足元に突っ伏したまま寝息を立てる少女に視線を落とした。


「ずっと付いててくれたんだ。この娘がいなきゃソーマは死んでたかもしれないよ。(もっと)も、短時間でそこまで回復したのは、シルビオって司祭のおかげだけど」


 彼らの世界ではまだ子どもと言えるだろう。その恐るべき力故に、大人の事情に巻き込まれて手を汚し、死神と称されるまでになった少女。


 それが作られた設定だとは分かっていても、無邪気な寝顔を見ていると、年も変わらぬ彼らにさえ、ある使命感のような感情が沸いてくる。

 今この世界は、彼らの為だけに(・・・・・・・)存在すると言っても過言では無い。命を落とす者と反対に救われる者──それは彼らの行動次第で明暗を分けるということだ。


「……そうか、こいつが」

「結果的にゼルギウスたちの謀略は防げたわけだけど、展開のスピードにすっかり後手を踏んだ。僕ももっと、軍師としてスキルアップしなきゃね」


 あっさりとセリムの素性がバレたことに端を発する今回の騒動。その後、敵を有利にするアクシデントが発生し、戦いを避けようとした死神とも結局は一戦交えることになった。

 ゼルギウスたち敵キャラだけを相手にしていたのでは、完全な先手は打てない。このゲームの〈シナリオ〉をどう読むか──その重要性をハルトは思い知らされた。


 それに〈看破(スキル)〉のこともある。それは確かに危機の回避を示したにも拘わらず、ソーマは死にかけた。

 ハルトは無事だったからその対象が曖昧なのか、スキル自体の精度が低いのか──まだまだ検証すべき点は多い。


「僕はこのゲームを甘く見てたみたいだ。ここはいったん落ち着いて、じっくり今後の方針を立てるべきだろう。

 だけどその前にまず、言わなきゃならないことが──」


 ハルトが肝心な話に切り替えようとしたそのとき、遠慮がちなノックがそれを遮った。

 傍にいたダイキがドアを開けると、ひとりの従者が手短に用件を告げる。


「お休みのところ失礼します。これから緊急会議を開くので、マシュー様が皆様にもご参加いただきたいと」


「──早速〈次〉が来たね」

 ハルトは溜め息混じりにぼやく。まだ当分休めそうになかった。


 正直なところ、今はそれどころではなかったのだ。システムに何か重大なトラブルが起きているらしいこと──彼にはその対処方法が皆目検討もつかないのである。

 空間モニターの表示は正常に戻っているが、セーブやロードが出来ないのは相変わらず。〈外〉とも連絡がつかない。そのあたりの作業をハルトに任せきりの他の2人は、まだ異常には気付いていなかった。


 今話したところでどうにかなるわけでもないと考え直した彼は、それを取り敢えず後回しにすることに決めた。


「じゃ、僕たちは行くから。ソーマはまだ起きちゃダメだよ。その娘もだいぶ無理してたみたいだから、もう少し寝かせてあげて」


 ハルトとダイキが従者に連れられ部屋を後にすると、ソーマは死神と2人、そこに残される。

 体力を回復させるため少し眠ろうとした彼だったが、目が冴えてしまい一向に睡魔は訪れない。


 強くなるにはどうすればいいのだろう。


 自慢の魔法剣も折られてしまった。ラルスに協力してもらい、トリッキーに魔石を使う戦法にも限界を感じている。闘気に覚醒したとはいえ、それを自在に使いこなすまでの自信は彼にはまだない。

 下地としては、特に意識せずともレベルアップしている自覚が彼にはあった。だが敵を殺さずに目的を果たすのは、恐らく殺す場合より難しく、それこそ圧倒的なまでの強さが要る。

 やはり何か、積極的な対策が必要になるだろう。


 ぼんやりと天井を眺めながらあれこれ思案していた彼は、微かな呻き声を聞いてそれを中断する。少女が目を覚ましたようだ。

 少しだけ身体を起こすと、静かに顔を上げた少女と目が合った。


「よう」

「あ……」


 何を話していいのか分からず、少女は慌てて目を反らし、そのまま沈黙してしまう。


「お前が助けてくれたんだってな。ありがとよ」

「……刺したのは、私」


 ソーマが礼を言うと少女は言いにくそうにぼそりと呟いた。そうだった、とそれを失念していた彼はケラケラと笑う。


「あの時はそこまで余裕が無くてさ──悪かったよ。助けたんだか助けられたんだか分かんねえって、何だかカッコ悪いよな」


 少女は呆気に取られた。自分を庇ったために死ぬところだった人間がそれを詫び、「カッコ悪い」の一言で片付けてしまったのだ。

 彼女が漸くソーマの顔を見ると、彼は本当に申し訳無さそうに頭を掻いていた。


「名前、聞いていいか」


 少女はびくっと身体を震わせる。彼女が〈死神〉を名乗るとき、それは相手にとどめを刺す予告を意味した。では、久しく人に語ることも、呼ばれることも無かった本当の名前を口にするといったいどうなるのだろうか──。


 これまで、周囲の人間が彼女に求めるのは、彼女という個人ではなく、その能力の方だった。いつしかすっかり意味など無くしてしまったそれを求められる理由が、彼女には分からなかったのである。


 恐る恐る、少女は口を開く。


「……ルウ」

「ルウか、可愛らしい名前だな。俺はソーマ」


 ごくありふれた自己紹介。それは互いを知るための第一歩。ルウと名乗る少女が恐れることなど、何ひとつ訪れることはないまますぐに終わる。

 いや、正しくはこれまでとは違う何かの始まりであった。それを小さく復唱するルウ。


「ソーマ……」

「うん。──よし、ルウ。俺はもう大丈夫だから、妹の所へ行ってやりな」


 ソーマがその体調を証明するように右手を上げて見せると、ルウにますます戸惑いの感情が沸き起こる。

 つい昨日、殺そうとした人間から受ける自分への気遣い。それはまるで、知らない場所へ初めて足を踏み入れたときのような不安と──期待。

 だが、彼女がすぐにそれと自覚するのはまだ難しかった。


 暫く動こうとしなかったが、妹のことが気になり、やがてルウは立ち上がった。何も言えないまま部屋を出ようとする。

 そしてドアに手を掛けるも──数瞬の躊躇(とまど)いの後、思い切ったように彼を振り返ると、か細い声でそれを言った。


「あり……がとう」


 そして逃げるように部屋を出て行く。ソーマは暫く、ドアのあたりを哀しそうな微笑みを湛えて見つめていた。


 ──────────


 最高幹部しか入ることを許されぬ、小さいが機能的な会議室。そこには、この国の最高権力者たるジェラルド・ルーベルク大公爵と、先の帝国皇子たるセリム・レイアースを筆頭に、数名の者が集まっていた。


 城内は未だ混乱の最中にある。何しろ最大の権力を誇る貴族家が反逆を起こしたのだ。首謀者たるパルマ家の面々は勿論、その息のかかった者たちによって、空きの多かった平和な牢獄は次々と埋まっていった。

 几帳面にもゼルギウスによってリスト化されていたために、それは思ったより手際よく運んでいる。だが、中には最後の抵抗を試みる者もおり、時々その喧騒がこの部屋にまで届く有り様だ。


 大公は白く立派に伸びた髭を擦りながら、大きな溜め息を交えて呟く。


「すべては儂の不徳の致すところ。あのような輩に大公の地位を譲ろうとしていたとは──誠に申し訳なく思う。

 だが国の行く末とセリム殿、そしてこの老いぼれの命までも救ってくれたこと──このジェラルド、生涯忘れぬ」


「それに関しては僕もです。僕がルシアの護衛を断って視察に行かせたから──危険を増すことになってしまった。本当にごめん」


 次席からセリムがそれに続く。あれほどの惨事に遭いながら彼らは特に外傷もなく、ある程度時間が経過したことで、指導者らしい落ち着きも取り戻していた。


(2人が何故無事だったのか──言い換えれば誰がどうやって襲撃者たちを撃退したのか。その謎はまだ解けてない)


 ハルトはそれが気になっていた。大公、さらにはセリムにも〈看破(スキル)〉を使ってみたが、納得のいく答えは見つからなかった。


(彼ら自身に賊を撃退した自覚は無く、いつの間にか気を失ったと言っていた。つまり別の誰かが彼らを助けたことになる。思い当たることが無いわけじゃないけど──さすがに考え過ぎな気もするし)


「ハルト。見事に謀反を見破ってみせた君に、ここは尋ねたい。これから我々が成すべきことは?」

 セリムに話を振られ、ハルトは考え事を中断して顔を上げた。


「──そうだね。何よりまず〈これ〉を何とかしないといけないと思う」

 ハルトは部屋を見渡した。ラナリア側の出席者は、大公と魔法師団の副長たるマシューのみ。一方皇子側はセリムと彼、それにダイキ、リゼット、ジュリアである。

 国家の最高意思決定メンバーとしてはかなりちぐはぐな構成だ。それは緊急に召集したことと、セリムの素性を隠す意図だけがこうさせたわけではない。


「ミュラー軍務大臣以下、演習メンバーが戻ったら、真っ先に組織の再編成を行うべきだ。その長には身分より能力を重視して、広く民間からも登用し──軍事方面だけじゃなく、内政や外交もきちんと機能するような組織にしないと」


 当然のことだが、軍の演習は中止となった。狼煙(のろし)と早馬によって事態が告げられ、参加者は今頃、大急ぎで城に向かっている最中だろう。

 主だったメンバーはそこに集中しているが、彼らが帰還したとて国家運営に充分とは言えないことが、この国の弱点であった。


「無論、能力主義の人事は貴族家からの反発も招く。ただ、大臣職まで空席になった今となっては、多少強引にでもそれを意識した組織にしないと破綻するだろう。

 貴族家と言えば──マシューさん、ボッシュ家の動向はどうですか?」


 ハルトの向かい側に座っていたマシューは、目をパチクリさせている。

 人のいない今、事態を収拾するにはどうしても彼の力が必要であるが、それを説明するにはセリムが皇子であることを打ち明けなければならなかった。加えてソーマたちが〈予言の勇者〉であることを知り、彼はその事実に驚愕していたのだ。


 幸い、彼の理解は早かった。未だ戻らぬ父に代わり、この場を取り仕切る自覚があるのだろう。


「彼らは領内に兵を集め、戦の準備を始めていたようです。ですが使者の説明を受け、既に矛を収めた模様」


 怨敵たるパルマ家、それに繋がっていたゼルギウスが投獄されたのだ。彼らが挙兵する意味はもはや無いから、それはつまり恐れていた衝突が避けられたということになる。

 それどころか、跡目相続の次点にいた彼らは喜びに沸いてさえいるかもしれない──マシューはそう考えた。


(だけど彼らは、確か隣国ウェルブルグと組んで反旗を(ひるがえ)す可能性が示唆されていたはずだ。今はその絶好の機会──それで簡単に引くだろうか)


 先の反省から他の可能性を探るハルトは、人差し指を口許に当てたまま深く考え込む。同じようなことを考えていたのか、セリムが発言した。


「跡目の件はいったん白紙に戻すしかないでしょうね。ボッシュ家には良からぬ噂がある。パルマ家が消えたからといって、単純に繰り上げるわけにはいかない」


 それを受けて、ハルトはひとつの危惧を抱く。


(そうだ。普通に考えればそれは〈白紙撤回〉になるだけ。今回の件によって労せず大公の座が転がり込むわけじゃない。だとすれば──安心するにはまだ早いぞ)


「マシューさん。隣国ウェルブルグについてですが──」

「宜しければ私から説明しましょうか」


 それは──あまりにも唐突だった。


 ただドアを開けるだけの動作に、気品さえ漂わせ、ある人物が会議室へと足を踏み入れたのだ。


 入室の許可を得ることなく現れたその人物。それはこの部屋どころか城内にも、ラナリア公国にさえいるはずのない男。

 ルーベルク大公が思わず立ち上がってその名を叫ぶ。


「お主は──レオニール!」


「私以外に適任者はいないと考えるのですが」

 爽やかな笑みさえ浮かべて平然とそこに立つも、およそこの場に最も相応しくない人物──それは隣国ウェルブルグの若き獅子王だった。

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