真夜中の決着
それは殺戮だった。
10対1の戦い──それを圧倒するのは10ではなく1。単純な数の理屈に唾棄するかの如く、蒼い閃光は疾く、強く、そして残酷だった。
「ぐえっ」
「うわあっ」
生涯の最期を飾るには、あまりにも不本意で無意味な言葉の数々。兵士たちは鬼神のように剣戟を振るうソーマを倒すどころか、それを止めることも、そこから逃げ出すことさえも叶わぬ。
闘気を纏った者の実力は、同じ闘気を操れる者なら推し測ることが可能である。たとえそうでなくとも、素養さえあれば、それとなく本能で感じることもできる。
だが彼らにとって不幸なことに、それが可能な者はその中にひとりとしていなかった。だから彼らには断じ得なかったのだ。
今目の前にいる少年が、決して争ってはならない相手だと。
蒼真流奥義〈龍爪〉。それは切っ先だけで目や手足の腱、頸動脈などの急所を掠める技。日本刀より切れ味の鈍る西洋剣でさえ、人脂や血糊による影響を受けない。
それに力は要らぬ。柄の頭ぎりぎりを持ち手とし、剣先だけを働かせることで、敵は見た目の間合いより外から攻撃されている錯覚に陥る。加えて、一撃の抵抗が少ないことから、スピードを損なわず遠心力を利用した連続攻撃をも可能にする。
それはただの素振りであるかのように、まるで美しい演舞であるかのように、一切の躊躇いや澱みもなく、蒼い軌跡を描く。
映画のような派手さ、豪快さとはまったく無縁の、生々しく凄惨な光景。首の皮一枚を斬り取られただけで、こうもあっさりと人命が損なわれることなど、見る者は勿論、斬られた本人でさえ信じることは難しかった。
友人によって引き起こされた阿鼻叫喚の中で、ハルトが慌ただしく空間に向けて手を動かす。
だがそれは普段の冷静さを欠き、彼は完全にパニック状態にあった。
(遂に──遂にやってしまった。早く止めないと……これ以上、あいつが人を殺める前に!)
空間モニター。何もかもリアルなこの世界において、それが架空の出来事であることを、視覚的に証明するはずのもの。
だがそのレイアウトは歪に崩れ、もはや何が表示されているのかさえ判別できぬ。ノイズがより一層、酷くなっているのだ。
(ダメだ、操作できない)
ハルトはソーマが剣を手にした瞬間に〈リロード無しの完全クリア〉を諦めた。セーブした時点に戻って、この事態を避けようとしたのだ。
しかしモニターの異常によって、何をどうしようがデータを読み込むことも、中断することさえもできなかった。柴崎に話したバグのひとつ──それは解消されるどころか、その機能にまで支障を来していたのである。
死神はその場にへたり込み、既に戦いの外にいた。ソーマが敵と認識する人数はみるみる減っていき、やがてゼルギウスひとりとなる。
悔恨など緩い。純粋な恐怖にうち震える時を強いるかのように、そこで初めて間を置き──彼はゆっくりと最後の敵に歩み寄った。怒りと殺意を、その鋭い瞳に滲ませて。
「この──バケモノめ」
ゼルギウスは貫通弾を乱射するも、恐慌に陥ったそれは正確さを欠く。次々とあらぬ方向へと消えていく中、最後の一発だけが奇跡的にソーマを捉えた。
しかし動体視力にまで補正がかかっている彼には、その所作から弾道までがスロー再生のように見えている。片手に持つ剣で、まるで蝿でも払うかのように軽くそれを弾くと、いよいよそれを上段に構えた。
「たっ……助けてくれ! 私はただ、公爵婦人の言うとおりにしていただけなんだ」
万策尽き、必死の形相で命乞いするゼルギウス。それを、冷たい目と無言の口許で拒否するソーマ。
圧倒的なまでの恐怖に、政務大臣にまで昇り詰めた男は、すべての威厳と野望を打ち砕かれて尻餅をつく。
そしてソーマが最後の一閃に向けて力を込めたとき──その手が掴まれた。
「もうよせ。勝負はついた」
「ダイキ!」
明らかに様子の違うソーマに臆することなく、その凶刃を止めてみせたのはダイキだった。ハルトがほっとしたように息を吐く。
現れたのはダイキだけではない。リゼットと、彼女に手を引かれるひとりの少女。そして魔法師団の副長であるマシューが、部下を引き連れ次々と謁見の間に入って来たのだ。
「──レベッカ?」
放心常態だった死神が少女に気付く。
「お姉ちゃん!」
少女──死神の妹は意識を回復し、自ら動けるまでになっていた。毒による変色の痕はまだ残るものの、見るも無惨なあの状態からは程遠い。シルビオ司祭の力であろう。
「どうしてこんな所に──いけない、レベッカ。病気が……」
「大丈夫、この娘の魔法はほぼ解けたわ」
言葉を遮ったリゼットが手を離すと、レベッカと呼ばれた少女が駆け出し、そのまま死神に抱きついた。
走るどころか、ベッドから起き上がることさえ出来なかったはずの妹。彼女は驚きながらも、それを受け止めると両手でしっかりと抱擁する。
そして訳を尋ねるように、顔だけをこちらに向けた。
「騙されてたんだよ、お前は」
代表してそれに答えたのはソーマだった。我に返った彼は静かにダイキの手を払い、死神の方へ振り返ると視線を落とす。
「重い病気を抱える妹を治療する為に、お前は仕方なくその腕をゼルギウスに売った。でもそれは、初めからこいつの策略だったんだ」
ここへ向かう途中で、ダイキと遭遇したソーマ。お互いに情報を交換し、それを知った。
そしてすぐさま彼は城へ、ダイキは教会へと戻る。敵を避けるために何度か使ったマシューの魔法、〈探知〉にかかった死神が、城へ向かっていると分かったからだ。
その死神がゼルギウスを見ると、彼は慌てて目を反らした。
「証拠は──こいつだ」
ダイキが、マシューの部下に連行されていた男の首根っこを掴んで、前に引きずりだした。
「お医者様──?」
死神が動揺する。ハルトが後の説明を継いだ。
「それは病気じゃなく魔法のせいだったんだ。この世界の医療は魔法と密接な関係にあるから、医者ならひと目で分かったはず。にも拘わらず、適切な治療を行わなかった。
それはつまり──魔法自体が奴らの手によるもので、あんたに金が必要だと思い込ませ、思いどおりに動かす為の策略だったってことさ。勿論ゼルギウスの指示でね」
言葉として意味は理解できる。だが死神は何も言えず、ただ困惑した表情を浮かべるしかなかった。
「こいつが全部吐いたのだ。もう言い逃れは利かんぞ」
意識を回復したレベッカからすぐに主治医は割れた。組織と合流したマシューによって直ちに捕縛されたが、それから僅か数分で自供させたのはダイキである。
アザだらけの医者の顔を見て、観念したようにゼルギウスは下を向く。
幸い、策略を見破った根本的な理由については、誰も尋ねなかった。人材不足のラナリアにおける隠しキャラの存在と、よくあるカラクリ。
まだ発売前だというのに、〈外〉で争うように行われていた各勢力の徹底調査、ついには公式にも認められた攻略情報こそが、その答えだ。
(プラス、聞き込みで得た噂話。普通にプレイしてたら、散々戦り合った後でそれが判明する──とかかな。もしかしたら、仲間にできることを知らずに終わるのかも。ともかく、ギリギリだけど間に合って良かった)
「司祭様のお話では、あと10日も安静にしていれば、すっかり元気になるだろうって」
殺伐とした雰囲気に抗うように、リゼットが敢えて笑顔を見せ、姉妹に語りかけた。
それを聞いた死神は、複雑な表情を浮かべて一瞬身を固くしたが、やがて小さな妹を強く抱き締める。
「私のせい──。レベッカ、ごめん……ごめんね」
「痛いよ、お姉ちゃん」
「……やっぱり、ただの人助けなんかじゃなかったのね」
ジュリアが呆れたようにハルトを見た。結果的にフラグは回収できたものの、思ったようにはいかなかったため、ハルトは困ったように笑みだけを返す。
「良かったな。お前のしてきたことがこれで許されるわけじゃないけど、悪いのは全部あいつ──これからは、その手を汚す必要な……んて、もう……」
努めて優しく語りかけようとしたソーマが、すべてを言い終わらぬうちに、ゆっくりとその場に崩れ落ちる。
ダイキたちの登場によって失われたのは、戦意だけではなかった。その身体からは闘気が完全に消え、顔色は真っ青になっている。
昏倒と同時に痙攣が始まった。
「ソーマ!」
一斉に駆け寄る仲間たち。腹部と肩からのおびただしい出血──呼び掛けへの反応は無い。
「すまない、退いてくれ」
彼らを押し退けるように、マシューが割って入った。初歩的なレベルなら治癒魔法も使える。彼はそれを発動しながら素早く部下に命令を下した。
「動かすのは危険──ここは私が持たせてみせる。誰か早く、シルビオ司祭を連れて来るんだ」
ソーマに向かって翳す手にリゼットのそれが加わる。たとえ個々が弱くとも、治癒魔法は相乗効果が働きやすい魔法であるから、協力してその命を繋ぎ留めようとしたのだ。
マシューが頷くと、何人かの魔法士もその輪に入った。
「それから──そこにいる反逆者を捕らえて、牢獄へぶち込んでおけ」
ゼルギウスに侮蔑の視線を送り、続けてマシューは、大公とセリム──彼にとってはマリオスだが──を保護することと、この事態を収束させる為に必要な増援の要請を命じる。
魔法への集中を切らすことなく、機敏で的確な指示だった。
「頼む、しっかりしてくれ! ……くそっ、絶対に死なせないぞ!」
死神の襲撃を受けた時──その攻撃から身を投げ出して彼を庇い、崖から転落した際はクッションとなり、さらには降ってきた岩をも魔法剣で砕いてみせたソーマ。
足を挫いた程度で、気持ちまで挫かれた彼を置いて、自分の方がよほどボロボロでありながら、ソーマは「這ってでも城へ還る」と言い出した。
彼らが急襲されたことで、それが内部からの謀略であることがはっきりした。自分は仲間にそれを伝えに戻らねばならないと。
「だって、まだ生きてるだろ?」
その言葉は、何故か胸に響いた。
そうだ、まだ生きている。「死んでも守る」と誓ったが、まだ生きている。ここで死んでしまえば──それこそもう、マリアは守れない。
相手は6つも年下の少年だ。それで改心したわけではないと、彼は思いたかった。
だが愛しい人を守るために〈死ぬ〉のではなく〈生きる〉ことを意識した途端、すべきことが具体的に見えてきたことは事実。途切れていた目的の連鎖が、漸く繋がったような──敵に嵌められた状況下で、晴れやかな気分にさえなったのである。
「『まだ生きてる』んだ。諦めるな!」
必死の願いも虚しく、ソーマの容態は一向に好転しない。
そこへ死神が歩み寄った。一瞬、ソーマを囲んでいた者たちは彼女に注意を奪われる。
やむを得ない行動の要因が排除されたからと言って、それは敵である必要が無くなっただけであり、それがそのまま味方になったことを意味するわけではないのだ。
だが彼女は意外な言葉を口にする。
「お願い……死なないで」
彼女が妹以外にそれを想い、口にするのは初めてのことだった。むしろその妹のために、まったく逆のことを相手に願ってきたのだ。
半ば無意識に、彼女は使ったことのない用途でそれを発動する。
「闘気の〈干渉〉──可能なのか」
マシューが驚いたように顔上げた。
理屈は間違っていないが難度が高い──ハルトは瞬時にそう理解する。ならば、不可能でもやるしかない。
「マシューさんとリゼットはそのままソーマに。残りは彼女の体力回復をお願いします──いいから、早く!」
その口調は命令に近かった。その気迫に押され、彼らはそれに従う。
すると僅かだが、ソーマの手指が反応した。
「干渉によってソーマ自身の闘気をもう一度呼び起こせれば──それが起爆剤となって大幅に体力を回復させられる。
さっきそんな傷で戦えたのも闘気のおかげ。治癒魔法の効果も倍増するはずだ。そのためには同じ闘気を使える彼女の力が要る」
〈干渉〉という単語からくる予測とロジックだけで、魔法学、戦闘術の知識を持つマシューを代弁したハルト。
少なからず手傷を負い、闘気も尽きかけている死神の顔が、苦痛に歪んだ。治癒魔法を発動する者たちも、一気に魔力を解放した反動から来る激痛に耐える。
しかしハルトの言うとおり、それだけがソーマを救う唯一の方法だった。
彼自身と幾多の返り血によって、赤黒く無惨に染まったソーマの身体。それがぼんやりと蒼い光に包まれたかと思うと、やがて傷口に集中し始め、さらにその光度を増していく。
急激にソーマの自然治癒力が高まり、魔法がそれを増幅したのだ。
そして懸命な救命活動が暫く続き──ソーマは一命をとりとめた。
大量にかいた汗を拭うことも忘れて、ハルトは心の底から安堵の溜め息をつく。そして横目でそれを確認すると、すぐにまた厳しい表情に戻る。
空間モニターは歪んだまま、未だ解読できぬ情報を発信し続けていた。




