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帝都の陥落(2)

「何度も……言わせるな」


 王宮ローゼンハインの北東部に建つ塔の入り口に、その男はいた。

 王宮警備の最高責任者であり、帝都イシュトリアの近衛師団を預かるラインホルト・セノールである。


 几帳面に整えた顎髭から、止めどなく赤い液体が滴り落ちる。30代も半ばを過ぎ、一層精悍さを増したその顔は、かつてない程の苦悶に歪んでいた。

 だがそれはこの惨状に対する故であって、傷の痛みなど問題にならない。


「ここだけは通さん。我が命に代えても」


「──その台詞に恐怖を感じるのは初めてです」


 〈敵〉は素直に畏敬の念を表した。これだけの血を流し、荒い呼吸を繰り返すその姿が、油断するには馬鹿げたほどに物足りぬことを承知しているからだ。


 王族並びに上流貴族の警護という役割から、その信頼に(あつ)いセノール家によって代々世襲されてきた近衛師団長。しかしラインホルトが20代の初め頃、当時としては異例とも言える若さで当代の任に就いたのは、決して先代が早逝したことだけが理由では無い。

 二つ名を〈不動の赤壁〉。ラインホルトは剣術の達人であり、どれだけ多くの敵に囲まれようとも、守るべき背後の人物には触れることさえ赦さぬ勇猛の士である。ひたすら返り血に塗れ、微動だにしないその姿は、これまで幾多の敵を震え上がらせてきた。


 その評価は一介の武人に留まらない。かつて別の担当だった要人警護と王宮警備を一手に任されるほど、彼は指揮官としての才にも恵まれる。

 現在では帝都全体の治安維持にまで及ぶその権限は、彼の仕えるイーリス王国が大陸全域を支配下に置き、アースガルド帝国となった後も改められることはなかった。それもその人徳と能力に対して、周囲から、とりわけ皇族から揺るがぬ信頼が寄せられていたからに他ならない。


 だがその経歴(誇り)は、この日、あまりにも唐突に崩された。


 既に瀕死の手傷を負っている。それでも、たったひとり、塔の入り口たる重厚な扉に背を預けながら、ラインホルトは決して膝を折ること無く立ち続ける。


「陛下を、仲間を、街の人々を⋯⋯私は誰ひとり守ることができなかった……」


 慚愧(ざんき)に堪えぬ想いと共に、固く閉じられたその目。


 もはや帝都を守り抜くことは叶わないだろう。しかし彼は、大量の血で変色した剣を決して手放すことなく、むしろ強く握り直す。


「悪夢は……ここで終わらせる」


 短くも全霊を込め、打ち立てられたその誓い。重なり合う(むくろ)の上で、再び開いた彼の眼差しが鋭く前方を捉えた。


 〈敵〉が動く。


 ──────────


 ──数刻前。


 2代目皇帝ヒーゼル・レイアースも出席する政務会議。メンバーは高級官僚や帝国直轄地たるイーリスの有力貴族たちであり、当然ながら最大級の厳戒体制が敷かれていた。


 いざこざレベルのリスクですら排除する為に、貴族たちの私兵でさえ帝都内に入れることを禁じたラインホルト。すべての警備並びに警護には、彼の息がかかった近衛兵だけが配置され、帝都の中は物々しくも規律に満ちた兵士たちで埋め尽くされている。


 その職務の特性故に、近衛師団の内部統制は厳格極まるものがあった。まず入団の時点で、魔法による〈血の誓約(レゾリューション)〉を交わす義務を負う。それにより、寝返り、またはそれに準ずる行為を意図しただけで(・・・・・・・)、同じく魔法である〈死の制裁(ラスト・コマンド)〉が発動し、その者は命を落とすことになるのだ。

 己の命まで捧げた鉄の忠誠心と、一糸乱れぬ団結力──それこそが、彼らの最大の武器だと言える。


 王宮内にある司令室では、その指揮官と直属の部下が時を待っていた。


「このまま無事に終わってくれますかね、隊長」


 気さくな部下の声に、ラインホルトは目を通していた書類から顔を上げる。


「戦後の、論功行賞の席でもいろいろありましたし。せっかく外の警備は万全なのに、中で揉められたら、私たちの苦労が水の泡ってなもんですよ」


 軽口ではなく、長年彼に仕える部下、ルッツは本気で心配しているようだった。


「まあそういうこともあるだろう。それが政治というものだ」


 事も無げにラインホルトは言う。


「だが、行き過ぎは困る。陛下の御身に万が一もあってはならない。その為に武器は勿論、魔石の類まで一切の持ち込みを禁止しているのだからな。それに、我が近衛師団でも屈指の強者をお側に置いているのだ。そのあたりは彼らとて充分に理解しているだろう」


 彼は壁の時計に視線を移した。会議が始まってから、もう随分時間が経つ。

 その間、定期連絡以外に彼の下を訪れる者はいなかった。それは警備計画に些かの支障も出ていないことを意味する。


 そのことが張り詰めていた緊張を若干緩めたのだろう、ルッツは反論した。


「しかしですね──何しろ保身にしか興味がないような連中ですよ?〈会議〉なんて言っても、彼らの間で何か妥結することなんてあるんでしょうか。まあ貴族なんてみんなそんなもんでしょうけど。あ……」


 部下の男は慌てて口を塞ぐ。目の前の上官こそ、名家の出であり、貴族の中の貴族と言ってもよい。


「──これはとんだ失礼を。隊長はどうも、貴族という感じがしなくて」


 その発言は何のフォローにもなっていなかった。ラインホルトは苦笑を交えて、


「構わんさ。実際そうだろう」


 彼は、爵位で言えば侯爵である。自らの領地を所有し、統治する権限を持っている。本来なら会議に参加する側であってもおかしくない。

 しかし彼は、近衛師団長の職務を優先し、その権利を放棄した。私邸の周囲に僅かばかりの領地を持つのみである。

 そんな無欲さが、根っからの武人で気の荒い者も少なくない、彼の部下たちには好かれていた。親しげに〈隊長〉と呼ばれる所以でもある。


 バツが悪いと感じたルッツは、やや強引に話題を変えた。


「そういえば、ご令嬢が士官学校の中等部を──それも首席でご卒業されたそうで。おめでとうございます。秋からは上等部ですか」


「うむ。セノールの名を負うには、まだまだ未熟だがな」


 謙遜しながらも、どこか嬉しそうなラインホルトである。娘を誇りにしていることを、実直な彼が隠し通すのは難しいだろう。

 だがそれもそのはずだ。15歳になる彼の娘は、帝都でもちょっとした有名人だった。中でも、先頃行われた剣術大会で、腕力に勝る男子学生を蹴散らし優勝したことは記憶に新しい。


「今は休暇中ですね。どちらに?」

「それが……」


 ラインホルトは少し困った顔になる。


「どうしても警備の様子が見たいと言ってきてな。いくら駄目だと言っても、後学の為だと聞かなかった」

「さすが隊長の娘さんですね」


 その時のやり取りが余りにも容易に想像でき、ルッツは笑う。


「仕方がないので〈皇子の遊び相手〉という役目を与えて、王宮に来ることは許した。下の娘も一緒にな」


 皇子は5歳とまだ幼い。会議の前後は皇帝も多忙であり、寂しい想いをしているであろう。

 彼のふたりの娘のうち、歳の離れた妹の方は皇子と同い年で、姉妹ともどもすでに面識もあったから、遊び相手には丁度よい。

 それに相手が皇子であれば、まして手のかかる妹も一緒となれば、好奇心旺盛な娘といえどこっそり抜け出すことなどできないと彼は考えたのである。


「なるほど、皇族の居住区へ……確かにあそこなら、何かあっても安全ですからね。念の為に、オリバーの部隊が警備に当たってますが」


 そのオリバーも優秀な近衛小隊長であるが、より確実に安全が約束される理由が他にあった。


「うむ。〈例の仕掛け〉がある限り、滅多なことはあるまい。まったく──出来が良すぎて、我々の存在意義さえ危うくさせるがな」


 魔石──魔力を蓄積し魔法を使えぬ者にでもそれを可能にする特別な石のことである──を使った〈自動防御魔法〉。ひとりの男が、皇族を守る為に残した物とされている。

 それは未だかつて作動したことは無く、本当は存在しないただの抑止力であるとか、防御以外にも様々な機能を併せ持つとか──中には自爆するためのものだと囁かれるまでに、とにかく噂話には困らない代物だった。


 無論彼らはそれが実在することを知っている。しかし、悪用を恐れる為か、単にその複雑過ぎる構造故か、一般向けに量産はされていない。


「生憎、私にはさっぱり理屈が分かりませんが」


 ルッツは拗ねたように言う。彼は士官学校時代から、魔法全般が苦手だった。


「安心しろ、私にも分からん。あの方が特別だったのだ。ご自身が魔法を使えないにも拘わらず、魔法学の知識のみであれを発明してしまったあの方がな」


 ラインホルトは記憶の中でさえ敬意を失わず、かつての戦乱で、神の如しとまで呼ばれた知謀の持ち主を話題にした。

 初代皇帝アルヴィン・レイアースに仕え、アースガルド統一という奇跡を成し遂げた四人の英雄、〈煌国の四神〉。そのひとりである天才軍師。


「立案した作戦はすべて的中。如何なる状況からも戦局を有利に運び、自軍を勝利に導く──軍師と言うより予言者みたいな方でしたね。もっとも、それを遂行する他の御三方が強過ぎたというのもありますが」


 無論ルッツも彼らを知っている。いや、この大陸で彼らを知らぬ者などいない。


 策謀必中の天才軍師。

 大陸最強にして不敗の軍神。

 すべての魔法を操る大魔導師。

 不死身の暗黒剣士。


 彼ら無くして、大陸が200年を越える戦乱から解放されることなど無かったであろうことは、まだ記録ではなく記憶から断じることが可能である。


 もっとも、そのうち3人は既に表舞台から姿を消していた。

 だが〈最後のひとり〉は帝国内の重要なポストに残り、今も、まさに政務会議の場にいる。


「──大丈夫でしょうか」


 ルッツの心配は結局、元通り議場に向いた。

 行間にどのような連想があったのかすぐに察しつつも、ラインホルトは敢えて訊く。


「どういうことだ?」

「議場にはあの方もおられます。正直、私は苦手でして。何と言うかその──恐ろしい」


 不器用に言葉を選びながら、ルッツは頭を掻いた。


「構わん。思ったことを話せ」


 ラインホルトは、たとえどんなに些末なことでも部下の言うことには耳を傾けてきた。それが本当に取るに足らないことなのか、それとも何か重要な予兆なのか、判断するのは上官の仕事だ。当然、その判断の結果に生じるすべての責任も上官にある。

 それを日頃から公言しているからこそ、部下は彼を信頼し、報告を上げることができた。たとえ上役を悪く言う内容であったとしても、それが必要なことなら委細漏らさずにだ。


 勿論それによるペナルティなど彼の組織には無い。それでもルッツの口調は重かった。


「外の警備は万全。では、中はどうでしょう。議論が白熱するなどして、誰かが暴挙に及んだ場合です」


 上官は黙ったまま先を促す。


「それが戦い方を知らぬ政務官なら、うちの連中によって返り討ちに遭うだけ。魔法を使える方もおられませんし、何も問題はありません。

 ──しかし例外がいます。いや、〈規格外〉と言った方がいいでしょうか」

「現役の〈煌国の四神〉か。あの方は国の為に戦い、今も復興政策の中心人物だぞ。何が問題だと言うのだ」

「性格──というか、本性です」


 ラインホルトは思わず声を上げて笑った。


「なるほど、さすがに我が腹心。よく見ている」

「笑い事じゃありませんよ」


 輝かしい功績の中にも、常に黒い噂がついて回るその人物である。先代皇帝亡き後、同格たる四神も不在である今、国を盗るべく動き出すのではないか──。

 巷で囁かれる風聞に同調するルッツは、必死に抗議の声を上げた。


「何しろあの方は、恐ろしい暗黒剣の使い手──さらには〈不老不死〉とさえ言われています。だからこそ武器はすべて預かっていますし、魔法も使えません。当然魔石も無く、完全な丸腰です。

 ですがもし、会議が彼の意に沿わぬ形で進んだなら──馬鹿な貴族がその逆鱗に触れるような真似をしたなら、どうでしょう。護衛の連中から剣を奪い取り、そして──」


 ルッツがまだ言い終わらぬ、まさにその時。


 ラインホルトが彼に飛びかかり、電光石火の早業でルッツの鞘から剣を引き抜いた。

 剣を奪われたルッツは反射的に後方へ跳ぶ。しかし瞬時に間合いは詰められ、次の瞬間にはその喉元に剣先が突き付けられた。

 だが首の皮に届く寸前に、ルッツは鞘を使ってそれを払う。同時に、空いた手で素早く短刀を抜くと、それを逆手に相手の懐を狙って逆襲する。


 鈍い金属音。今度はラインホルトが、剣の柄を盾にそれを止めていた。


「た、隊長──?」


 我に返り、何の前触れもなく急襲した上官に、ルッツは怯えた目を向ける。


「これが答えだ」


 ラインホルトはニヤリとすると、戦闘態勢を解く。ルッツの身体からも力が抜けた。


「──冗談きついですよ。殺されるかと思いました」

「すまない。だがお前の言う最悪の事態は、私とて想定していないわけではない」


 剣をルッツに返すと、すぐに彼は真顔に戻る。


「確かにお前はあっさりと剣を奪われた。しかし命まで奪われたか?完全な不意打ちでも、お前は私を止め、ほぼ無意識に反撃さえしてみせた。それは身体に染み付いた訓練の成果だと言えるだろう。

 これがもし、予めこのためだけに(・・・・・・・)訓練された後だったとしたら?座席や護衛の位置を計算に入れ、何パターンもシミュレーションした後だとしたら?」


 もっと上手く対応できた。いや、たとえラインホルトが相手でも、剣さえ奪われなかったかもしれないとルッツは考えた。

 今、議場内の護衛に当たっているのは、ルッツにも引けを取らない精鋭たちだ。担当が異なる為に詳しくは知らないが、既に充分な訓練を積んでいるということか。


 だが、ルッツが納得しかけたそのとき、ラインホルトは彼に背を向け、厳しい一言を言い放つ。


「私が議場に飛び込むまでの〈時間稼ぎ〉くらいは、充分に可能だろう」


 ルッツは何も言えなかった。


 ラインホルトこそが、〈煌国の四神〉たる彼の実力を一番よく理解している。まともに戦えば、近衛師団すべてを相手にしてさえ、勝敗は分からないことを知っている。

 即ち、もし本当にそのような事態が訪れれば、採るべき選択肢は多くない。部下が全力で時間を稼ぎ、護衛側で最強の上官が彼と対決する。対策と言っても、それ以外に取りようがないのだ。


「でもそれなら、初めから隊長が議場を警備されればいいじゃないですか」


 悔しさのあまり、ルッツは、彼にしては珍しく上官に棘のある言葉を向けた。


「そんな露骨な真似ができるか。それはあくまでも可能性のひとつに過ぎんし、全体の指揮はどうする。ひとつの事に囚われ過ぎ、別の事態への対処が遅れれば、それこそ目も当てられんだろう」


 ルッツは唇を噛む。そんな彼を見て、ラインホルトは優しく言った。


「すべての役割をひとりでこなすことなどできない。それぞれが、それぞれに合った役割をこなすことで、組織は機能するのだ。そこに優劣などないし、何より私はお前たちを信頼している。

 それにあの方とて、自軍がすべて締め出されたこの状況で事に及ぶだろうか。少し肩の力を抜け」


 想定される事態にはすべて手を打ったはず──それはルッツも同じ思いだ。それでも。


「ふむ。そろそろ会議が終わる予定の時刻だな」


 時計を見て、ラインホルトはドアに向かって歩き出した。


「隊長」


 それでも何やら嫌な予感がして、ルッツは彼を呼び止めた。


「様子を見に行くだけだ、すぐ戻る。──あの方は少なくとも〈不老〉ではないぞ。終戦時より少し老けた」


 不器用ながらジョークを飛ばし、部下の不安を拭おうと努めた彼。しかし目は笑っていなかった。

 部屋を出た彼は、会議が行われている場へと足を向ける。


 実はラインホルトには、〈噂話〉などよりもっと深刻な懸念があった。


 ──『あの男から目を離すな』。


 稀代の天才軍師が、去り際に彼に残した言葉である。ルッツがそれを知っていれば、もっと強く彼を引き留めたに違いない。


 ようやく訪れた平和に、この先何か事が起こるとすれば、それは大陸の外や属国からではない。かつてその平和を手に入れる為に戦い、今もそれを守る側にいるはずの〈あの男〉が起点となる──彼は元軍師の助言をそう理解していた。

 しかし、密かに進めている内偵でも、今のところ何も兆候は見られなかった。その上、今回はこちらの備えも万全だ。それ(・・)は今日ではないはずだ。


 ラインホルトは確認するように心の中で繰り返すと、議場の扉までやって来た。


 上官による突然の訪問は緊張を呼ぶ。慌てたように敬礼しながらも、入り口の警備兵は、尊敬する近衛師団長に対し思わず笑みを浮かべた。

 時間にして、ほんの刹那──だったはずだ。ラインホルトは、その笑みが歪に崩れるのを、確かに見た。


 議場が爆発したのだ。

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