病床の少女
時は少し遡る──。
「すみません。この辺りに、幼い妹とその姉だけが住んでいる家はないでしょうか」
もう何度目だろうか。確実に聞き返される質問を重ねるのが、段々苦痛になってきた。
尤も地道にそれを続けているのはリゼットだけで、後ろの2人は既にやる気を失っている。
「いつまで続ける気?」
「勿論、見つかるまで」
ハルトが即答したため、ジュリアのうんざり感は増した。彼女は両手を広げ、溜め息をつく。
「せめて名前ぐらい分からんのか。これでは探しようがない」
「街人Aに訊けばだいたいの住所が分かる。街人Bに訊けば名前が分かる。でもAに訊くまでBはそれを喋らない。つまり先にAを見つけるしかない。今ここ」
「……よく分からん」
残念ながらダイキにゲーム語は通じなかったが、ハルトも気にしていない。
実際にその通りかどうかはともかく、この街に何らかの手掛かりがあることだけは間違いなかった。
(そろそろ遭遇すると思うんだけど)
朝早く、仲間内で誰よりも早く城を後にした彼ら。もうすっかり陽は高い。
ハルトは視察の予定を蹴って、〈仲間〉を探すため──いや、正確には仲間にするフラグを立てるために、首都エルムトを歩き回っていた。
それは出来る限り早いタイミングが望ましい。何故なら、本来〈敵〉として現れるその人物を、「敵対する前に仲間にしてしまおう」というのがハルトの狙いだからである。
それは先取り情報から得た〈外〉の知識から来ており、通常、クリアデータを引き継いだ2周目プレイヤーでもなければ不可能である。つまり反則だ。
しかしその効果は大きいことが予想された。尋ね人は通り名を〈双剣の死神〉と言い、ラナリアで唯一、彼らに対抗できるだけの実力者である。それさえ仲間にしてしまえば、この先どんな展開を迎えても、ラナリア国内にもう敵はいない。
最悪の場合、別行動のソーマと既に接触している可能性もあるが、彼には「逃げろ」と言ってあるから、今日中にフラグを立てればまだ間に合うはずだ。
ただ、死神について分かっていることは少なかった。通り名の他には、実は15歳の少女であること、病気の妹のために仕方なく要人暗殺をしていること、そして──ゼルギウスの手の中にあること。それで全部である。
最後だけはゲームの〈内〉で得た情報。昨夜の「昇進のたびに要人が不審な死を迎える」というヒントから、ハルトは確定的にそれを加えた。
一方、死神を仲間にする方法なら容易に想像がつく。「病気の妹のために仕方なく」が敵に回る動機なのだから、それを解決すればいい。
まずは妹を見付け出し、治癒魔法に長けた者に託す。それをダイキ、リゼットが探している治癒魔法の師とイコールで結べば、お互いに協力でき、効率もいいというわけだ。
但し、リゼットとジュリアには「可哀想な姉妹の噂を聞いたから助けてやりたい」としか伝えていない。
「ああ、それならこの先だよ。ほら、あの角を曲がった先の、小さい煙突がある家」
他に何か条件があるのか──さすがにハルトも不安になりかけたその時、〈街人A〉が遂に見付かった。
「確か、妹が病気で寝たきりなんだ。お姉ちゃんがひとりで面倒みてるそうだよ。まだ若いのに、偉いねえ」
当たりだ。ゼルギウスやパルマ家のお膝元を転々とさせられる可能性もあったから、ハルトはほっと胸を撫で下ろした。
彼らは街人に礼を述べて先を急ぐ。
「いきなり押しかけて、怪しまれないかな」
ジュリアの心配は、今さらだが尤もであった。
「ルーベルク大公の命で、街を巡回してたことにしよう」
この手の言い訳は瞬時に思い付く。頭の回転が速いのか、単なる嘘つき気質か──呆れたような目でハルトを見るジュリアである。
程なく、その家は見付かった。1階建ての小さな一軒家で、古いがあちこち改修されている。
何度かノックし、呼び掛けもしたが返事は無かった。ドアに鍵は付いていない。
「失礼しま……うっ」
遠慮がちに中へと踏み込んだ彼らは、すぐ異変に気付く。これまで嗅いだことのないような異臭が、部屋に充満していたのだ。
間取りは小さく、一見して人の姿は無かった。否、奥にあるベッドに誰か寝ている。恐らく病気の妹だろう。が──身動きひとつしない。
直感的に、彼らはそれを臭いの原因と結びつけた。
(まさか──)
明らかに腐敗臭とは違う。それでも直接確認するのを躊躇い、ハルトは看破を発動、床上の人物に向ける。
「大丈夫、まだ生きてる」
取り敢えず安心したものの、思わず不吉な言い方になってしまった。それを聞いたリゼットが改めて声を掛けるが、やはり応えは無い。
部屋はすっきりと片付いていた。ベッドの傍には椅子が置いてあり、枕元にはタオルと洗面器。
誰かが介護しているのは間違いなさそうだ。普通に考えればそれが姉、つまり死神ということになる。
ベッドに近付こうとするハルト。しかしその服を、後ろからジュリアが引っ張った。
「小さくても女の子なんだから」
彼女の笑顔はひきつっていた。生きていることが分かっても、何故か嫌な予感しかしないのだ。
「こんにちは。急に押しかけてゴメンね」
代わってリゼットが傍に寄る。顔がよく見えず、優しく布団を持ち上げた。そして──。
「あ……」
彼女は急にガタガタと震え出し、力なくその場にへたり込んだ。剥がれた布団が床に落ちる。
「そんな……どうして」
一斉に駆け寄る彼ら。そして同じく、言葉を失った。
痩せ細った体。緑色に変色した皮膚。腕や足に広がる、ボコボコとした水泡。
僅かに上下する胸、「ヒュー、ヒュー」と空気が漏れるような呼吸音だけが、視覚的に少女の生を証明していた。
「何だ──これは」
「酷い……」
意識を失ってさえ苦しげな少女。まだロイと同じくらいだろうか。
「これは──病気じゃない」
発動したままの看破で、ハルトそれを見た。
状態異常──毒。
「……魔法です」
彼が言うより早く、青ざめたままのリゼットが、声を振り絞るようにそれを指摘する。
「〈麻痺毒〉──以前読んだ本の中にありました。大人が掛かれば、その名のとおり麻痺症状を引き起こすだけ。
でも抵抗力の小さい子どもなら、他にも合併症を患います。だけど、ここまで──」
(ゼルギウスか)
病気でなく魔法だと言うなら、それを仕掛けた人物がいるはずだ。恐らく、死神のコントロールを目的として、初めから仕組んでいたのだろう。
つまり、死神の所業は「仕方なく」ですら無かったことになる。
「こんな小さな少女を。許せん」
何者かによる意図的な仕業だと、ダイキも気付いたようだ。右の拳を左手にバシッと打ち付けた。
「助けるぞ。どうすればいい?」
告げたのは要件のみ。その力強さに思わずリゼットが振り返った。
「ここから2ブロック東に教会がある。そこの司祭は治癒魔法の第一人者だ。名はシルビオ、そこへ運ぶ」
鋭く前方を睨み、一切の迷い無くハルトがそれに応える。ジュリアも彼を見て、息を呑んだ。
事情をよく知らない彼女らには、彼らの怒りが正確には理解できないだろう。ハルトはわざと声のトーンを落としてリゼットに尋ねた。
「動かしても大丈夫かな?」
魔法士を志すだけあって、彼女の持つ魔法学の知識は頼りになる。リゼットは鼻を押さえて、
「逆です。早くここから出した方が」
「まさか、この臭い──」
「はい。充満した魔力の流れが、この子に向いています。本来、時間が経てば効果が薄れる魔法なので……それを持続させるものでしょう。
大丈夫、魔法そのものを受けていない私たちには、害はありません」
彼女によれば、その魔法は高度なレベルでなく、自然に治すことも可能なようだ。
しかしここまでベッタリと魔法漬けにされ、症状が進んでしまえば、完治まで何年かかるか分からないというのが、リゼットの見解だった。一刻も早くその司祭の下へ運んだ方がいい。
「さすがに、勝手に連れて行くのはまずいんじゃない? まずお姉ちゃんを探そうよ」
「いや、いい。僕が後で説明に来る」
実際に元気になった少女の姿を、死神に見せること──それがフラグ回収の方法だ。事情を説明するだけでは足りないというのもあるが、何より悪意に満ちたこの部屋から、少女を連れ出すのが先決。ハルトは強引な手に出た。
シルビオという名の司祭は、仲間にすることはできないものの、どの勢力にもいる〈お助けキャラ〉のひとり。進んで彼らに協力してくれるだろう。
呻き声すら上げない少女をダイキが抱えると、彼らは揃って目的の教会へと足を向けた。
反則まで使って先回りを試みたハルト。だが、この先の展開に翻弄されることを、彼はまだ知らない。