肩書きの多すぎる男
ラナリア大公国──ここはアースガルドでも最大級の国土面積を誇る、雄大な国家である。
主な産業は農業。一年を通して温暖な気候が、穀物、野菜の安定した収穫を助ける。
これほど肥沃な土地を封されたのは、統治者がジェラルド・ルーベルク──旧アースガルド帝国初代皇帝の弟だからである。
ルーファウスによる狂黒の乱以降、殆どの属国が公国から〈王国〉へと名を変え、統治者も公爵から〈王〉へと逆戻りする中、この国と彼だけが旧統治下での肩書きを頑なに守っていた。
跡継ぎの居なかった名門分家を継いだ彼は、今でも〈ルーベルク大公爵〉としてこの地を治めている。
帝都イシュトリアを擁する、本家のイーリスからは遠く東西に隔てられてはいるものの、それにはその生産性以外にも、有事の際に属国の背後から睨みを利かせるという軍略上の理由があった。だがそれも肝心の本家が先に倒れ、且つそこが最大の敵になってしまったのだからまったく意味を成さない。
ラナリアが反・新生アースガルド帝国の筆頭であることは間違いないが、両者の間には幾つもの国が存在していることから、直接的な戦争に発展したことはこの10年で一度も無かったのである。
大別すれば大国と認識されているラナリア。しかし、国家としての勢いを図示できたとするなら、それは右肩下がりの急斜面であった。
「ううむ……」
ミュラー・クレメンス。彼の頭は多すぎる課題を整理しきれずパンク寸前だった。
執務室の机に長時間向かっていたが、遂に諦めたかのようにそれに突っ伏してしまう。
彼をどのように紹介すればいいだろう。まず彼はラナリアの騎士団長である。ディオニア教信奉国たる彼らが、そのイメージカラー、白を基調にした装備で備えたそれは〈白鷹騎士団〉と呼ばれる。
それだけではない。彼は魔法の心得もあり魔法師団の団長でもある。さらに近衛師団の長であり、貴族階級で言えば侯爵であり、軍務大臣でもあった。
何か作戦を実行する時は司令官となり、その規模が大きければ将軍にもなる。──つまり彼は軍事的な要職のほぼすべてを兼務しているのだ。
「初めから……練り直す必要があるな」
ミュラーはせっかく書いた何枚もの計画書を苛立たしげに破り捨てた。1足す1は2。何をどうやっても3や4にはなってくれない。
答えの出ない──いや、分かりきった答えのある問題を、無理矢理ねじ曲げようとしているのだからそれも仕方がなかった。
彼の──ラナリアの抱える問題は大きく3つある。
ひとつは、ルーベルク大公が子に恵まれなかったことによる跡継ぎの件。高齢の彼は有力貴族から養子を取って名家の断絶を避けようとし、実際にそれは内定もしているのだが、その人物が凡庸どころか家柄だけの暗愚であること。とても戦乱の世に民を率いる器ではない。
2つめはそれに絡み、選ばれなかった貴族家の反発が必至であること。特に最後までその座を争ったボッシュ家の動きが不穏である。下手をすれば内乱にも繋がりかねない状況だ。
そして3つめ──強大な隣国ウェルブルグによる侵攻が眼前に迫っていること。これが何より喫緊の課題であった。
彼の国の王はまだ36歳と若いが、先の統一戦争で〈十聖〉のひとりに数えられるほどの勇士であった。その末期に若干16歳で家督を継いだ彼は、僅か4年の間にみるみる勢力を拡大し、旧アースガルド帝国に最後まで抵抗する勢力にまで、ウェルブルグを押し上げた。
最終的に彼が服属したことで大陸の統一が成ったものの、その野望は大陸随一とも言われ、あと10年早く生まれていれば彼が天下を獲ったとまで囁かれる傑物だ。今のラナリアではとても太刀打ちできる相手ではない。
そんな状況だから、この国には厭世観が充満している。民どころか士官までが希望を失い、とても新生帝国に反撃するどころではなかったのだ。
それはミュラーとて同じ──何もかもひとりで背負わされ、もう少しで心が折れそうだった。しかし彼がやらなければ他に誰も対処してはくれない。
彼は何より、安心して役割を分担できる人材を欲していた。
その時、唐突にドアがノックされ、彼は気の無い返事を返す。
そう言えば──ひとつだけ明るい話題があった。
魔石の大規模発掘を予定しているレイス村で、その辺りを根城にしていた山賊が討伐されたという件だ。それを成した勇敢な者たちが今日、ここを訪ねて来る予定だったことを彼は思い出した。
その到着を知らせに来たのだと考えたミュラーは、椅子から腰を浮かせた。彼らに仕官を勧めてみようか。賞金稼ぎのような輩ならそれも考えものだが、猫の手も借りたいというのが本音。まずは会ってみて──。
しかし従者は意外な言葉を告げた。
「執務中恐れ入ります。大公閣下がお呼びです」
「閣下が──?」
最近めっきり表に出ることが少なくなった大公である。ミュラーは訝しげな表情を隠そうともせず、黙ってそれに従った。
──────────
彼らは目のやり場に困っていた。
ラナリアの首都、エルムト。そこに到着してからというもの、至る所で繰り広げられるその光景。
「ああ……ナターシャ。この身がたとえ朽ちようとも、僕は必ず君を守ってみせる」
「いいえロベルト。貴方のいないこの世界にいったい何の意味がありましょう。その時は私もお傍に……」
仲睦まじく語らう男女。それは人目を憚らず互いを見つめ合いながら、完全に自分たちだけの世界に浸っている。
しかもその数が1組、2組ではない。そこら中から同じような会話が漏れ聞こえてくるのである。
「何か──面倒臭え」
ソーマはそのひとことで吐き捨てた。
「何なんだよ、この街」
「終末思想ってやつかな。まあ無理もないけどね」
いつもの微笑を湛えたまま応えるハルト。ソーマはこの国の事情を、予備知識を持つ彼からある程度は聞いていた。
国盗りゲームにおいて、後顧の憂いが無くなる〈端押さえ〉は基本である。ラナリアは東端であり、初めからその利点を持っている上に、且つ豊かな土壌をも備えていたから、プレイヤーにとってはやりやすい勢力であるはずだ。
しかしハルトは、この勢力が不人気になるだろうと言った。理由はただひとつ──圧倒的な人材不足である。
「統一戦争ではもともと戦勝国側だったし、反乱後も目立った戦は起きていない。だから城や街もだいたい無事で、他の国ほど人口の減少も見られない。
でもそれは──こと戦に関して、経験者が少ないことでもるんだ。つまり軍事面で人が育たない環境だったってことさ」
個人が超人的な働きをする〈ゲーム〉である。数だけ人がいようが、土地に恵まれていようが、有能な人材が居なければそれを活かすことはできない。その規模に見合うだけの指導者、実務者ともに不足していることが、この国最大の欠点であった。
このままでは隣国の侵略を許すか、その前に内乱で潰れるだろう。民もそれを分かっているから、悲劇的な語らいが蔓延するのもやむを得なかったのかもしれない。
「逆に言えばそこが狙い目なんだけどね」
人材不足が深刻なのは、あくまでもラナリアからスタートした場合の話である。
セリムという切り札を持ち、数は少ないがそれ以外にも粒の揃った人材を抱える彼らには、却って好都合な国だと言えた。要するに、この国の主権を彼らが握ってしまえばいいのだ。
「まずは山賊討伐の手柄を使って上層部にコネを作る。そしてさらに何か手柄を立て──この国で、確固たる地位と拠点を手に入れる。
その後、皇女を救出する手だてを考え、それを成す。ゲリラ的にしか動きようがないから、序盤最大の難関になるよ。僕たちにとって皇女は人質みたいなものだから、セリムの素性を公にし、この国を完全に掌握するのはどうしてもその後になる。
そしていよいよ天下取りに名を上げるわけだけど──それまでは国力増強に努め、隣国との戦は避けた方がいいだろうね」
ハルトは改めて〈手順〉を確認した。彼の頭の中には、僅か5年程で大陸を統一する計画が、おおまかにだが既に完成している。
「早速、乗り込もうか」
彼らは城のすぐ近くまで来ていた。堀に掛けられた橋を渡ると近衛兵の詰所がある。
「何て言ったっけ……これから会う人」
「ミュラー・クレメンス。辺境守備部隊の隊長さんだ」
「え? 俺は騎士団長だって聞いたけど」
「違うよ。確か近衛師団のリーダーじゃなかった?」
彼らにも何が何だかよく分からないが、偉い人には違いないということで決着した。村で譲ってもらった荷物運び用の馬を繋ぐと、彼らはいよいよその門をくぐる。
「話は聞いている。くれぐれも粗相のないようにな」
近衛兵のひとりが値踏みするように彼らを見た。
目の前にいるのが本家の皇子だと知れば彼の方こそ飛び上がるだろう。ソーマはそんな意地悪をしてみたくなったが、近衛兵が次に発した言葉で、逆に彼が驚かされることになった。
「ルーベルク大公がお会いになる。中に案内役が控えているから、それに従って謁見の間まで行くように」
セリムがはっとしたように顔を上げた。彼の大叔父──セリムにとっては囚われの身となった姉とともに、残り少ない肉親である。
「大公? それってまさか……」
「この国の大公爵──言ってみれば王様だ」
「そんな……どうして」
山賊討伐に対する労いの言葉と、僅かばかりの褒美──それが彼らがここを訪れた〈表向きの〉目的である。大公自ら謁見を求められるとは、ハルトでさえ意外だった。
(何か裏があるのか……でも今さら断るわけにもいかないし、こうなったら出たとこ勝負でやるしかない)
困惑しながらも笑顔を絶やさない彼の横で、緊張をほぐすようにセリムが大きく息を吐いた。




