5番目の思惑
「貴様ァッ──!」
騒動も一段落し宿屋に戻った彼ら。しかしその姿をひと目見るや、激昂したルシアが彼を壁に押し付け、剣先を喉元に突き付けた。
彼女がこれほどまでに感情を露にしたのは、恐らく初めてソーマたちに会った時以来だ。もっとも当時とはそのベクトルが違う。
「ひいっ」
彼──マティアスは情けない声を出し、怯えた目を女剣士に向けた。
「まさか──考えもしなかったのです。奴らが魔石を諦め村を襲うなんて」
「違う! 作戦の成否についてじゃない」
ルシアは容赦ない。赦しを乞うようなマティアスの発言を、一層大きな声で掻き消した。
「作戦通りに事態が推移しないことなどいくらでもある。私が言っているのは──皇子が狙われた時のことだ」
敢えて彼女は〈皇子〉と言った。
「あの時、聞けばグレースでさえ宿を飛び出したそうだ。──貴様は何をしていた」
「う……」
予期せぬ事態に混乱して腰を抜かし、その後はただ自室に隠れていたのだ。勿論そんなことが言える状況ではない。
「もうよさないか、ルシア。マティアスは戦闘要員じゃない。それに僕ならこうして無事なんだし」
見かねて止めに入るセリム。彼女には珍しくその声にさえ一瞬躊躇する様子を見せたが、渋々マティアスを掴む手を緩めた。
「──何故、分かったのですか」
醜態を晒したことを何とか取り繕おうとしたのか、呼吸を整えると、マティアスが静かにハルトへ問いかける。
「そうそう、俺も聞きたかったんだよ」
身を乗り出すソーマ。最終的に山賊討伐を成し遂げたのはハルトの作戦によるものだが、それに協力した彼らとて全貌を知っていたわけではない。皆、部分的にその指示に従っただけなのだ。
彼らは揃って金髪の東洋人に注目する。
「確信があったわけじゃないよ。ただマティアスの作戦を聞いてまず思ったのは──〈その他の可能性について〉だった」
ハルトは誰に向けるともなく口を開いた。
「彼の言うとおりになるかもしれないし……ならないかもしれない。荷駄車が橋を渡ってから襲われるプランA、その前に襲われるプランB──それで本当に全部の可能性を潰せたのかな。
実際にそうなったように村の蓄えを狙われる可能性や、そもそも完全にスルーされることだってあり得た。目の前に獲物があっても『リスクがあれば奴らはそれを放棄する』──確かマティアスもそう言ってたよね。だからバックアップが必要なんじゃないかと、僕も考えてみたんだ」
それはまるで予め用意していたかのように、一切の澱みがない。ハルトは続けた。
「最高の結果と最悪の結果──僕が思うそれはマティアスのとはちょっと違った。
まず最悪の方からいこうか。僕にとってそれは奴らを取り逃がすことじゃなく、僕らのうち誰か──勿論村の人も含めて──が傷つき、倒れること。特に村に残るセリムの身の安全が一番気になった。彼に万一のことがあれば、僕らは今後の目標をすべて失うことになるから」
それに対する備えが〈ルシアを村に残す〉だったのだ。山賊たちはルシアまたはクレイグとは絶対に争わないという条件があったから、これ以上の対策はないだろう。
他ならぬセリムの身を案じてのことだからこそ、彼らもハルトに惜しみ無く協力したのである。
「それを前提に僕は作戦を見直してみた。一方の荷駄車隊にもクレイグがいるから、万一の事態は避けられるだろう。
あとは如何に奴等を仕留めるか。ルシアが抜けた後発隊の戦力はソーマとダイキ、僕──あとリゼットで埋めればいい。ジュリアもいるし、後発隊の目的はそもそも〈踵を返させる〉ことじゃないから、別にルシアじゃなくても──いや、むしろルシアじゃない方が上手くいく可能性が高くなる。
ルシアを相手にするくらいなら、危険を承知で川に飛び込んだ方がマシだと思われても仕方がないからね。〈殲滅〉するには少しでも向かって来てくれないと」
つまりハルトは、セリムの安全を確保しつつ、マティアスの策にも支障が出ないように画策していたのだ。
「次に村が襲われた場合。ルシアさえいれば安全ではあるけど、ただ追い返すだけじゃ解決にならない。だから僕は村でも挟み撃ちが出来る手だてを考えた。
村人にすべてを話して、修復作業のついでに村を強化し、安全に戦える方法を教えたんだ。彼らだって散々な目に遭ってきたんだから、進んで協力してくれたよ」
何も剣や槍だけが武器ではない。やり方さえ工夫すれば、石ころや熱湯だって充分武器になることを彼は村人たちに説いたのだ。
特に〈初老〉の村長がここぞとばかりに張り切り、山賊たちを誘導する役まで買って出たのだった。
「正面以外の出入り口をバリケードで塞ぎ、簡単に逃げられないように奴らを村の奥まで誘い込んだ上で、あとは合図を見た荷駄車隊が駆け付けるまでの時間を稼げばいい。──問題は荷駄車隊を迅速に戻す方法だったけど、それもすぐに解決したよ。
もともと万一を考えて魔石は運ばないことになってたよね。でもそれじゃ荷駄が軽すぎてクジャタの足取りでバレるかもしれないから、その対策を考えてる時に思い付いたんだ。いっそのこと馬を積んで行ったらどうかなって」
「……どうして私に言わなかったのですか」
バックアップどころか、彼の作戦をも所々フォローするその内容にプライドを大いに傷つけられ、マティアスは憎々しげな表情をハルトに向けた。
言ったところで彼が聞いたとは思えないが──言葉を選んでいるところにセリムが割って入る。
「ハルトも言っただろう、『確信は無かった』と。軍師の発言は周りの意見で簡単に足したり引いたりするものじゃない。彼もマティアスみたいな軍師を目指してるんだから、その重みを理解してくれたんじゃないかな」
(マティアスみたいな、じゃないけど)
苦々しく思いながらもそのフォローに感謝したハルトである。
「ところで、これでお前の考える〈最高の結果〉とやらになったのか」
「勿論。彼のおかげでね」
ソーマの問いにハルトは笑顔で応える。彼が指す先には最年少ロイの姿があった。
「僕が考える最高の結果──それは全部で3つあった。ひとつはウルバノたちを殲滅すること。2つめは本当の意味で後顧の憂いを取り除くこと」
レイス村は魔石のポテンシャルから、今後ラナリアどころかアースガルド全土から注目される土地となる。そこに何時〈第2のウルバノ〉が現れないとも限らない。彼はその脅威に対して村人が慌てず対処できるよう、自衛の方法と実績を与えたのだ。
それは義を尊ぶセリムにとって、単に目先の賊を討伐する以上の安心を齎した。彼はハルトがその真意を深く読み取り、また実現してくれたことに深く敬意を払う。
「そして3つめ。これはロイにしかできないことだった」
ハルトがそう言うと自然と皆の視線がロイに集まり、少年は照れたように微笑む。
「まさか──国の兵隊を連れて戻るとはな」
たまたま近くにいたクレイグがその小さな頭を乱暴に撫でた。
ロイはハルトに頼まれ、村長の書簡を手に最寄りの支城に赴いたのだ。帰路は馬や連行用の馬車を使うにせよ、徒歩なら通常は片道がやっとの行程を、彼はその驚異的な脚力とスタミナで、往復10日の期限に間に合わせてみせた。
勿論、万一彼らに狙われても彼の〈逃げ足〉なら大丈夫だという計算があってのことである。子どもがひとり、しかも徒歩で兵隊を呼びに行ったとはさすがにウルバノたちも想定できなかったであろう。仮に疑っても、間に合うとまでは到底思えないに違いない。
「捕らえた〈後〉のことまで、確かに考えて無かったな……」
山賊とはいえ彼らは村人を殺めたことはない。それは単に村の生産力を落とすのを嫌ったためだと考えられるが、さすがに皆殺しにするわけにはいかなかった。
この村には牢屋など無いし、そこから公的機関に引き渡す段取りを組むのは骨が折れたはずだ。実際に山賊たちに死者はひとりも出ていない。
「それもあるけど、これにはもっと重要な意味があったんだ」
ハルトは一枚の紙切れをテーブルに置いた。それはやって来た兵士長から手渡された書状である。
「お手柄だな、君たち。これから都に行くのか。ならば私たちの上官を訪ねるといい。あの方は身分を問わずその功績を称えて下さる。きっと褒美が出るだろう。そのために私からも一筆書いておこう──」
要約するとそのような言葉とともに渡されたものだ。ハルトはこれが欲しかった。正確に言えば書状そのものではなく、ラナリア本国との〈繋がり〉が。
「せっかく山賊討伐の手柄を上げるんだから、それを何かに使えないかなと思って。これさえあれば関所も簡単に通れるし、それなりの官職にある人物にだってすぐ会える。そういう意味では、今回の最大の功労者はロイだと言っていいと思うよ」
難しいことはよく分からないがハルトに褒められ、自分が役に立ったことを自覚したロイは嬉しそうに胸を張る。
「まったく──」
彼らに出会ってからいい意味で呆れることばかりだ。ルシアが肩を竦めながら口を開いた。
「本当に貴方たちには驚かされる。ただひとつの作戦に山賊の討伐、村人の自衛、次の行動の宛てまで付加するとは」
「まだあるよ」
立ち上がったのはジュリア。
「ハルトはロイが役立たずなんかじゃないって証明してくれた。この子だって立派なあたしたちの〈仲間〉だって」
とかくロイの肩を持つ彼女。恐らく実の弟のように気にかけているのだろう。その言葉はマティアスへの当て付けでもあったが、ハルトが少し赤くなった。
まさかそのために仕組んだんじゃあるまいな──思わずソーマはそう邪推したが、そこはハルトのことだ。あながち外れた推測では無かったかもしれない。
「しかしそれならそうと言ってほしかったぜ。兵隊がぞろぞろやって来た時はさすがに肝を冷やした」
発言とは裏腹にクレイグが豪快に笑う。古参に顔が知られているかもしれない彼らは、慌ててその姿を隠したのだ。
忘れてならないのは彼らが潜伏中の身であること。ハルトも笑顔で「ごめん」とだけ謝った。
──────────
時は移り、自室に戻った3人。興奮は未だ冷めやらないが、ダイキだけがひとり大きな溜め息をつく。
「むう‥……俺だけ何もしてない」
「気にすんなって。次があるさ次が」
充分に暴れたソーマはまだ上機嫌だった。同意を求めるように「なっ」とハルトの肩に手を触れる。
「それにしても奴らが村を襲ってくれて助かったな。荷駄車の方だったらいろいろ無駄に終わってたかもしれねえし」
「そんなわけないよ」
ハルトの目は氷のように冷たい。はっとしてソーマはその手を彼から離した。
「僕は初めから、奴らが村を襲うと確信してた。誰かに気付かれないかとヒヤヒヤしたけど」
「──え?」
「だってそうだろ。奴らは1日も早く出発したい僕らの事情なんて知らない。
行商には何日もかかるとはいえ、これまで散々邪魔しておいて、村にとって一番大事な魔石売りの大イベントにセリムたちが護衛を付けないなんて……どう考えてもおかしい。絶対『何かある』と勘繰るはずだ。
幾ら逃げ足に自信があっても、試せるような危険度じゃないさ」
村人はおろか国から派遣された討伐隊の動向まで掴んでいた山賊たちである。かなり注意深く彼らを観察していたとみて間違いない。
それも一重に、彼ら自身の身の安全を最優先に考えるが故のことだ。
「奴らは一番厄介なルシアの動向に注目してただろう。だけどね、見送りが見せかけで、実は彼女が村に居ないなら、荷駄車の罠が確定して積極的にスルー。村に残っているにしても、クレイグ他を警戒して消極的にスルー。どちらにしても、荷駄車を襲う選択肢だけは初めから無かったんだよ。
とはいえ奴らが獲物に飢えていたのは事実だから、村内部の情報は欲しかったはずだ。監視を続けていたところで、こそこそと〈白銀鎧の女剣士〉が──しかも4人も引き連れて村を出た」
「ルシアの鎧を着たジュリアだな」
「うん。彼女たちには、陽動のためだとしか言ってないけど。
ローブで隠しているように見せかけ、途中で何度か見せてやったんだよ。もともとジュリアの着こなしは雑だったし、奴らが見ていそうな所で時々こうして──こっそりローブの裾を引っ張ったりして」
「おま……そんなことしてたのか」
望遠鏡なども使って、かなり広角的に、粘り強く見張りを立てていたであろう山賊たち。だが敵に視認されれば〈戦場〉の定義が成立し、看破の対象となることを、決行までの数日で実験したハルトは知っていた。
それを発動し続けることで、ハルトは〈見られている〉タイミングを計ったのである。スキルの特性を応用したのだ。
「わざわざ遅れて出発した意味を奴らは考える。そしてすぐに、荷駄車が囮であること、幌の中にも仲間がいて、単に〈守る〉こと以外に目的があることに気付く。作戦に関わるだいたいの人数、メンバーもね。
逆に言えばその間、村は手薄で、試すだけの価値がある危険度に成り下がる」
「万一の場合でも逃げられる自信があるなら、村を襲う一択というわけか。しかしそれにしても、もう少し村に人を残しておいた方がよかったんじゃないのか」
荷駄車が完全な囮だったのなら、確かに9人も人数をかける必要はない。ダイキが疑問を口にするとハルトはニヤリとして、
「いや──そこはどうしても、一度はマティアスの策に乗っかる体裁が欲しかったんだ。それを補完した上で別の手を加える方が、比較しやすいから。
僕の作戦の、表向きな思惑はさっき言ったように3つ──ジュリアが言ったのを入れると4つか──あった。実はそれだけじゃなくて、その裏には何より大事な〈5番目〉があったんだよ」
「5番目……?」
「そう。それは皆にマティアスの信頼を失わせ、僕が彼にとって代わること。セリムがこの勢力のリーダーである以上、それを意のままに動かすにはどうしてもマティアスのポジションが必要だった。だから彼には、早々にご退場願おうと思って。
勿論これひとつじゃまだ無理だろう。でも彼らの見る目は明らかに変わっただろうし、〈次〉はいける」
彼は宣言どおり、山賊討伐にかこつけて〈面倒なこと〉を一気に片付けたのだ。ソーマとダイキはぶるっと身を震わせた。
同じ微笑みには違いないが、久しぶりに見るハルトの表情──それは〈冷笑〉だった。