討伐作戦(1)想定外
そして当日。外はよく晴れていた。
前日中に準備を終えた荷駄車が、村を出てゆっくり北へと進んでゆく。かなりの大きさと重量があるのだが、クジャタというこの世界特有の牛らしき生き物が、太い脚を動かして悠々とそれを引いている。
山が牛になったとも伝えられるそれは、ソーマたちがよく知る牛とは比べ物にならないほどの巨体で逞しかった。気性は穏和で人にもよく懐くことから、この世界では重量物の運搬によく使われるとのことだ。
動作だけ見ればのろのろと、本当に前へ進んでいるのか不安に駆られる程だが、歩幅が大きいため人が歩く程度の速度は出ている。時速にして4キロほどだろうか。
作戦の石橋まででさえ20キロ近くあるので、休みなく進んでもそこまで5時間はかかる計算。それでも早朝に出発すれば日没までには最初の経由地に辿り着ける。それは〈いつも通り〉であり、特に怪しまれる点は無いはずだ。
幌によって隠されたその中にはクレイグたちが乗っている。
作戦のことは村人たちにも知らされているため、姿を晒すことが出来ない彼らに代わって護衛役の男たちが大袈裟に身を乗り出し、武器と呼ぶにはややお粗末な鍬や鋤を振って村人たちの見送りに応えた。勿論、どこかで〈奴ら〉が見ているという前提だ。
見送りの中にはルシアの姿もあった。いつものように白銀色の軽装鎧に身を包み、片手に持った剣を振って彼らを送る。これも、山賊たちにとって最も危険な存在である彼女が、護衛に付いていないことをアピールする目的である。
ルシアは荷駄車が村から見えなくなるまでそこにいると、辺りを警戒するような仕草を見せて村の中へと戻った。
少し時間が経って──。
ソーマたちは予定通り、塀をよじ上って村の外へと降り立つ。数箇所ある出入り口は山賊に監視されている可能性があったからだが、それでも念のため誰だか分からぬよう全身をローブのような服で包み、顔もフードで隠している。もし誰かに見られていたとしても、それが彼らであるとは特定されないはずだ。
彼ら後発隊の人数は5人。荷駄隊のクレイグたち4人を合わせると9人となる。ウルバノ一家の総数を20人としても、個々の戦闘力を考えれば、正面からでも余裕で撃退できるだろう。挟撃はあくまでも逃走防止の手段である。
「あの牛のスピードなら、急げば充分追い付けるな」
「でも平坦な道は避けて行くんだから、結構頑張らないと離されるよ」
ここでもウルバノたちの目を警戒して、彼らは荷駄隊とは別ルートで目的の橋を目指すことになっていた。
しかしあまり離され過ぎると石橋での挟み撃ちに間に合わない可能性があるから、付かず離れずの行軍が必要となる。作戦の成否を握るのはそのタイミングなのだ。
「マティアスは自信満々だったけどさ……橋を越える前に襲われたら、どうするんだろ?」
ジュリアのそれはまるで「寧ろそうなってほしい」かのような言い草だ。苦笑いしながらハルトが答える。
「獲物が獲物だし奪った後はどうしても逃げ足が遅くなる。村の近場だと追っ手が来た場合に逃げ切れなくなるから、それを見越して、少なくとも橋の手前じゃ襲って来ないとマティアスは踏んだんだろうね。
ただもしそうなったら既に橋に近い所までは来ているはずだから、荷駄車は全力で橋を目指して逃げる。それが無理なら〈プランB〉に移行するだけさ」
「それって、結局クレイグたちが荷駄から飛び出して、逃げたらあたしたちが追うってだけでしょ」
橋の上での挟撃と違い、その手前では道さえ選ばなければ散開される。一網打尽とはいかなくなるかもしれない。
「その時はウルバノに狙いを絞るんだよ。弓の名手ハロルドもいることだし」
「そんなに上手くいくかな。あたしはそうは思えないけど」
それは嫌っているマティアスの立てた作戦だからか、それとも冷静に分析した結果なのか。恐らくその両方だとハルトは考えた。
(こう言っちゃ何だけど、ジュリアでさえこの作戦の成功は疑ってる)
「ところでロイはどこに行ったの? もう10日近く帰って来てないけど」
「ああ、今日には戻るよ。ちょっとお使いを頼んだだけだから」
「10日もかけて? いったいどんなお使いよ」
ハルトは爽やかに笑っただけでそれには答えなかった。
さらに時が移り、レイス村──。
完成したばかりの櫓の上にセリムはいた。それはかなりの高さがあり、村の中のみならずその外までも一望できる。
彼は村を見下ろした。ほんの10日ほどの間に、そこはすっかり様変わりしている。
討伐後すぐに出発することに決めた彼らは、今のうちにと村人の住居や共用施設の修復に取り掛かったのだ。それは1年間世話になった恩返しであった。
やはり、近くラナリア中心部から人が大挙としてやって来る計画らしく、すでにその準備が進んでいたことから、幸い資材に困ることはなかった。
中でも見張り用の櫓を改築したのはその目玉だ。古くなったそれを取り壊し、ほぼ一からの建設である。
彼らは張り切って木を切り、組み上げ、村のシンボルになるようにと装飾に至るまで懸命に汗を流した。途中からは村人たちもその輪に加わり、それはまさに村をあげての大事業となっていったのである。
尤も、〈それだけ〉ではないことをセリムは知っていた。
「〈予言の勇者〉か……いったい何者なんだろう」
彼らから感じる違和感──それは異国の者故などではない。上手く言えないが、もっと根源的なところで違うのである。
彼は〈予言〉に書かれた内容より、彼らがそれで語られることになった理由こそを知りたいと思った。
そのセリムの目が何かを捉える。
「──来た」
緊張に強張った声で彼はひとり呟く。遠くで砂埃が舞い上がるのを認めたのだ。それは騎馬隊による行軍に間違いなかった。
彼は手にした魔石を空高く放り投げ、その行方を確認することもなくすぐさま備え付けの鐘を鳴らす。
「山賊たちが襲って来る! ──皆、早く家の中へ!」
鐘の音が鳴り止むと同時に叫ぶセリム。そして程なく、上空で何かが炸裂した。──信号弾だ。
それは彼の投擲能力の限界点で発動し、さらに高く駆け上った所で閃光を放った。まるで太陽が二つになったような目映い光を、遥か遠くまで運んでゆく。
「もう遅えよ」
空を見上げてその男は嗤った。山賊の首領──ウルバノである。
「魔石みたいに洒落たモンじゃねえがな。俺たちだって狼煙くらい使える」
彼は荷駄車の中に、村人以外の護衛が潜んでいることを読んでいたのだ。張り付かせた見張りによって、それが石橋を渡り切ったことまで既に確認していた。
そこから急ぎ駆け付けたとて、足に自信がある者でも、少なくとも1時間はかかるだろう。
「後からこそこそ出て行った奴らにしてもそれは同じ──もう間に合わねえ」
隠していたつもりなのだろうが、望遠鏡で丸く切り取られた視界の中で、風で翻ったローブの下に〈白銀色の鎧〉が覗くのを彼は見逃さなかった。銀髪の女剣士は今この村にいない──彼はそう確信している。
それでも、石橋を叩いてさえ渡らぬ彼である。いつかの戦利品である懐中時計を手に数人に命じた。
「村の入り口で適当に暴れてこい。但し時間は無えからチンタラするな。全部奪って引き上げるまで──30分だ」
騒ぎを聞き付けても誰も出て来なければ、彼の読みは現実のものとなる。この村に彼らに抗する者はいないのだと。
「ひゃっほう」
久しぶりの獲物に嬉々とする手下たち。村に入るや否や、手近にあった柵や建築用の資材を無意味に、そして乱暴に蹴り散らす。
「そ、そんな……この村には、魔石はもう無いというのに」
その言葉で彼らが考え直してくれることを期待でもしたのだろうか、初老の男が怯えたように訴えた。しかし彼らはそれを嘲笑い、そして汚れた声で吐き捨てる。
「例えこの村一番のお宝でも、厄介な護衛が付いてりゃ俺たちは狙わねえ。今安全に頂戴できるのは、この村の蓄えの方だろうがよ」
「何と……そんな馬鹿な」
「おらっ、居るならさっさと出て来いよ!出て来ないならこのへんの家から潰しちまうぞ」
彼らは大声で喚きながら凶行の範囲を拡大させていく。家のドアを蹴り、窓を破り──恰もそこに踏み込んで、村人の命さえ奪わんばかりの勢いで。
「いかん、貯蔵庫を守れ! あれを奪われたら……ワシらは生きていけん」
少し後ずさってから反転し、初老の男は走り出した。
「……どうやら〈当たり〉みてえだな」
暫く待ったが誰も出て来ない。ウルバノはニヤリと笑うと、残りの手下に向けて指示を飛ばした。
「行くぞ、てめえら。つまらん物は無視、貯蔵庫にある蓄えだけを戴く」
そして本隊の先陣を切り、馬に跨がったまま村の中へ。外にいた村人たちは悲鳴を上げ我先にと家の中へと逃げ込んだ。
しかし最初に彼らと出会した初老の男だけが、辿々しい足取りで村の奥へと走ってゆく。
「──ダメだ、どこでもいいから早く家の中に入るんだ! 追い付かれる!」
セリムは必死に声を張り上げるが、それが聞こえないのか彼は村の貯蔵庫がある方へまっしぐらに走る。
しかしその手前まで来た所で足がもつれ、端の方によろけて遂には地面に手を突いた。
「わざわざ道案内ありがとうよ」
山賊たちはそんな彼に見向きもせず、その先にある大きな建家に突き進む。そして──消えた。
「──なっ?」
慌てて手綱を引き、馬の歩を止めるウルバノたち本隊。一瞬の出来事に狼狽するが、首領はすぐにその訳に気付く。
「落とし穴──?」
先行していた4人の山賊が、揃ってそれに落ちたのだ。深さは3メートルほどで、中にはご丁寧に鉄板が敷かれていた。
「今だ!」
セリムが号令する。すると周囲の家々の2階の窓が一斉に開き、そこから石や煉瓦が雨あられと降り注ぐ。
「ぐわっ」
「痛え!何だこりゃ」
山賊たちはたちまちパニックに陥った。それを躱そうと味方同士でぶつかり、怯えて立ち上がった馬から振り落とされる。
「こ、この野郎──!」
ひとりが家のドアを蹴破ろうとするが、補強されたそれはビクともしない。すると別の男が背後から駆け寄った。
「上だ、肩を貸せ」
直接2階へ飛び込もうというのだ。そして軽快に前の男の肩に乗る。
しかし窓に手を掛けようとしたその時、上から熱湯が浴びせかけられた。
「熱っちぃぃっ!」
もんどりうって転落する男。続けて大量の砂を入れた布袋が、顔を上げた土台の男の顔面を直撃する──。
彼らにはもはや何が何だか分からない。ただただ混乱し、逃げ惑い、村人たちの思わぬ逆襲の的となるしかなかった。
「──あいつだ」
しかしさすがに首領を張る男。ウルバノはその原因にいち早く気付き、櫓の上にいるセリムを指す。
「あいつが指示を出してる。引きずり下ろせ」
その声に我に返った何人かの手下たちが、櫓めがけて走り出した。それを認めたセリムは自分から降り始め、中ほどから身軽に飛び降りる。
「この村は僕が守る」
剣を抜くセリム。それはルシアと同じバスタードタイプだが、より軽量なライトソードである。剣はその彼女に習ったものだ。
「この野郎っ、よくも」
山賊たちの怒りはもはや頂点に達し、それがすべてセリムに向けられている。3人が同時に彼へ襲いかかった。
「山賊なんかに負けないぞ」
敵の武器はひとりが棍棒、あとの2人が湾曲した剣だった。
彼は重さに勝る棍棒の一撃を上手くいなし、時間差で2本の剣に対応する。乱戦になりかけるが足を掛けてひとりを倒すと、瞬時に反転し他方を一刀のもとに斬り捨てた。
まだ一息つかない。背後にも目があるかのように後ろからの剣戟を躱した。するとそれが誤って棍棒男の腕を掠め、それに怯んだ一瞬の隙を振り翳した連撃が見事に捉える。
男たちはセリムの剣技を前になす術なく、地面にひれ伏したのだった。
しかしそこに僅かな油断が生じたのか、4人目が死角から迫るのにセリムは遅れを取った。慌てて剣で凌ぐも、その口から射出される含針までは躱すことが出来ない。
「うっ」
幸い瞳への直撃は免れたが、それは目の斜め上あたりに突き刺さり、片方の視界を奪う。そこへ、にやついた山賊の容赦のない一撃が払われた。
──銀色の閃光。
「あ……」
セリムがそれを認めた時、既に勝負は終わっていた。
山賊は反対に自分が斬られた事実に気が付くことさえなく、先に倒された男の上にゆっくりと重なる。
美しく流れる銀色の髪。彼を守るかのように立つその背中。女性らしさはまったく損なっていないがそれは力強く、まるで不動の壁のようだ。
「──ルシア!」
「まったく……無茶し過ぎです。私を待つ手筈だったでしょう?」
さらにそこまで迫っていた残りの山賊たちを威嚇しながら──ルシアは苦言を呈した。
「でも……僕だって戦える」
片目を押さえながら、俯いて唇を噛むセリム。すると彼女は少しだけ振り返り、困ったような、それでいて優しい笑顔を主に向けた。
「話は後にしましょう。今は奴らを完全に討伐するのが先です。ここは私が防ぎますから、セリム様はどうぞ奥へ」
そう言って再び山賊たちに向き合う女剣士。眼前に集う彼らの、特にウルバノの驚きは尋常ではなかった。
「何で──何でお前がここにいる!」
「村を留守にすると約束した覚えは無いが?」
しかし──と言いかけてウルバノはある単純なミスに気付く。ルシアはいつもの軽装鎧を着ていない。謀られたのだ。
「……畜生っ!」
ウルバノは馬を翻すと、すぐさまその横腹を蹴る。
それが退却の合図であると悟った手下たちは、ある者は暴れる馬を押さえつけてその背に乗り、またある者はそれを諦めて走って逃げた。
「手下を見捨てて行くのか。どこまでも性根の腐った男だな」
何とでも言え、これが俺様のやり方だ──山賊の首領は来た道を脇目も振らず逆走する。
銀髪の女剣士が出て来た以上、他に選択肢は無い。
彼はその逃げ足に絶対の自信を持っている。またしても獲物を逃したのは痛いが、自分が痛い目をみるよりは遥かにマシだ。
一応は追う仕草を見せるものの、ルシアに慌てた様子は無い。彼女の役目は作戦の指揮を執る皇子を守ること。そして彼らを村の入り口へと追い返すこと──それだけだからだ。
「──来たな」
彼女はニヤリと笑う。ウルバノたちの視界を遮るように、ひとりの少年が立っている。
「さあ……いよいよ主役の登場だぜ」
とおせんぼするように両手を大きく広げ、少年──ソーマは高らかにそう宣言した。