リアルとの交錯
早めの夕食を済ませた後、ソーマたちは宛てがわれた古宿の一室に落ち着いた。
「無事〈勢力〉にも合流できたし、まあ順調と言えるかな」
空間モニターを操作する手を休めて、ひと息付くハルト。
「で、これからどうするんだ?」
ソーマの手には抜き身の剣。ルシアとの一戦でそれは早くもボロボロであり、手入れをしたところでどこまで持つか不明である。
「まず方針として──僕たちはセリムをこの世界の王にする。それでいいね?」
ハルトの問いに頷く2人。選択肢としては〈いずれ彼に取って代わる〉こともあり得たが、その考えは初めから検討すらされなかった。
ゲームとはいえ、これだけリアルなクオリティである。彼らは異世界の住人たちに自然と感情移入し、特に強い信念を持つひとつ年下の皇子に好感を持ったのだ。
「〈勢力〉としてどう動くかは、セリムたちの意向もあるから協議して決めるとして──問題は個々のレベルアップだな」
戦争をテーマにしたゲームで、14人という人数は余りにも少ない。
ルシアを始め個々の能力は決して低くはないが、ひとりひとりにかかる負荷はその分大きくなる。少数で大勢を相手にするためには、それが不可欠だった。
「基本的なことをおさらいしておこう。まずは〈闘気〉から」
実際にそれを体験したダイキが身を乗り出す。
「エナジーの説明はもうしたよね。それには〈闘〉と〈魔〉、2つの性質がある。そのうち〈闘〉に優れる者のエナジーを〈闘気〉と呼ぶ」
エナジー比率で言えば、ダイキが100%、ソーマは95%が〈闘〉に割り振られている。それが高ければ高い程、物理的な戦闘に向き、その専門性を高める。
「逆に〈魔〉のそれは〈魔力〉と言う。セリムたちの中だと、リゼットが〈魔〉に優れたタイプだ。彼女は魔法士のタマゴだから」
ハルトはダイキに教えてやった。
「それらは性質を方向付けるだけじゃなくて、エナジーポイント、略してEPを消費して直接〈使う〉こともできる。〈闘気〉なら身体能力を上げたり、エネルギーの塊を敵にぶつけたりできるし、〈魔力〉なら様々な魔法に変換できる──といったようにね。
〈闘〉が自身の能力を底上げする内側の力なら、〈魔〉は外側の力に呼び掛けてそれを使う、と言えるかな」
「成程……俺が喰らったのはそれか」
渾身の一撃を叩き込もうとして、逆に遥か先まで吹っ飛ばされたのは、そのエネルギー波によるものだったのだ。ダイキはぶるっと身を震わせた。
「尤も、それは誰にでも使えるわけじゃない。使いこなすにはかなりの訓練がいる」
例えば〈魔〉に100%を割り振ったとしても、それは素質を表すだけであり、すぐさま〈魔力〉を──つまり魔法を使えるようになるわけではないのだ。それには文字どおりレベルアップが必要なのである。
逆に言えば、どれだけレベルアップしようが、〈魔〉が0%であれば魔法を使えるようにはならない。また、ゼロで無くとも、パーセンテージが低ければ下位の魔法しか使えるようにならない。
ここでひとつ問題なのは、〈闘気〉或いは〈魔力〉を使えるか使えないかで、戦闘力に雲泥の差が生じることだ。昼間の仕合にしても、ルシアやクレイグが遠慮なくそれを使っていれば、彼らは揃って秒殺されていた。
「つまり、それを早く使えるようにならなきゃ話にならないってことだな」
ソーマは剣の柄を握り締めた。手加減された上に負けたことで、俄然やる気に火がついた──彼はそんなタイプである。
「もうひとつ、大事な要素がある。〈スキル〉だ」
主にバトルにおいて、特別なルールを課す特殊能力。
スキルにはS~Eの6段階あること、ひとり4つまでの制限があること、強制型と任意型があることなどを説明した後、ハルトは最も注意すべき点について述べる。
「2つ、とても重要なことがある。まず〈呪い〉状態にならないよう気を付けること」
「呪い?」
「うん。お互いの効果を打ち消すような、相性の悪いスキルを同時に持つことをそう呼ぶんだ。例えば『ダメージを受けるほど攻撃力が上がる』スキルを持ってるのに、『回避率を100%にする』スキルを持ってたら、前者の意味がまったく無いだろ。
一度身に付けたスキルは簡単に外せない仕様だから、ショボいスキルは勿論、くれぐれも無駄なスキルでキャパを埋めないようにしてくれよ」
実際にそんなスキルがあるかどうかはハルトも知らない。スキルに関しては、特典として提示されたもの以外に殆ど説明が無かったのだ。
それは調査系スキルの価値を下げないことと、ネタバレ防止のための意図的な対応に相違無いが、可能性は大いにあるから用心に越したことはない。
「それともうひとつ。どれだけ強くなっても、〈能力に嵌めるタイプ〉の敵に注意すること。このゲームには〈初見殺し〉のスキルがたくさんありそうだから」
ここでもハルトは、同じ『ダメージを受けるほど攻撃力が上がる』スキルを例に出した。
「調子に乗って敵をボコボコにして、最後に一発逆転を喰らうとか。如何にもありそうだろ?」
「確かに……」
パワーバトルに走りがちな2人は声を揃える。長い付き合いだから、ハルトが一般論でなく、自分たちに釘を刺しているのだということも理解した。
「せっかく〈レアスキル〉を持ってるんだから、それも有効に使わないとね。主人公補正のひとつで反則的に強いスキルばかりだから」
数あるスキル中でも、習得条件が厳しく、且つ所持人数が少ないものを〈レアスキル〉と呼ぶ。
軍神の寵愛と闘魂。ハルトは友人たちに設定したその説明で講義を閉じた。
「うむ、だいたいは理解した」
ダイキが力強く頷く。「だいたい」というのが引っ掛かるが、習うより慣れを地でいく彼のことだ。
あっさりと諦め、それ以上の補足はしないハルトである。
「ところで……戦闘に関して、実は大きな問題があるんだよね」
ハルトが思案顔で何か言いかけたとき、この場の雰囲気にまったくそぐわない、機械的な音が鳴り響く。
ピピピピ‥‥。
それは〈着信音〉だった。
反射的にソーマはポケットを探る。だが、勿論そこには携帯電話など入っていない。
彼とダイキが部屋をきょろきょろ見回す中、ハルトが空間モニターを操作し、それに応えた。
「もしもし」
『やあ、遥人君。どうだい調子は』
頭の中に響くようなその声。それは3人ともに聞こえている。
「どうも、柴崎さん。──素晴らしい臨場感ですよ。とてもゲームとは思えない。さすが〈アーク〉の新作ですね」
『そうかい。君にそう言ってもらえると嬉しいよ』
然も当たり前のように、声の主と会話を始めたハルト。
突然のことにソーマは呆然とする。しかし彼とてその声を知っている。いや、正確には思い出した。
この〈アースガルド・レクイエム〉を製作したノアズアーク社の開発責任者──柴崎だ。
『テストプレイヤーとして数々の実績を上げ、不具合を未然に防止してきた君に協力してもらえるなんて、我々にとっても幸運だったよ』
そうだった、とソーマはさらに記憶を呼び起こす。現実での彼は、新作ゲームのテストプレイヤーというアルバイトにハルトから誘われ、ダイキとともに参加したのだ。
『で、どうかな。まだ冒頭と言っていい段階だとは思うけど』
「それが……」
ハルトは困ったような顔をしながらも、はっきりと言った。
「既に3つ。軽微なのと、中程度のもの、そして深刻なのがひとつずつ。どれからいきましょう?」
『ほう、さすがだね。──いや、感心してる場合じゃないな。軽いものからお願いするよ』
「わかりました」
ひとつ息を吐き、ハルトは続ける。
「開始直後の山賊戦、その中で脈略無く同じセリフを連発しているモブキャラがいました。敵の素性を教えてくれる、大事なセリフだったからでしょうけど」
自分がゲームの世界にとっぷり浸かり、バタバタしていた間にも、ハルトは〈仕事〉をしていたのだ。ソーマは何となく気恥ずかしくなった。
『ふむ。ストーリーに関係する重要なセリフは、聞き逃した時のために履歴が見れる仕様なのだが……キャラが勝手に気を利かせたか。
まあそれはすぐに修正できるだろう。次は?』
「戦闘中、視点を何度も切り換えると空間モニターの表示が歪むことがあります。定点にするとすぐに治まりますが。
ステータスは非表示だから読めなくても問題ないんですけど、一瞬気を取られるから、緊迫した場面ではちょっと困りますね」
『それはこちらでも確認している。既に改良を始めているから、完了次第そっちにも反映させるよ。では……〈深刻なもの〉とやらを聞こうか』
柴崎の声には幾分緊張が含まれていた。ここで何故か、ハルトはソーマに視線を向け、短い報告を上げる。
「このゲーム──〈血〉が出ます」
単に聞き取れなかったのか、それとも言葉を失っているのか──柴崎は答えない。ハルトは繰り返した。
「攻撃が当たった時、血が出るんです。生々しく、まるで本物みたいに」
『──何だって?』
柴崎の声のトーンが変わった。背後にも人がいるのか、何やらざわついた音も聞こえる。
「その様子だと他からの報告はまだみたいですね」
『ああ。〈フィルター〉はちゃんと機能しているはずだ。それが剥がれるなんて』
勿論テストプレイヤーは他にもいる。別のシナリオや特定のイベントばかりをスポットでプレイするなど、役割は様々。
これまでの実績から、ハルトは実際同等の〈通しプレイ〉担当だった。
「それの……どこが問題なのだ?」
ダイキが訊いた。これ程リアルな作りのゲームだ。彼には寧ろ当然に思えた。
「リアルだからこそ、さ。あくまでもこれはゲームなんだから、演出の域を越えたリアルさは、むしろ弊害なんだ」
珍しく興奮気味のハルト。
「考えてみろよ。それはゲームの中で普通に〈人殺し〉ができるってことだよ?それが現実世界の本人に、影響を与えないはずがない」
柴崎がハルトの後を継ぐ。
『仮想現実依存症──VRAD。その対策が我々には最も重要なんだ。殺人や暴行を助長したり、そこに引きこもったまま出てこなくなったり──現実世界に悪影響を与える要素は、最大限に排除しなければならない。
社会的責任は勿論、ゲームが進化すればする程、規制も厳しくなって、それが不十分だと販売が認められないんだ。
今は〈仮想現実〉という言葉さえ自重し〈架空世界〉と呼んでいるくらいだから』
彼の言うとおりだ。どれだけリアルを追求しようが、越えてはならない壁があった。
ゲームであることを意識付ける為、メインメニューたる空間モニターは消すことができない。また、そこに現実時間を常に表示させることや、一定時間毎に強制終了させることなどが、メーカーには義務付けられていた。
ゲーム内の演出にしても、斬られた首が飛ぶ、血が出るなどの場面は、ムービーとして〈観る〉機会に限られる。それですら、あまりリアルにならないよう配慮されているのだ。
ましてプレイ中ともなれば、それが暗転したり、斬った敵が発光して消えるなど、〈不自然〉でなければならない。
「これ……何とかなりませんか。このままじゃ、テストプレイを続けることさえ難しい」
ハルトの懸念──それは特にソーマの戦闘スタイルにあった。彼が存分にその腕を振るうには、殺したではなくやっつけた程度の演出が、どうしても必要なのである。
たとえゲームの中であっても、彼を人殺しにするわけにはいかないのだ。
『分かった、直ちに対処しよう。しかし、皇子のシナリオなら本格的な戦争に入るまでまだ少し時間があるな。それまでには何とかするから──このままテストを続けてくれないか』
スケジュールが押していることはハルトも聞いている。メーカーにはテストプレイの結果報告も課せられているから、なるべくなら予定外の中断はしたくないのだろう。
「……なるべく早くお願いします。小競合い程度なら既にあるから、やばくなったら中断しますよ?」
「ああ、それで構わない。判断は任せるよ」
そこで〈通話〉は切れた。
バツが悪そうに、ソーマがハルトに顔を向ける。
「何か……悪い。お前ばっかり仕事させて。俺、すっかり楽しんじゃってたよ」
しかしハルトはいつものようににっこりと微笑んだ。
「いいんだよ。楽しんでるのは僕も同じさ。それに、お前らみたいな〈予想外〉を連発する仲間がいるからこそ、正確にデバッグできるんだ。
バグ探しは僕がやるから、お前らはこれまでどおり普通にゲームを楽しんでくれたらいい」
それを聞いて安心したソーマだったが、彼は手にした剣を見つめると、真剣な表情で何かを考え始めた。
「まだ中断しないのか」
ダイキが窓から外を見た。もうだいぶ暗くなってきている。不具合のこともあるが、彼には現実での時間経過の方が気になったのだ。
「セーブはしたけど、まだ全然だよ。現実の時刻はこっち」
ハルトが指を差した空間モニター。そこに刻まれた時刻は、殆ど数字が変わらなかったために、ダイキはそれが時計だとは認識していなかった。
「……いや待て、俺たちがゲームを始めてから──まだ数分だと?」
表情が乏しい為に分かりにくいが、ダイキが驚いたらしい顔になる。
「この世界は現実より時間が進むのが早いんだよ。それも圧倒的に。こんなクリアまでに時間がかかるゲームで、同じ時間が必要だったら困るだろ」
〈アースガルド・レクイエム〉の標準クリア時間は、ゲーム中の時間で言えば10年と設定されている。同じだけ現実でも時が進むとすれば、それはもはやゲームにならない。
「例えば今から寝るとするだろ。でも実際は体力だけ回復して一瞬で朝になる。そうじゃなきゃ、『ゲームは1日1時間まで』とか決められた子どもは、寝て起きるだけで一週間くらいプレイしなきゃならない。尤も、プレイヤーの僕らはたっぷり寝た気になるから大丈夫」
仮に1年をスキップ無しで過ごした場合でも、現実では1日しか経っていない。
彼らは夏休みを利用し、1週間泊まり込みでこのバイトに来ているから、中断を考慮しても実際のプレイ時間は約6、7年ということになる。
「その制限内でちゃんとクリアしようと思ったら、かなり急がなきゃダメだね。僕のみたところ最短でも多分5年はかかるから、ギリギリってとこだよ」
必ずしもハルトたちにはクリアまで求められていないが、他のテストプレイヤーに引き継がれるのは癪だ。やるからには自分たちの手でクリアしたい。
与えられた時間でそれをやり遂げるにはかなり厳しいものの、自信を見せるように、口角を上げるハルトだった。
明日からは〈3人〉ではなく〈勢力〉としての戦いが始まる。それぞれが期待を胸に踊らせる中、ソーマはあることを思い付いていた。




