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卒業生たちに贈る短編小説『スケッチブックは、まだ白い』

作者: 明石竜
掲載日:2026/02/26

 卒業式の前日、机の引き出しを整理していたら、一番奥からスケッチブックが出てきた。

 表紙の角は少し折れていて、名前を書いた油性ペンの文字はかすれている。

 ——図工室で使っていたやつだ。

 ページをめくると、クレヨンの線が残っていた。

 太くて、はみ出していて、勢いだけはある線。

 当時は、うまく描こうなんて思っていなかった。ただ、思いついた色を、思いついた場所に置いていただけだった。

 赤い太陽。

 青すぎる空。

 緑が多すぎる木。

 先生は「いいね」と言ってくれたけど、理由はよくわからなかった。

 その次のページには、絵の具で描いた絵があった。

 水を多く含んで、境目がにじんでいる。

 思った色にならなくて、何度も重ねた跡。

 あのときは、にじむのが嫌だった。

 はっきりした線が描けなくて、うまくいかなくて、ちょっとだけ悔しかった。

 でも今見ると、そのにじみは、悪くない。

 ページをさらにめくる。

 色鉛筆の絵が出てきた。

 輪郭を何度もなぞって、少しずつ色を重ねている。

 時間をかけて、考えながら描いた跡がある。

 ——ああ、この頃からだ。

 「失敗しないように」描くようになったのは。

 周りと比べて、

 評価を気にして、

 はみ出さないように、

 間違えないように。

 色は増えたはずなのに、使う色は減っていった。

 卒業式の練習で、体育館に並んだ椅子。

 校歌を歌う声。

 少しだけよそよそしいクラスメイト。

 みんな、ちゃんと前を向いている。

 次の学校、次の場所、次の自分へ。

 でも、スケッチブックの最後のページは、白いままだった。

 使わなかったページ。

 描かなかった絵。

 ——これでよかったんだろうか。

 そう思ったとき、ふと、クレヨンの箱を思い出した。

 短くなって、折れやすくて、手が汚れるやつ。

 あの頃は、汚れることなんて気にしていなかった。

 失敗しても、また上から塗ればよかった。

 色鉛筆みたいに、きれいじゃなくても。

 絵の具みたいに、狙った色じゃなくても。

 楽しかった。

 スケッチブックを閉じかけて、やめる。

 机の上に、白いページを開いたまま置く。

 引き出しの中には、もう使っていない色鉛筆。

 キャップのない絵の具。

 折れたクレヨン。

 どれも、完璧じゃない。

 でも、今の自分も、たぶんそうだ。

 新しい場所では、また白いページが渡される。

 「こう描きなさい」とは、きっと言われない。

 何色を使ってもいい。

 はみ出してもいい。

 途中で変えてもいい。

 スケッチブックは、評価表じゃない。

 未来の予定表でもない。

 ただの、白い紙だ。

 クレヨンみたいに、勢いで塗ってもいい。

 絵の具みたいに、にじんでもいい。

 色鉛筆みたいに、時間をかけてもいい。

 全部、同じ一冊にあっていい。

 最後のページに、そっと線を引く。

 何を描くかは、まだ決めない。

 でも、その線は、ちゃんと自分の手で引いた。

 卒業は、完成じゃない。

 提出でもない。

 ——新しいスケッチブックが、また一冊増えるだけだ。

 ページは多い。

 色も、まだまだ残っている。

 白いままでもいいし、

 ぐちゃぐちゃでもいい。

 これから描く絵は、

 誰かの見本じゃなくていい。

 スケッチブックは、まだ白い。

 だからこそ、続きを描ける。

 それだけで、十分だ。

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