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じいさんと百の運命

## 第七章 過去の調和


サンクトリアの街は、過去数週間で大きく変化していた。市民委員会の崩壊後、暫定市民評議会が設立され、より透明性の高い政治体制への移行が始まっていた。プロジェクト・リバースの真相が明らかになり、関係者の多くが公開審問会にかけられていた。


孝吉の家は、この混乱の時期、彼らの隠れ家となっていた。古い建物は市の中心部から離れており、一時的な平和を提供してくれた。


「新聞を持ってきたよ」由紀は朝食の席で言った。彼女はテーブルに新聞を広げた。一面には「新評議会、過去の歴史改変計画を全面調査へ」という見出しが踊っていた。


「変化は始まっているようだな」孝吉はコーヒーを飲みながら言った。


「しかし、まだ混乱は続いています」リンは窓の外を見ながら言った。「信頼の再構築には時間がかかるでしょう」


四人—孝吉、由紀、リン、ハルキ—は朝食を共にしていた。ネオは別の用事があると言って、早朝に出かけていた。


「グレイの裁判はいつ始まるんですか?」由紀が尋ねた。


「来週だそうだ」ハルキが答えた。「多くの証人が出廷する予定だが...私たちも呼ばれるかもしれない」


「証言するつもりか?」孝吉が尋ねた。


「真実を語るべきでしょう」リンは静かに言った。「それが癒しの始まりです」


朝食を終えた後、孝吉は工房に向かった。彼はここ数日、古い時計の修理に没頭していた。それは彼にとって瞑想のようなものだった。


「入っていいですか?」由紀が工房のドアをノックした。


「ああ」孝吉は顔を上げた。


由紀は工房に入り、孝吉の作業を興味深そうに見つめた。「上手くいってますか?」


「ああ、少しずつだがな」孝吉は微笑んだ。「時計は急かしてはいけない。時間自体と同じように」


「深いですね」由紀は微笑んだ。


二人はしばらく沈黙した。孝吉は細かい部品を丁寧に磨き、由紀はそれを見守っていた。


「孝吉さん」由紀が静かに切り出した。「これからどうするつもりですか?」


孝吉は手を止めた。「どういう意味だ?」


「全てが落ち着いたら...」由紀は窓の外を見た。「私たちはそれぞれの道を行くのでしょうか」


孝吉はしばらく黙っていた。彼自身、この問いについて考えていた。


「わからん」彼は正直に答えた。「長い間、私は過去に囚われ、未来を考えることさえしなかった」


「私も同じです」由紀は静かに言った。「ずっと逃げてきて、明日のことも考えられませんでした」


「しかし今は違う」孝吉は時計を置いた。「未来を...考える時なのかもしれん」


由紀は優しく微笑んだ。「それは良いことですね」


その時、玄関のドアが開く音がした。二人は工房を出て、リビングに向かった。


「お帰り、ネオさん」由紀が挨拶した。


ネオは普段よりも緊張した様子で立っていた。そして彼は一人ではなかった。彼の隣には、60代後半と思われる女性が立っていた。彼女は優雅な雰囲気を持ち、静かな威厳が感じられた。


「孝吉」ネオは珍しく緊張した声で言った。「紹介したい人がいる」


孝吉は疑問に思いながら前に進んだ。「どなたで...」


言葉が途中で止まった。女性の目を見た瞬間、孝吉の体が硬直した。その目は...彼が50年間忘れることのできなかった目だった。


「ミドリ...?」孝吉の声は震えていた。


女性の目に涙が溢れた。「タカヨシ...」


部屋は凍りついたような静けさに包まれた。由紀は驚きの表情でその様子を見つめ、リンとハルキも言葉を失った。


「どうして...」孝吉は震える声で言った。「君は...死んだはず...」


「死んでいませんでした」ミドリは小さな声で言った。「あの日、私は重傷を負いましたが...救助されたのです」


孝吉は一歩前に進み、そして止まった。彼の顔には混乱、喜び、そして恐れが入り混じっていた。


「私が連れてきた」ネオが静かに言った。「彼女を見つけるのに、長い時間がかかった」


「なぜ...なぜ私を探さなかった?」孝吉の声には痛みが込められていた。


ミドリの目から涙がこぼれ落ちた。「探しました...でも、あなたも死んだと言われたのです。軍の記録にそう...」


「軍が...」孝吉は理解し始めた。「彼らは私たちを引き離したのか」


「あなたの能力を...独占するためだったのでしょう」ミドリは悲しげに言った。


二人は言葉を失い、ただ互いを見つめていた。50年の時を超えて、ついに再会した夫婦。その間に流れた時間は、深い溝のようにも思えた。


「タカシは...」孝吉はようやく口を開いた。


「立派に育ちました」ミドリは微笑みながら涙を拭った。「あなたによく似た、頑固で優しい子でした」


「会いたかった...」孝吉の声は掠れた。


「彼もあなたに会いたがっていました」ミドリは静かに言った。「科学者になったのも、あなたの能力の秘密を理解したかったからです」


部屋の空気は感情で満ちていた。由紀は静かに涙を拭い、リンとハルキも深く感動した様子だった。ネオでさえ、いつもの厳しい表情が和らいでいた。


「座ってください」由紀が気を利かせて言った。「お茶を入れます」


二人は向かい合って座った。孝吉の手は震えていたが、彼は静かにミドリの手を取った。その手は温かく、現実だった。


「話してくれないか」孝吉は静かに言った。「この50年...君はどう生きてきたのか」


ミドリは深呼吸し、彼女の物語を語り始めた。


彼女は重傷を負いながらも救助され、軍の病院で治療を受けた。息子のタカシも無事だった。しかし、孝吉は作戦中に死亡したと彼女は告げられた。真実を知ったのは何年も後のことだった。


「タカシが10歳の頃、彼は特別な才能を見せ始めました」ミドリは懐かしむように言った。「物の仕組みを直感的に理解する能力...あなたの能力の一部を受け継いだのです」


「彼も修復能力を?」孝吉は驚いて尋ねた。


「完全な能力ではありませんでした」ミドリは説明した。「しかし、彼は物理法則や機械の原理を驚くほど深く理解できました。それが彼を優れた科学者にしたのです」


ミドリは続けて、タカシの成長と彼の研究について語った。新エネルギー源の開発、そして平和条約への貢献。彼は科学の力で世界を変えようとしていた。


「彼は...どんな人だった?」孝吉は知りたがった。


ミドリは微笑んだ。「頑固で、正義感が強く、そして優しい人でした。休むことを知らず、常に研究に没頭していました。でも、友人を大切にし、笑顔の絶えない人でした」


由紀がお茶を運んできた。全員が静かにそれを受け取り、ミドリの話に耳を傾けた。


「彼は結婚したのか?子供は?」孝吉は尋ねた。


「はい、素晴らしい女性と結婚しました」ミドリは嬉しそうに言った。「そして一人娘がいます。彼女はタカシによく似ています...そしてあなたにも」


「娘...」孝吉はつぶやいた。「私には孫がいるのか」


「ユカリといいます」ミドリは言った。「彼女は今、28歳。父親の研究を継いで科学者になりました」


孝吉の目に涙が浮かんだ。「会いたい...」


「彼女も会いたがっています」ミドリは優しく言った。「あなたの噂は聞いていました。『修復者』としての」


由紀は静かに立ち上がった。「少しお二人だけで話したほうがいいですね」


リンとハルキも同意し、彼らは部屋を出ようとした。


「いや、残ってくれ」孝吉は彼らを止めた。「君たちは...私の新しい家族だ」


由紀の目が潤んだ。リンとハルキも感動した様子で、再び席に着いた。


「なるほど」ミドリは理解を示すように頷いた。「あなたも新しい絆を見つけたのですね」


「ああ」孝吉は頷いた。「長い間、私は独りだった。しかし、彼らが私に新しい目的を与えてくれた」


「それは良かった」ミドリは心から言った。「タカシもきっと喜んでいるでしょう」


話は夜遅くまで続いた。ミドリは50年間の記憶を紡ぎ、孝吉も自分の体験を語った。それは悲しみと喜び、失望と希望が混ざり合った物語だった。


夜が更けると、ミドリは立ち上がった。「今日はこれで失礼します。また明日、ユカリを連れてきます」


「ここに泊まっていけば」孝吉は提案した。


ミドリは優しく微笑んだ。「ありがとう。でも、少し時間が必要です。あなたも同じでしょう?」


孝吉は理解を示した。50年の隔たりは、一晩で埋められるものではなかった。


「明日会おう」孝吉は静かに言った。


ミドリが去った後、家は静かになった。孝吉は窓辺に立ち、夜空を見上げていた。


「大丈夫ですか?」由紀が彼の側に立った。


「わからん」孝吉は正直に答えた。「喜びと混乱と...様々な感情が入り混じっている」


「それは当然です」由紀は優しく言った。「50年もの時を経て...」


「彼女は変わった」孝吉はつぶやいた。「私も変わった。私たちはもう同じ人間ではない」


「でも、絆は残っているようでしたね」由紀は言った。


孝吉は黙って頷いた。「孫に会えるとは...想像もしていなかった」


「新しい始まりですね」由紀は微笑んだ。


孝吉は彼女を見つめた。「由紀...君はこれからどうするつもりだ?」


由紀は少し驚いた様子で、考え込んだ。「まだ...決めていません。でも、もう逃げることはしないつもりです」


「ここに残ってはどうだ?」孝吉は提案した。「この家は広すぎる。リンとハルキにも、もし望むなら」


由紀の顔が明るくなった。「本当にいいんですか?」


「ああ」孝吉は頷いた。「私たちは...家族のようなものだ」


由紀は感動して孝吉の手を取った。「ありがとうございます」


二人は静かに夜空を見上げた。星々は変わらず輝いていたが、彼らの心には新しい光が灯っていた。


---


翌日、孝吉は早朝から落ち着かない様子だった。彼は何度も部屋の中を行ったり来たりし、窓の外を見ては時計を確認していた。


「孝吉さん、少し落ち着いては?」リンが優しく言った。「まだ朝の10時ですよ」


「すまん」孝吉は照れたように言った。「緊張しているんだ」


「当然です」ハルキが微笑んだ。「初めての孫に会うのですから」


彼らは朝食を終え、リビングを整えていた。由紀は台所で特別なお茶菓子を準備していた。


「どんな子なんでしょうね」由紀は興味深そうに言った。「タカシさんに似ているのかしら」


「ミドリさんは、タカシさんとあなたに似ていると言っていましたね」リンが孝吉に言った。


孝吉は窓際に立ち、遠くを見つめていた。「不思議だ...50年間、自分には何も残っていないと思っていた。そして今...」


「人生は予測できないものですね」ハルキは哲学的に言った。


正午少し前、玄関のドアをノックする音が聞こえた。全員が緊張した表情で顔を見合わせた。


孝吉は深呼吸し、ドアに向かった。ドアを開けると、そこにはミドリと若い女性が立っていた。


若い女性—ユカリ—は孝吉をじっと見つめた。彼女は長い黒髪と鋭い眼差しを持ち、その表情には知性と強さが感じられた。孝吉は彼女の中に、確かに自分とタカシの面影を見た。


「こんにちは...おじいさん」ユカリは少し緊張した声で言った。


「ユカリ...」孝吉の声は感情で震えた。


一瞬の静寂の後、ユカリは一歩前に出て、孝吉を抱きしめた。孝吉は驚きながらも、孫を優しく抱き返した。


「ようこそ」孝吉はようやく言った。「中に入りなさい」


三人がリビングに入ると、由紀、リン、ハルキが温かく彼らを迎えた。自己紹介の後、全員がテーブルを囲んで座った。


「あなたが『修復者』だったなんて...」ユカリは興奮した様子で言った。「父は常にあなたの能力について話していました。それが彼の研究の原点だったんです」


「タカシは...私の能力を研究していたのか?」孝吉は驚いて尋ねた。


「はい」ユカリは熱心に頷いた。「彼は物質とエネルギーの変換に関する理論を構築しました。あなたの能力を科学的に説明しようとしたのです」


「成功したのか?」


「部分的には」ユカリは少し残念そうに言った。「しかし、彼の研究は新しいエネルギー源の開発に繋がりました。それは世界を変える可能性を持っています」


孝吉は誇らしげな表情を見せた。「息子は...素晴らしい業績を残したんだな」


「はい」ミドリが優しく言った。「そして、ユカリはその研究を継いでいます」


会話は自然に流れた。ユカリは祖父について知りたがり、孝吉も孫の人生について多くの質問をした。由紀とリン、ハルキも会話に加わり、家は温かな雰囲気に包まれた。


「実は...」ユカリは少し真剣な表情になった。「おじいさんにお願いがあります」


「何でも言ってみなさい」孝吉は優しく言った。


「私の研究所で...あなたの能力を調べさせてもらえませんか?」ユカリは真剣な表情で言った。「父の研究を完成させるために、あなたの能力の仕組みを理解したいんです」


孝吉は少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑んだ。「もちろんだ。喜んで協力しよう」


「本当ですか?」ユカリの顔が明るくなった。


「ああ」孝吉は頷いた。「タカシの研究を完成させるなら...私にとっても意味のあることだ」


昼食後、ユカリは自分の研究について詳しく説明した。彼女はタブレットを取り出し、複雑な図表やデータを示しながら話した。孝吉は全てを理解できたわけではなかったが、孫の情熱と知性に感銘を受けた。


「近いうちに研究所に来ていただけますか?」ユカリが尋ねた。


「もちろん」孝吉は答えた。「いつでも」


「素晴らしい!」ユカリは喜んだ。「あなたの協力で、研究は大きく前進するでしょう」


夕方になり、ミドリとユカリが帰る時間となった。


「また来週来ます」ミドリは約束した。「もっとゆっくり話しましょう」


「待っているよ」孝吉は穏やかに言った。


ユカリは孝吉を再び抱きしめた。「おじいさん...会えて本当に嬉しいです」


「私もだ、ユカリ」孝吉は感動して言った。


彼らが去った後、孝吉はリビングの椅子に深く腰掛けた。彼の表情には、長年見られなかった安らぎがあった。


「素敵な方々ですね」由紀は微笑みながら言った。


「ああ」孝吉は頷いた。「ミドリは変わった...しかし、彼女の本質は同じだ。そして、ユカリは...驚くべき若者だ」


「彼女はあなたに似ています」リンが言った。「あの目と...決意の強さ」


「タカシの娘だ」孝吉は誇らしげに言った。「私の孫だ」


「研究所に行くつもりですか?」ハルキが尋ねた。


「ああ」孝吉は頷いた。「彼女の研究を手伝うつもりだ。タカシの意志を継ぐために」


「素晴らしいことです」リンは喜んだ。「あなたの能力が良い目的のために使われる」


「由紀」孝吉は彼女に向き直った。「君も一緒に来ないか?」


「私が?」由紀は驚いた。「でも、私の能力は...」


「君の能力も研究する価値がある」孝吉は真剣に言った。「それに...一人で行くのは少し緊張するんだ」


由紀は嬉しそうに微笑んだ。「もちろん、喜んで」


夜が更けると、孝吉は再び工房に向かった。彼は古い時計の修理を続けながら、今日のことを思い返していた。


「タカシ...」彼はつぶやいた。「君の娘は素晴らしい。君は良い父親だったんだな」


孝吉の手が時計の部品の上で静止した。彼の心には様々な感情が渦巻いていた—喜び、悲しみ、そして希望。彼は長い間、過去の幽霊と生きてきた。しかし今、彼の前には未来が広がっていた。


「新しい始まりだ」彼は静かに言った。


工房の窓から、星空が見えた。孝吉はその光を見つめながら、これからの日々に思いを馳せた。失われたと思っていた家族との再会。新たな家族との絆。そして、孫の研究を通じて、息子の遺志を継ぐ機会。


人生は時として、予想外の方向に進む。しかし、それこそが人生の美しさなのかもしれない。孝吉は、初めて長い間、心から平和を感じていた。


## 第八章 未来への架け橋


一週間後、孝吉と由紀はユカリの研究所を訪れることになった。研究所はサンクトリアの西区、新しく開発された科学特区にあった。最先端の建物が立ち並ぶ一角で、「ノムラ研究所」は控えめながらも存在感のある建物だった。


「緊張しますね」由紀は研究所の入り口に立ちながら言った。


「ああ」孝吉も同意した。彼は普段着ていた古い服ではなく、久しぶりに正装をしていた。


彼らが入口に近づくと、ドアが自動的に開き、ユカリが笑顔で迎えてくれた。


「おじいさん、由紀さん、来てくれてありがとう!」彼女は嬉しそうに言った。


「ユカリ」孝吉は微笑んだ。「立派な研究所だな」


「父の遺志を継いで建てたんです」ユカリは誇らしげに言った。「さあ、中へどうぞ」


研究所の内部は明るく開放的で、様々な最新機器が並んでいた。若い研究者たちが忙しく働いており、彼らはユカリを見ると敬意を込めて頭を下げた。


「皆さん、特別なゲストを紹介します」ユカリは研究者たちに向かって言った。「こちらが私の祖父、孝吉です。そして、特殊能力を持つ由紀さんです」


研究者たちは驚きと興味の混じった表情で二人を見つめた。


「孝吉さんは『修復者』として知られる方で、父の研究の原点となった能力を持っています」ユカリは続けた。「今日から、私たちの研究に協力してくださいます」


研究者たちは小さな拍手で二人を歓迎した。孝吉は少し照れたようだったが、丁寧に頭を下げた。


「さあ、まずは研究所を案内します」ユカリは二人を先導した。


彼らは様々な研究室を巡った。量子物理学研究室、バイオエネルギー研究室、材料科学研究室...各部門でユカリは簡潔な説明をし、研究者たちも熱心に自分たちの研究について語った。


「これが私たちのメインプロジェクトです」ユカリは最終的に大きな実験室の前で立ち止まった。「ノヴァ・エネルギープロジェクト」


彼らが部屋に入ると、中央には巨大な装置が設置されていた。球形の構造体を取り囲むように、複数の機械が配置されている。


「これは...」孝吉は興味深そうに見つめた。


「父が生涯をかけて研究していたエネルギー変換システムです」ユカリは説明した。「物質からエネルギーへ、エネルギーから物質への直接変換を可能にする技術です」


「タカシの研究...」孝吉はつぶやいた。


「はい」ユカリは頷いた。「父はあなたの能力を科学的に再現しようとしていました。物を修復する能力—それは本質的に、物質とエネルギーの関係を操作する能力だと考えたのです」


由紀は装置を見上げた。「素晴らしいですね。これが完成すれば、何ができるんですか?」


「エネルギー問題の解決、環境浄化、医療技術の革新...」ユカリは熱心に語った。「理論上は、あらゆる物質の変換が可能になります」


「タカシは...偉大な科学者だったんだな」孝吉は感動した様子で言った。


「でも、父は完成させることができませんでした」ユカリの表情が少し曇った。「理論は素晴らしいのですが、実際の変換過程で不安定性が生じるんです」


「それで私の協力が必要なのか」孝吉は理解した。


「はい」ユカリは頷いた。「あなたの能力の仕組みを理解できれば、その不安定性を解決できるかもしれません」


彼らは別室に移動し、そこで検査の準備が始まった。研究者たちは丁寧に装置の説明をし、孝吉と由紀に検査の内容を詳しく伝えた。


「まず、能力を使っているときの脳波と生体エネルギーの変化を測定します」若い研究者が説明した。「痛みはありませんし、危険もありません」


孝吉は頷き、準備を整えた。彼は頭に小さなセンサーを取り付けられ、手にもセンサーグローブをはめた。


「何か修復してみてください」ユカリは言った。「このテーブルの上の壊れた時計でどうでしょう」


孝吉は集中し、壊れた時計に手を伸ばした。彼の手から微かな光が発せられ、時計の部品が動き始めた。分解された部品が一つずつ正しい位置に戻り、やがて時計は再び動き始めた。


「驚異的です...」研究者の一人がつぶやいた。


「データを記録しました」別の研究者が報告した。「脳波にはデルタ波とシータ波の特異なパターンが見られます。そして、手からは特定の周波数の電磁波が放出されています」


「次は破壊の方も」ユカリは言った。


孝吉は少し躊躇したが、頷いた。彼は別の物体—古い電子機器—に手を向け、今度は破壊に集中した。機器は火花を散らし、やがて機能を停止した。


「興味深い」ユカリはデータを見ながら言った。「基本的なパターンは同じですが、周波数が逆転しています」


検査は数時間続いた。様々な物質に対する孝吉の能力の効果、集中度による変化、距離による影響など、多岐にわたるテストが行われた。


「疲れたでしょう」ユカリは最終的に言った。「今日はこれぐらいにしましょう」


「まだ大丈夫だ」孝吉は言ったが、確かに疲労の色が見えた。


「無理は禁物です」由紀が優しく言った。「次回に続きをしましょう」


「そうですね」ユカリも同意した。「由紀さんの検査はまた改めて行いましょう」


彼らは研究所のカフェテリアで休憩した。ユカリはコーヒーを持ってきて、二人の前に座った。


「今日のデータは非常に貴重です」彼女は興奮した様子で言った。「あなたの能力の仕組みが少し見えてきました」


「何かわかったのか?」孝吉は興味を示した。


「あなたは単に物を直したり壊したりしているのではありません」ユカリは説明した。「物質の『あるべき状態』と『現在の状態』の間の差異を認識し、エネルギーを使ってその差を埋めているんです」


「それが私の能力...」孝吉は考え込んだ。


「そう考えると、修復も破壊も同じ能力の異なる側面なんですね」由紀が言った。


「その通りです」ユカリは頷いた。「父もそう考えていました。彼の理論によれば、全ての物質には『理想状態』があり、その状態からのずれを調整することで、物質の性質を変えられるというものです」


「タカシは...私の能力をそこまで理解していたのか」孝吉は感動した様子で言った。


「はい」ユカリは誇らしげに言った。「そして、その理論を元に、ノヴァ・エネルギーシステムを設計したのです」


三人はしばらく研究について話し合った。ユカリはタカシの研究ノートを見せ、孝吉は息子の考えに触れることができた。それは彼にとって、特別な体験だった。


帰り際、ユカリは二人を研究所の出口まで見送った。


「また来週来ていただけますか?」彼女は希望を込めて尋ねた。


「もちろんだ」孝吉は微笑んだ。「喜んで」


「由紀さんも、次回はあなたの能力を検査させてください」ユカリは言った。


「はい」由紀は頷いた。「できる限り協力します」


彼らが別れを告げようとしたとき、研究所のドアが開き、一人の男性が急いで入ってきた。


「ユカリ!」男性は息を切らして言った。「緊急事態だ!」


「カズキ?どうしたの?」ユカリは心配そうに尋ねた。


「評議会から連絡があった」カズキと呼ばれた男性は言った。「グレイが...脱走した」


「何だって?」ユカリは驚いた表情を見せた。


孝吉と由紀も緊張した面持ちになった。


「どういうことだ?」孝吉が尋ねた。


「グレイ前長官が拘留施設から脱走したんです」カズキは説明した。「そして...彼は何かを計画しているようだ」


「何を?」


「詳細はわかりません」カズキは言った。「しかし、彼は最後に『真の勝利者は誰かを見せてやる』と言い残したそうです」


三人は不安な表情で顔を見合わせた。


「警戒が必要だな」孝吉は静かに言った。「彼はまだ諦めていないようだ」


「研究所のセキュリティを強化します」ユカリは決意を示した。「彼が私たちの研究を狙っている可能性もあります」


「私たちも注意します」由紀が言った。「リンさんとハルキさんにも知らせないと」


彼らは再び別れを告げ、孝吉と由紀は研究所を後にした。帰り道、二人は静かに考え込んでいた。


「グレイが何を計画しているのか...」由紀は心配そうに言った。


「何かの復讐だろう」孝吉は冷静に言った。「彼は権力を失い、信念を否定された。そういう男は危険だ」


「みんなに警告しないと」由紀は決意を固めた。


彼らが家に戻ると、リン、ハルキ、そしてネオが既に集まっていた。彼らも同じニュースを聞いたようだった。


「グレイの脱走について聞いた」ネオが言った。「警戒を強化するべきだ」


「同感です」ハルキが頷いた。「彼は私たちを直接狙ってくるかもしれません」


「彼には協力者がいるはずです」リンが分析的に言った。「一人では脱走できなかったでしょう」


孝吉はリビングの椅子に座り、深く考え込んだ。「彼の目的は何だ?復讐?それとも...」


「プロジェクト・リバースを再開しようとしているのかもしれません」ハルキが言った。「彼にとって、それは単なるプロジェクトではなく、信念だった」


「しかし、装置は破壊されました」由紀が言った。「どうやって...」


「別の方法があるかもしれない」ネオが冷静に言った。「グレイは執念深い男だ」


彼らは対策を話し合った。家のセキュリティを強化し、外出時は常に誰かと一緒に行動することにした。また、市民評議会と連絡を取り、情報を共有することも決めた。


夜になり、全員が休んだ後、孝吉は一人で工房に向かった。彼は息子の研究ノートのコピーを読み返していた。タカシの理論は深く、複雑だったが、孝吉は少しずつ理解し始めていた。


「タカシ...」孝吉はつぶやいた。「君は私の能力を良い目的のために使おうとしていた。私も、君の遺志を継ごう」


彼は窓の外を見た。夜空は星で満ちていたが、何か不吉な予感が彼の心を覆っていた。グレイの脱走...それは新たな危機の始まりを意味しているのかもしれない。


---


翌日、孝吉はミドリに会うために出かけた。ミドリは市の東側に小さなアパートを借りていた。彼女は孝吉を温かく迎え入れた。


「グレイの脱走について聞いた」ミドリは心配そうに言った。「大丈夫?」


「ああ」孝吉は頷いた。「まだ彼の動きはないようだ」


彼らは居間に座り、お茶を飲みながら話した。50年の隔たりがあるにもかかわらず、二人の間には不思議な親しみが残っていた。


「ユカリの研究所に行ったんだって?」ミドリが尋ねた。


「ああ」孝吉は微笑んだ。「タカシの研究...素晴らしいものだった」


「彼は常にあなたのことを考えていたわ」ミドリは静かに言った。「あなたの能力の秘密を解き明かすことが、彼の人生の目標だった」


「彼の研究は完成しなかったのか?」


「ほぼ完成していたわ」ミドリは説明した。「でも、最後の実験の前に彼は亡くなってしまった。病気で...」


孝吉の表情が暗くなった。「彼を救えなかったのか?」


「最高の医療を受けさせたわ」ミドリの目に涙が浮かんだ。「でも、彼の病気は特殊で...治療法がなかったの」


孝吉は静かに頷いた。そして、彼の心に一つの疑問が浮かんだ。


「ミドリ...」彼は慎重に言った。「もし過去に戻って、歴史を変えることができるとしたら...君はどうする?」


ミドリは驚いた表情で彼を見つめた。「何を言っているの?」


「仮定の話だ」孝吉は静かに言った。「もし私たちが別れなかったら、タカシの人生も違っていただろう。彼は別の道を歩み、別の運命を辿ったかもしれない」


ミドリはしばらく黙って考え込んだ。「私は...過去を変えたいとは思わないわ」


「本当か?」孝吉は驚いた。


「タカシは素晴らしい人生を送ったわ」ミドリは静かに言った。「彼は多くの人を助け、世界に貢献した。もし過去が変われば、それも変わってしまう」


「だが、彼はもっと長く生きられたかもしれない」


「それは誰にもわからないわ」ミドリは優しく言った。「タカヨシ、人生は選択の連続よ。私たちは皆、自分の選んだ道を歩む。それを後から変えることは...正しくないと思う」


孝吉は深く考え込んだ。ミドリの言葉には真実があった。過去を変えることは、良いことだけをもたらすとは限らない。


「グレイは...過去を変えようとしているのかもしれない」孝吉は静かに言った。


「どういうこと?」


「彼はプロジェクト・リバースの責任者だった」孝吉は説明した。「過去に干渉して、戦争の結末を変えようとしていた」


ミドリの表情が厳しくなった。「それは危険な考えよ。歴史を変えれば、多くの命が消えることになる」


「ああ」孝吉は頷いた。「彼が脱走した今、再びそれを試みるかもしれない」


「止めなければ」ミドリは決意を示した。


「ああ」孝吉は同意した。「でも、どうやって...」


二人は長い間話し合った。過去と未来、選択と運命について。50年の時を経て、彼らはようやく互いの人生を理解し始めていた。


孝吉が帰ろうとしたとき、ミドリは彼を玄関まで見送った。


「気をつけて」彼女は心配そうに言った。


「ああ」孝吉は頷いた。「また来るよ」


彼がドアを開けようとした瞬間、突然の爆発音が聞こえた。ミドリのアパートから少し離れた場所で、黒煙が上がっていた。


「何が...」孝吉は驚いて言った。


彼のポケットの通信機が鳴った。画面にはユカリの名前があった。


「ユカリ?」孝吉は通信を受けた。


「おじいさん!」ユカリの声は焦りに満ちていた。「研究所が攻撃されました!グレイと彼の部下たちです!」


「何だって?」孝吉は緊張した。「怪我はないのか?」


「私は大丈夫です」ユカリは答えた。「でも、彼らは研究データと装置の一部を奪っていきました」


「何を奪った?」


「ノヴァ・エネルギーシステムの核心部と...」ユカリの声は震えていた。「あなたと由紀さんの能力データです」


孝吉は凍りついたように立ち尽くした。グレイの目的が明らかになった。彼はタカシの研究とノヴァ・エネルギーシステムを使って、別の方法で過去に干渉しようとしているのだ。


「ユカリ、そこにいろ」孝吉は指示した。「すぐに向かう」


通信を切った孝吉は、急いでミドリに状況を説明した。


「私も行くわ」ミドリは決意を示した。


「危険だ」孝吉は反対した。


「タカシの研究が悪用されるのを見過ごすわけにはいかない」ミドリはきっぱりと言った。


二人は急いでユカリの研究所に向かった。途中、孝吉は由紀たちにも連絡を取り、状況を伝えた。


研究所に到着すると、そこは混乱の渦中だった。建物の一部が損傷し、研究者たちが慌ただしく動き回っていた。ユカリは入口で彼らを待っていた。


「おじいさん!」彼女は駆け寄った。


「大丈夫か?」孝吉は心配そうに尋ねた。


「はい」ユカリは頷いた。「でも、彼らの目的は明らかです...」


彼らが研究所内に入ると、メイン実験室は荒らされていた。中央の装置から重要な部分が取り外され、コンピューターもデータを抜き取られた形跡があった。


「グレイは何を計画しているんだ?」孝吉は周囲を見回しながら言った。


「父の研究を悪用しようとしています」ユカリは震える声で言った。「ノヴァ・エネルギーシステムは、理論上、時空の歪みを作り出すことも可能です。彼は...」


「時間に干渉しようとしている」孝吉は理解した。


「はい」ユカリは頷いた。「しかも、あなたと由紀さんの能力データがあれば、システムをより効果的に作動させることができます」


「どこで?彼らはどこに行った?」ミドリが尋ねた。


「わかりません」ユカリは肩を落とした。「でも、彼らが装置を作動させるには、大量のエネルギーが必要です。そんな施設は限られています」


その時、由紀、リン、ハルキ、ネオが研究所に到着した。彼らに状況が説明され、全員で対策を考え始めた。


「考えられる場所を洗い出そう」ネオが実務的に言った。


「市内のエネルギー施設は三カ所」ハルキが言った。「北部発電所、東区エネルギーセンター、そして旧軍事基地の発電施設」


「旧軍事基地...」リンが思い出したように言った。「そこはかつてプロジェクト・リバースの予備施設だった」


「可能性が高いな」孝吉は頷いた。


「しかし、彼らが装置を作動させるまでにどれくらいの時間がかかるか」由紀が心配そうに言った。


「盗まれた部品だけでは完全な装置は作れません」ユカリは説明した。「しかし、彼らが目的とするのが一時的な時空の歪みだけなら...24時間以内に可能かもしれません」


「急がなければ」孝吉は決意を固めた。


彼らは市民評議会に連絡を取り、状況を説明した。評議会は警備隊を派遣することを約束したが、現在の混乱状態では、すぐには対応できないという返答だった。


「私たちだけで行動するしかない」ネオは厳しい表情で言った。


「危険です」リンが心配そうに言った。


「しかし、待っていれば、取り返しのつかないことになる」孝吉はきっぱりと言った。


全員が同意し、彼らは旧軍事基地に向かう準備を始めた。ユカリは装置の仕組みを説明し、どうすれば安全に停止させられるかを教えた。


「私も行きます」ユカリは決意を示した。


「危険だ」孝吉は反対した。


「父の研究です」ユカリはきっぱりと言った。「私が責任を持ちます」


孝吉は孫の決意を見て、最終的に頷いた。


準備が整い、彼らは旧軍事基地に向かった。夕暮れが迫る中、彼らは新たな戦いに向かっていた。時間との戦い、そして過去と未来の狭間での戦いが、彼らを待ち受けていた。


## 第九章 時の狭間で


夕暮れの空が赤く染まる中、孝吉たちは旧軍事基地に近づいていた。荒れ果てた外観とは裏腹に、基地からは微かな活動の気配が感じられた。彼らは丘の上から基地を見下ろし、状況を確認していた。


「警備が厳重だ」ネオは双眼鏡で基地を観察しながら言った。「入口に少なくとも六人、そして巡回部隊もいる」


「どうやって中に入れば?」由紀が心配そうに尋ねた。


ハルキが地図を広げた。「この基地には秘密の通路がある。かつての非常脱出路だ」


「それを知っているのか?」孝吉は驚いて尋ねた。


「私はかつてここで働いていた」ハルキは静かに言った。「プロジェクト・リバースの初期段階で」


彼は地図上の一点を指した。「ここだ。基地の北側、古い排水溝の近く。その通路は中央施設につながっている」


「よし」孝吉は頷いた。「そこから侵入しよう」


彼らは二つのグループに分かれることにした。孝吉、由紀、ユカリ、ミドリが主要グループとして基地に侵入し、ネオ、リン、ハルキは外部から支援することになった。


「装置を見つけたら、私に連絡して」ユカリは言った。「どうすれば安全に停止できるか指示します」


「気をつけて」リンは心配そうに言った。


夜の闇に紛れ、孝吉たちは基地の北側に向かった。ハルキの指示通り、彼らは古い排水溝を見つけ、そこから狭い通路に入った。


「懐中電灯を使わないで」孝吉は小声で言った。「目が慣れるまで待つんだ」


彼らは暗闇の中、手探りで進んだ。通路は湿気を帯び、カビの匂いがした。長い間使われていなかったようだ。


「この先右に曲がると、技術区画につながるはず」ハルキの声が通信機から聞こえた。


彼らは指示に従って進み、ついに金属製のドアに到達した。孝吉は静かにドアに手を当て、ロック機構を感じ取った。


「古いタイプだ」彼はつぶやいた。「簡単に開けられる」


彼は集中し、ロックを操作した。カチリという小さな音と共に、ドアが開いた。


彼らは慎重に基地内部に入った。そこは薄暗い廊下で、緊急用の赤い照明だけが点いていた。


「どちらへ?」由紀が小声で尋ねた。


「エネルギー制御室を探そう」ユカリが言った。「そこに装置があるはずです」


彼らは静かに廊下を進んだ。時折、遠くから声が聞こえたが、幸いにも誰とも遭遇しなかった。


「あそこです」ユカリが前方を指さした。


大きな金属扉の上には「エネルギー制御室」と表示されていた。扉の隙間からは青白い光が漏れ出ていた。


「中に誰かいるな」孝吉は緊張した面持ちで言った。


「どうする?」ミドリが尋ねた。


孝吉は少し考え、由紀に向き直った。「君の能力を使えないか?歌で彼らの注意をそらすことはできるか?」


「試してみます」由紀は頷いた。


彼女は深呼吸し、静かに歌い始めた。それは小さな子守歌のような曲で、聴く者の心を和ませるような不思議な力を持っていた。彼女の歌声は廊下に優しく響き、制御室の方へと流れていった。


扉の向こうから、混乱した声が聞こえた。


「何だ?この音は?」

「外を確認してこい」


扉が開き、二人の男が廊下に出てきた。彼らは由紀の歌に引き寄せられるように、彼女の声の方向へと歩き始めた。孝吉とユカリはすばやく壁際に身を隠した。


男たちが通り過ぎた瞬間、孝吉は後ろから近づき、首筋に手を当てた。彼の能力を使い、男たちの神経系に干渉したのだ。二人は音もなく床に倒れた。


「気絶させただけだ」孝吉は説明した。「しばらくは目を覚まさない」


彼らは急いで制御室に向かった。中に入ると、そこには巨大な機械が設置されていた。ユカリの研究所から盗まれた装置の部品が組み込まれ、新たな形の装置となっていた。


「これは...」ユカリは驚いた表情で装置を見つめた。「父の研究が改造されています」


「時間干渉装置か?」孝吉が尋ねた。


「はい」ユカリは頷いた。「しかし、非常に不安定です。こんな形では...」


「見事な推測だ」


冷たい声が背後から聞こえた。振り返ると、そこにはグレイが立っていた。彼の隣には数人の武装した男たちがいた。


「グレイ...」孝吉は警戒した表情で言った。


「孝吉」グレイは微笑んだ。「そして由紀、ユカリ、そしてミドリさんまで。全員揃ったようだね」


「何をするつもりだ?」孝吉は静かに尋ねた。


「見ればわかるだろう」グレイは装置を指した。「私は歴史を正そうとしているんだ」


「正す?」孝吉は冷たく言った。「君は歴史を歪めようとしている」


「違う」グレイは熱意を込めて言った。「歪んでいるのは現在の歴史だ。戦争は我々の勝利で終わるべきだった。そして、それを実現するために...」


「父の研究を悪用するつもりですか?」ユカリが怒りを込めて言った。


「悪用ではない」グレイは反論した。「彼の研究の真の可能性を引き出すんだ。時空を操作し、過去の重要な瞬間に干渉する...それがタカシ・ノムラの研究の究極の形だ」


「息子はそんなことを望んでいない」孝吉はきっぱりと言った。


「それはわからないだろう?」グレイは皮肉な笑みを浮かべた。「彼は既に死んでいる。しかし、私がこれから行うことで、彼も違う運命を辿るかもしれない」


「どういう意味だ?」


「シンプルだ」グレイは説明した。「私は戦争の結末を変えるつもりだ。そして、その過程で...あなたと妻子の運命も変わる。タカシは別の環境で育ち、別の科学者になる。そして、おそらく彼の病気も...」


「やめて!」ミドリが叫んだ。「あなたに息子の運命を決める権利はない!」


「これは個人的な問題ではない」グレイは冷静に言った。「これは国家の、世界の未来のためだ」


「嘘だ」孝吉は静かに言った。「君は個人的な復讐と野心のためにこれをしている」


グレイの表情が一瞬硬くなった。「信じるか信じないかはあなた次第だ。しかし、もう止めることはできない」


彼は部下に合図した。「彼らを拘束しろ。そして、最終準備を始めよ」


武装した男たちが彼らに近づいてきた。孝吉は素早く由紀とミドリの前に立ちはだかった。


「逃げろ!」彼は二人に言った。


「おじいさん!」ユカリが叫んだ。


孝吉は両手を広げ、周囲の機械に集中した。瞬時に、制御室の照明が爆ぜ、警報が鳴り響いた。混乱の中、彼は攻撃してきた男に対応した。年齢を感じさせない俊敏さで、彼は相手の武器を無効化し、反撃した。


「由紀、ミドリ、逃げろ!」孝吉は再び叫んだ。


しかし、由紀は逃げなかった。代わりに、彼女は歌い始めた—今度は力強く、敵の心を混乱させるような歌だった。その歌声は制御室全体に響き渡り、グレイの部下たちの動きを鈍らせた。


ユカリも行動した。彼女は混乱に乗じて装置に近づき、緊急停止を試みた。しかし、グレイが彼女の前に立ちはだかった。


「やめろ!」グレイは叫んだ。


「あなたを止めます」ユカリは決意を込めて言った。


二人の間で揉み合いが始まった。その隙に、ミドリが装置の制御パネルに向かった。彼女は科学者ではなかったが、タカシの研究に長年接してきた。彼女にも装置の仕組みがある程度理解できた。


「停止させないと...」彼女はパネルを操作し始めた。


その時、装置が突然明るく輝き始めた。中心部から青白い光が放たれ、空間が歪むような錯覚を起こした。


「始まった!」グレイは喜びの声を上げた。「時空の歪みが形成されている!」


「止めろ!」孝吉は叫んだ。「それは危険だ!」


「危険?」グレイは笑った。「これは新しい始まりだ!」


装置の光はさらに強くなり、部屋全体が震え始めた。制御室の壁にヒビが入り、天井から小さな破片が落ちてきた。


「不安定になっています!」ユカリが叫んだ。「このままでは基地全体が崩壊します!」


「構わない」グレイは狂気的な表情で言った。「目的が達成されれば、この現実など関係ない」


孝吉はグレイに向かって走り出した。しかし、その瞬間、装置から強烈な衝撃波が放たれた。衝撃波は制御室全体を襲い、全員を床に叩きつけた。


孝吉が目を覚ますと、周囲は混沌としていた。警報が鳴り響き、火花が散り、煙が充満していた。彼は苦しみながら立ち上がり、周囲を見回した。


「由紀!ミドリ!ユカリ!」彼は叫んだ。


かすかな呻き声が聞こえた。煙の向こうに、由紀とミドリの姿が見えた。二人は怪我をしているようだったが、意識はあった。


「ユカリは?」孝吉は周囲を探した。


そして彼は見つけた—ユカリは装置の近くで倒れていた。そして彼女の隣には、グレイも横たわっていた。


孝吉は急いでユカリの元に駆けつけた。「ユカリ!大丈夫か?」


ユカリはゆっくりと目を開けた。「おじいさん...装置が...」


孝吉は装置を見た。それは以前よりも強く輝き、空間を歪めていた。装置の周囲には、まるで透明なバブルのような現象が発生していた。


「何が起きている?」孝吉は混乱した表情で尋ねた。


「時空の泡...」ユカリは弱々しく言った。「過去と現在が...混ざり合っています」


「どういう意味だ?」


「あの泡の中では...時間が異なって流れています」ユカリは説明した。「そして...拡大しています」


確かに、透明なバブルは徐々に大きくなっていた。それが制御室全体を覆うのも時間の問題だった。


「止められるか?」孝吉は急いで尋ねた。


「装置のコアを...破壊する必要があります」ユカリは言った。「でも、近づくのは危険です。時空の歪みの中に入ると...」


「どうなる?」


「過去に引き込まれるかもしれません」ユカリは心配そうに言った。「あるいは...消滅するかもしれない」


孝吉は決意を固めた。「私が行く」


「だめです!」ユカリは彼を引き止めようとした。


「他に方法はない」孝吉はきっぱりと言った。「私の能力なら、装置を破壊できる」


「でも...」


「心配するな」孝吉は微笑んだ。「修復者の使命だ」


彼はユカリの手を優しく握り、立ち上がった。由紀とミドリもそばに来ていた。


「孝吉さん...」由紀は涙目で言った。


「大丈夫だ」孝吉は彼女を安心させようとした。「必ず戻ってくる」


「約束して」ミドリが震える声で言った。


「約束するよ」孝吉は頷いた。「そして...戻れなかったとしても、心配するな。私は長い人生を生きた。悔いはない」


彼は三人に最後の視線を送り、装置に向かって歩き始めた。時空の泡に近づくにつれ、彼の周りの空間が歪み始めた。音が変わり、色が変化し、重力さえも異なって感じられた。


「コアを破壊するんだ...」孝吉は自分に言い聞かせた。


彼が泡の境界に到達したとき、強い抵抗を感じた。まるで厚い壁を押しているようだった。しかし、彼は諦めず、前進し続けた。


そして、彼は泡の中に入った。


瞬間的に、世界が変わった。周囲は薄暗く、色あせたように見えた。音は遠くなり、時間がゆっくりと流れているように感じられた。


孝吉は装置のコアに向かって進んだ。それは明るく輝く球体で、周囲には複雑な機械が取り付けられていた。


「これが...時空を歪めている中心か」孝吉はつぶやいた。


彼はコアに手を伸ばした。しかし、その瞬間、何かが彼の腕を掴んだ。


「やめろ!」


グレイだった。彼も時空の泡の中に入っていた。彼の姿は半透明に見え、まるで幽霊のようだった。


「歴史を正さなければならない!」グレイは叫んだ。


「いいや」孝吉は静かに言った。「歴史は既に正しい道を歩んでいる。君が変えようとしているのは、ただの虚構だ」


「虚構?」グレイは怒りを露わにした。「我々は勝利すべきだった!」


「勝利?」孝吉は悲しげに言った。「戦争に勝者などいない。あるのは、生き残った者と死んだ者だけだ」


彼はグレイの手を振り払い、コアに向かって手を伸ばした。


「やめろ!」グレイは再び彼を掴もうとした。


しかし、孝吉は既にコアに手を当てていた。彼は全精神を集中させ、破壊の能力を使った。コアから火花が散り、機械が悲鳴を上げるような音を発した。


「何をした!」グレイは絶望的な声で叫んだ。


「終わりだ」孝吉は静かに言った。


コアが爆発し、時空の泡が急速に収縮し始めた。孝吉とグレイは泡の中心に引き寄せられていった。


「何が起きている?」グレイは恐怖に満ちた声で尋ねた。


「時空が元に戻ろうとしている」孝吉は冷静に答えた。「しかし...私たちは違う場所に送られるかもしれない」


「どこへ?」


「過去か未来か...あるいは、別の次元か」孝吉は言った。「わからない」


グレイの顔から血の気が引いた。「私はただ...正しいと思ったことをしようとしただけだ」


「わかっている」孝吉は意外にも優しく言った。「しかし、過去を変えることで未来を良くすることはできない。それは、ただ別の問題を生み出すだけだ」


泡が更に収縮し、二人の周りの空間が狭まっていった。孝吉は目を閉じ、心の準備をした。


「由紀...ミドリ...ユカリ...皆、さようなら」彼は心の中でつぶやいた。


その瞬間、強烈な光が彼を包み込み、世界が消えた。


---


孝吉が目を覚ますと、見知らぬ場所にいた。白い壁、清潔なベッド、窓から差し込む柔らかな光。病室のようだった。


「目が覚めましたか」


優しい声がした。振り向くと、そこには見知らぬ若い女性が立っていた。看護師のようだった。


「ここは...どこだ?」孝吉は乾いた喉で尋ねた。


「サンクトリア総合病院です」女性は微笑んで答えた。「あなたは三日間意識不明でした」


「三日...」孝吉は混乱した。「何が...」


「すぐに家族に連絡します」看護師は言った。「みなさん、ずっと心配していましたよ」


彼女が部屋を出て行くと、孝吉はゆっくりと上半身を起こした。体は痛みはしたが、大きな怪我はなさそうだった。彼は窓の外を見た。いつもの街の景色だった。


「時空の泡は...」彼はつぶやいた。「成功したのか?」


数分後、ドアが開き、由紀、ミドリ、ユカリが飛び込んできた。


「孝吉さん!」由紀は涙を流しながら彼のベッドに駆け寄った。


「おじいさん!」ユカリも喜びの表情で近づいてきた。


「タカヨシ...」ミドリは安堵の表情で彼の手を取った。


「皆...無事だったのか」孝吉は安心したように言った。


「私たちのことより、あなたが心配でした」ミドリは言った。「あの光の中に消えて...もう会えないかと思いました」


「何が起きたんだ?」孝吉は尋ねた。「グレイは?装置は?」


「装置は完全に破壊されました」ユカリが説明した。「時空の泡も消滅しました」


「グレイは?」


三人は顔を見合わせた。


「見つかりませんでした」由紀が静かに言った。「あなたと一緒に光の中に消えたまま...」


「そうか...」孝吉は深く考え込んだ。「彼は...別の場所に送られたのかもしれない」


「どこへ?」ユカリが尋ねた。


「わからない」孝吉は正直に答えた。「過去か未来か...あるいは、単に消滅したのか」


部屋は静かになった。彼らは皆、グレイの運命について考えていた。敵ではあったが、彼もまた自分なりの信念を持っていた。


「他に変化は?」孝吉が尋ねた。「歴史に...何か影響はあったか?」


「特に気づいたことはありません」ユカリは言った。「全ては以前と同じです」


「それが最善だ」孝吉は安堵のため息をついた。


彼らはしばらく話し続けた。事件後の市の状況、研究所の修復計画、そして今後のことについて。混乱は収まりつつあり、市民評議会は新たな体制の構築を進めていた。


看護師が戻ってきて、面会時間の終了を告げた。


「また明日来ます」由紀は約束した。


「休んでください」ユカリも言った。


「ありがとう」孝吉は微笑んだ。


三人が去った後、孝吉は再び窓の外を見つめた。夕日が街を赤く染めていた。彼は自分の手を見つめた—修復と破壊の能力を持つ手。


「結局、私は何を修復し、何を破壊したのだろう」彼はつぶやいた。


彼の心には、まだ多くの疑問が残っていた。グレイの運命、時空の泡の正体、そして自分がなぜ無事に戻ることができたのか。しかし同時に、深い安らぎも感じていた。


彼は長い人生を生きてきた。多くの後悔と喪失を経験した。しかし今、彼には新たな家族がいた。そして、息子の遺志を継ぐ孫もいる。


「タカシ...」孝吉は静かに言った。「君の研究は守られた。そして、これからも良い形で続いていく」


夕日が沈み、星々が輝き始めた。孝吉はベッドに横たわり、深い眠りに落ちた。彼の表情は、長い間見せなかった平和に満ちていた。


## 第十章 円環の記憶


一ヶ月後、サンクトリアは平穏を取り戻していた。市民評議会は新たな体制を確立し、透明性の高い政治を進めていた。グレイの事件は「時空歪曲事件」として記録され、特殊能力の研究に関する厳格なガイドラインが設けられた。


孝吉は病院から退院し、自宅で静養していた。彼の家は以前よりも賑やかになっていた。由紀、リン、ハルキは正式に同居することになり、ミドリとユカリもよく訪れるようになった。古い家は新たな命で満たされていた。


「お茶ができましたよ」由紀はリビングでくつろぐ一同にお茶を配った。


「ありがとう」孝吉は微笑んで受け取った。


「研究所の再建はどうですか?」ハルキがユカリに尋ねた。


「順調です」ユカリは明るく答えた。「来月には再開できそうです」


「おじいさんの協力も必要ですよ」彼女は孝吉に向かって言った。


「もちろん」孝吉は頷いた。「約束した通り、タカシの研究を完成させるために協力する」


「由紀さんにも手伝ってほしいんです」ユカリは続けた。「あなたの能力も研究価値が高いです」


「喜んで」由紀は微笑んだ。「お役に立てるなら」


彼らの会話は穏やかに続いた。窓の外では、春の陽光が庭を照らし、花々が咲き誇っていた。


「ところで」リンが切り出した。「孝吉さん、あなたはあの時、時空の泡の中で何を見ましたか?」


部屋が静かになった。全員が孝吉に注目した。彼はこれまで、泡の中での体験についてほとんど語っていなかった。


孝吉はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。


「私は...様々な光景を見た」彼は遠くを見つめながら言った。「過去の断片、未来の可能性...そして、別の現実」


「別の現実?」ネオが興味を示した。


「ああ」孝吉は頷いた。「グレイが望んだような世界—我々が戦争に勝利した世界。しかし...」


「それはどんな世界でしたか?」由紀が小声で尋ねた。


孝吉の表情が暗くなった。「平和ではなかった。勝利は新たな戦争を生み、憎しみの連鎖は続いていた。タカシも...違う人生を歩んでいた」


「科学者にならなかったの?」ミドリが尋ねた。


「いや、科学者になった」孝吉は悲しげに言った。「しかし、彼の才能は破壊のために使われていた。彼は兵器開発者になっていた」


皆は沈黙した。それは誰も望まない未来だった。


「グレイはそれを見たのだろうか」ハルキがつぶやいた。


「わからない」孝吉は答えた。「しかし、私は最後に彼の表情を見た。彼は...理解し始めていたように思える」


「彼はどうなったんでしょう?」由紀が心配そうに尋ねた。


「どこかの時間か次元に送られたのだろう」孝吉は静かに言った。「あるいは...消滅したのかもしれない」


再び沈黙が訪れた。彼らは皆、グレイの運命について考えていた。敵ではあったが、彼もまた自分なりの信念を持っていた。


「しかし、私が最も印象的だったのは...」孝吉は続けた。「タカシの姿だ」


「タカシを見たの?」ミドリは驚いて身を乗り出した。


「ああ」孝吉は微笑んだ。「時空の泡の中で、一瞬だけ彼と対面した。大人になった息子と...初めて話すことができた」


「何を話したんですか?」ユカリが感動した様子で尋ねた。


孝吉は目を閉じ、その瞬間を思い出した。時空の泡の中、全てが歪み、光と影が混ざり合う空間で、突然現れた一人の男性。その姿は半透明だったが、明らかにタカシだった。


「父さん...」タカシの声は遠くから聞こえるようだった。


「タカシ...」孝吉は息子の名を呼んだ。「本当にお前なのか?」


「はい」タカシは微笑んだ。「時空の歪みが、一瞬だけ私たちを繋いでくれたようです」


「息子よ...」孝吉の目に涙が浮かんだ。「ずっと会いたかった」


「私も」タカシは優しく言った。「母から聞いていました。父さんのこと、能力のこと...全て」


「お前の研究...私の能力を理解しようとしていたそうだな」


「はい」タカシは嬉しそうに頷いた。「父さんの能力は素晴らしい。それを科学的に理解し、世界を良くするために使いたかったんです」


「お前は...素晴らしい科学者になったようだな」孝吉は誇らしげに言った。


「まだ道半ばです」タカシは謙虚に言った。「でも、ユカリが継いでくれています。彼女は私よりも優れた科学者になるでしょう」


「孫に会えた」孝吉は微笑んだ。「お前に似ている」


「はい、彼女は頑固ですから」タカシは笑った。「それは父さん譲りです」


二人の間に短い沈黙が訪れた。時空の泡は徐々に不安定になり、タカシの姿はちらつき始めていた。


「時間がありません」タカシは急いで言った。「父さん、どうか過去を変えようとしないでください。全ては意味があるのです」


「わかっている」孝吉は頷いた。


「そして...」タカシは微笑んだ。「私は幸せでした。短い人生でしたが、充実していました。後悔はありません」


「タカシ...」


「父さん、ありがとう」タカシの姿が薄れ始めた。「あなたの遺伝子と能力を受け継げて、誇りに思います」


「息子よ...」孝吉は手を伸ばしたが、タカシの姿は既に消えかかっていた。


「さようなら、父さん。母さんとユカリを...よろしく」


そして、タカシの姿は完全に消えた。


「それが...最後の言葉だった」孝吉は目を開けて言った。


部屋は静まり返っていた。ミドリの頬には涙が流れ、ユカリも目を潤ませていた。由紀とリンも感動した様子で、ハルキとネオでさえ、動揺を隠せないようだった。


「あれは本当にタカシだったのか、それとも私の幻想だったのか...わからない」孝吉は静かに続けた。「しかし、私にとっては真実だ」


「それが...私が無事に戻ってこられた理由かもしれない」彼は微笑んだ。「タカシが、私を導いてくれたのだ」


ミドリは孝吉の手を取った。「タカシは...いつも私たちを見守っていたのね」


「ああ」孝吉は頷いた。「そして、彼の遺志は生きている。ユカリの中に、そして彼の研究の中に」


ユカリは涙を拭いながら微笑んだ。「父の研究を完成させます。必ず」


「協力するよ」孝吉は約束した。「私たちの能力を...世界を良くするために使おう」


彼らの会話は、より明るいトピックへと移っていった。未来の計画、研究所の再建、そして新たな生活について。悲しみと喪失の時期を経て、彼らは新たな希望に向かっていた。


---


数日後、孝吉は一人で歴史公園を訪れていた。戦争記念碑の前に立ち、過去を振り返っていた。


「やはり来ていたか」


振り返ると、ネオが立っていた。彼はいつもの厳しい表情だったが、どこか柔らかさも感じられた。


「ああ」孝吉は頷いた。「たまには一人で考える時間も必要だ」


ネオは黙って彼の隣に立った。二人は静かに記念碑を見つめた。


「お前に聞きたいことがあったんだ」孝吉はようやく口を開いた。


「何だ?」


「あの日...なぜ私に息子のことを教えなかった?」孝吉は静かに尋ねた。「タカシが生きていると知っていたはずだ」


ネオはしばらく黙っていたが、やがて深いため息をついた。


「最初は知らなかった」彼は正直に答えた。「彼が君の息子だとわかったのは、彼が私の研究室に来てからだ。彼は修復能力の研究をしていて...私の技術的知識を求めてきた」


「それがいつだ?」


「約15年前」ネオは言った。「彼が35歳の頃だ」


「そして?」


「彼は父親のことを尋ねた」ネオは続けた。「修復能力を持つ男のことを。私は...君のことを話した」


「しかし、私に教えなかった」孝吉の声には非難はなかった。ただ理解したいという思いだけがあった。


「彼は...準備ができるまで会いたくないと言った」ネオは説明した。「彼の研究が完成してから、父親に会いたいと」


「そうか...」孝吉は静かに頷いた。


「そして、彼が病気になった」ネオの声が沈んだ。「彼は...時間がないことを知っていた。だから、君への手紙と研究データを私に託したんだ」


「なぜすぐに私に渡さなかった?」


「彼の最後の願いだった」ネオは真剣な表情で言った。「『父が自分の過去と和解したとき、これを渡してほしい』と」


孝吉は驚いた表情を見せた。「彼は...」


「ああ」ネオは頷いた。「彼は君のことをよく知っていた。君が過去に囚われていること、自分の能力を恐れていることを」


「そして、由紀との出会いが...」


「君を変えた」ネオは言った。「君は再び能力を使い、過去と向き合い始めた。それが、タカシの望んでいたことだ」


孝吉は深く感動した。息子は、彼のことを理解していたのだ。


「ありがとう、ネオ」孝吉は心から言った。「君は...良い友人だ」


ネオは少し照れたように肩をすくめた。「単にタカシとの約束を守っただけだ」


二人は再び静かになり、記念碑を見つめた。春の風が公園を吹き抜け、新しい花々の香りを運んできた。


「さて、次はどうする?」ネオが尋ねた。


「ユカリの研究を手伝う」孝吉は決意を込めて言った。「タカシの遺志を継ぐために」


「私も協力しよう」ネオは珍しく申し出た。「私の技術知識も役立つかもしれない」


「ありがとう」孝吉は微笑んだ。


彼らが公園を出ようとしたとき、孝吉は立ち止まり、振り返った。記念碑に刻まれた名前の中に、彼は過去の幽霊を見た。しかし今、その幽霊たちは彼を責めるのではなく、前に進むよう促しているように感じられた。


「さようなら」彼は心の中でつぶやいた。そして、「さようなら、タカシ」とも。


彼は深呼吸し、ネオと共に歩き始めた。彼の足取りは以前よりも軽く、背筋は伸びていた。75歳の老人の歩みではあったが、その目には若々しい光が宿っていた。


---


夏が訪れ、ユカリの研究所が再開した。新しい研究所は以前よりも大きく、より安全な設計になっていた。開所式には市民評議会のメンバーも参加し、盛大に祝われた。


「ノムラ記念研究所」と名付けられた新しい施設で、孝吉と由紀は定期的に能力テストを受けていた。彼らの能力の仕組みを理解することで、タカシの研究は着実に進展していた。


「今日のテスト結果は素晴らしいです」ユカリは興奮した様子で言った。「おじいさんの能力の波形パターンが完全に記録できました」


彼らは研究所のカフェテリアで休憩していた。孝吉、由紀、ユカリ、そしてミドリが一つのテーブルに座っていた。


「役に立ったようで何よりだ」孝吉は微笑んだ。


「これで父の理論の検証が進みます」ユカリは嬉しそうに言った。「そして、由紀さんの能力データと組み合わせることで、新たな発見があるかもしれません」


「二つの能力には関連性があるのですか?」由紀が興味深そうに尋ねた。


「可能性はあります」ユカリは熱心に説明した。「どちらも精神エネルギーを外部に投影する能力です。孝吉さんは物質に、由紀さんは人の心に」


「面白い理論だな」孝吉は感心した。


「タカシも同じことを考えていたわ」ミドリが言った。「能力には共通の原理があると」


彼らの会話は研究の話題で盛り上がった。孝吉は息子の研究について学ぶたびに、彼への敬意と誇りを深めていった。


「ところで」ユカリが話題を変えた。「来週の祖父母参観日、幼稚園に来ていただけますか?」


「幼稚園?」孝吉は驚いた。


「はい」ユカリは少し照れながら言った。「実は...私には5歳の娘がいるんです。タカシという名前です」


「タカシ?」孝吉はさらに驚いた。「女の子なのに?」


「はい」ユカリは微笑んだ。「父の名前を受け継がせたかったんです」


「曾孫が...」孝吉は感動した様子で言った。「もちろん行くとも」


「私も行きたいわ」ミドリは嬉しそうに言った。


「由紀さんも、もしよければ」ユカリは彼女にも声をかけた。


「私も?」由紀は驚いた。


「はい」ユカリは頷いた。「小タカシはとても歌が好きなんです。あなたの歌を聴かせてあげたいんです」


由紀は喜んで同意した。彼女は最近、子どもたちに歌を教えることにも興味を持ち始めていた。彼女の能力は、若い心に希望と勇気を植え付けるのに最適だった。


その夜、孝吉は工房で古い時計を修理しながら、曾孫のことを考えていた。小さなタカシ...彼女はどんな子なのだろうか。タカシの面影があるだろうか。そして、彼女の未来はどうなるのだろう。


「面白いものだな、人生は」彼はつぶやいた。


彼が時計を完成させると、それは静かに時を刻み始めた。孝吉はその音に耳を傾けた。ティック、トック...時間の流れを示す規則正しい音。過去から現在へ、そして未来へと続く時間の流れ。


「円環だ」彼は気づいた。「全ては繋がっている」


彼は窓から夜空を見上げた。無数の星が瞬いていた。どこかで、タカシも彼を見守っているのだろうか。


「息子よ」孝吉は静かに言った。「お前の遺志は生きている。そして、お前の名前も」


彼は微笑み、時計を胸に抱いた。修復者の手が、今度は新しい未来を築く手伝いをする。それが、彼の新たな使命だった。


## 終章 百の歌声


秋の穏やかな日差しが、サンクトリア市民広場を優しく照らしていた。広場は人々で賑わい、特別なイベントの準備が進められていた。「第一回サンクトリア平和音楽祭」の開催日だった。


孝吉は広場の片隅に設置された椅子に座り、準備の様子を見守っていた。彼の隣には小タカシが座り、好奇心旺盛な目で周囲を観察していた。


「おじいちゃん、たくさんの人がいるね」小タカシは興奮した様子で言った。


「ああ」孝吉は微笑んだ。「みんな由紀おばさんの歌を聴きに来たんだよ」


「私も歌うの」小タカシは誇らしげに言った。「由紀おばさんと一緒に」


「そうだったな」孝吉は優しく孫の頭を撫でた。「きっと素晴らしい歌になるだろう」


5歳の小タカシは、曾祖父と過ごす時間を心から楽しんでいるようだった。彼女はユカリとアーティストの夫との間に生まれた活発な女の子で、音楽の才能を早くから示していた。


「タカシ!」


ミドリが飲み物を持って近づいてきた。「のどが渇いたでしょう。これを飲みなさい」


「ありがとう、ひいおばあちゃん!」小タカシは笑顔でジュースを受け取った。


「リハーサルはどうだった?」孝吉がミドリに尋ねた。


「素晴らしいわ」ミドリは隣に座りながら言った。「由紀さんの指導は本当に素晴らしい。子どもたちが見違えるように上達したわ」


過去数ヶ月間、由紀は地元の子どもたちに歌を教えていた。彼女の能力は、子どもたちの才能を引き出し、心を開くのに理想的だった。今日の音楽祭では、彼女と子どもたちが特別な合唱を披露することになっていた。


「あそこにママがいる!」小タカシが指さした。


ユカリが忙しそうに舞台準備を指揮していた。彼女の研究所は、この音楽祭のメインスポンサーだった。「音楽と科学の融合」をテーマにした彼女のプロジェクトは、由紀の能力研究から生まれたものだった。


「タカシ!こっちに来て!」由紀が舞台から手を振った。「リハーサルの時間よ!」


「行ってくるね!」小タカシは元気よく立ち上がり、舞台に向かって走っていった。


孝吉とミドリは微笑みながら彼女を見送った。


「あの子は本当に活気があるわね」ミドリは愛情を込めて言った。


「ああ」孝吉は頷いた。「タカシに似ている」


「そうね」ミドリは懐かしそうに言った。「あの好奇心旺盛な目は、まさにタカシよ」


彼らは静かに孫の姿を見守った。舞台では、由紀が約30人の子どもたちを集めて、最後のリハーサルを始めていた。彼女の指導は優しく、しかし的確だった。


「孝吉」ミドリが突然静かな声で言った。「私たちは幸運だったと思わない?」


「どういう意味だ?」孝吉は彼女を見た。


「こうして再会できたこと」ミドリは穏やかに言った。「そして、新しい家族を見つけられたこと」


孝吉は深く考え込んだ。彼らの人生は複雑な道筋をたどってきた。分かれ、失い、そして再び出会う。それは偶然だったのか、それとも運命だったのか。


「ああ」彼は最終的に頷いた。「私たちは幸運だった」


「過去に囚われず、未来を見ることができた」ミドリは微笑んだ。「それが最大の幸運だったわ」


孝吉は彼女の手を取った。50年の隔たりを超えて、彼らはまた共に時を過ごしていた。友人として、そして家族として。


「お二人とも、こんにちは」


振り返ると、リンとハルキが近づいてきていた。二人は腕を組んでいた。過去数ヶ月で、彼らの関係は深まっていたようだった。


「リン、ハルキ」孝吉は微笑んで二人を迎えた。


「素晴らしい日ですね」リンは空を見上げた。「音楽祭に最適の天気です」


「ネオは?」孝吉が尋ねた。


「もうすぐ来るそうです」ハルキが答えた。「何か準備があるとか」


彼らは談笑しながら、音楽祭の準備が進むのを見守った。広場は徐々に人で埋まり始め、お祭りのような雰囲気が広がっていった。


正午になり、市民評議会の代表が舞台に上がり、開会の挨拶を述べた。サンクトリアの新しい出発、過去の教訓、そして平和への願いについての言葉だった。


「そして今日、特別なゲストをお迎えしています」代表は言った。「この音楽祭の実現に貢献した二人の方々—孝吉さんと由紀さんです」


観客から温かな拍手が起こった。孝吉は少し照れた様子だったが、促されるまま舞台に上がった。由紀も彼の隣に立った。


「二人の特殊能力は、私たちに多くのことを教えてくれました」代表は続けた。「能力は使い方次第で、破壊にも創造にもなりうること。そして、個人の才能が社会全体を豊かにできることを」


孝吉と由紀は静かに頭を下げた。彼らの能力は、今では広く知られていた。市民評議会の新しい方針により、能力者は登録制ではなく、自発的な協力を求められるようになっていた。


「では、音楽祭の開幕を飾るのは、由紀さんと子どもたちの特別合唱です」代表は手を広げた。「『百の運命』をお聴きください」


孝吉は舞台を降り、席に戻った。由紀は子どもたちを率いて舞台中央に立った。小タカシも最前列にいた。


静寂が広場を包み、そして由紀の清らかな声が響き始めた。彼女の歌は、戦争と平和、喪失と再生、そして希望についての物語を紡いだ。それは、彼ら全員の経験を反映した歌だった。


子どもたちが一人、また一人と加わり、やがて「百の声」となって広場に響き渡った。その歌声には不思議な力があり、聴く者の心に直接響くようだった。


孝吉は目を閉じ、歌に身を委ねた。彼の心には様々な記憶が浮かんでは消えた。若き日の戦場、家族との別れ、長い孤独の時間、そして新たな出会い...


歌が最高潮に達したとき、彼は不思議な感覚に包まれた。まるで時間が一瞬止まったかのようだった。彼が目を開けると、舞台の上の由紀と子どもたちの周りに、かすかな光の輪が形成されているように見えた。


「見えるか?」


振り返ると、ネオが彼の隣に立っていた。彼も同じものを見ているようだった。


「ああ」孝吉は頷いた。「彼女の能力だ」


「いや、それだけではない」ネオは静かに言った。「見てみろ」


孝吉が再び舞台を見ると、光の輪はさらに広がり、観客たちも包み込み始めていた。人々は気づいていないようだったが、彼らの表情は徐々に変わっていった。硬い表情が柔らかくなり、悲しげな目が明るさを取り戻していった。


「集合的な癒し...」孝吉はつぶやいた。


「そうだ」ネオは頷いた。「由紀の能力と子どもたちの純粋な心が結びついて、新たな力を生み出している」


孝吉は感動して見つめ続けた。これが由紀の真の能力だった—人々の心を開き、希望を植え付け、癒しをもたらす力。それは修復の能力と同様、世界を良くするための贈り物だった。


歌が終わると、広場は静寂に包まれた。そして、拍手が一人、また一人と始まり、やがて雷鳴のような大きな拍手となった。多くの人々の目には涙が光っていた。


由紀と子どもたちは深々と頭を下げた。小タカシは誇らしげに笑顔を見せ、祖父母を探すように観客席を見回していた。


「素晴らしい歌だった」ミドリは感動して言った。


「ああ」孝吉も頷いた。「心に響く歌だ」


音楽祭は一日中続き、様々な演奏が広場を彩った。しかし、開幕の合唱の印象は特別だった。人々は互いに語り合い、笑い合い、時には涙を共有した。サンクトリアの新しい時代の幕開けを象徴するような一日だった。


夕暮れ時、祭りが終わりに近づいたとき、孝吉は少し離れた丘に上った。そこから街全体を見渡すことができた。サンクトリアの灯りが一つ一つ灯り始め、夜の訪れを告げていた。


「ここにいたのか」


由紀が彼の後ろから近づいてきた。彼女は一日の疲れを見せながらも、満足げな表情をしていた。


「ああ」孝吉は微笑んだ。「少し静かに考えたくてね」


「素敵な場所ですね」由紀は彼の隣に立った。


「素晴らしい歌だった」孝吉は心からの称賛を込めて言った。「心に響いた」


「ありがとうございます」由紀は嬉しそうに言った。「子どもたちの力は驚くべきものです。彼らの純粋な心が、私の歌に新しい力を与えてくれました」


「百の声...」孝吉はつぶやいた。「百の運命」


「はい」由紀は頷いた。「私たち一人一人が自分の運命を持ち、それが交わることで新しい物語が生まれる...それが歌のテーマでした」


彼らは静かに夕暮れの街を見つめた。風が優しく二人の髪を撫で、遠くから祭りの最後の音楽が聞こえてきた。


「孝吉さん」由紀が静かに言った。「あなたの能力は本当に素晴らしいものです」


「君のも同じだ」孝吉は微笑んだ。


「私たちの能力は、人々を助けるためにあるんですね」由紀は空を見上げた。「最初はそれを恐れていましたが、今は誇りに思います」


「ああ」孝吉は頷いた。「能力そのものに善悪はない。それをどう使うかが問題だ」


「これからも...人々のために使っていきたいです」由紀は決意を込めて言った。


「私も同じだ」孝吉は同意した。「それが...修復者としての使命だろう」


最初の星が空に現れ始めた。二人は肩を並べて、新しい夜の訪れを見つめた。彼らの前には、まだ見ぬ多くの物語が待っていた。


「帰りましょうか」由紀が言った。「みんなが待っています」


「ああ」孝吉は頷いた。


彼らが丘を下り始めると、広場からは最後の合唱が聞こえてきた。子どもたちと大人たちが一緒になって歌う、希望の歌。それは新しい時代の幕開けを告げるようだった。


孝吉は歩きながら、自分の長い人生を振り返った。戦争、喪失、孤独、そして再生。彼は多くの人々の運命に触れ、そして彼自身も多くの人々によって支えられてきた。


「百の運命...」彼は心の中でつぶやいた。


彼の手—修復者の手—は、今や新しい世代の橋渡しとなっていた。過去と未来を繋ぎ、壊れたものを修復し、新しいものを創り出す手。


夜空には、無数の星が輝いていた。それは無数の運命の光のようだった。孝吉は深呼吸し、前を向いて歩き続けた。彼の旅は、まだ終わっていなかった。


(終)

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