何故、それが出来ないの?
「何故、それが出来ないの?」
私の目の前に立つ女性が言った。
いや、言葉を繰り返したのだ。
振り払うのはもう不可能だと悟った私は催した吐き気をどうにか息を吸い込み押し込む。
数瞬。
私は間をおいて答えた。
「あなたを殺すことは出来ない。あなたには罪はないから」
「うん。知ってる」
絞り出すように吐き出した私の言葉に対して彼女はあっさりと答えた。
「知ってるよ。私に罪は一つもないって。だけど、殺してほしいの」
どうしてか分かるでしょ?
そう言わんばかりの表情に私は追い詰められていた。
きっと、私は逃げられない。
いや、間違いなく私は逃げられない。
「知ってるよ。全部。私の夫があなたとあなたの家族にしたことも。あなたがそれを憎み続けていたことも。そして、その復讐のためにあの人を殺したことも」
フラッシュバックした記憶に私は反射的に嘔吐する。
私は彼女の夫である男に弄ばれた末に打ち捨てられたのだ。
ただの暇つぶしという理由で。
だからこそ、私は復讐を果たした。
いや、復讐のためだけに生きていたのだ。
「だから私はあなたを責めていない。あの人があなたにしたことを思えば死んで当然だと思うもん。だけどさ、それでも私にとってはあの人はとても大切な人だったの」
彼女は間を置いた。
私に強く、訴えるために。
「だからさ。私を殺してよ。私をあの人のところへ送ってよ」
思わず耳を塞ごうとした両手を彼女は自分の両手で抑えて言う。
「何故、それが出来ないの?」
私は涙を流しながら言った。
「出来るわけないでしょう!? 無実の人を殺すなんて!」
自分の全てを吐き出すような正論を放ったつもりだった。
けれど、それが相手に通じないことはよくわかっていた。
「ねえ」
彼女は浮いた目を微かに閉じて言った。
「あなたはあの人に相応しい罰を与えるために殺したのでしょう?」
返事が出来ない。
言い返したいのに何も言えなかった。
「だから、次は私があなたに罰を与える」
抑えきれない震えに支配される私に彼女は言葉を繰り返した。
「何故、それが出来ないの?」
私はその場を後にした。
復讐を果たした時には決して感じていなかった重みが私の内を支配していた。
重みに支配されながら浮かんだ言葉は。
復讐は何も生まない、なんてあり触れた言葉だった。
「私が間違っていたの?」
ぽつりと呟いた言葉。
「弄ばれて。あのまま何もしてはいけなかったの?」
涙を流しながらふらつく足で前へ進む。
苦悶の表情を浮かべたままに動かなくなった命を。
決して顧みぬままに。