謎の少女
再びカジノの前に立ち、俺はため息をついた。
「……結局ここに来てしまった」
豪華なスーツやドレスを纏った人々が次々とカジノに吸い込まれていく。
その中で、自分が身につけている黒を基調にしたギャンブラー仕様の服が急に重たく感じる。いや、場違いではないはずなんだけど、なんだろうこの緊張感。
(昨日のことがあったからな……)
思い返すのはディーラー達の目だ。あの「お前がいると商売上がったりだ」と言いたげな目。あれを思い出すたび、胃がキリキリする。
「でも……勝負するしかない」
この街のこともまだよく分からないし、結局他にやることもない。俺は自分を鼓舞してカジノの中へと足を踏み入れた。
中に入ると、支配人らしき初老の男がすぐにこちらを捕捉する。優雅な仕草で歩み寄りながらも、その目は昨日と同じく微塵も笑っていない。
「佐倉様、ようこそおいでくださいました。どうぞお手柔らかにお願い申し上げます」
「え、ええ……こちらこそ」
(絶対思ってないだろそれ!)
俺は内心で突っ込みつつ、自然を装ってルーレットの席に腰掛ける。
(ここで下手に目立ったらまずい。昨日みたいに大勝ちしたら、命狙われるとかもあり得るぞ。異世界倫理観、壊れてるし)
2択スキル――もしこれが俺の能力だとしても、それを他人に知られるのは絶対に避けなければならない。周囲の視線を警戒しつつ、わざとらしくならないように慎重に賭ける。
まずは数字に賭ける。無難な1~36のどこかだ。
「ここは……7!」
ボールがルーレットの上を転がる。周囲のざわめきが耳に入る中、ボールは無情にも外れの数字へと滑り込んだ。
「……やっぱり当たらないよな。ちょっとくらい勝率上がっていても良さそうなものだけど!」
苦笑いを浮かべながら、さりげなく赤か黒の2択に切り替える。
「次は……黒で」
ルーレットが再び回り、ボールが黒のエリアでピタリと止まる。
「おお、来た!」
だが声は抑え気味に。これ見よがしに喜んではいけない。自然に、自然にだ。
「次も……赤にしてみるか」
またもや成功。心臓がドクドクと音を立てる。勝てば勝つほど監視の目が厳しくなるのが分かるからだ。
(まずい……少し負けを混ぜた方がいいか?)
次の数字賭けでは、わざと間違えた。これで疑いは少し晴れたはずだ。
そんな緊張感の中、ふと視界に入ったのは――
「……あれ?」
近くのテーブルに立つ若い女性。目が合った瞬間、彼女はスッとこちらに歩み寄ってきた。長い金髪が優雅に揺れ、白と金を基調にしたドレスが彼女の美しさをさらに引き立てている。
(うわ……完全に昨日、俺が着させられた装いじゃん。……待てよ、これ……コンシェルジュの言ってた最先端のファッションって本当だったのか!?)
昨日、俺が散々バカにしていた歌って踊れて笑いも取れるアイドル風の格好を、そのまま身に纏っている。しかも、彼女が着ると不思議とカッコよく見えるから困る。
「あなた、ルーレットで全勝してるわね」
彼女が微笑みながら言った一言に、俺は一瞬固まった。
「は? いやいや、俺、数字に賭けて外してるの見てなかった?」
「そうじゃなくて、赤か黒。どっちが来るのか分かってるみたいに見えるの」
冷たい汗が背中を流れる。
(おいおい、なんで気づいてるんだよ!?)
俺は内心で警戒を強めながら、平静を装う。
「いやいや、偶然だって。そんなの分かるわけないじゃん」
「そうかしら?」
彼女は疑いの眼差しを向けてくるが、俺は強く否定し続けた。
「わたしはリディア・フェルサ。あなたは?」
彼女が自ら名乗りを上げてきたので、仕方なく俺も答える。
「佐倉悠斗だ」
「悠斗……? この国の名前じゃないわね。あなた、この国の人間じゃないの?」
「まぁ、そんな感じ」
「私もよ。この国の人間じゃない」
そう言って彼女は微笑む。その言葉には、何か含みがあるように感じられる。
リディアはそれ以上突っ込んでこなかったが、その視線には明らかに興味が宿っている。
(こいつ……俺のスキルに気づいたのか? それともただの勘か?)
俺は彼女の視線を意識しつつ、カジノ内の監視の目も感じ取っていた。ここで何かミスを犯せば、一気に窮地に陥る。
「……この街、やっぱり怖いところだな」
悠斗の心の中には、スリルと緊張が絶えず渦巻いていた。
ルーレットで赤か黒に賭ける俺の手元を、周囲の目がじっと見つめている気がして、居心地が悪くなってきた。
(ダメだ、目立ちすぎた。このままだと完全に怪しまれる)
俺は自然を装いながら席を立ち、ふと目に入ったスロットの席へ向かうことにした。
(昨日やらなかったスロットなら、監視の目も少しは外れるかもな)
小銭を投入口に入れてレバーを引く単純な仕組み。大勝ちは望めないけど、2択じゃないからスキルのことも目立たないだろう。
だが、席に腰掛けるとすぐ後ろに影が見えた。
「……なんでついてくるんだよ」
振り返ると、そこにはさっき話しかけてきた金髪の女性、リディアが立っていた。優雅に微笑みながら、俺の隣の空席に腰掛ける。
「興味があるからよ」
「興味……?」
俺は一瞬硬直した。いやいや、まさか、俺に惚れたとかじゃないよな? いやあり得る。最新の異世界ファッションに身を包んでるし。でも流石に俺にも心の準備ってものがある。
「いや、俺、彼女とかそういうのはまだ興味がないっていうか……」
「……何を言ってるの?」
リディアが呆れた顔をしている。けれど、俺は気にせず続けた。
「いや、その、出会ってばかりでそんなすぐ恋愛感情とかはちょっと……俺、こう見えて恋愛結婚派なんで」
「はぁ?」
リディアの眉がピクリと動く。呆れたように深いため息をつき、俺をじっと睨みつけた。
「何を勘違いしてるのか分からないんだけど、興味があるというのは、そういう意味じゃないわ」
「……え?」
彼女は冷静に続ける。
「あなたのその……ルーレットでの勝率の高さに興味があるのよ」
(なんだ……そういうことか)
俺は急に気が抜けたような気分になりながら、再びスロットのレバーに手をかけた。
リディアは隣の席で俺を観察するようにじっと見ている。スロットのリールが回るたびに、何かを期待しているような顔だ。
「……そんなに見られると集中できないんだけど」
「別に邪魔してるつもりはないわ」
「いや、普通に邪魔だから」
彼女の存在に意識が向いてしまい、俺はレバーを引く手に少し力が入る。リールが止まり――何も揃わなかった。
「あーあ、ほらやっぱり外れたじゃん!」
「それ、私のせいじゃないでしょ」
淡々と返されて俺は反論の言葉を失う。いや、そうなんだけどさ……。
「それにしても、なんでそんなに俺に興味があるんだよ?」
「さっきも言ったけど、あなたには何か秘密がある気がするの」
「……別にないけど?」
(いや、あるけど! それを気づかれるわけにはいかない!)
リディアはじっと俺の顔を見つめたあと、小さく笑った。
「ま、いいわ。そのうち分かるでしょう」
そう言って彼女もスロットに手をかけ、レバーを引いた。
リールが回り、ぴたりと揃う。小さなコインの山がカランと音を立てて払い出された。
「やった、当たった」
「え、嘘……簡単に当てるなよ! それにその年でギャンブル狂いって普通に引くぞ」
「さすがに悠斗に言われたくないわね。まあ、スロットは運ね。悠斗もやってみなさい」
彼女が微笑むたび、なんだか彼女が俺より一枚上手に見えるから不思議だ。
(くそ、俺が負けてるみたいじゃん!)
俺は意地になってレバーを引き続けるが、次々とハズレを引く。そんな俺を横目に、リディアは何事もなかったように席を立った。
「じゃあ、またね、悠斗」
「え、もう行くの?」
「用事があるの。あなたもほどほどにね」
振り返ることなくカジノを後にする彼女。その背中を見送りながら、俺は一つ息をついた。
(なんだあいつ……ただの変わったやつか? それとも……)
カジノのざわめきが、俺の考えをかき消していった。




