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罪悪感

「これが調査結果です。ちょうど千人分」

ベスティは分厚い紙をベヌスに手渡すと、誰かに見られていないか不安そうに辺りを見回した。


「よし。後で見返すとしよう。それじゃあ、あんたの奥さんを探しに行こうか」


「彼女の居場所が分かったんですか?」


「前に言ったろ。その湖畔とやらに居るはずだ」

ベヌスはそう言うと、ベスティに背を向けて歩き出した。


「ちょっと待って、父さん」

下宿所の外に出ようとした時、馬を出そうと先を歩いていたスピカが、ベヌスを静止した。


「魔族調査員の人達がいる」


ベヌスは一歩踏み出し、扉の横に取り付けられた十時窓をそっと覗くと、馬車置き場の所で、三人の調査員が立ち話をしているのが見えた。


「ベスティ、お前が先にいけ。俺たちは少し時間を空けてから下宿所を出る。待ち合わせは裏門の先にある山の入り口付近だ」

ベヌスの指示に頷くと、ベスティは変に怪しまれないように、絶望に浸っている風を装って下宿所を出た。


「なんだ、随分遅かったな。まあいい。私達は行方不明者の遺族らを尋ねに行く。お前はどうする?」


「私は……妻との思い出の地に向かいます」

ベスティが目を伏せながら言うと、男は困ったような顔を浮かべた。


「そんなことをしている暇はないのだが……」

男がボソッと呟くと、それを聞いた調査員の女は、「妻を亡くしたばかりなのよ。休ませてあげるべきだわ」と囁き声で説得した。


「ベスティ、あなたは好きになさるといいわ。私たちのことは気にしないで……じゃあね」

調査員らが馬に乗って裏通りを走り去っていくのを見て、ベスティはようやく安堵のため息をついた。


ベヌス達はベスティと合流すると、新緑の木々に囲まれた山道を馬を走らせた。さんさんと降り注ぐ日差しに照らされた無数の木の葉が、頭上でより鮮やかに輝き、透き通った光が地面に淡い木漏れ日を落としていた。その中を馬で駆けるのは爽快だった。


三回目の休憩を経たころには、ベヌスもスピカも疲労に襲われていた。なにしろ、長いこと馬車を使って楽をしていたものだから、久しぶりの乗馬は体力を使うのだ。スピカも乗馬の心得がない訳ではないが、長旅をさせるには少々不安なので、ベヌスと二人乗りをさせた。そんな二人とは対照的に、ベスティには「妻に会える」という希望があったために、心身ともに有り余っていた。 輝くその瞳からは、「妻に会えないのではないか」などという不信感は毛頭感じられなかった。


しばらくして山を出た先には、広大な湖畔が広がっていた。水は透き通った青緑色をしていて、その水面には、木々から旅立った新緑の木の葉が散らばっている。山々は湖畔を取り囲むようにそびえ立っており、その麓には温かな砂浜が広がっていて、確かに美しかった。


「あの家を訪ねてみよう」

ベヌスは湖畔に面した木々の中に建つ一軒家を指差すと、そこに向かって馬を歩ませた。


それは、ごく普通の家だった。湖面上に突き出た釣り場には一本の釣竿がかかっており、その傍らには釣り上げた魚を入れるための桶が置かれていた。柵に囲まれた小さな庭には、赤や桃色の花々が咲き誇っており、雑草は短く切りそろえられていて、丁寧に手入れがされているのが一目で分かった。漆が塗られた光沢のある玄関の扉が、愉快に開け放たれている様は、盗人の心配など毛頭なく、この場所がどれほどのどかかを物語っていた。


ベヌスは恐る恐る扉に近づくと、中に向かって「どなたかいらっしゃいますか」と呼びかけた。すると部屋の奥から「今行きます」と返答があり、軽やかな足音がこちらに向かって近づいてきた。玄関に顔を現したその女性は、ベスティと同じ典型的な獣族の魔族で、瞳に宿る光からは、その快活さがうかがえた。


「ママルヤーナ……!」

後ろを振り向くと、ベスティが目に涙を浮かべていた。


「あなた……会いに来てくれたの? この人達はお仕事仲間?」

キョトンとしているママルヤーナに構わず、ベスティは思い切り抱きしめた。


「ずっと君を探していたんだ。ここに居るって、気づけなくてごめん」


「何言ってるの。私はずっとここであなたを待っているわよ」


「キスしてくれ」

突然唇を近づけるベスティにママルヤーナは驚き、恥ずかしそうにベヌス達を見た。


「後でね……今はお客様がいるじゃないの。どうぞお入りになって」


有頂天になっているベスティの後に続いて家に入ると、棚の上に置かれている香木の香りが鼻腔の奥まで広がった。屋根を木々に囲まれているため、部屋の中は夕暮れ時のように暗く、火の灯された蝋燭が何本か立っていたが、窓から美しい湖畔を眺めることができた。


「最高の立地ですね、奥さん。旦那さんから、奥さんは湖畔が好きだとお聞きしましてね」

スピカとベスティはベヌスが不釣り合いな敬語を使っているのが奇妙でたまらなかったが、普段のベヌスを知らないママルヤーナは明るく答えた。


「私の父は釣り人でしたの。趣味も兼ねておりましたけれど、仕事としてやっていましたわ。幼い私はよく父の船に乗って、水の上を旅したものです。お茶を用意しますね」


「それは素晴らしい体験談だ。私の幼少期と言えば、山から拾ってきた木の棒を、剣の形に加工していたくらいしか思い浮かびませんもので、大変羨ましい」

スピカは初めて聞いた父の幼少期の荒れ具合に驚いたが、ベスティは「確かに想像できる」と思い笑いを堪えていた。


「ところで奥さん、あなたはどうして、人間である我々を寛大に受け入れてくれたのです?」

あまりにも対応が自然だったために、スピカは父が言うまで全く疑問に思わなかった。


「だって、私が憎んでいるのは、あの国王ですから」

ママルヤーナは平然としながら、当然のことのように言った。


「人々は関係ないでしょう? あの戦争マニアのイカれた国王が全て悪いんですから。それに抗う術もなく加担させられてしまった人間の方々を、私は誰よりも哀れに思いますわ」


「確かに」

ベヌスはママルヤーナの言葉に思わず笑った。何せ全て的を射ていたものだから、共感せずにはいられなかった。


「ところで奥さん、私共はコヤック中継貿易町の消滅事件を追っていましてね。分かりますか? "コヤック中継貿易町"です」

ベヌスの言葉にママルヤーナは首を傾げると、「ごめんなさい。分かりませんわ」と申し訳なさそうに答えた。


やはり、当事者の記憶には残っていないか。この場合、「存在しない」と言った方が正しいのかもしれない。そうと分かった以上、深堀りをしても時間の無駄だ。


「大丈夫ですよ。奥さんは、いつからここに住まれているんですか」


「彼と結婚式を挙げてすぐだったと思います。最初は彼の仕事上の都合で、城下町に住むことも考えましたけれど、あそこは土地代がかかるし、その上治安も悪いという理由で、ベスティが止めたんです。それで、とても近いとは言えませんけど、湖畔のそばに家を建てる形になりましたわ」

ママルヤーナがベスティの英断を語ると、彼は恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた。


「少し、失礼しますわ」

そう言うと、ママルヤーナは椅子から立ち上がり、部屋を出ていった。


「どうだ、ベスティ。初めて耳にすることばかりだろう」

ママルヤーナの足音が聞こえなくなってから、ベヌスが口を開いた。


「土地選びのくだりと、その……僕の決断は、コヤック中継貿易町への移住の時と同じですね」


「多分、詳しく聞けば、もっと出るぞ」

ベヌスはにやりと笑いながら言った。


「でも、ベヌスさんのお陰で、行方不明者のおおよその特定ができるようになりました。城下町に帰還したら、特定作業を速やかに終わらせて、ようやく妻の元に帰ることが――」


「ちょっと待て。それは俺たちだけの秘密だ。口外したらただじゃおかないぞ」

ベスティの言葉に口を挟むと、ベヌスは諭すように言った。ベスティは一瞬驚くと、コップを握りしめながら、「どうしてです? 」と訊ねた。


「奴らの弱みを握ることができるかもしれないからだ……同じ派遣調査員として、お前の気持ちはよく理解できるが、今は辛抱してくれ。分かるだろ?」


「そうですね……感謝しています」


「よし。スピカ、紅茶は飲み終わったか? 全部飲め……それじゃあ、俺たちはおいとまする。お前は自殺したと勘違いされない程度に戻ってこい」

ベヌスはそう言うと、すれ違いで部屋に入ってきたママルヤーナに感謝を伝えながら、美しい家を後にした。


「父さん、あの人にもっと話を聞かなくてよかったの?」

スピカがベヌスの方を振り返りながら言った。


「ああ、もう十分だ。気が散るから前を向いてろ」


城下町に戻る頃にはすっかり日が暮れていた。遥か向こうの連峰には夕陽が顔を隠しているために、山々は黒く染まり、その縁は赤く輝いている。漏れ出た残光が魔王城下町の城壁を薄く照らし、建物に淋しげな影を落としているのを、弓兵たちは知る由もなく、ただ(きた)るかも不明確な敵襲の幻影に恐れを抱きながら、前を向き続けている。


ベヌスはあの中の誰かが、自分の手によって死の運命を辿ることになるかもしれないと考えると、目を背けずにはいられなかった。

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