発覚
それから四日後の午前七時に、下宿所の一階にある十分な広さの食堂で、調査報告が行われた。
唯一食堂の鍵を持っている下宿所の管理人は、朝早くに起きなければならなかったからか、終始不機嫌そうな顔をしていて、一行の先頭に立って雑に鍵を差し込んだ後は、さっさと入れと言わんばかりに睨みをきかせた。しかしその無愛想な態度は、俺を含む数人の調査員にのみで、ツォル・フォイーゼが横切った時には、こんな顔ができるのかと驚くほどの笑みを浮かべて、心地よく接していた。
「私共の調査対象は、コヤック中継貿易町の転移時に発生した全ての事象です。それで、調査結果ですが……特に成果は得られませんでした」
調査員の女が代表して、こちらの様子を伺いながら言った。
「ああ、それに関してはもう大丈夫だ。コヤック中継貿易町の消失は転移ではないと判明したからな」
ツォルフォイが眉をひそめたことに気づかないままベヌスは続けた。
「残留魔力を調べる装置でコヤック中継貿易町の跡地を検査したが、転移と結論づけられるほどの魔力は見られなかった。つまり、町は消滅したんだ」
ベヌスの調査報告に、調査員らは顔を見合わせた。
「ツォル・フォイーゼ。リツからの返答を教えてくれ」
その様子をベヌスは意に介することなく、てきぱきと話を進めていった。
「はい。先代の鹿の出生地は、もともとイース地区の例の山林だったそうです。ですが、荒地化が進み、三百五十年前に、現在の基盤となるコヤック中継貿易町がつくられたのと同時に、町近くの山林に移動させられたとのことです」
ツォルフォイの説明に、ベヌスは首を傾げる。
「イース地区の山林は今でも荒地なのか?」
「元には戻らないそうです」
一見、全ての事象がコヤック中継貿易町の転移による連鎖的な反応のように思えるが、それが転移ではなかったと判明した以上、鹿の移転には矛盾が生じる。かつ、移転先が深刻な荒地にも関わらず、問題なく暮らしているというのは不可解だ。
「行方不明者の件はどうなるのです。転移では無いのなら、彼らは町もろとも消滅したということになりますぞ。それでは遺族があまりにも報われない」
では行方不明者も鹿達と同様、どこかに移転していたとすれば……?
「私もそう思います。私の妻は……あの町に住んでいましたから。転移ならまだ希望はあると思って必死になりましたが、そうでないならもう――」
そう話す男の眼には、光が宿っていなかった。死人の目だ。あの頃の俺と同じ眼をしている。
「あんたら調査員に頼み事があるんだ。俺の代わりに城下町で聞き込みをしてくれないか。その内容が――」
ベヌスがそう話した瞬間、調査員のうちの一人がツォル・フォイーゼに指示を仰ぐように視線を送るのを、彼は見逃さなかった。
「……何か隠していたりしないよな?」
ベヌスは一人一人の顔をじっくり観察しながら、鎌をかけるように言った。
「どうかされたのですか?」
ベヌスの視線がツォル・フォイーゼの目に止まった時、ツォルフォイは白々しさを感じさせない口調で穏やかに問いかけた。
「そういえば、あんたもさっきからやけに無口だな。以前は率先して意見を出していたように思うのだが」
「あくまで報告会ですから。それにベヌスさんなら、私の口出しは不要でしょう」
そう話している間も、ツォルフォイの目は揺るがなかった。ただ穏やかに談笑を楽しんでいるかのようだ。
「申し訳ないのですが、ベヌスさん、城下町での調査にはご協力できません。あなたの調査目的はコヤック中継貿易町の消滅の原因を突き止めることだと思いますが、私たちにとっては、それに伴う行方不明者の捜索が最優先なのです。今回の被害者は、全員魔族ですから」
確かに、こいつら魔族にとっては、コヤック中継貿易町の消滅による貿易面での損失など、どうでもいいのだろう。それに、貿易町の役割も、大戦以降から機能していないようなものだ。まあ、それは外面だけの我々にも言えることだ。
報告会がお開きになったあと、ベヌスは先程の調査員の男を呼び止めて、人気のない一階の廊下奥に連れ込んだ。
「何でしょうか……自室に戻りたいので、手短にお願いします」
眼だけではなく、その声にも生気が宿っていない。恐らくこのまま部屋に返したら、明日には宙に浮いた状態で発見されるだろう。
「俺はあんたの妻を見つけ出せるかもしれない。少なくとも、あてがある」
「なぜ……? コヤック中継貿易町は消滅したんでしょう。なら、そこに住んでいた妻が生きているわけないでしょう。手っ取り早く……もう、彼女の元へ」
まだ希望を捨てきれていない口調だ。ただ、希望を抱くことで絶望を味わうことを恐れているだけだ。
「確かに、消滅した。町だけな」
ベヌスは続けて言った。
「既存の概念が書き換えられた可能性がある。つまり、町が消滅したことにより、それに関連する複数の事象が変化した。だからあんたの奥さんは、"町に住んでいないだけ"かもしれない」
ベヌスの最後の一文を聞いた瞬間、男は呼びかけられたかのように振り向いた。
「俺もあんたの調査を手伝う。その代わり、俺の要望を聞いてくれ」
ベヌスの言葉に男は「もちろんです」と返答すると、希望が見えた瞬間に、こうしてはいられないという思いに沸き立った。
「あんたの名は?」
「ベスティです」
ベヌスは目の前に立つ魔族の男が、なぜか従順な犬のように見えて仕方なかった。
「よろしく。俺の要望は二つだ。まず一つ目に、貿易町が消滅した日の三日前後で、何か変わったことはなかったか、城下町で聞き込みをしてくれ。そうだな、できるだけ多い方がいい。二つ目に、お前の知っていることを全て教えろ」
ベスティは二つ目の要望に対し、一瞬ためらうような素振りを見せたが、すぐに打ち明けた。
「ツォルフォイ様から、ベヌスさんの調査には今後関わらないよう指示を受けました。また、先程の報告会でも、得られた調査結果はベヌスさんに伝えないように――何がトリガーになるか分からないから……と。このことが知られたら、私は殺されてしまいます。どうか、口外しないでいただけますか」
「分かってる。あんたらは貿易町の消滅と同日に発生した事象の調査を行っただろ。改めて教えてくれ」
ベヌスが紙にメモをしながら言った。
「はい……まず、私たちは全自治体に向け、国民の方々に国勢調査を行うよう、魔王様にご依頼しました。それらの調査結果をまとめていくと、全国的に世帯数が大幅に変化していただけでなく、登録されている住民票との矛盾が無数に見られることが判明しました。コヤック中継貿易町の消滅に伴う現象であることは確かですが、まるで不可解です」
やはり、ツォル・フォイーゼが手を回していたか。奴が単独で動くということは無いだろうから、恐らく裏には魔王がいるだろう。そこまでして隠したいものが何かを考えると、妥当なのはコヤック中継貿易町の消滅に関与したという事実、またはディモス王国との戦争の回避だろうか。どちらにせよ、人間二人を殺すこと前提で策略を進めている時点で、こちらも奴らを徹底的に追い詰める義理がある。まあ、もともとそのつもりだったが。
「それなら、あんたの妻が、コヤック中継貿易町ではない別の場所に移転した、という考えも納得できるんじゃないか?」
「ええ、もちろん……ですが、全ての発端である貿易町については、諦めるしか方法がないのかと絶望していたところでした」
実際は、本当の絶望にまで至っていないだろう。人は大切なものを手放すことができないからだ。
「あんたの家はどこだ?」
「え?」
ベスティが間の抜けた声で聞き返した。
「私は……城下町に住み込みですが」
「そうじゃない。あんたが本来帰る場所だ。あんたを待ってくれる妻が居る場所だ」
ベスティは何を言っているのか分からないという顔をしながら、「それが分からないから困っているんです」と答えた。
「すまない。少し試しただけだ」
ベヌスはそう言うと、壁の一点を凝視しながら、少しの間考え込んだ。
「やはり、内在的な概念の改竄は行われていないみたいだ。じゃあ、何か奥さんとの思い出の場所はないか。それか、約束とか」
ベヌスはベスティの反応をうかがいながら、一言一言を丁寧に発音した。
「そうですね……彼女は、昔から湖畔の近くに住みたいと言っていました。ここから北西に行ったあたりに、山々に囲まれた、透き通った湖畔が見られる場所があるんです」
ベスティは思い出の写真を見返すように、愛情に満ちた目で約束を語った。
「そうか。じゃあ、あんたのやるべき事が終わったら、そこに行こう。ただ、くれぐれも手は抜くなよ。再会はまだ後になるが……奥さんは生きてるから安心しろ」
ベヌスは妻を攫った悪党のような言い草になっていることに気づかず、「頼んだぞ」とベスティに背を向けると、そのまま階段を上がっていった。