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隠蔽

窓辺に面した机の上には、カエデ村使節団からの通達が置いてある。雑に開かれた封の上には、ミュラ・フランワインゼンから寄せられた手紙が広がっており、二度目の魔王城への訪問を記したその手紙は、少なくとも今は、魔王にとっては憂鬱極まりない内容だった。


書斎で夕陽を見ながら黄昏ていると、ツォルフォイが裏口から城内に入る気配がした。かれこれ五百年近く、こうして誰かの出入りする音を聞いていたせいか、もはや姿を見なくても、それが誰かを当てることがいつの間にか出来るようになっていた。


書斎の扉がノックされると、魔王は待ち構えていたように、「入れ」と言った。


「ご苦労だった、ツォルフォイ。奴は壮健だったか?」


「ええ、あの活力は今でも衰えていないようで安心しました――ところでギライアン様、やはり、コヤック中継貿易町の消滅は、魔王様の予知夢と関係があると見て間違いないと思われます」


「根拠は?」

既に魔王は原因が自分にあると確信していたが、事実が確定してしまうことを恐れ、少しでも時間稼ぎをしようと足掻いた。


「まず、貿易町の消滅に伴う様々な現象は、言葉の通り、貿易町の消滅が関与しているため、考えずとも明確です。しかし、大本である貿易町の消滅――現時点では転移と踏んでいますが――に関しては、調べようがありません。そうなると、同日に生じたギライアン様の予知夢の出現と関連性があるとしか考えられません」


「そうだろうな」

魔王は重大な問題では無いとでも言うように、ぶっきらぼうに言い捨てた。


恐れていた事態が、ついに現実になってしまった。こうなれば、もはや隠し通すことは出来ないだろう。私が原因でコヤック中継貿易町が消滅したと露見すれば、現在は何とか均衡を保っている両領土の関係性も破綻し、ディモス王国には戦争をする正当な理由を与えることになる。私は護ろうとしてきたものを、自分の手で全て壊してしまったのだ。


「この事はまだ彼らには報告していませんが、ベヌスさんが貿易町転移の原因を調査しようと乗り出しました。現状は情報が少ないのでまだ安全ですが、このままだと、彼ならいずれギライアン様に辿り着くでしょう」

そう、侮るべきでは無いのだ。


「ミュラ・フランワインゼンが二週間後、また訪問しに来るらしい。もう今は、彼女に頼ってみるしか無いのかもしれない」

魔王は手紙を手に取ると、それをツォルフォイに向かって放り投げた。


「なるほど……良きお考えです」


恐らく、彼女らは既に三週間前には村を発っているだろう。ミュラが言うには、勇者が発足する前までに先立って訪問しに来るそうだから、少なく見積もっても、二週間と少し後には、勇者を名乗る人物がディモス王国に現れる。つまり、コヤック中継貿易町の件は隠し通せなかったということだ。


「コヤック中継貿易町の原因の伝達と、今後の方針の検討をするため、今日の夕食後に会合を開こうと思う。"夕食後"の会合だ」


「承知しました。素晴らしいお気遣いだと思います」

ツォルフォイはそう言うと、「では私はリツに訊ね事がございますので」と魔王に言い残して、書斎を出て行った。


************************


正直言ってその日の夕食は、メニュアルには申し訳ないが、あまり気が進まなかった。卓上に広がる、蝋に付いた火に照らされた丁寧な食事も、かえって疲労を招き、そのために味はいまいち感じず、ただ胃袋を満たす為だけに、口に押し込んでいる感覚だった。


普通ツォルフォイなら、何かあったのかと尋ねてくるところだが、察してか、食事中はいっさい口を開かなかった。その些細な気遣いが、魔王にとって多少の安らぎの貢献にはなるのだった。ワンスはしきりに魔王と食事に交互に視線を送っていたが、直接問いかける様なことはしなかった。


食事が終わると、魔王は一足早く会合室に向かった。二十年来中に入る者がいなかったために、会合室の扉を開けると、空気中に舞う埃がいっせいに飛び交うのが分かった。魔王もこれにはむせ返り、袖を口に当てたまま窓を開けると、そのまま外に身を乗り出した。


夜風の匂いが鼻腔の奥に、頭の頂上に染み渡っていくような感覚が広がる。風に揺れる若葉の一枚一枚が共同体のように連動し、目を瞑って耳をすませば、潮騒のようにも聴こえる。そう、例えば寂れた砂浜に独り立ちながら――?


会合室の扉が開かれるまで、出来ることなら、今日という晩はずっとこうしていたいと思った。振り向くと、そこにはワンスが立っていた。


「さすが、魔王様……あの日の朝以来ですね。私はまたしても魔王様に敗れました」

ワンスは痛切そうに言うと、一瞬の間に扉の前から魔王に一番近い席まで移動し、しとやかに座った。


「私が忸怩たる思いを味わわされたのは、これで七回目です。一つ前は食堂で、二つ前は――あなた様の配下になった時」

ワンスは机に人差し指を擦り合わせながら言った。


「私が五忌魔配の最後の一人だと……一魔だとあなた様から聞かされた時、私は心底ガッカリしました。だって、あなた様と一番知り合えていないのは、私だったのですから。後にも先にも、"一"という数字をこれ程憎んだことはないでしょう」

そう笑うワンスのメガネの奥に、哀しげな光が宿るのを、魔王は見逃さなかった。


「"真たる愛情は世紀の差を生まぬ。"二千年前の論理学者が言い残した言葉だ。まるで、君のための言葉だと思わないか」

魔王の言葉に、ワンスは微笑した。


「あなた様から頂いた言葉なら、この世のいかなるものも勝りはしません」


ワンスが幸福そうに言った時、会合室の扉が開き、リツとツォルフォイが部屋に入ってきた。


「他の者もすぐに来ると思います」


「しかし、汚ねぇ部屋だ。こりゃ金を払ってでもメニュアルに頼みたいな。まあ、それっきりになるかもしれないが……」

リツはそう言うと、後ろ手で乱暴に扉を閉めた――と同時に、壁に掛けられていた絵画がブチブチと音を立てながら床に落ちると、とてつもない量の埃が宙を舞った。


「ワンス、換気してくれ! いいか、力加減を間違えるなよ、リツ」

魔王は慌てて口元を抑えながら喋ったために、袖が口の中に入り、上手く舌が回らなかった。


いっそのこと、風を操って部屋ごと吹き飛ばしてしまおうかと考えたが、理性がそれを止めた。風の循環経路により強く風を送れば、一瞬のうちに部屋中をクリーンにすることも出来なくはないだろうが、面倒臭がりの性がこの案を邪魔した。


マームベーグとメニュアルが談笑しながら、会合室に向かう廊下を呑気に歩いていると、会合室と思われる部屋から、何やら騒々しい物音が響いていることに気がついた。


「何なのな? 全く騒がしいのな」

マームベーグは呆れ口調で言った。


「虫でも出たんじゃないのかしら。そうだとしたら入りたくないわね。もうしばらく月夜でも見ながら、一緒にお話ししましょうよ」

メニュアルがそう言ったのと同時に、ツォルフォイが会合室の扉から顔を出すと、右手で手招きをした。


「入れだとな。あたしらは虫が消えるまで入らないな!」


「虫じゃありません。ただ皆さんが大袈裟なだけですから、ご安心を。さあ、お入りください」

ツォルフォイはそう言うと、片手で扉を開きながら、彼女らを部屋に入れた。


ツォルフォイが慎重に扉を閉め、席に着くと、魔王は口を開いた。


「単刀直入に言うと、コヤック中継貿易町の消滅は、私が原因だ」

魔王が淡々と事実を述べてからも、部屋にはしばらく沈黙が漂っていた。


「ツォルフォイ。お前は知ってたのかよ」

リツが睨みながら言った。


「ええ。つい先程」

ツォルフォイがあまりにも平然としながら答えたために、リツは舌打ちをすると、椅子に深く座り直した。


「ええと、それはもちろん魔王様がやったわけじゃないのな?」


「大きく見れば私がやったことになるが、私にまつわる事象が今回の件を引き起こしたから、不可抗力だし、実質的には私ではない」

魔王の回答にマームベーグは首を傾げる。


「その事象とは何ですの?」

メニュアルが聞いた。


「予知のような回顧だ。ちょうどコヤック中継貿易町の消滅が発生したのと同時に、それは夢として私の中に出現した」


「その予知夢と町の消滅がどう関係あるってんだ? 結論を急ぎすぎなんじゃねえの、魔王様」

リツが机に足を投げ出した体勢のまま聞いた。


「確かに、関連性は不明だ。だが、もはや杞憂だとしても、そう考えざるを得ない所まで事態は進展している。だから私は、徹底した情報統制を行いたいと考えている」

魔王が言い終えると、ツォルフォイは静かに手を挙げて言った。


「よい考えがあります。イリア領の派遣調査員であるベヌスさんは、恐らく今後二週間程度は、我らが城下町で聞き込みを主流とした調査を続けるでしょう。しかし、彼が人間である以上、メルモア領内で出来ることは限られています。つまり、彼は代理を見つけるしかないのです」


なるほど。恐らく勇者が発足する二週間後には、メルモア領とイリア領の間で開戦されるだろう。つまりそれまで耐えることが出来れば、奴は帰りたくなくても帰還せざるを得ないのだ。


「我々はそこを突きます。彼が代役として選ぶのは、今回魔王様が派遣された四人の魔族調査員です。そこで我々は、この四人には今まで通り調査に参加してもらいますが、裏で彼らに言論封殺を施し、ベヌスさんの調査を妨害しましょう。ディモス王国国王は愚かですから、ベヌスさんを過信しています……我々に出来るのはこの程度です」


「流石だ、ツォルフォイ」

魔王は感心した様子で言った。


「何だよ。俺たち不要じゃねえか」

リツが不満げに言うと、マームベーグとメニュアルは大きく首を振ってその言葉に賛成した。


「では、これでお話は終わりですわね。私は食堂に戻って、明日の朝食の作り置きをしますわ」


「私も食堂に行ってメニュアルの手料理を味見するのな」

そう言うと、マームベーグはメニュアルの後を追って部屋を出て行った。


リツが無言で立ち上がるのに続いて、ワンスも立ち上がると、魔王に「また明日」と一言微笑みかけ、会合室を後にした。


部屋には、ツォルフォイと魔王だけが残っていた。


「どうした。お前も戻っていいぞ」

魔王がそう言った後も、ツォルフォイはうつむきながら、顔を曇らせていた。


「彼が、心配なのです……。我々が情報統制を行えば、彼は調査の続行が困難になるでしょう。そうなると、彼は収穫を得られないまま、ディモス王国に帰還することになります。その時に彼に待ち受けているのは、どんな運命でしょうか? 彼の息子は? 私はどうしても……罪悪感から抜け出せないのです」

言葉を詰まらせながら打ち明けるツォルフォイの顔を、魔王は静かに見つめていた。


「そこまで自分の計画に自信があるのなら、きっと大丈夫だ。お前はお前に出来ることを遂行しろ。人はいかなる境地に陥っても、なるようになる」

こんな言葉でツォルフォイの心を救えるとは到底思わなかったが、それでも自分なりに考えて言った言葉だ。


ツォルフォイは優しい。しかし、それは大きな弱点でもある。いつか来たる戦争の時、彼の易しさが、我々にとって致命傷になりえるかもしれない。ただ今は、彼に優しいままで居させてあげたい。本当の窮地に陥った時、彼は自分を見失うだろうから。

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