親子
ディモス王国の中心都市にそびえ立つ、腐りきった王族には勿体ない位の威厳を備えた城の下には、活気に満ち溢れた城下町が広がっている。
数ある酒場の中のたった一つに、彼ら親子は居座り、まるで世紀の大強盗でも犯すかのような面持ちで、何やら計画を練っていた。
「父さん、僕たち、魔物に殺されやしないかな?」
息子のスピカは、齢十六だと言うのに、まるで酒に酔ったとでも言うような顔つきをしながら、情けないことを口にした。
「ありえるな」
彼の父、ベヌスは、常に何かを諦めたかのような顔をし、 そのせいか、非常に空気の読めない男であった。実際、スピカが不安事を父に尋ねる度に、彼は毎度のように含みを持たせた返答をし、スピカを怯えさせていた。
「ねえ父さん、魔物の戸籍を調査していて思ったんだけど、どうして奴らには姓が無いの?」
スピカがビアマグを片手に言った。
息子の質問に、ベヌスは一瞬何を言っているのか分からないという顔をしたが、すぐに思い出したように言った。
「確か、魔族には苗字を付ける習慣が無いんだ。ほら、変わった名前をしているだろ」
ベヌスは戸籍に記された名前の一つひとつをなぞりながら、息子の反応を楽しんでいた。
「ほれ見ろ。"ゲルドルグラブドルギルスドル"だとよ。こりゃあ、本人も噛まずに言えないんじゃないか?」
酒が回ってきたのか、ベヌスは先にも増して調子に乗り始めた。
そんな父の状態に飲まれたスピカは、饒舌さを装って、同じく名前いじりに乗り出した。
「父さん、このギライアンってのも、いかつさを全面に出そうとしていて、なかなか滑稽だよ」
スピカは笑いながらそう言ったが、目の前に座る父の顔に笑みは無かった。
「……ああ、そうだな」
ベヌスが小声でそう言うと、しばらく沈黙が流れた。
「――父さん、魔物は……魔物は、どうしてあんなに恐ろしいんだろうね」
何か危ういものを悟ったスピカは、即座に話題を変えようと試みた。母に似たのか、父親と違って、気遣いに長けていた。ベヌスはスピカのこの能力が、彼がもう少し言葉を上手く操れるようになれば、大いに役立つ武器になるだろうにと、残念がるのだった。
「なあ、スピカ。今はいいが、向こうに行ってから魔物呼びは絶対にやめろ」
「どうして?」
「差別用語だからだ。"魔族"と呼べ。お前も、顔も知らないような奴に、"猿"と呼ばれたくはないだろ」
ベヌスはビアマグに注いだ酒を飲み干し、代金を机の上に乱雑にばらまいてから、「行くぞ」とだけ言った。
すっかりくつろいでいたスピカは、脇目も振らずに店を出ていくベヌスに慌ててついて行った。
***********************
「魔王様、エンビア街からの通達です」
ツォルフォイから手渡されたシワひとつ無い手紙を開封すると、中からは手触りのいいモンテルキア紙が一枚現れた。紙面上には、〈ディモス王国エンビア街派遣調査員〉と厳しく書かれた肩書きの傍に、〈ベヌス・ブライス〉と名前が記されていた。
手紙には、近頃発生したコヤック中継貿易町の消滅を調査したいと願い出る内容とともに、そちらの調査業務を行う何人かの職員と共同で行いたい、といったことがしごく丁寧に書かれていた。
「どのようにお返ししますか?」
ツォルフォイが茶を煎れながら言った。
「拒否するわけにもいかんだろう。腕利きの職員を集めろ。それから、お前も行け。いくら名の知れた"探偵"さんだろうが、こちらも負けていないということを知らしめるのだ」
魔王は意地悪な笑みを浮かべながら楽しそうに言った。事実、ベヌスという男の名は、侮るに値しないのであった。
「しかし……五忌魔配の一員である私が彼と顔を合わせていいのでしょうか?」
「なに。奴はお前でさえも仕事仲間だと考えるだろうさ」
気の乗らない顔をしているツォルフォイに、魔王は言い放った。
***********************
「何十年も中央集権国家をこじらせやがって……めんどくせえったらありゃしねえんだ。豚魔め」
メルモア領のコヤック区域に馬車で向かう道中、ベヌスは食あたりでもしたかのような凄まじい顔つきで、魔族に対する最上級の悪態をついていた。
「父さん……誰かに聞かれたら殺されるよ!」
スピカは父の悪態に怯えながら、周りをキョロキョロと見渡していた。
「なに。聞こえやしないさ。なんたって、無駄な進化を重ねてもなお、クソ耳はご健在なんだからな」
「しっ!」
ベヌスはもはや魔族に対する怒りなど持ち合わせていなかったが、息子を弄ぶために、わざわざ悪態をついては、スピカの反応を楽しんでいた。
およそ十万種の魔族が住んでいるとされるメルモア領は、魔族の間でのみそう呼ばれ、人々は死地と呼んで忌み嫌い、誰一人この領土に近づこうとはしなかった。スピカはベヌスの操る馬車に乗り、たった今この"死地"のおよそ中央あたりを横断していたが、しかし、想像よりもはるかに親しみやすい土地であると感じた。過去の想像を例えるなら、幼い頃に寝床につく頃に、父から読み聞かせてもらっていた童話の中の冥府。あたりは炎が燃え盛り、罪人の首を叩き切る番人がいる――スピカはその存在をもはや宗教的信仰の枠には留まらない境地で髄から信用しきっていた。
「魔物さえいなければ、いい所だと思うんだけれど」
「『魔族』な。お前こそ殺されるぞ。まあ、どちらにせよ言い直したところで結果は同じだろうが」
ベヌスは怪談を語るような口調でスピカを脅した。
このようなやり取りを続けているうちに、二人は広大な草原の水平線上に、薄く浮かび上がる、森に囲まれた魔王城を見た。そこはかつて大山がそびえ立っており、現在は城下町の発展のために刈り取られてしまったが、城の周辺だけは、魔王の趣向によりあえて生え茂らせてあり、それが一段と存在感を醸し出している。
両目では見切れてしまうほど長く続く城壁を前に、スピカはすっかり興奮しきっていた。事実、魔王が数百年にわたって栄えさせてきた大都市は、彼の慣れ親しんできたディモス王国よりも、また、ベヌスと共に訪れたいかなる都市よりも、はるかに巨大であった。
「スピカ、城が近い。フードで顔を覆え」
父の真剣な口調を聞き、スピカはすかさずフードを掴んだ。
「とりあえず、門兵の所に行こう」
冗談じゃない、とスピカは思った。
「父さん、僕たち、心中するの?」
「馬鹿言うな。魔王だって、そこまで阿呆じゃない」
ベヌスはそう言い捨てると、馬を城の正門に向けて歩かせた。スピカは今すぐ馬車から飛び降りて逃げ出したい気分だったが、いざとなれば父が身代わりになってくれるだろうと信じることにした。
正門に通ずる道路脇に馬車を停めると、やはり思っていた通り、門兵の男二人が訝しげな表情をして睨んできた。片方は生粋の竜人顔で、もう一方は竜人と、恐らくドワーフのハーフだろう。竜人と言えば、シャープな顔立ちや身体が特徴的だが、ドワーフの血が混ざったこの男は、顎こそ竜人らしく細長いものの、頬から上は横に広く、胴体は竜人のそれの二回りは大きいので、何だかちぐはぐに見えた。
ベヌスが馬車から降りて被っていたフードを外すと、門兵らは察した様子で、通行証の提示を求めたが、ベヌスは彼らが言い終える前に、それを押し付けた。
門兵に指示された通り、門脇の馬車置き場に馬を動かすと、ベヌスたちは隣接している貧相な小屋で同業者を待った。
門兵らが言うには"待機小屋"だそうだが、本来は彼らの休憩所として利用されているのだろう。
小屋の中は、長いこと空気が入れ替えられていないためだろうか、埃っぽく、数々の食事の臭いや、汗の臭いがこびりついていた。
ベヌスは馬車から持ち込んだ菓子を机の上に広げ、早速一つ目を頬張りながら、スピカにも勧めた。喉が渇きやすい菓子類は、場所も取るため、一般常識では論外とされているが、ベヌス流では、長旅の時でも必ず菓子を持ち運び、それをスピカと分け合うのが定着していた。その度にスピカはちょっぴり悪いことをしているような気分になり、そんな気分にさせてくれる父が好きだった。
ディモス王国のほぼ中心に位置するエンビア街からメルモア領までは、馬車だと、大抵、一、二ヶ月はかかる。そこから魔王城下町まで行くとなると、プラスで一週間は必要だ。
馬車を持たないほとんどの人々は死地に足を運ぶ手段がなく、かつては御者による運送事業が行われていたが、現在では法律で禁止されている。もちろん、今となってはそんな心配をする人間は一部を除いてほとんど居ないのだが、当時はメルモア領に行ったきり帰って来れなくなった者もおり、その親戚知己による運動でかなり揉めていた。
二人が菓子を嗜んでいると、小屋の外から人々が話し合う声が聞こえた。中には驚き交じりに号泣している男の声も聞こえる。
何事かと思いベヌスが小屋のドアから顔を出すと、四人の同業者らしき魔族と、感泣している混血児の竜人の前に、明らかに場から浮いている男が佇んでいた。
「ツォルフォイ様! 昔からファンなんです! ま、まさかお会い出来るとは……あ、あ、握手して頂けますか!」
スピカもただ事ならぬ様子に、父に続いて顔を覗かせた。
ツォルフォイと呼ばれる男は、二十代くらいの青年に見えた。オークル色をした髪は光に反射して金色のように輝き、背中のあたりまで伸びていた。一見人間のようだが、頭から生えている角や、異様に高い身長がそれを否定していた。しかし、彼よりもはるかに老けている混血の竜人が、ファンだなんだと叫び散らかしている姿は、何だか異様であった。
「父さん、あの人は何者なの?」
「四魔のツォル・フォイーゼだ」
ベヌスは額に汗を浮かべながら、ささやき声で答えた。
「人間、ではないよね。ということは、混血?」
「ああ……参ったな」
ベヌスはスピカの質問に答えたのか、ただ一人呟いたのか、判別がつかない絶妙なため息をついた。
「あれでも六百は行ってるはずだ」
父の言葉にスピカは目を見開き、唖然とした。しばらく塞がらないスピカの口にベヌスは菓子を詰め込むと、椅子に座って項垂れた。
「ああ……ほんとに参った」
ベヌスはもはや喋る気力さえ失ったという様子で、もう一袋菓子を取り出すと、そのまま口に放り込んだ。
スピカは父が項垂れた後も、魅惑的な雰囲気を纏う四魔を、浅く開かれたドアから顔を覗かせ見つめていた。どうしても、はるかに老いていて、格下であるはずの門兵に対して優しく寄り添う姿からは、恐ろしい魔族の威厳は感じられなかったのだ。