勇者という男
なるほど確かに、死ぬのは恐ろしい。
目の前に佇んでいる【勇者】に、魔王ギライアンは思い知らされた。
奴が魔王城に攻めてくる時――いや、もっと前の段階で、この男の異常性に気づいておくべきだったのだ。この男は勇者などと呼ばれていい器ではないことに。
傍から見ても、その事実に気づくのは容易であった。魔王を前に、満面の笑みをたたえる人間などいるだろうか? 魔王の傍らに眠るケルベロスの、見るに堪えない死体も、彼の残虐性を物語っていた。
燃え盛る炎の中、勇者はケルベロスに深く刺さっている剣を抜いて、こう言った。
「最期に少しだけ、お話します?」
この男は人間に対してもこういう口調なのだろう、と魔王は思う。
「お前の……名は?」
「ヤマナカ」
ヤマナカ――少なくともイリア領の人間ではない。そういえば、私はこの男について何も知らなかった。何も理解出来ぬまま、何も知らぬ相手に、訳も分からず殺されるのか。
「それだけだ……殺れ」
勇者は魔王の言葉に驚き、嬉々とした表情を浮かべて言った。
「死ぬのが怖くないんですか?」
何を言ってるんだ、この男は。怖いに決まってる。死にたくないに決まってる。
「あぁ、なるほど。魔王のプライドってやつですか。立派だなぁ……そういえば、あなたの配下達もあんまり叫びませんでしたね」
「黙れ」
そういえば、彼らも死んだのか。なら、生きている意味など尚更無い。このまま殺されてしまおう。
「それじゃあ……さようなら、魔王」
後悔も束の間、剣は魔王の頭目掛けて振り下ろされた。
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叫び声とともに、魔王は飛び起きた。
額は汗で濡れ、呼吸は幾分か荒くなっている。辺りを見回すと、炎の気配はせず、殺されたはずの二頭のケルベロスも、魔王の傍らで眠っていた。
「ギライアン様?」
魔王の叫び声を聞きつけた二魔が、荘厳な扉の向こうから、からかうような口調で問いかけた。
「……何でもない」
「かしこまりでーす。朝食のご用意ができております」
魔王はあからさまに不機嫌になっていた。恐らく叫び声を配下に聞かれたであろう恥ずかしさと、瀬戸際に追い詰められている自分の不甲斐なさがプライドを傷つけたからだ。
ともかく、今の魔王にできるのは、その叫び声が乙女のようにか弱いものではなく、猛獣の叫びのように獰猛であったことを祈ることだけだった。
寝室を出て、食堂に向かう間も、魔王の頭の中は"夢"のことで埋め尽くされていた。
基礎魔法の炎の熱さも、剣で切り裂かれた右腕の痛みも、すべて鮮明に覚えている。
そして何より、あの【勇者】という男の存在――もしかしたら、あれは夢ではなかったのかもしれない。そう錯覚するほど、鮮明な夢だった。
幅の広い廊下を左に曲がると、開けた部屋がある――食堂だ。
ランセット窓から差し込む光が、長テーブルの上を照らしている。既に席には魔王配下の【五忌魔配】が座っており、異様な静けさの中に、苛立ちが感じられた。
あの夢の後だと、彼らの何とたくましく見えることだろうか。
「魔王様。こっちはもう十分も断食してんだ。あんたのくだらないしきたりのせいでな」
腕を組んで座っていた三魔のリツが、立ったままの魔王に鋭く言った。
「ああ、すまない……すまなかった」
魔王が席に着いたと同時に、リツは狂ったように食事を口に押し込んだ。それに続くように、周りの配下もパンや惣菜に手を伸ばした。
「どうされたのですか、魔王様。」
半ば放心状態の魔王に、四魔のツォルフォイが訝しげに聞いた。
「いや……ちょうど今、話そうか考えていたのだ」
掴みどころのない魔王の返答に、ツォルフォイは更に困惑した様子だった。聡明ゆえ気づきすぎてしまう彼にとって、曖昧な返事は一番の天敵なのだ。
「やはり何でもない。今は食事を楽しもう」
私としたことが、夢を本気にするなんて、馬鹿らしい。私にはツォルフォイのような予知能力もなければ、予言者でもないのだから。
そうして勇者の存在を忘れかけていた二日後の夜に、魔王は再び彼と出会った。
激しい痛みが唐突に全身を襲い、驚いた魔王は目を覚ました。しかしそこに広がっていたのは、眠っていたはずの寝室ではなく、炎魔法の燃え盛る大広間だった。
――痛い。恐ろしい。
見上げると、そこには【勇者】が立っている。
魔物を殺し、魔族を殺し、町の者を殺し、五忌魔配を殺し、今まさに私を殺そうとしている。
この男の異常な成長速度は何なんだ? 私は何度こいつを殺したのだ? ありえない事が起きている。この世の摂理に抗える生き物が、この世に存在していいはずがない。
「最期に少しだけ、お話します?」
この男はきっと、人間に対してもこういう口調なんだろう。
「お前の……名は?」
「ヤマナカ」
少なくとも、イリア領の人間ではない。出生も分からぬ人間が、わざわざ勇者を名乗って私を殺しに来たのか。いや、もうどうでもいい。
「それだけですか?」
なんて惨めなんだろうか。理不尽に人間から憎まれ、挙句の果てに友を殺され、今まさに命を終えるところだ。これで奴らの憎しみは収まるのだろうか。殺生を正当化して、自分たちの世界を創り上げるのか。つくづく身勝手な種族だ。
「それじゃあ、さようなら。魔王」
そう。この男も、ただ殺したいだけだ。そんな男に、私は殺されるのだ。
剣が振り下ろされると同時に、目を瞑る。と同時に、目が覚めた。今度は叫ばなかった。しかし、それが夢であると気づくのに、数秒かかった。
「またか……」
魔王は妙に急いた気分で、誰もいない食堂に出向き、ランセット窓を背にした椅子に腰を下ろした。
二度も言葉を交わして思ったが、やはりヤマナカというあの男は、この世に存在するのかもしれない。あくまで勘の域を出ないが、あれを夢の一言で済ますには、どうにも合点がいかない。
予知――なのだろうか。こればっかりはツォルフォイに聞いてみないと分からない。
後で彼に聞こう、と思い至った時、食堂に向かって歩く足音が聞こえた。
「おや。ギライアン様、お早いお目覚めですね」
切れ長の目を覆う細長い眼鏡に、銀髪の髪――思っていた通り、ワンスだった。
「私としたことが……完敗です」
ワンスを一言で無理やり表すとするならば、"狂争(競争)者"とでも言おうか。なぜかは知らないが、彼は何かにつけて勝負を仕掛け、一位になることに拘っているのである。
「おはようワンス。ところで、ツォルフォイを見なかったか」
「……彼に何かご用ですか」
ワンスは少し不機嫌そうに言った。疑問に感じたが続けて「ちょっと聞きたいことがあるんだ」と言うと、彼は「見ていません」と答えた。
朝食後、ツォルフォイを呼び止め、夢の一件と予知について聞いた。
「夢――ですか」
「ああ。お前も予知能力を持っているだろう。何か知っているだろうと思ってな」
ツォルフォイは考えを巡らせながら腕を組んでいたが、しばらくして残念そうに言った。
「申し訳ありません。魔王様のお力には添えそうにありません」
「なぜだ」
「まず、私の能力と、魔王様の見た夢には、決定的な違いがあるのです」
彼はため息をつくと、続けて言った。
「魔王様は予知とおっしゃいましたが――私のはせいぜい"予言"なのです。来たる可能性のある未来を予測すること……そこが私と魔王様の決定的な違いです」
「つまり……?」
「確か、西北の方に位置するカエデ村が、予知夢を生業とする一族だったはずです。魔王様のお話を聞く感じ、恐らく予知夢の一種ではないかと。断定は出来ませんが……」
思考が停止する。すなわちツォルフォイが言うには、"勇者は存在する"ということだ。そうではないかと薄々感じていたが、実際にその事実を突きつけられると、衝撃は思っていたよりも大きい。
しかし、まだ勇者が発足したという話は聞かない。つまり、この先発足する可能性があるということだ。
燃え盛る魔王城が脳裏によぎる。斬られた右腕の痛みが鮮明に蘇る。痛い。恐ろしい。夢であったらと、夢の中で何度思ったことだろうか。
「ツォルフォイ。私と一緒に来てくれないか」
「どこへ?」
ツォルフォイは怪訝そうに聞いた。無理もない。彼と外出するのは三十年ぶりなのだから。
「カエデ村だ」
皆様、初めまして。
お茶良景と申します。
なろう系ぽっと出のケツの青い新人ですが、皆様に読んでいただけることを嬉しく思います。
少しでも作品に興味を持っていただけたら幸いです。
これからも何卒よろしくお願いします。