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頭の中に絵を描く

今時珍しく、近所の商店街はわりと栄えている。恭介を育てるのに、この地域を選ぶのに、商店街も決め手の一つだった。

 今夜の夕食は何にしよう。料理は好きな方だけれど、献立を考えるのは苦手……そういえば、今まで創一に私の手料理を「おいしい」って褒めてもらったことなかったな。

 恭介は何を作ったら喜ぶかしら。

 なかなか良い献立が浮かばない。悩みながら歩いていると、昔からあるであろう本屋が目に留まった。ここに寄って料理本でも覗いてみようか。店内には様々な本が並んでいる。さほど広くはない店内だが、種類は豊富だ。

「料理。料理」私はふと足を止めた。小説コーナーに気になる本を見つけたのだ。「流星の彼方へ」背表紙だけで美しい。青と紺の混ざったような色合い。どんな表紙なのだろう――表紙をどうしても見てみたい。私はその本に手を伸ばした。精一杯手を伸ばす。あと少しの所で届かない。すると、後ろから伸びた長い手が「流星の彼方へ」をスッと掴んだ。私はビックリして振り向いた。色白の男性が本を手ににこやかに立っていた。

「はい。どうぞ」男性が本を差し出してくれた。

「あ、ありがとうございます」間の抜けた声が出た。

「これ、面白いですよ」そう言った男性の方を向き直し、本を丁寧に受け取り、表紙を眺めた。流星がたくさん描かれていて、写真とはまた違う美しさがある。

「読んでみます」改めて、色白の男性を見た。整った顔をした美青年だ。「美しい」といった表現が当てはまる。私は改めて、その男性にお礼を言って「流星の彼方へ」を購入し店を出た。自分のために、何かを買うことは久しぶりだった。

 今日はカレーライスとサラダにしよう。献立が決まらないときはこれに限る。他の家事は済ませてある。早く帰って「流星の彼方へ」を読んでみたい。私は、夕食の材料を買い、急いで帰宅した。

 

 温かいカフェオレを入れて、ソファに腰掛けた。カフェインは苦手だったけれど、最近無性に飲みたくなって、インスタントコーヒー少しと砂糖小さじ二と牛乳をたっぷり入れて一日三杯飲んでいる。どうやら、鉄分が不足したり、体が疲れたりすると飲みたくなるそうだ。

 恭介のこと。創一のことで心はボロボロになっている。なんとかしなくちゃと思う一方で、私のことはどうでもいいやと、ストレスで倒れるならそれでもいいやと倒れてしばらく眠り続けてもいいかもしれない。そうしたら、恭介は少ししっかりするかもしれない。創一も変わるかもしれない。もう疲れてしまった。そのままいっそ、目覚めなくてもいい……

 一人でいると気分が落ち込んでしまう。いけない、いけない。恭介をしっかり育てなくちゃ。私が頑張らないと。

「流星の彼方へ」の表紙をめくる。


 どれくらい時間が経っただろう。もうすぐ恭介が帰ってくる。昼食をとることも忘れて、熱中してしまった。

 こんなに充実した時間は本当に久しぶりだった。ドキドキしてワクワクして、胸が高鳴る。私はほんの少し生きることが楽しくなった。


「ただいまー」恭介が帰ってきた。

「おかえりなさい」飛びついてきた恭介を抱きしめる。髪の毛が汗でビッショリだ。また、走って帰ってきたのだろう。そんなに早く帰ってきたいのかしら。毎朝学校に行きたくないと泣く恭介。こんなに嫌がっているのに、行かせてしまっていいのだろうか……それでも家に帰ってくるときは笑顔だ。学校が楽しくても楽しくなくてもこうして帰ってきてくれる。まだ大丈夫。きっと大丈夫だ。

「おやつ食べる?今日は恭ちゃんの大好きなお団子買ってきたよ」充実した時間を過ごしたからか心に余裕を持てる。学校どうだった?と聞かずに済んだ。こう聞かれることも恭介にとって苦痛なんだと思う。

「食べる‼︎」恭介はニコニコしながら手を洗いに洗面所へ向かった。

 二人で向かい合って食べる、おやつの時間。

「おいしいね」他に特に会話は無いけれど、幸せ。

「ママ、それなあに?」テーブルに置いたままにしてあった本を指し恭介が尋ねた。

「今日ね、本を買ってきたの。すごくおもしろくて、あっという間にこんなに読んじゃった。恭ちゃんも大きくなったら読むといいよ」私は恭介に本を差し出した。 「へぇ――」そう言いながら、本をパラパラめくっている。

「うわぁ。字がいっぱい。絵とか無いの?」恭介は顔をしかめている。その顔がなんとも可愛らしい。

「絵は自分の頭の中に描くのよ」恭介はキョトンとしている。私は続けた――

「本を読んで、色々なことを考えて、頭の中に絵を描くの。そこに色を塗って。自分だけの絵を描くの。そこが読書のおもしろいところだよ」

「ママはどんな絵を描いたの?」

「最初は泣いていた男の子が、たくさんの星に出会って笑顔になっていく絵かな。虹も描いたよ」

「星もあって虹もあるの?」

「何でもありなのよ」

「僕もやってみようかな」恭介は本棚のある部屋へ走って行った。そしてすぐに戻ってきた。

「僕、字だけの本って持ってないや」少ししょんぼりしている。

 小学一年生が読む挿絵の無い本ってあるのかしら。

「図書館に行ってみようか?」私からの提案に恭介は元気よく「うん‼︎」と頷いてくれた。

「急いで、晩ご飯だけ作っちゃうから、少しだけ待っててくれる?宿題やっちゃおうか?」

「わかった‼︎」いつなく素直な恭介の頭を撫で、私たちはそれぞれのやるべきことに取り掛かった。


 近所の図書館はさほど広くはないけれど、明るくて児童書コーナーも充実している。

「恭ちゃん好きな本選んで、何冊か借りていこうね」

挿絵の無い本は無かったけれど、それでも極力絵の少ない本を一冊と、あとは恭介の選んだ絵本を七冊。貸し出しカウンターへ持って行く。

 図書館からの帰り道「たくさん借りたね」とか「ママ、本重くない?」とか恭介が色々と話かけてくれた。恭介と他愛もない会話をこんなに楽しめたのは、久しぶりのような気がする。私は学校に行きたくないと辛そうな恭介を腫れ物のように扱ってしまっていたのかもしれない。こうやって、楽しい時間を一緒に過ごすことができるんだもの。私は今日、「流星の彼方へ」に出会えたこと。そして、それを購入して、読むことを選択した自分自身に感謝した。


 夕食の時間まで、読書タイムとした。二人で別々の本を読みながら、時々恭介が「ママ、これ見て」と面白いページを教えてくれる。私たちは今、世界で一番幸せな親子かもしれない。

 外もすっかり暗くなった。あっという間に18時だ。

「恭ちゃん、そろそろご飯の時間だね。一緒に食べよう。ママ支度してくるね」恭介はゴロゴロしながら絵本を読んでいる。この読書タイムは恒例にしたいな。そう思いながら、さっき作っておいたカレーを温める。

 今日も創一の帰りは遅いのだろう。二人分のカレーをよそい、サラダを食卓に並べて、恭介に声を掛ける。

「恭ちゃん、ご飯の支度できたよ。手を洗っておいで」

「はーい」

 私たちは二人揃って「いただきます」をした。こんな時間がずっと続けばいいのに――最近、夜になるにつれ、翌朝のことを考えてしまって憂鬱になる。「学校に行きたくない」と泣いて暴れる恭介を見るのも辛いし、こんなに嫌がっている恭介を無理矢理連れて行く自分も本当に嫌だ。それでも、心を鬼にして学校へ連れて行く。私はこのまま、恭介にとって、本当に鬼になってしまうかもしれない。それでも、今日の恭介との時間は本当に幸せだった。

 布団に入って、お気に入りの絵本を読み聞かせ、電気を消す。私にピッタリとくっついてくる恭介を抱きしめる。そうするとあっという間に眠りに落ちる。以前は、そーっと起き出して、リビングで一人、何時に帰ってくるかわからない創一を待っていた。でも、それはもう数年前に辞めた。

 恭介を抱きしめたまま、私もそのまま眠りに落ちた。

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