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冷たい雨

外は冷たい雨が降っている。私の心も水浸し……どんなに頑張っても、誰からも褒めてもらえない。感謝もされない。妻って、母親って、一体何なのだろう……どうしてこんなにも擦り切れてしまうのだろうか。

 もうすぐ、一人息子の恭介が帰ってくる。彼はまた今日も「学校はつまらない」と言うのだろう。

「ただいまー」ニコニコしながら玄関を開けた恭介を抱きしめる。最近、力も強くなってきて思いっきり抱きつかれるとこちらがよろけてしまう。私はこの瞬間が大好きだ。

「おかえりなさい。よく頑張ったね」恭介の頭にポンと手を置き、また抱きしめた。恭介は無邪気に微笑んでいる。

「学校どうだった?」返事はわかっている。わかっているけれども、つい期待をしてしまう……

「つまらなかったよ」

「そっか。手を洗っておいで」恭介を責めないように、なるべくサラッと言った。

 恭介は集団行動が苦手なようだ……幼稚園の頃から登園を嫌がり、毎朝泣きじゃくる。「行きたくない」と泣いて暴れる我が子を前に、私はどうしていいのかわからず、なんとか宥めて連れて行ったり、どうしても家から出られないときには休ませたり、臨機応変にやってきたつもりだ。周りからは「今だけだよ」とか「そのうち行くようになるよ」とか励ましの言葉をかけてもらっていたし、私もなんとなく、そんな気はしていた。

 無事小学校に入学し、自分で選んだランドセルを背負って元気に登校する姿を見た時はホッとしたのと、拍子抜けしたので、なんだか不思議な気分だった。

 恭介を送り出してから、朝食の片付けをする。こんなに晴れやかな気持ちで食器を洗える日が来るなんて。大変な3年間だったけど、頑張って良かった。心からそう思う。でも、それは長くは続かなかった。

 夏休み明けから、また朝の癇癪が始まったのだ。

「恭介、起きて。朝だよ」軽くゆすってみても無反応。私の声は少しずつ大きくなる。全く起きる気配がないから、ちょっとだけ時間をおいてみよう。その間に――朝一で回しておいた洗濯が終わっているはずだ。それを出して来よう。

「恭介、そろそろ起きないと」もう、7:30だ……全く反応してくれない恭介を抱えリビングの椅子に座らせる。もう、20キロを超えた恭介を抱っこするのも一苦労だ……

「恭介、椅子に座ったからね。しっかりして」バランスが崩れて椅子から落ちないよう支えながら恭介を起こし続ける。

「う〜ん。学校行かないって言ったじゃん」目を閉じたままの恭介がそう言った。どうしてこんなにも学校に行きたくないのか。何度も理由を聞いてみたけれど、これと言って無いらしい。毎回、理由が変わったり「わからない」というのが彼の言い分だ。私にもさっぱりわからない。不登校の子どもを持つ親に向けたYouTubeもいくつか観てみたが、どの動画にも「理由を聞いてはいけない」と共通していた。私はそれに習い理由を聞くことを辞めた。

「学校行きたくないんだよね。それはわかったよ。でも、行かないと」なぜ、学校に行かなければいけないのか。私にも明確な答えは無い。それでも、まだ小学1年生で不登校を選択するのは早すぎるのではないか。家にいてどうする?何をする?何を学ぶ?私にはそれがわからない。だから、学校に行ってほしい。学校に行って、色々なことを学び成長してほしい。それで、恭介にとって本当に夢中になれることが見つかったら。そのときは恭介の好きにしたらいいと思う。

「恭ちゃん。朝ごはん食べよう」それで、学校に行こうね。恭介はコクリと頷いてくれた。私はひとまず椅子から離れた。今朝も寒い。恭介に温かいココアを淹れてあげよう。もう12月。学校に行くのが難しくなってから3ヶ月が経つ。温かいココアの入ったマグカップを手に振り返ると、恭介がいない。はぁ。まただ……

「恭介‼︎」声が荒くなる……「早く起きなさい」恭介は布団を被って疼くまっている。

「もう起きないと」こうなるともう、抱っこというより、乱暴に抱えながらリビングに戻る。もう……いい加減にしてほしい。

「恭介、ご飯食べて」

「学校行かない」

「早く食べなさい」低く感情の無い声。こんな声が出るのかと初めは自分自身に驚いた。私も大した器ではなかったのだ。イライラする。時間も迫っている。今日も遅刻だ。リビングのドアが空き、創一が入ってきた。

「ふぁ〜」と眠そうだ。

「おはよう」

「おはよう」私は今、恭介のことで手一杯なのに。何がおはようだ。創一の顔は見ず、でも努めていつも通りに優しい声で返した。創一はソファにどかっと座りテレビをつけた。ねえ。あなたはどうして何もしないの?こう言ったらあの人はどんな顔をするだろう――今は恭介を学校に行かせなくちゃ。朝食を食べさせることは諦め、トイレに連れて行く。洋服にも着替えさせ、タオルで顔を拭いてやる。ここまでやると少しずつ覚醒してくる。先日7歳になったが、これでは赤ん坊と一緒だ。

「恭介、もう時間ないけどご飯どうするの?食べないで行くの?」

「食べる。でも、足痛いから歩けない」恭介を抱き上げ再びリビングに戻った。やっと朝食を食べ始めた――せっかく淹れたココアはすっかり冷めてしまっただ。ここで創一の朝食を出す。

「パパ。朝ごはん」朝食ぐらい自分で用意しろ。毎朝そう思いながら出している。恭介がやっと朝食を食べ終えた。本当は途中で切り上げて学校に行ってほしい。そうしたら、なんとか登校班に間に合うのに……でも、全部食べないとまた、癇癪をおこす。

「恭介、歯磨きしに行こう」洗面台へと促す。あと少しで家を出られる。今日も遅刻だ。送って行かなくちゃ。

「優子、俺今日飲み会」だから何だ。今私は忙しい。見てわからないのか。オマエの予定はどうでもいい――夕食を家で食べるのか食べないのかそれだけ言え。心に真っ黒な影ができたような気持ちだ。私は聞こえないフリをした。今口を開いたらそう言ってしまいそうだから。

 結局今日も全て私がやった。この子は私がいなくなったらどうなってしまうのだろうか――

「恭介送ってくるから。パパも気をつけていってらっしゃい」玄関からそう伝えた。創一からの返事はなかった。玄関のドアを閉めて鍵をかけた。

恭介を学校まで送り届け家に帰ってきた。これから家のことをやらなくちゃ。テーブルには食べ終えた食器が置かれたままだ。ココアはそのまま残っている。なんだ……恭ちゃんココア飲まなかったんだ。一気に力が抜けた。ココアを温め直し、ホッと一息つく。私は一体何をしているのだろうか――恭介は今日も学校に遅刻したが、今日はまだ良い方だった。酷いときには登校中も泣き喚く。学校に着くまでに、柱という柱にしがみついて泣くのだ。腕を引っ張ったり、ランドセルごと恭介を後ろから押しながら歩いたり。こんなに嫌がるこの子を学校に連れて行くことは本当に正しいことなのだろうか……私がやっていることは虐待に当たるのではないか。もし誰かに通報されたら、恭介とは離れ離れになってしまうのだろうか……この家に一人でいると、どんどん気持ちが沈む涙が勝手に溢れて止まらない。でも、今この時間は私にとって唯一のストレス発散の時。思う存分泣くと少しスッキリするから。気がつくともう10時を回っている。恭介が帰ってくるまでに家事を終わらせて、買い物にも行って来なくちゃ。毎日頑張って学校に行っているあの子が家に帰ってきたら、少しでも心が休まるようにしてあげなくちゃ。私は涙を拭き、家事に取り掛かった。ママも頑張るからね――

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