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勘違い幽霊、坂下昇の三文芝居

 午後10時50分、俺が店に入ると交代するジャスミンが声をかけてきた。彼女は最近このコンビニエンスストアで働き始めた若いフィリピン人だ。

「ハセガワサン、ジョージさんがちょっといつもと違うミタイデス」

「へーぇ、どんな感じなの。また仕事サボっているとか?」

「いいえ、そうじゃないデス。仕事はいつものように頑張ってイマス」ジョージはジャスミンと一緒のシフトだと人が変わったように仕事に精を出す。ジャスミンは英語、日本語、フィリピン語を話し、日中は老人介護施設で働いている誠実でキュートな女性である。ジョージがジャスミンの前ではいい格好をするのは無理もない。

「仕事中、トキドキ、ウッとか言って顔をしかめたりシマス」ジャスミンは少し心配そうに話している。俺もジョージが痛がっていることが分かると、あいつも少しは人間らしいところがあると思いなぜか安堵した。そして今日は少しくらい奴に優しくしてやろうと思った。

「ハーイ、ハセガワサンお久しぶりでーす」ジョージがヘラヘラしながらやって来た。どこがお久しぶりだ、こいつ。午後一時半くらいまで俺の家で眠っていたくせに。

「じゃあ、私上がりマス。ジョージさん、・・・ハセガワサン、お先に失礼シマス」ジャスミンが一瞬俺を見て頭を下げながら帰っていくとジョージは「バイバーイ、ジャスミンさーん、グッナイト」とか言ってうるさい。

「グフフッ、今度ジャスミンチャンと同じシフトはイツカナ?」とこいつは変な妄想が頭の中に浮かんでいるのか、目をトローンと垂らしてニタニタ笑いながら嬉しそうにシフト表をチェックしている。この助平外国人に対し少しでも憐憫の情を抱いた俺は馬鹿だと反省した。

「おい、ジョージ。お前わざとジャスミンさんの前で胸が痛い仕草をしただろ?」

「あっ、イタタターッ」目の前のマッチョなアフリカ系アメリカ人はオーバーに顔を歪め左胸を押さえた。

「ハセガワサン、僕をナンダト思っているノデスカ。ボクダッテ胸ニナイフが刺さればイタイ二キマッテルジャナイデスカ」

「お前、どっちの胸を押さえているんだ。ナイフが刺さったのは右胸だろ!」

「アッ、ソウでした」ジョージはそう言いながらヘラヘラ笑っている。少年漫画の主人公並みの回復力だな、こいつは。

「ところでヨーコはまだ来ていないのかな?」

「ハイ・・・、マダヨーコチャンハ来ていません。ンーン、ドウシタノカナ?」明け方のナイフ事件があるので、俺もジョージもしばらくあまり喋らず時々考え込んだりしていた。

 今日は金曜日の夜なので客足は順調だった。俺もジョージもいろんなことがあったので頭の中は複雑な糸が絡まり合っていた。だけど俺たちの乏しい思考能力では連続殺人事件の全容も把握できないし解決の糸口さえ見つけることもできない。だから今はコンビニの通常の仕事をしている方が精神的には楽だった。

 レジの後ろの壁にかかってある丸い時計の短針は午前二時を指していた。いつものように、この時間帯になると客足はパタッと途絶えた。ジョージは欠伸とともに大きく背伸びをしようしたが、さすがに右胸の傷口が痛むらしく、左腕だけ上げた変な恰好になった。俺は奴の変な所作を鼻で笑っていたがその時、店の入り口方向にあの独特の雰囲気を感じた。俺とジョージは入り口の自動ドアを見ると、そこにはヨーコと若い男が並んで立っていた。幽霊の王道を行く現れ方である。

「ヨーコチャン、元気ィ?」ジョージはレジから左手を振った。ヨーコはそれに応えて笑いながら右手を小さく振った。しかし彼女の隣にいる男は全く元気がないようで、ヨーコに引っ張ってもらってトボトボ歩いている。もっとも幽霊は基本的に元気がないのではないかと俺は思ったりする。

 ヨーコと元気のない男はイートインスペースの隅に座った。俺は二人にホットコーヒーを淹れ、それを霊化した。

「ノボル君、飲んだら・・・カラダあったまるデスヨ、ワン」

「・・・・・・」ノボルと呼ばれた幽霊男は何も言わず俯いている。俺とジョージは顔を見合わせた。

「あっ、ジョージ、元気そうで良かったワン」

「ヨーコチャン、右手ダイジョーブデスカ?」

「エへへへッ、クモちゃんに熱いハグしてもらったからこの通り大丈夫だワン!」ヨーコは嬉しそうに小さな右に掌を見せた。柴丸もいつの間にか、立っている俺とジョージの間に座っている。

「ジョージ、クモちゃん。この人、ちょっと前に幽霊になった坂下昇君」サカシタノボル? ややこしい名前だな。

「ちょっと前にいきなり堀内公園で殺されちゃったから、自分のこと、まだあまり分かっていないのだ、ワン」俺もジョージも連続殺人事件第三の被害者がこの店に来るとヨーコから聞かされていた。だからどんな新人幽霊が来るのか興味もあった。彼の言動のよってはこの事件解決の手がかりも得ることができる。だけど俺とジョージはずっと能天気なヨーコと付き合ってきたから、こんなにふさぎ込んでいる幽霊にどう対応していいのか戸惑っていた。

「ヨーコさん、この人たち、僕が見えているのですか?」新米幽霊の坂下昇は胡散臭そうに俺とジョージを見た。

「そうだよーっ。クモちゃんとジョージはあたしたちをクッキリ見ることができるしお話もできるんだワン。クモちゃんなんか、あたしのブラジャー姿とスベスベの白いお腹を見て、ハアハアと激しく興奮してもう少しでイッちゃいそうになったワン」

「変態ですね」坂下は汚いものを見るように俺を見た。

「ヨーコ! お前、何言ってんだ! あれはお前が勝手にTシャツをめくり上げたからだろ。それに俺はイッたりなんかしていないぞ!」

「まあまあハセガワサン、イイジャナイデスカ。イッタとかイカナイとか。アヘアへ、ドッピュン」ジョージ、お前も変なこと言うな!

「それで、坂下クンモヨーコチャンノナイスバディ二惹かれてイッショニ此処にキタノデショウ?」

「別に・・・」坂下はつまらなそうにヨーコの盛り上がっている胸を見た。

「アレレー、さっきまで誰も僕を見えくれないし話しかけても通じないって言って、キャンキャン泣いていたのは誰だったのかな、ワン」

「う、うるさいな。ワンワンワンワンって」今はワン一回だけだぞ、坂下昇。

「ヘェー、ハンサムナ坂下クンガニャーニャー泣いてイタノデスカ? グフフ」

「ニャーニャー泣くわけないでしょ! 誰だっていきなり殺されて幽霊になったらパニックになるじゃないですか」坂下はジョージの言うとおり整った顔立ちをしているが、困惑の表情を浮かべていた。可哀そうに、彼はジョージとヨーコのおバカコンビの術中にハマってオタオタしている。だがこいつは俺を汚物のように見下したので、しばらくは傍観して助けてやらないのだ。

「フフフフーッ、クモちゃん、ジョージ、イイこと教えてあげるワン」なんとヨーコは蒼い瞳を冷たく輝かせて、ほくそ笑んでいる。先ほどのジョージの褒め言葉―ナイスバディを坂下に無視されてキレたのか?

「ノボル君はねぇー、さっきまで何言って泣いてたと思う、ワンワンワン?」

「バカ! ヨーコさん、止めてくださいよ!」坂下昇は慌ててヨーコの口を塞ごうとした。だがヨーコは坂下の手が彼女の厚い唇に触れる瞬間にフッと姿を消しジョージの横に姿を現した。さすがベテラン幽霊だ。

「ノボル君はねぇー、マーマーァ! マーマーァ! 何処にいるのーォ、ビエーン! って小ちゃいお子ちゃまみたいにビービー泣いてたワン」ヨーコは手を目の下につけて口をへの字にして泣きまねをした。

「ギャハハハー!」ジョージは手を叩きながら爆笑した。

「プッ、クククッ」俺も吹き出した。

「失礼な! ヨーコさん! 君は僕を怒らせるためにここに連れて来たのですか?」坂下は顔を真っ赤にして怒っている、幽霊なのに。

「それからネーッ、ミツキさーん、ミツキさーん、君に会いたいよーってメソメソ泣いてたんだワン」ヨーコは今度、ヒックヒックと少女が悲しそうに泣いている真似をした。

「ホワッツ? 美月・・・チャン?」

「美月?」俺は嫌な予感がした。

「コラ、君たち! 君たちの下品な口で僕の天使の名前を出さないでくれたまえ」坂下は急に偉そうに言った。

「ひょっとしてハセガワミツキチャンデスカ?」

「どうして君が美月さんの名字まで知っているんだい?」

「フフフッ、ボクハアナタノ天使、ハセガワミツキチャント特別な関係デース」

「噓でしょ。君みたいなおバカでエッチなことしか考えていない本能丸出し人間が美月さんと関係があるはずはない。ヨーコさん、この人、頭おかしいのでしょ? 早く病院行った方がいいですよ」いいぞ、いいぞ、坂下昇。

「シィッ! ジャア証拠ミセマス」ジョージは真顔になってコンビニの制服とTシャツを脱いで上半身裸になった。そして右胸の貼ってあるガーゼをそってめくって縫合してある傷口を見せた。信じられないことに傷口は塞がり裂けた筋肉もほとんど元通りになっている。改めてジョージの上半身を見ると凄い筋肉の上に薄っすらと脂肪が乗っていて理想的な体だと思ってしまう、悔しいけど。

「コノキズヲ縫ってくれたのはミツキチャンデース」バカげた回復力の持ち主は誇らしげに言い放った。

「フフフ、ジョージ君と言ったね。君は嘘つきだね。僕の天使、長谷川美月さんは医学部ではなくて理論物理学専攻なのだよ。それも天才的な頭脳の持ち主で、なおかつ優しくて美しくてかわいくて、非の打ちどころのない素晴らしい女性だ。そもそも理論物理学者の彼女が君の治療なんかするはずもない。その胸の傷はもうほとんど治っているしジョージ君、君は胸よりも頭の中を早急に治療した方がいいですよ。変な妄想癖があるのだから」

「グッ、ガッデム」

「ちょっとーぅノボル君、それは言い過ぎだワン。あたしはノボル君がしょぼくれているから元気づけようと思って、ここに連れて来たのに、ウーワンワン!」ヨーコ犬が吠えている。

「僕は大丈夫ですよ。いたってクールです」

「ンーン、でも美月ちゃんがジョージの傷を治したのはホントだよ・・・わん」

「やれやれヨーコさんまでそんなことを言うのですか。フーッ、困ったものです」新米幽霊は勝ち誇ったようにため息をついた。

「ヨーコチャン、キノウ僕を助けに来てクレタ、ミツキチャンノジドウシャハ何色デシタ?」ジョージは急にニコニコしながら言った。

「うん? 赤だったよ。美月チャンの自動車、ビューンとスピード出てカッコイイワン」

「ミツキチャンノ愛車ハ深紅のフェアレディZ六代目デース」ジョージは坂下に向かってドヤ顔をした。そしてニヤニヤしながら俺を見た。

「エッ、なぜ美月さんのフェアレディZを知っているの?」

「ソレハデスネ―ッ」俺は慌ててその場から離れようとしたが、ジョージの右手が俺の左手首を掴んでいた。

「ハセガワサン、シバラクお客さんキマセンヨ」ジョージの奴、わざとハセガワというところにアクセントをつけた。

「ハセガワサン? ハセガワ? 長谷川美月さん・・・」坂下は俺を凝視して首を捻った。

「クモちゃんは長谷川雲海。美月ちゃんのお兄ちゃんだワン」

「エーッお兄さん・・・・・・」坂下はまたも俺を凝視した。

「でも全然似てませんよ! 美月さんはこんな地味な顔とは無縁です」失礼な奴だな。

「ソリャソウですヨ。血が繋がってイナイノダカラ。美月ちゃんはコンナ偏平なカオシテマセン」うるさいな!

「なるほどー」深く納得するな。

「お兄様でしたかー」美月と知り合った男は皆、何故か俺を「お兄様」とへりくだって呼ぶ。

「僕は美月さんと同じ大学の経済学部二年生、坂下昇と申します。お兄様、今後ともよろしくお願いいたします」坂下昇の凛とした声に俺もジョージもヨーコも驚いた。

「ノボル君はどうして美月ちゃんと知り合ったのだワン?」

「それはですねぇ」ヨーコに訊かれた坂下は遠い目をして語りだした。

「二週間前に大学のキャンパスを歩いていたら誰かにぶつかってこけてしまいましてね。その弾みで左目のコンタクトレンズが取れてしまったのです。僕はかなりの近視でコンタクトレンズないと非常に困るわけです。それで地面に落ちたコンタクトレンズを一生懸命探したけどなかなか見つかりません。困ったなぁと思いながらも地面を這いつくばって捜していると、突然かぐわしいバラのような香りがして、僕の天使が舞い降りたのですぅ」俺とジョージとヨーコはそれぞれ顔を見合わせた。

「『コンタクトレンズを落とされたのですか?』と美月さんの美しくも甘い声が僕の哀れな胸に響きました。彼女は僕の横にかがみこんで膝をつき眼鏡を白衣のポケットに入れました。そして僕は美月さんのその美しい横顔を見たとき突然恋に落ちたのです。いや、先ほど彼女のシルクのような声を聞いたときには既に僕は美月さんに恋してしまったのです。あああああーっ」坂下は虚ろな目をしてクリスチャンのように両手を組み虚空を見上げていた。ジョージが小声で「ハセガワサン、この人オカシイデスヨ」と言った。お前も同類だろっと思ったが頷いてしまった。ヨーコは必死で笑いをこらえている。

「聡明で豊かな感性を持っている美月さんはすぐに僕のコンタクトレンズを見つけてくれました。そしてそのコンタクトレンズを彼女は綺麗な白いハンカチでそっと拭いてくれました。ああ、僕は彼女が見つけてくれたコンタクトレンズになりたーぁーいいぃ! あなたの細い指で僕をフキフキしてちょうだーいいィ」坂下の魂の叫びに俺は呆然とした。ジョージとヨーコもあっけにとられている。

「それから美月さんはそのコンタクトレンズをそっと僕に手渡してくれました。僕がそのコンタクトレンズを左目に入れて不具合がないかチェックするまで、彼女はその場にいてくれました。いや、美月さんはいてくれたのではなく、きっとハンサムでクールな僕に心奪われて、僕の前から立ち去りたくなかったのです。けれども美月さんは研究に学業にとても忙しい人です。彼女は僕に『では・・・・・・』と奥ゆかしく囁いて行ってしましました。そして僕は気づいてしまったのです。美月さんの『では・・・・・・』は『では、またあってくれますね?』と言ったのだと。この言葉は運命的に巡り会えた永遠の恋人同士しか分からない言葉なのです。フフフふーん」勘違い男の三文芝居は終わった。柴丸がクーンと小さく鳴いた。柴丸も疲れたのだろう。

「ヨーコさん、君が僕にこの店に連れて来た意味が分かりました。美月さんのお兄様に会わせるためだったのですね」

「あっ、まあ、そうだけど・・・ワン」ヨーコは違う意味でお前を連れて来たんだ。

「じゃあ、ヨーコさんもジョージさんも美月さんのお友達なのですね?」

「美月チャンは霊感ないから、あたしと友達になれない・・・ワン」

「それはヨーコさん、あなたが鈍いからじゃないですか? 美月さんの繊細で豊かな感性ならばきっと僕を見つけてくれるはずです」

「ムカッ」ヨーコは坂下を睨んだが、睨まれた男は他のことで頭がいっぱいのようだ。

「ボクハお兄様公然のミツキチャントステディな関係な男デース」ジョージが偉そうに言った。

「違う!」俺は激しく否定した。

「ジョージさんはお兄様の友達ということで、知人の一人ということですね」

「そうだ。それもかなり遠い知人の一人だ。そして美月は研究で忙しいので恋人なんかいない」

「そうでしょう、そうでしょう」坂下は何回も頷いている。が、こいつ人の話を聞いているのか? 美月には恋人いないって言ったのに。

 さすがのジョージもヨーコも坂下の激しすぎる勘違いに呆れていた。

 午前三時になっても客は来ない。ジョージは元気に帰って行った。坂下はヨーコと夜が明けるまでイートインスペースで話していた。

 午前六時になると客は徐々に増え始め七時にパートの山田さんと交代した。一〇分後に増田店長もヘルプに入る。

 俺は朝の爽やかな空気の中、銀色の自転車に乗ってゆっくり帰って行った。何か今日は脳の中に変なモノがいっぱい詰まったみたいで頭が重くなったように感じていた。



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