くたびれたポロシャツ男は霊感刑事だった
午後十一時前に店に入るとジャスミンがまだレジにいた。
「あれ、ジャスミンさん、ジョージは?」俺はイートインスペースを覗いたが、能天気なアメリカ人はいなかった。
「ジョージさんはパンを陳列しているトコロで、お客サンと話してマス」俺はパンの置いてあるところを見た。するとそこでジョージは真面目な顔をして、あのポロシャツ男と話している。
「ふーん、あいつもちゃんと仕事しているのか? あっ、ジャスミンさん、もう時間ですね。上がってください」
「ハイ、ありがとうございます、それじゃあ上がりマス。長谷川サン。えっとジョージさんには・・・」
「いいよ、いいよ、あいつはほっといて。じゃあ気をつけて」ジャスミンはペコリとお頭を下げて帰ろうとした。
「ワーッ! ジャスミンチャン、お帰りデスカ。ゴクロウサマデシタ。仕事でナニカわからないコトナイデスカ?」ジョージは一瞬でジャスミンの前に走って来て、信じられないことを言った。お前こそ仕事分かっているのか?
「あっ、ハイ、ジョージさん、仕事ハおかげさまで大丈夫デス」ジャスミンはジョージにも一礼して俺をチラッと見て言った。
「私、このお店好きです。じゃあ、失礼シマス」ジャスミンは何故か頬を少し赤らめて帰って行った。ジョージはヘラヘラ顔で小柄なジャスミンを見送っている。
「オイ、ジョージ。お客さんの対応はいいのか?」
「オー、大丈夫です。モウ用事スミマシタ。へへへッ、僕、ポロシャツ男さんとカナリハナシマシタ。凄いでショウ、ハセガワサン」
「まあな」俺は少し悔しかった。
「彼、トテモ大切なコト話しテクレマシタ。僕、ビックリです」
「フーン・・・じゃあまた二時くらいに聞こうか?」
「イエス、分かりました」ジョージは真面目な顔をして答えた。
日付けが変わった午前二時過ぎに柴丸を抱いたヨーコと坂下がイートインスペースの奥に現れた。店内に客はいない。
「サカシタクン、今日はシロとイッショジャナイノデスネ?」
「ええ、そうです。僕が目覚めたときシロはいませんでした。今日はシロ、ここには来ないと思いますよ」
「そうか。昨日の今日だからな・・・」ヨーコも坂下も今日はあまり喋らない。
「ミナサン元気ナイデスネーッ。そうそうハセガワサン、ヨーコチャン、僕はアノポロシャツ男サンとタクサンお話シタノデスヨー。凄くナイデスカ?」
「フーン、そうなんだぁワーン」ヨーコがつまらなそうに言った。
「フフフッ、ヨーコチャン、聞いてオドロカナイデクダサイヨ。あのポロシャツ男サンのナマエハ袴田正男サントイッテ、オシゴトハなんと刑事サンデス! 凄いデショ」ジョージは偉そうに胸を張って言った。こいつ、もうナイフで刺されたケガは完全に治っている。
「エーッ! その人刑事さんですか? でも僕はそのポロシャツ男さん知らないですけど」坂下は新人幽霊だからな。
「ノボル君、ポロシャツ男さんは幽霊のマー君がお店に現れた頃に通い始めた超不愛想男だニョロ。クモちゃんよりくたびれて一言も話さないウルトラ不愛想男だワン」
「お兄様よりも不愛想? それは凄いです!」どこが凄いんだ。俺は調子が出てきた幽霊コンビをキッと睨んでジョージに視線を移した。
「ジョージ、でもその袴田さんって人はいつも一人だぞ。刑事って大体二人一組じゃないのか?」
「袴田さんはカワッテルデス。証拠ガナイノニ犯人ツカマエチャウラシイデス。ソシテイツモ未解決事件二呼ばれるノデス」
「つまり彼は霊感があるってことか?」
「ハイ、ソウです。」
「じゃあヨーコや他の動物たちも見えたのか?」
「スガタは見えなくてコエハ聞こえるミタイデス。ソレカラ幽霊ノフンイキヲ感じるトイッテマシタ。犯罪者のフンイキモ感じるソウデス」
「そうか・・・犯罪者の雰囲気ねぇ」しばらくその場は静かになった。
「ねえ、クモちゃん、その袴田刑事さんに、あいつを逮捕してもらえないかな?」
「僕もヨーコさんと同じ気持ちです・・・・・・」俺はしばらく考えた。
「ウーン、ジョージ。その袴田さんは本当に刑事なのか?」俺は最近、人間不信になっている。
「イエスイエス。カレハボクニ警察手帳トイウカ顔写真イリノカード見せてクレマシタ」
「んん? 何で袴田さんがお前に警察手帳というか身分証明カード見せたんだよ。ジョージ、お前、何か余計なこと喋ったんじゃないか?」
「イヤ・・・ベ、ベツ二、ナニモそんなに、タイシタコトハ喋ってマセンヨ・・・」
「ホントか?」ジョージは白々しく下手な口笛を吹こうとして俺の視線を避けた。
「ジョージはお喋りサンだからニャー、ワン」
「フフフ、ジョージさん、何か大切なこと、その袴田さんに話しましたね。例えば最近、堀内公園の北の森で、夜中に黒いナイフが飛んできて右胸を刺された人がいるとか!」
「エッ! ドーシテそれをシッテイルンデスカ?」ジョージは下手な口笛を止めて驚いている。どうせヨーコが坂下に喋ったのだろう。
「ジョージ、お前、自分が黒いナイフで刺されて、その黒いナイフは俺の家にあるって言っただろ、その刑事らしき袴田さんに!」
「ボクハ別にハセガワサンにナイフで刺されたとかイッテマセンヨ」
「当たり前だ!」
「あー、でもあの北の森でェ夜中にナイフでブスッと刺されたって、刑事さんに聞かれたらクモちゃん、ヤバイんじゃない―キャインキャイン」あれ、ヨーコの奴、楽しんでない?
「連続殺人事件の容疑者は、その妖しいナイフを家の隣にあるお寺の本堂に隠し持っていた模様。容疑者は仕事に悩んでおり性格は陰険で、尚且つ不愛想な二十四歳の男性コンビニ店員・・・特技は直立不動で行う池の鯉の口マネ、パクパクパクパク」直立不動をして口を開けてパクパクしている坂下の下らないジョークに、ジョージもヨーコもゲタゲタ大笑いしている。
「コラァー! お前ら、いい加減にしろよ! 誰のために俺はアレコレ頑張っていると思っているんだ! ハアハア」脳の毛細血管が切れそうだ。
「お店のスタッフは大声を出さない方がいいですよ」俺の左耳元から聞いたことのない声がした。俺が反射的に振り返ると、くたびれたポロシャツ男さんがいた。
「アッ」俺は驚いて硬直しそうになった、が口は開いていない。
「初めまして、長谷川雲海さん。それから坂下昇さんに若宮葉子さん。捜査一課特殊事件捜査係の袴田正男です」袴田刑事は生真面目に敬礼をして、それから黒色のバッジホルダー式警察手帳を開けた。相変わらずくたびれた感じだが夏用の紺色のスーツを着ている。
「あっ、どうも・・・。長谷川です」俺はいきなり現れた袴田刑事に何を話したらいいか分からないでいた。俺以外のおバカ三人組は嬉しそうに右手を上げて敬礼している。
「今日の、あっ昨日の夕方にジョージさんからいろいろ話を伺いましてね。例の堀内公園連続殺人事件の解決に向けてとても参考になりました」
「ポロシャツ男さん、ホントに喋ってるだ、ワンー」
「若宮さん、刑事は必要なこと以外はあまり喋らないのです」
「本当に聞こえるのですね」袴田刑事は坂下の方を見て頷いた。
「不思議なことに私の霊感はこのコンビニエンスストアに通い出して、かなり鋭くなりました。以前は幽霊の声、失礼あなたたちのしか聞こえなかったが、今ではぼんやりとした形まで見えるようになりました。この場所は面白い」
「そ、それで、霊感が強くなったので、その・・・、このコンビニに来るようになったの・・・ですか?」俺の声は上ずっていたし、ピント外れのことを言っていた。あの映像を見てしまった俺は、この事件に関わる人間を美月とジョージを除いて信じられなくなっている。
「一年半前の垣内真君、通称マー君殺人事件を私は事件発生当初から不可思議な事件、いわゆる霊性に関わる事件だと感じていました。根拠はない。ただ私の直観です。こんなことを言うから職場のほとんどの同僚や上司は私と話をしない。私も単独で捜査をしている。まあ仕方がないですが」
「マー君がこの店に現れることが分かって、刑事さんはここに来るようになったの? ワン」
「いや、そうではないのです。この店になぜ足が向いたか分からない。何となくこの店に入ってしまう、そんな感じだと思います」
「それは分かるワン! あたしもなぜかこのお店に引き寄せられたワン」
「僕も同感ですね」
「エッ? ノボル君はあたしがこの店に引っ張って来たでしょ? ウーワン!」
「ウーン、初めて来たときはヨーコさんに無理やり連れて来られましたが。でも今思うと何となくここに来て・・・何故かここにいつも居るような気がします」
「ボクモバイト捜しで、ココ三丁目のコンビニがビビッとキマシタ」ジョージもそうなのか?
「私がときどきこの店に買い物に来ていたら、ある時たまたま長谷川さんとマー君が話をしているのを聞きました。男の子は泣きながら話していましたが。それで長谷川さんは私と同じような能力があると感じました」
「その時、どうして刑事さんはクモちゃんに声をかけなかったのだ、ニョロ?」
「そうですね。その時のマー君はかなり情緒不安定で言うこともまとまりがなくて、長谷川さんは大変だったと思います。マー君が落ち着きを取り戻すにはかなり時間がかかった。そして長谷川さんは私よりもかなり高い霊的能力を持っていることが分かった。霊視でしっかり霊を見ることができるし、無意識に物質の霊化もしていて、マー君はそれを喜んでいました。当時長谷川さんはマー君の前にお菓子を置いてあげている意識で、自分が物質の霊化をしていると自覚していなかったみたいです。私も長谷川さんがマー君の前に置いたチョコレートがボワーンと霞んで霊化して浮かんでいるのを偶然にも見ることができたのです」
「フーン」ヨーコは何か思案しているようだった。
「ただマー君の話していたことは事件解決の材料にならなかったし、私自身この事件は解決しないと感じていました。この事件は完全犯罪に近かったと思います。そのうちマー君がいなくなってしまった。長谷川さんの様子からマー君はちゃんと逝くことができたのでしょう。マー君の事件は未解決のまま私も他の事件に回されました。それでも時々この三丁目のコンビニに通い続けました。この店には長谷川さんが居るからでしょう、この世に未練がある霊がときどきやって来ました。交通事故、自殺、病などで亡くなった人や動物が長谷川さんに会いに来て癒してもらっていました。ここは彼らにとって特別な場所だと私は確信しました。その後ジョージさんがスタッフになり、そのことは長谷川さんにとってもこの場所にとっても良かったと思います」確かにジョージが来て助かった面はあるが、困ったことも増えた気がする。
「そして第二の事件、若宮葉子さんの事件があった時、私は嫌な予感がしました。これはこのままでは終わらないのではないかと思ったのです。そして坂下さんの事件が起こってしまった」美月と同じこと言っている。いや美月より前に坂下の事件を予測していたのか?
「長谷川さん、そして皆さんはこの連続殺人事件の犯人を知っているのでしょう?」袴田刑事のしょぼくれた目が急に強い光を放っている。ジョージの奴、その犯人が北山教授だとは話していないらしい。
「長谷川さん、あなたがこの件について慎重になることは私も理解しているつもりです。若宮さん、坂下さんには申し訳ないことを言いますが、今回の事件は殺人が目的ではないと私は考えています」
「エッ?」
「刑事さん、それはどういうことですか?」ヨーコも坂下も驚いた。ジョージが困ったような目で俺を見た。
「長谷川さん・・・・・・」袴田刑事のしょぼくれてはいるが意志的な目が俺に問いかけていた。俺は迷っていた。この目の前の男に事件の全てを告げていいのかと。
俺は美月を想った。美月は微笑みながら俺に語りかけた。(お兄ちゃん、一番大切なことは犠牲になった人の想いじゃないかな)七海さんが笑っている。(私の可愛い美月がついている。安心しろっ!)俺は俯いたまま言った。
「ヨーコ、坂下、柴丸、シロ。お前たちを殺した北山教授は試したんだ。自分の理論を検証するためにお前たちを殺した・・・・・・」
俺たちが嫌いな沈黙がしばらく続いた。空気が薄くなっているように息苦しい。柴丸がトコトコ歩いてきて俺の足に体を摺り寄せている。
「シロ」坂下が天井を見上げた。美しいシロの体が天井に沿って、ゆっくりと右回りに回転している。
「刑事サン、コイツが犯人デス。シロとハセガワサンガ教えてクレマシタ」ジョージは自分のスマートフォンをタップすると優しそうな北山教授の写真が現れた。
「こいつが犯人か・・・」霊感のある刑事はやはり疲れたように呟いた。
「刑事さん・・・犯人を捕まえて・・・・・・」ヨーコは泣いていた。
「袴田さん、俺、明日の夜、こいつと会うことになっています」俺は袴田刑事の顔を見て言った。