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土田詔子の淹れたコーヒーは不味かった

 午後七時五〇分、俺は早川さんとともに北山教授の研究室にいた。

 六限目の講義の後、早川さんが北山教授の著書を持ってきた。そして俺も教授のファンということなので、あの特別なゼミにも参加したいという口実で早川さんは北山教授の研究室にお邪魔しようと言ってきた。俺は早川さんの突然の提案を了承した。彼女は少し驚いていたが「長谷川さんもやはり北山教授様の偉大さとその人知を超えた知性を理解されていたのですね」と一人で納得していた。

早川さんが研究室の木製ドアをノックすると「どうぞ」と北山教授の低くよく通る声が聞こえた。

「失礼します」早川さんは嬉しそうにドアを開け俺も彼女の後について部屋に入った。

「教授、深層心理学を受講されている長谷川さんと早川・・・さんです」土田助手が言った。

「ああ・・・」北山教授は座っている木製の椅子を回転させ俺たちの方を向いた。

「まあ、座り給え。土田さんコーヒーを」

「・・・はい」

 俺と早川さんは研究室の真ん中にある四人掛けの黄土色のソファーに座った。

「早川さんは砂糖を少し、長谷川君はブラックかな」

「あ、ハイ。そうです!」早川さんの顔がパアーッと明るくなった。

「北山先生、長谷川君が先生のお考えをもっと知りたいということで、私は持っている先生の本を今日から彼に貸し始めました」

「ほう、それは嬉しい。早川さんのように僕の考えを理解してくれたら、この世界ももっと美しくなるのに」

「いえいえ、先生、そんなぁー。私ごときが」早川さんの頬は赤く染まっている。

「どうぞ」土田助手がテーブルに茶色のコーヒーカップを置いた。それから早川さんの前にシュガースティックを一本置いた。早川さんはいつもより多めに砂糖をコーヒーに入れていた。

「北山先生、あのー、こんなこと訊いて失礼かもしれませんが・・・」

「ん? 何でも訊いてください」

「どうして長谷川君のコーヒーの好みがお分かりなのですか? そして私も先生とご一緒してコーヒーを飲んだことは二回だけかと記憶しているのですが」

「早川さん、長谷川君、君たちは僕の学説を知っているだろう」

「新しい意識の扉を開くということですか?」早川さんは即答した。

「そう、それもある。意識や思考、感情は僕から見ればエネルギーなのだよ。それも物理的なエネルギーだ。僕は精神の根源にある意識の核と呼ばれるモノにアクセスできれば、この世界は劇的に変わると考えている。意識の核、それを魂という人もいるが、そこにアクセスできれば多くのことが手に取るように理解できるのだ」

「それは霊感ということでしょうか?」早川さんは言葉を選びながら訊いた。

「そのような言い方もある。人間というものはなかなか本質を把握できない生き物ですからねぇ。早川さん、長谷川君、私たちが暮らしているこの国は幸いなことに七十五年以上戦争や紛争がない。一応平和な場所だ。ある人たちにとっては違うと言うかもしれないが、今はそういうことにしておこう。そして生まれてからずっと戦争状態にある場所に生きてきた人間も地球上にはたくさんいる。そして私たちが見る世界の風景と、暴力が支配している場所で生きている人間が見る世界の風景は全く違っている。それはとても理不尽なことではないのか? そう思いませんか?」

「ハイ! そう思います!」早川さんは陶酔の表情を浮かべている。

「私はその理不尽さを無くすために研究をしています・・・・・・」

「ステキですわ・・・」

「それで今日君たちがこの部屋に来たのは、私のゼミに長谷川君が入りたいということなのだろう」

「ハァーッ・・・、北山先生はどうしてそのことがお分かりになられるのですか?」

「早川さん、それは先ほども言ったじゃないか。相手の意識の核にアクセスすれば様々なことが理解できると」

「それでは先生はすでに長谷川さんの意識の核にアクセスしておられるのですね」

「ふむ、長谷川君には失礼だったが・・・申し訳ない、長谷川君」

「いえ、別に・・・僕にはよく分からないことなので」俺は何も感じていない。北山大悟は早川さんの意識に侵入したんじゃないか?

「それより北山教授、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」

「何かね」。

「教授は目が不自由だと訊きましたが、僕の見ている限りそうは思いません。本当に視力がないのですか?」

「長谷川さん! 失礼ですよ。北山先生にそんなことを訊くのは!」

「まあまあ早川さん、そんなに怒らなくてもいいですよ。長谷川君、君はなかなか鋭いなぁ。私は生まれた時はちゃんと目は見えていた。何の問題もなく視力も正常だった。しかし私が今の研究を進めていくうちに気づいたのだよ。意識の核にアクセスすること、つまり魂の分析において、この通常の視力というものが妨げになると」

「エッ、それでは北山先生はご自分で・・・・・・」

「さすがに早川さんは賢明だねぇ。そう私は自分自身で目を見えなくしたのだよ」

「へえぇー、どういう方法で目を見えなくしたのですか? 例えば自分の拳でゴンゴン目を殴り続けたとか」

「長谷川さん!」早川さんは吊り上がった眼で俺を睨んだ。

「長谷川君、君はユニークだね。だが残念ながら私はそんなことはしない。元々大したことのないこの顔を自分の拳で殴り続けたら、さらにひどい顔になるだろう」早川さんは(そんなことはないです。北山教授様のお顔は素敵です、美しいですわ)という意味か、ブンブンと顔を横に振った。

「私は霊験あらたかな刀でこの目を刺したのだよ。その霊刀は黒蛇(こくじゃ)と呼ばれているのだがね。そして私の視力は永遠に失われたが、新たな目を授かった」

「霊が見えるようになったと」あのおぞましい黒いナイフで自分の両目を刺したのか! 超変態だな。俺は背筋に冷たいものが走った。

「その通り。私は新たな目でこの世界の本質を見ることができるようになったのだよ」

「素晴らしいですわ」早川さんの北山病は重症だった。俺は土田助手の淹れたコーヒーを飲んだ。見事に美味しくなかった。

「教授、世界の本質って何ですか? 別に霊感があるとか霊視できるとかって、結局は幽霊を見るくらいでしょう。そんなのより普通にありのままの現実を見る方が人としてまともではないですか?」

「長谷川さん、いくらわたくしのお友達でも、言って良いこととそうでないことがありますわよ!」早川さんの黒髪が少しずつ逆立ってきている。

「まあまあ早川さん。私を弁護してくれるのは嬉しいが落ち着き給え。彼はまだ私の思想・理論そして実践を知らないのだよ。私の本だって一冊を斜め読みしたくらいだろう? 君のように何十冊もしっかり読み込んでいないでしょう」

「ええ、確かにまあ先生のおっしゃる通りですけど・・・・・・」

「どうだろうか、土田さん。なかなか面白い考えを持っている長谷川君だけど、私たちのゼミに参加してもらっても構わないかな」

 土田助手は北山教授の左にずっと立っていた。まるで背の高い帽子立てのように気配を殺していた。早川さんも改めて土田助手の存在に気づいたようだった。

「はい、教授。長谷川さんは教授のゼミに参加する資格を持っています。問題ないと思います」土田助手の小さな甲高い声が頭の中で響いた。

「結構、結構」教授は満足そうに頷いた。

「長谷川さん、早速ですが明後日の夜に教授のゼミがあります。夜の八時からです。場所は明日こちらから連絡します。明後日、あなたは六限目まで講義を登録しているので夜八時からのゼミは参加可能です。少しくらい遅れても構いません。あなたの仕事は十一時までに店に入ればいいのでしょう。ゼミは十時までには終わりますので仕事に支障はありません。何か質問でも?」土田助手は事務的に言った。

「場所は教えてくれないのですか?」

「申し訳ないがそれはまだ決まっていないのだよ。星の巡りによって場所は特定されるのだ。勿論この近くだがね。私のゼミはとても価値のあるものだと自負している。会社で言えば最重要な企業秘密みたいなものだ。私の考えが一般化していけば、ゼミの閉鎖性もなくなるはずだ。そういう意味では早川さんには申し訳ないことをしている」

「いえいえ、先生。私はそんな大それたことを考えてはいません」

「早川さん、いずれ君もこのゼミに参加できる資格を持つことができると私は確信している。もう少しだけ待ってほしい」

「ハイッ! 分かりましたぁ! ありがとうございます・・・・・・、うううぅ」早川さんは感激して、ついに泣き出してしまった。

「長谷川君、君には分かると思うが、この世界は変わりつつあるのだよ。君と私はいずれ新しい世界の扉を開けることとなるだろう」俺は黙って教授の言葉を聞いていた。




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