シロが俺に教えてくれたこと
大体日曜日の夜の店は閑散としているものだ。しかし今晩はやたら幽霊が多い。俺が店に入った時にはヨーコ、坂下、柴丸、シロと二人と二匹しっかり揃っている。相変わらずジョージはヨーコたちと喋っている。俺がレジからジョージに冷たい視線を送ると、奴はヘラヘラ笑いながら奥のレジに入った。
「ハセガワサン、お疲れ様デスト言いたいデスガ、ハセガワサン、元気そうデスネ。ナニカ良いことアリマシタカ?」
「別に・・・」俺は平静を装った。
「ホントデスカ? 美月ちゃんとドライブしてレストランで美味しい食事トカシテマセンカ?」千里眼の持ち主か、この男は!
「家でゆっくり休んでいた」
「アッ、お兄様、コンドノ日曜日にオタクにオジャマシマス」
「はあ、何でだ?」
「美月チャン二この胸のケガノ抜糸をシテモラシマス」奴は嬉しそうに右胸を指差している。
俺が無視していると、いきなり目の前にヨーコが現れた。
「ジョージ、早くクモちゃんを呼んできてって言ったのに」
「アー、美月チャンノコトデ忘れてマシタ」
「クモちゃん、シロの調子がおかしいの。早く来て」ヨーコは真面目な顔で俺を強引にイートインスペースに連れて行った。
シロは今日も坂下の体に巻きついていた。確かにあまり元気がない。目を閉じて口も開いておらず眠っているようにも見える。
「昨日とかなり違うな」
「お兄様、よくいらしてくれました」俺はコンビニの仕事で来ているし、坂下お前のお兄様でもない。
「シロのここを見てください」坂下はシロの首の傷のところを指差した。
「あれ?」昨日は綺麗な傷口があっただけだったが、今日はその傷口が黒ずんでいる。そして黒く変色したところは首の上から胴体の方まで広がっている。
「何だ、これは?」
「わかりません。夜目覚めたら巻きついていたシロから饐えたような匂いがして。それでこんな黒いしみが広がって」俺はシロをじっと見ていると、ある変化に気がついた。
「シロって小さくなってないか?」
「そうだニョロ、シロが縮んじゃってるワン。クモちゃん早くシロを治してくれない」
「エーッ。治すっていっても・・・」
「ジョージさんが言っていましたよ。お兄様はヨーコさんの傷も治したって。その時と同じ方法でシロは治るのではないかと」
「シロの傷を触るのか・・・」俺は気おくれしたが坂下とヨーコの真剣な眼差しにシロの治療を拒むことはできなかった。ゆっくりと恐る恐るシロの首の傷を触った。ヨーコの傷と同じような感触だった。だがヨーコのときは透明な血がダラダラ流れていたが、それほど嫌な感じはしなかった。シロの黒ずんだ皮膚は淀んだような不純物が混ざっている感覚があった。例えて言えばヨーコの傷は普通のケガで、シロの傷はそこから毒が体に広がっている良くないものだ。俺は我慢して一〇分二〇分とシロの傷に右手を当てていたがシロの体に変化はなかった。
「クモちゃん、疲れた?」ヨーコが心配そうに訊いた。
「ちょっと休憩されますか?」坂下もまともなことを言う。
「いや、このまま続ける。中断したら良くない気がする」俺は集中してシロが良くなるように念じて右手をシロの傷口に当て続けた。一時間経った頃にシロの体に変化が現れた。黒ずんだ場所か徐々に減り始め白い色にもどり始めた。シロも薄っすらと目を開けて二つに割れた紅い赤い舌を口からチョロチョロ出し始めた。
「ヨーコ、坂下、治ってきたかもしれないぞ」俺は目の前にいる二人に声をかけたが、奴らは返事をしない。せっかく人が必死で治療しているのにグーグー眠っているのか、この能天気幽霊は! と俺は呆れた。その時、窓の外から何か視線のようなものを感じた。
「ハセガワサン、今日はナゼカお客さんオオイデス。変なカンジデス」ジョージが不満そうな顔でやって来た。
「オー、シロちゃんカナリ良くなったデスネ。サスガ美月チャンノお兄様デス」
「アーッ疲れた。ところでジョージ、さっき変な客来なかったか?」
「イエス、それデス。サッキマデノお客さん、一〇分ゴト二キマシタ。変なコトアルンデスネ」
「フーン・・・」俺も先ほどから妙な違和感があった。
「オイ、ジョージ。この二人眠っているんだぜ。どう思う? 俺が頑張っているのに」
「ソウ言えば二人ともシズカデスネ。イツモハうるさいノニ」お前が言うか?
「アレー、ハセガワサン、この二人意識トンデマスヨ」
「エッ! またか。それに坂下もか? ややこしい奴らだな」
「ドウシマショウ? フタリノこの状態、ヨクナイ気がシマス」ジョージが困っていた。
「ジョージ、お前がどうにかしろよ。俺はこっちで手が離せないんだよ」
「ウーッ、ワカリマシタ。何とかヤッテミマス」ジョージはヨーコ耳元で「ヨーコチャン、オキテクダサーイ」と何回も言ったが、ヨーコはピクリともしない。ジョージはヨーコを諦めて坂下の耳元で叫んだ。「坂下サーン、オキテクダサーイ!」ヨーコに比べて乱暴な言い方だが坂下は呆けた顔で相変わらず意識を失っている。
「ハセガワサン、やっぱりボクジャダメデス。ハセガワサンジャナイト」
「ウーン」俺は迷った。確かにあの二人をこのままにしておくと良くない気がする。だけどシロの治療も続けなければならない。俺がどうしようか悩んでいるとシロがスルスルと動き始めた。そしてヨーコの体にグルグルと巻きついた。見るとシロの体から淡く白い光が放たれている。その光がヨーコと坂下の体を包んだ。俺とジョージが見つめていると「アレッ?」「ンン」とヨーコと坂下が目を覚ました。
「アッ、シロ元気になってる、ニョロ」ヨーコがシロに頬ずりしている。
「本当ですね。良かった。さすが美月さんのお兄様です」またそういうコト言う。
二人の意識がもどったと同時に辺りを包んでいた白い光は急速に消えていった。そして シロの体の黒ずんだところはほとんどなくなっていた。体の大きさも元にもどったようだ。
「シロが元気になったのはいいけど、お前ら二人の意識が飛んだのは厄介な問題だな」俺はヨーコと坂下にそう言ってレジの後ろにもどった。そこに置いてある紺色のデイバッグからモスグリーンの水筒を取り出した。そして水筒の蓋を開けてコーヒーを飲んだ。
「ハセガワサン、それは美月チャンが淹れたコーヒーデショ。僕にもスコシクダサイヨ」
「駄目だ」
「お兄様、その香ばしい、僕の天使コーヒーを霊化して僕にも飲ませてくださいませんか?」
「嫌だ」
「そうよ、クモちゃんはすっごく頑張ったから休憩しないと。クモちゃんが可哀そうでしょう」
「ヨーコ、お前だけまともなコト言うな?」
「デショー。だからぁークモちゃんーッ、あたしもクモちゃんと同じようにコーヒーを飲みたいニョロ。クモちゃんとあたしは一心同体だワン」ヨーコは俺がいるレジに現れ、俺の横にくっついて腰をクネクネさせている。
「止めろ! ハアーッ、ホントお前らは・・・」俺はイートインスペースで大人しくしているシロと柴丸が一番まともだと思った。そして怒る気力も失せ、ヨーコと坂下にコーヒーを準備した。
「お兄サマ、ボクノ分がナイデスヨ?」ジョージがヘラヘラしながら言った。
「お前は自分で買え!」
「ハセガワサンハ僕にツメタイデス、シクシク、シクシク シクシク36」アホなアメリカ人が下手な泣き真似をしているが、俺は無視して奴に訊いた。
「ジョージ、それよりもさっきこの二人の意識が飛んだよな。以前ヨーコが固まったときに来たスーツ男とセクシィな女は来なかったのか?」
「アノ二人ハヨク覚えていますヨ。デモ二人はキマセンデシタ。タダ・・・」
「ただ、何だ?」
「中年のスーツヲキタ偉そうなオジサンとクールな女子大生ポイ女性ガキマシタ。彼女、マジメソウデ眼鏡かけてマシタ。ダケド二人ハ例の人たちトチガイマシタヨ」
「何だ、違うのか」そのときシロが俺の目の前にいきなり現れた。俺は大蛇の迫力に圧倒され声も出せずに口をパクっと開けて直立不動の姿勢で固まってしまった。
「プー、クモちゃん、フリーズだニョロ」
「お兄様は超ビビりですね」
俺は能天気幽霊を睨もうとしたら、シロが俺の眼を覗き込んだ。そしてチロチロと俺の額を舐めだした。(ヒャー! 助けてくれ。やっぱり俺は蛇、大嫌いだぁ!)と言おうとしたら、頭の中にいきなり様々な光景が浮かんできた。それは俺が見たこともない不思議な光景だった。
「ヒャハハー、クモちゃんまだ口開けて固まっているニョロ。池の鯉が餌をとる時の顔だワン」
「アハハーッ、お兄様は蛇が苦手の鯉顔パクパク男ですね―ッ。ふっふっふっ、弱みを握りましたよ」
お気軽幽霊二人組は相変わらず面白がっていた。しかしジョージは緊張した眼差しで俺とシロを見ていた。
シロは俺の眉間に舌をはわせた。すると俺の脳裏にはあの映像がいきなり映し出された。それはマー君、ヨーコ、坂下、シロが北の森の闇の中で殺された映像だった。そしてそれは、俺の寺の本堂にある黒いナイフでヨーコたちを一刀で殺した男の顔がハッキリと映っていた。異常な殺人犯は美月が不安を抱いていた、あの北山大悟教授だった。シロは俺の眼を見てそれから坂下の方へ移動した。
俺は硬直が解けて、ぼんやりとヨーコと坂下を見た。
「クモちゃん、まだビビってるワン。なちゃけないニョロニョロ」
「どうしてシロが怖いのですかねぇ? ふっ、僕には理解不能だなあ」二人とも俺のいるレジの前で笑っている。
「ハセガワサン、大丈夫デスカ? 何かアッタノデスカ?」ジョージが真面目な顔で言った。その声はいつもと違って硬い響きだった。ヨーコと坂下は不思議そうに俺とジョージを見た。
「シロが俺に教えてくれた。あいつの・・・・・・」俺は言葉に詰まった。ヨーコと坂下の顔を見て混乱した。
「ハセガワサン、言ったホウガイイト思いますよ」
「ジョージ、クモちゃん、何言っているの?」ヨーコも坂下も俺の異常さに気づいた。俺は何度も深呼吸をしたが言い出すことはできなかった。言うことを諦めかけて目を閉じると、俺の脳裏に美月の顔が浮かんだ。体の強張りが解けた。
「ヨーコ、坂下。お前たちを殺した男を俺は知っている」
「エッ?」
「どういうことですか!」
「さっきシロガハセガワサヲ舐めた時、シロがハセガワサン二教えたのデスネ?」俺は頷いた。
「シロは・・・・・・北の森のエライイキモノ。ダカラヨーコチャン達のコトヲ知っていた」
俺たちは何も言わずその場に立っているだけだった。時折、店の駐車場前の道路を走る自動車の排気音が聞こえた。
「その男の顔ってわかりますか?」坂下は怒りを必死に押さえつけながら俺に訊いた。俺はスマートフォンで検索すると北山教授の温厚な顔が現れた。
「この人があたしたちを・・・・・・殺した人・・・・・・」ヨーコの光を失った蒼い瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちた。坂下は泣いているヨーコをそっと抱きしめた。俺もジョージも二人にかける言葉もなく、その場にただ佇んでいるだけだった。
「ガッデム・・・・・・」」ジョージが歯を食いしばっている。
「どうした・・・? ジョージ」隣に立っていたジョージが本気で怒っていた。
「ハセガワサン、この男、二時スギニ、コノ店二来てました」
「エッ、アッ、 そうか、だからヨーコと坂下の意識が飛んだのか」俺は北山教授の大胆不敵さに体が冷たくなった。そして俺の胸の中に嫌な予感が浮かび、慌ててスマートフォンで連絡先の画面を出した。
「ジョージ、さっき俺がシロを治療している間に客がバラバラ来て、その中に女子大生みたいな女もいたよな。その・・・女の人はこの人か?」俺はスマートフォンを持っている右手の感覚がなかった。右手は細かく震えている。
「スイマセン、ハセガワサン、その女の人デス」ジョージはスマートフォンに映ってある早川初音の顔写真を見て静かに言った。
ヨーコと坂下と柴丸は夜明け前にいなくなった。ジョージはずっと店にいてくれた。
俺はジョージに言った。
「なあジョージ、悪いけど俺の仕事終わったあと、一緒に俺の家に来てくれないか? 美月と一緒にジョージにも相談にのってほしいことがある」
「もちろんイキマス、オニイサマ」
「ジョージ、俺はお前のお兄様ではない」俺は力なく答えた。