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美しい妹はいつもより強く俺を抱きしめた

 深紅のフェアレディZは海岸の駐車時に止まった。美月と俺は野草の茂った地面に降り立って、初夏の緩やかな風に身をさらした。その風は僅かな夏の暑さと潮の匂いを含んでいた。

 ナルシー坂下(ジョージが命名した)が大蛇を連れて来た日、俺はぐっすりと眠った。睡眠不足のためか変な事件のためか、はたまた大蛇シロのご利益なのか、ともかく俺は深く深く眠った。目覚めたのは午後二時過ぎだった。

 俺は日曜の二時半頃、美月の用意してくれた遅い昼食をとった。それから二階の自室でボーッとカーメン・マクレエのボーカルを聴いていた。

「お兄ちゃん、ちょっといいかな」コンコンと丁寧なドアノックの音とともに美月の声が聴こえた。

「いいよ」俺は返事をしながら突然気づいた。俺が何故ナルシー坂下やヘラヘラジョージの「お兄様」と言う言葉に過剰にイラつくのか? それはあやつらの言葉と美月の優しい「お兄ちゃん」という言葉を無意識のうちに比較しているからだ。その比較対象は月とスッポンどころではない。あやつら二人であればスッポンに失礼だ。うーん・・・、月とイエダニ、月とゴキブリ、月と大腸菌? ジョージと坂下二人は害虫や病原菌のレベルだが、これだと比較の対象にされる美月が汚され貶めされるような気がする。駄目だ、駄目だ! そもそもあやつら二人を美月の対象とすることが間違っているのだ。やはりあの男性おバカコンビを無意識レベルでも美月から排除せねばならないと俺は固く誓った。

「お兄ちゃん、どうしたの? 深刻な顔をして」美月が小首を傾げて俺を覗き込んだ。銀色の瞳が知的に輝いている。あのジョージの濁ったマナコや坂下の抜けたような虚ろな目とは大違いである。イカン、イカン、俺は首を振ってあの二人の面影を脳裏から何とか振り払おうとした。

「お兄ちゃん、何か悩みでもあるのかな?」俺の優しい妹は心配そうに言った。

「いや、まあ、店の同僚のことでちょっと」

「ひょっとして、お店にまた新しい幽霊さんが来たの?」

「えっ、ああ・・・、まあ、そういうことだ」美月の認識の幅はとんでもなく広い。たぶん堀内公園で大蛇が死んだことをキャッチして、そこからシロのことを推測したのだろう。

「お兄ちゃん、最近幽霊さんたちのお世話が増えているでしょう? 大丈夫かな」

「いや、まあ、何とかなるよ」

「そう・・・、ねえお兄ちゃん、気分転換にドライブしない? 今日は日曜日だから出勤までかなり時間あるでしょ」美月の瞳がさらに輝いて見える。

「そうだな、たまには日の高いうちに外に出るか」

 ということで、三〇分のドライブの後、美月と俺はこの海岸に着いた。この海岸の砂浜は南北に長く、あまり人の手が入っていないので妹のお気に入りだ。

「今日は雲が多いので、お兄ちゃん、よかったね」

俺は直射日光に弱い。強い日差しを浴びるとそれだけで疲れてしまう。今はかなり太陽が西に傾いて、灰色雲や白い雲が空の大部分を覆っているので俺も安心して散歩できる。そして美月は必ず日が照る方にいて俺の方に影をつくってくれる。

海岸の砂浜は北から南に緩いカーブを描きながら伸びている。美月と俺は波打ち際から少し離れたところを南に向かって歩いた。可憐な妹は俺の右腕を両手で絡めて歩いている。時折彼女は両手を俺の腰に回しゆっくりと体を預けてくる。そんな時、美月と俺は海をぼんやりと眺めて時を過ごす。

美月は海岸の散歩中ほとんど話さない。俺と手を繋いだり腕を絡めたり体を預けたりして俺と自分の存在を確認しているようだ。俺は美月と話すと頭がとてもリフレッシュするが、こうして接触していると体全体がとても軽くなって気持ちが良くなり、当然体調も良くなる。

俺は容姿も冴えないし勉強も駄目で運動音痴、人ごみや太陽も苦手で何の取り柄もない人間だ。だけど不思議なことに中学、高校とこんな俺に恋してくれる少女がいた。彼女たちの言葉は俺の中身とかけ離れているように思われた。まるで別の人のことを言っているようだった。俺は女性の心理が分からない。美月は俺をとても大切にしてくれるし俺もそれに応えたいと思っている。だけど俺は美月にどう接していいのかずっと分からないでいる。

美月と俺は砂浜の南橋に座り夕陽を眺めていた。夕陽が沈むと俺たちは北に向かって歩き、それから駐車場に戻った。

美月のフェアレディZは再び街中を走り小さなイタリアンレストランに着いた。彼女が予約したのか、俺たちは個室に通された。そこで美月はきのこの和風パスタセット、俺はミートソースパスタセットを注文した。

美月はサラダを食べ終え和風パスタを食べ始めると、いつものように話し始めた。

「お兄ちゃん、昨日の夜、お店に初めて来た幽霊さんは大きな白蛇かな?」

「うん、そうだ」俺は口の中にあるミートソースパスタを咀嚼して飲み込んだ後、答えた。

「その白蛇の幽霊さんは一人でお兄ちゃんのお店に来たの」

「いや、坂下が連れて来たって言うか奴の体に巻きついて来た」

「ふーん、坂下さんの体に巻きついて来たの」美月は面白そうに笑って和風パスタを食べ終えハンカチで口元を丁寧に拭いた。俺は既にパスタを食べ終え食後のコーヒーを待っていた。

「それでその白蛇の幽霊さんはどんな印象だったの。怖そうとか優しそうとか。アッ蛇だから分からないかな?」

「いや、そうでもない。最初見たときは大蛇だったから、やはり怖かったよ。でも坂下やヨーコは初めから平気だったし、とても怖がっていたジョージも『偉いヘビ』と言って怖がらなくなった」美月は頷いた。その時エスプレッソが運ばれてきた。

「俺も最初見たときは怖かった。だけど殺されて幽霊になったヨーコや坂下を慰めているような気がして。俺もジョージと同じようにその蛇は何か気高い生き物だったように思う」

「ふーん、そうなの」美月は少しの間、小さなカップを持ったまま考えていた。

「お兄ちゃん、実は私もその白い大蛇について少し調べたの。そしてお兄ちゃんが感じたようにその白蛇は霊性が高くて、いわゆる北の森の主ではないのかなと思った」

「北の森の主って言うと守り神みたいなものかな?」

「たぶん、そう」

「そんな偉い神さまみたいなものを殺すなんて何か怖いな」

「いや、まだ十分にその大蛇のことはあまり調べていないので、北の森の守り神と決まったわけではないのよ。あくまで私の推測だから」そう言うと美月は小さなカップに唇をつけた。

「昨日、大学で早川さんに会って北山教授の本を貸してもらうことにしたよ。彼女は教授の本を二〇冊ほど持っているけど、一週間に五冊借りることにした。美月、それでいいかな?」

「うん、ありがとう、お兄ちゃん。そうかぁ早川さんは教授の本を二〇冊も読んでいるの・・・・・・」

「彼女は教授の熱烈なファンだからな。あっ、それから北山教授は社会人を含めて実践的なゼミを開催しているらしい。早川さんも入りたかったけど駄目だったって怒っていた」

「早川さんってお兄ちゃんが言ったように北山教授の熱烈なファンでしょ。そういう人でも入れないの?」

「何かそのゼミに入るには、ある資格が必要だって」

「ふーん、何かのスキルとかないと駄目なのかな? そのゼミって、少人数の研究機関みたいだね」

「確かに・・・」俺は美月に考えに納得した。そして残念そうな表情を浮かべていた早川さんを思い出すとそのゼミの変な閉鎖性を感じた、それは心地良いものではなかった。

「美月・・・、俺は美月を見ていると他の人の三、四倍働いているみたいだ。美月は聡明だから何でもテキパキとこなすし。でももっと研究に専念した方がいいと思う。一番世話になっている俺が言うことは説得力がないけど」

「ありがとう、心配してくれて。でもね、お兄ちゃん、北山教授の理論はひょっとすると私が研究する分野とも関係しているかもしれないよ」

「エッ! そうなのか」

「フフフッ」美月は悪戯っぽく笑った。

「ねえ、お兄ちゃん、お店に大きな白蛇の幽霊さんも来ると大変じゃない? 私も見てみたいなぁ」

「美月も蛇、怖くないのか?」

「うーん、怖いよりもどんなモノなのか知りたい気持ちが強いのかな」

「そういう考え方をするのか・・・」美月がもしシロを見たら俺たちとは違ったものを発見することができるのかもしれない。

「今思い出したけどシロ、あっ蛇の名前だけどシロは首のところに傷が残っているんだ。俺、幽霊をたくさん見てきたけど、傷が残っている幽霊は初めてだ」

「そうだね。確かにお兄ちゃんが幽霊さんのことを話すとき、あまり容姿の変化については話さなかった。生前の姿で幽霊になった感じでお話ししていたね」美月は左手首の腕時計を見てグラスの水を飲んだ。

「他の奴も言っていたけど、あの傷は致命傷にはならないって。俺もそう感じたよ」

「お兄ちゃん、その蛇の幽霊さんを傷つけたのは、本堂に置いてある黒っぽいナイフじゃないのかな?」

「アッ!」俺は驚いた。

「確かにあの黒いナイフはヨーコを切った・・・。ヨーコや坂下は刃物の一刀で殺されている。彼らを殺したときに使われた刃物はあの黒いナイフなのかな?」

「それは分からないわ。ただ一連の殺人事件にあの黒いナイフは関わっていると思うよ」

「うーん」俺は働かない頭で一生懸命考えた。一連の殺人事件に謎が潜んでいると感じていたがそれはいったい何だろうか? 俺は五歳のマー君が泣きながら夜のコンビニエンスストアにやって来たことから思い返していた。一年前にジョージが店員になり六か月前にヨーコが現れて動物の幽霊を連れて来た。そして坂下とシロがやって来た。昨日から今日にかけてヨーコ、柴丸、坂下、シロと四人もの幽霊が店に現れた。ジョージがナイフで刺されヨーコも傷つきシロもケガをしている。美月の言うように事態は良くない方へ進んでいる。

 気がつくと真向かいに座っている美月がまっすぐ俺の眼を見ていた。優しく温かい眼差しだった。

「お兄ちゃん、残念だけど、そろそろ時間だよ。帰ろう」

俺は食事代を払い深紅のフェアレディZの助手席に乗った。

午後九時過ぎに美月の愛車は家に着いた。美月と俺がフェアレディZから降りて家に入るとき、四歳年下の美しい妹は俺に抱きついてきた。いつもより強くギュっと俺を抱きしめた。美月の優しい温かさが俺の中に入ってきた。彼女は何かを祈っているようだった。




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