8.時をさかのぼれない……?
故郷でゆっくりしたメイは、9日後の夜半に王都へ戻ってきた。馬車を降り、サフィリア家の使用人出入口へ回る。
(実家もいいけど、やっぱり私の居場所はここだな)
荷ほどきもほどほどに、メイはセーニャを訪ねた。自分が不在の際、アイリーンさまの身の回りのお世話をしていた侍女だ。
「セーニャ。私がいない間、何か変わったことあった?」
メイが聞くと、セーニャは少し考える素振りをした。
「特には何も……」
「アイリーンさまを訪ねたお客様は?」
「聖女さまが一度。――あと、非公式ではありますが、テンスリー伯爵が二度ほど」
――テンスリー!
「どういうこと!?」
メイは目を見開く。思わずセーニャの肩をつかむ。そのあまりの剣幕に、気弱なセーニャは怯えている。
つい興奮してしまった自分を恥じ、メイはすぐに手を引っ込めた。
「ごめん……ちょっとビックリしちゃって。伯爵について、アイリーンさまは何か言っていた?」
「それも――特には何も」
アイリーンが心の内を話すことは少ない。ましてや、臨時の侍女代行には何も言わないだろう。
「教えてくれて、ありがとう……」
他にもいくつかセーニャから引継ぎを受けたが、メイは全く身が入らなかった。
(テンスリー伯爵がなぜまた。そしてアイリーンさまは、どう対応したんだろうか)
◆
メイの想像通り、アイリーンはテンスリーと手を結んでしまっていた。
そのほうが殿下のためになると思って、とアイリーンは事の重大さも知らず、涼しげに応えたものだ。
そしてその9日後、アイリーンに斬首刑が言い渡される。
メイはまた、気を失った。
◆
目が覚めるとそこは、使用人の休憩室だった。他の従者が会話しているのが聞こえる。メイはそれに耳を澄ませた。
(また、120年ぶりの聖女のうわさをしているはず…!)
「最近、ほぼ毎日、聖女さまが来てねえ?」
「そうだな、あの髪の長いほう」
「そうそう。ユウヒさまも、毎回ちゃんと迎え入れててすげえよな」
――想定していた会話と違う。これでは、すでに聖女が召喚されているかのようではないか!
それではいけない、それでは。
「メイ、気がついたか!」
マクレーがやってきた。
「マクレー。聖女さまって、いつ召喚されたっけ?」
今日でなくてはならない。
そうでなかったら、今回は逆行できなかったということになる。
(そうしたら、アイリーンさまの処刑が確定してしまう。お願い、戻っていて…!)
「ん……? 2、3ヶ月……? いやもうちょっとか?」
「そんな!」
メイは飛び起きた。
「アイリーンさまは!?」
メイの言葉に、マクレーは少し言いづらそうに眼を伏せた。
「執行日まで、ご自室で蟄居なさっている。身の回りの世話をする侍女以外、入室禁止だ」
執行日……。
メイはベッドから降り、走りだそうとした。それをマクレーが止める。
「おい、今からアイリーンさまのところへ行く気か? もうお休みの時間だ。それにお前ももう少し寝たほうが――」
「でも!」
涙があふれてくる。
どうして?どうしてやり直せない?
止められなかった。
事は急を告げていたというのに、自分は故郷でのんびりと休んでしまった!
なんという失態。
「マクレー! アイリーンさまに罪はないの!」
「……うん、知ってる」
「なのに! なのにどうして!!」
罪がないのにどうして、処刑されなければならない。
「わ、私……私、アイリーンさまのお力に――」
お力になれなかった。未来は変えられなかった。
どうしてアイリーンさまはテンスリーと。どうして罪なき主人が。どうして時をさかのぼれない。
いつの間にかマクレーは、メイの横に腰掛けて背中をさすっている。何度もメイの名を呼ぶ。メイ、大丈夫、大丈夫だメイ、お前のせいじゃない、と。
「マクレー、どうしたら私、やり直せる……?」
零れ落ちる涙をぬぐいもせず、メイはマクレーにすがる。マクレーはもう一度、大丈夫だとつぶやいた。
◆
翌日、身支度を終えたメイは、アイリーンの自室の前にいた。身の回りの世話をする侍女なら、入室を許されている。
(いつもと変わらないように)
深呼吸をし、ドアをノックする。アイリーンの返事を待ち、ドアを開ける。
ベッドに腰かけたアイリーンは、相変わらずまばゆいばかりに輝いていた。伏せた瞳は冬の湖の色。髪はそれ自身が燐光を放つかのような、パール色の銀髪。
「メイ、もう大丈夫なの?」
「はい。ご心配をおかけしました」
こんな状況でも、アイリーンさまは自分のことを気にかけてくれている。泣きそうになるのをこらえて、メイは精一杯笑顔を作った。
アイリーンは自分の夜着のボタンをちらりと見る。それだけでメイは、主人が何を望んでいるのか分かった。
「先にお召し替えですね。かしこまりました」
ワードローブを開けながら、メイは会話を続ける。
「今日はとても天気がよろしゅうございます。明るい色のほうが映えそうですので、こちらはいかがでしょうか?」
そう言ってひまわり色のドレスを薦めると、アイリーンはうなずいた。
「ではアクセサリーは…」
メイはアクセサリーボックスを手に取る。イヤリングは、髪と同じパール色。ネックレスは、黄色のドレスに映える、鮮やかなサファイア。かんざしは、落ち着いたシルバー。
ドレスと一緒にそれらをセッティングする。アイリーンはアクセサリー類を見て、軽くうなずいた。それで異論はない、という仕草だ。
なるべく考えないようにしていてもやはり、メイの頭の中には、主人の運命のことでいっぱいだ。
(いまから、刑の執行を止める手立てなんて、あるわけがない)
ドレスを着替えさせたアイリーンに、ネックレスを合わせる。やはり、ドレスの色に映える。黄色のドレスは、故郷の小麦畑を思い出させる。サファイアのネックレスは、小麦をゆらす一陣の風。
(時を――時さえ遡ることができたら)
――またやり直せる。
そのとき、ぐらりと視界が揺れた。思わずネックレスを取り落とす。
「失礼……しました」
慌てて拾おうとするが、視界が定まらない。それでも、青く輝くネックレスを何とか手にする。
「メイ、どうしたの?」
アイリーンさまの声が聞こえる。
――ああ、アイリーンさま。咎人となっても、その気高さは変わらない。私にとって、お仕えすべき唯一の人。
頭にぐるぐるとイメージが回る。
はかなげにほほ笑むユウヒさま。振り返る聖女。ブナの下にたたずむマクレー。窓際で頬杖をつくアイリーンさま。
『メイっぴ! よく見て! これ、前回と同じだよ!」
頭の中で、誰かの声がした。