3.どうしたら運命を変えられる?
『で、今日はどうだったの?』
メイは一日の仕事を終え、自室で寝支度を始めていた。今日一日静かだったアカリが、突然話しかけてきて、メイは驚く。
「ビックリしました。今日は話しかけられなかったから、アカリさんのことは、夢だったのかと」
『なんか、昼間はダメみたい。――で、どうだったの?』
「どうもこうもありません」
貴族の家を訪ねるときは、前もって先触れを出しておく。迎える側が、余裕を持って歓待の準備を整えられるように。そんなことは常識だ。
「しかしさすがは聖女さま。突然に訪問なさって、私たち使用人を、ずいぶんと慌てさせました」
『アイリーンさん、怒ってた?』
「もちろんです。烈火のごとく」
『作戦は、考えた?』
「同じ展開になるなら、明日も聖女さまが、これまた突然にいらっしゃるでしょうから、準備しておかなくては」
『違う! メイのご主人さまの運命を変える作戦!』
「そういうことでしたか」
メイは恥じ入った。
しかし、手立てが思いつかない。もしこの運命を是正できるとして、どこに介入すればいいのやら。知りえる情報は少ない上に、そもそも自分は、なんの決裁権も持たない侍女だ。
『じゃあ、一緒に考えよう。まずここからは何が起こるの?』
「えーっと……」
この少しあと、アイリーンは王子と婚約する。それを、愛のない政略結婚だと思った第二王子派が、アイリーンを自分たちの派閥に取り込もうとする。
『婚約をしないように働きかけてみる?』
「それは……避けたいです。アイリーンさまはこのご婚約を心から望んでおられますので」
『だったら、このまま婚約はしてもらって、第二王子派には取り込まれないようにすれば、大丈夫なんじゃない?』
「そうですね……」
アカリの言葉にうなずきながら、メイは重いまぶたを落とした。久々の出仕だったため、疲労はびっしりと体に絡みついている。メイはすぐに眠りに落ちていった。
次の日、メイの記憶どおりやはり、もう一度聖女が現れた。その支度をしながら、メイは婚約について思いを馳せる。あれは、いつだったろうか。
◆
「聖女ってのは、本当に何も知らないのね!」
メイが用意したアフタヌーンティーを口にしながら、アイリーンはぷりぷりと怒っている。
先ほどアイリーンを訪ねた聖女は、今ごろアイリーンの兄、ユウヒと会って話をしているはずだ。
「そうですね。私もびっくりしちゃいました」
「そう? その割にメイったら、やたら準備が良かったじゃない」
「たまたまです。昨日もそうだったから、今日も突然いらっしゃるのではないかと思いまして」
「ふーん、なるほど」
アイリーンは口元を優雅に拭き取り、先ほどまでの怒りをサラリとしまいこみ、いたずらっ子のように微笑んだ。
「それより……メイ、聞いて。お父様が言っていたのだけれど、デュラン殿下との婚約の儀、来月に執り行うって!」
「おめでとうございます! アイリーンさま!」
熱い思いが、メイの胸にかけめぐる。アイリーンとデュランは、親同士の間では、非公式ながら結婚の約束が取り交わされている。それがついに、公のものとして発表されるのだ。
傍から見れば政略結婚。しかし幼い頃からアイリーンはデュランに深い愛情を抱いている。メイの主人は恋愛感情を表に出すほうではないから、おそらくその気持ちは、メイしか知らない。
(ついに、デュラン殿下と…)
じんと嬉しくなって、涙が出そうだ。
「そのときのドレスを、メイと選びたいの! いいかしら」
「もちろんですとも!」
◆
さんざめく午後の日差しが廊下を明るく照らす。メイは、片付けたティーセットを運びながら、アイリーンにはどんなドレスが似合うか考えていた。
(瞳の色と同じ、海のような色はどうかしら……アイリーンさまは年齢の割に落ち着いていらっしゃるから、デザインはシックで優雅な……)
そこへ、サフィリア家の長男ユウヒが、聖女とおしゃべりをしながらこちらへ歩いてきた。後ろには侍従のマクレーもいる。
ユウヒの髪は、アイリーンと似た銀髪。その長い銀髪に、陽光がきらきらと反射する。メイの姿を認めると、ユウヒが話しかけてきた。
「メイ。もう休んでいなくて大丈夫なのかい?」
この屋敷には、多くの下働きが働いている。にも関わらず、自分が仕事を休んでいたことを知っていてくれたことに、メイは嬉しくなった。
「ご心配、ありがとうございます。休みを頂戴しておりましたが、おかげさまで、昨日より出仕しております」
「それは良かった」
と、ユウヒはふわりと微笑む。やわらかな物腰と、芸術品のように整った容姿は、この屋敷で働く者の憧れだ。
「では、失礼いたします」
メイは一礼し、その場を立ち去った。ユウヒと聖女は楽しそうに会話をしている。マクレーが立ち止まり、メイに早口で言った。
「後で、裏庭にきて。話がしたい」
◆
ティーセットを片付け、仕事が一段落したメイは、裏庭へ向かった。大きなクスノキ越しに見える赤茶けた頭に、メイは話しかける。
「なに? マクレー」
「あ、あのさ……」
振り向いたマクレーは言いよどみ、目線を空中へ泳がせた。そよ風が吹き、ざあっと木々が鳴く。少し逡巡したあと、彼は口を開いた。
「お前さ、今日聖女さまが来るって、知ってるみたいだったじゃん。……なんで?」
「なんでって」
一度未来を見たからとは、とても言えない。
「なんとなく、よ。昨日もそうだったから、今日もかなーって」
「そっか」
それでマクレーは納得したようだった。
「用事ってそれを聞きたかっただけ?」
「違う違う。あのさ、ユウヒさまからお前に伝言があって。ユウヒさま、今からアフタヌーンティーをするんだけど、お前も一緒にいかがかって」
「わ、私ー!?」
メイはアイリーン専属のため、その兄のユウヒとの接点は少ない。さらに、使用人が主人と同卓につくことなどありえない。
「な、なな、なんで!?」
メイは素っ頓狂な声をあげる。
「俺だって分かんねーよ。とにかく伝えたからな」
不機嫌そうにマクレーは言い残し、去っていってしまった。
(ど、どうしよう)
お茶に誘われる理由がわからない。こんなこと、「前回」は起こらなかった。ともあれ、命令となれば、行かないわけにはいかない。
メイはバタバタと中庭のガゼボへと向かった。