21.闇の箱1
髪の毛をいつもよりきつめに結って、メイは気合を入れる。今日の午後は、ユウヒさまとのアフタヌーンティーだ。
(マクレーは、ユウヒさまとテンスリー伯爵との関係を聞くなって言ったけど――)
聞かなくては――聞いて玉砕しなくては、このもやもやした気持ちは収まりそうにない。
(せっかく、直接お話ができる機会だもの。テンスリーのこと、聞いてみよう!)
◆
「テンスリー伯爵?」
ユウヒは、飲みかけていたカップを、音もなくソーサーに戻した。
「ええ。昨日、アイリーンさまをお訪ねだったのです。ご存じありませんか?」
「どうして、アイリーンの客人のことを、僕に聞くの?」
ユウヒはほんの少し首をかしげてみせた。癖のない銀髪が、サラッと揺らぐ。
たくさんの花に包まれたガゼボは、午後の温かい日差しの中で揺蕩っているようだった。紅茶からふわりと香りがただよい、それが花の香りと混ざる。
ユウヒのその優しげなたたずまいは、このガゼボによく似合っていた。
「その伯爵、ユウヒさまにもよろしくと言っていたものですから――ご存じなのかと思いまして。私よりも背が低いご老人です」
「へえ……会ったことあるかな。伯爵となると、関わりがない人もいるからねえ」
ユウヒは顎に手を当て、しばし考えこんだ。
「悪いけど、そのご老人――テンスリー伯爵といったかな――を僕は知らないと思うよ」
「そうですか。昨日いらして話しているとき、客間の絵が落ちたのです。扉の少し上に飾ってある――」
「それって、もしかしてあの泉の? 僕と先代が、泉のほとりで釣りをしてるのが小さく描かれてる」
「そうです! 落ちた絵を直そうにも私には手が届かなくて、伯爵が代わりに直してくださったんですけど、その時に、絵を見てユウヒさまだと伯爵はお分かりになったのです。あんなに小さく描かれているのに。わけを聞いたら、会ったことがあると言っていたので――」
「そうなんだ……。じゃあ、会ったことがあるのかもしれない。僕はそれを忘れちゃっているだけかな」
ユウヒはニコッと笑った。そして、クッキーに手を伸ばす。メイはユウヒの動きを注意深く観察する。
「ところでそのテンスリー伯爵、とんでもないことを企んでいるんです」
メイは少し身を乗り出してみせた。
「へえ。どんな?」
ユウヒは表情を崩さない。しなやかな手で、クッキーをパキっと二つに割る。
「殿下の転覆を企んでおいでです。そして、その計画にアイリーンさまをお誘いになったのです」
ユウヒの目つきが鋭くなった。伯爵がくわだてた不遜極まりない計画に眉をひそめたのかもしれないし、別の理由かもしれない。
「そんな恐ろしい計画を、伯爵は君に……メイにも打ち明けたのかい?」
「ええ。私、しっかり聞きました。伯爵は、その証拠となる書簡も置いていかれましたよ」
メイはしゃあしゃあと嘘を吐いてみせる。
(もし、ユウヒさまとテンスリーがつながっているなら、ユウヒさまは焦るはず)
しかしユウヒは全く表情を崩さない。昼下がりの日差しに照らされた次期公爵さまは、相変わらず優しそうな笑みを、その優美な顔に浮かべている。
「そんな伯爵が、ユウヒさまとお知り合いのように、よろしくと。だから、ユウヒさまは伯爵のことをご存じかと思ったのです」
――すべて嘘。テンスリー伯爵は昨夜、アイリーンにも会えず、その侍女に追い返されたのだから。
あまりに表情を崩さないユウヒを見て、メイは少し怖くなる。
(勢いでいろいろ言っちゃったけど――どうしよう。ユウヒさまとテンスリーに全く関りがないとしたら、すごくまずいことを言っちゃっているかも)
パキっと、ユウヒはもう一度クッキーを割った。一口大になったクッキーを自分の口に入れ、もう半分をメイにすすめる。
「今日のはナッツ入りで美味しいよ。どう?」
メイはユウヒを見つめたまま、それを受け取った。
「ありがとうございます」
「ふふ。そんなに見られると怖いよ。それで――メイはどう思うの?」
「私は……ユウヒさまと伯爵は、ご懇意かと思っています」
「どうして?」
メイは大きく息を吸い込み、もらったクッキーをお皿に置く。メイには仄かではあるが確信があった。ユウヒとテンスリーはつながっている。それをユウヒは隠そうとしている。隠したい関係だからだ。
「私、先ほど客間の扉の上に飾ってある絵が落ちてしまった話をしましたよね」
「ああ、あの泉の」
「そして、伯爵が絵を直してくれたと」
「言っていたね」
「私、最初に伯爵の話をするとき、背の低い老人とご紹介したのです。なのに、扉の上にあった絵を直してもらった話を、ユウヒさまは何の違和感もなく聞いていらっしゃいましたよね。テンスリー伯爵と聞いて、あの背の高い老人を、ユウヒさまは頭の中に描いてしまっていたからではありませんか? ユウヒさまはテンスリー伯爵をご存じなのに、それを隠そうとしている……どうしてです? 知られたくない関係だからですか?」
「……なるほどね」
ユウヒの片頬が少し上がった。初めて表情を崩した。それでメイは確信する。
――私の勘は合っていた。
「実は、この泉の絵の話、全部私の作り話です」
さらにユウヒの表情が変わる。驚きから少しの怒り、そして感嘆。
ユウヒはお茶のポットを持ち、あろうことかメイのカップに注いだ。身分の高いものが、低いものへ茶を注ぐ行為は、通常はあり得ない。メイは、注がれる琥珀色の液体を唖然と見つめた。
「ユウヒさま……」
「メイ。僕は今、驚いているし、喜んでいる。君がこんなに有能な侍女だなんて知らなかったよ」
「とんでもないです」
それは、何度も未来を見て、頭の中の友人のアドバイスを聞いたから得られた結論だ。メイ一人の功績ではない。
ユウヒはポットを置くと、まっすぐにメイを見つめた。その表情は、いつもの余裕のある優しい笑顔ではなく、こざっぱりとしていて少年のようだった。
「メイ。こちら側に来てくれないか?」
「こちら側とは――」
「有能な君に、手伝ってほしいんだ。殿下廃嫡を端緒に、陛下を追放し、最終的には王権制をやめさせる」
「え――」
この次期公爵は、今なんと言った。
「今、キララと計画を進めている。彼女もとても頭が良く、物分かりも素晴らしい。君と同じように――」
ユウヒは頬杖をついて、じっとメイを見つめた。吸い込まれそうな、アイスブルーの瞳。銀の髪が陽光を反射する。
(殿下廃嫡、陛下の追放、王権制の廃止――)
どの要素も、一介の侍女が加担していい内容ではない。どれも衝撃的な事件――いや革命だ。
アイリーンの兄であり、婚約者の主人であるこの人物は、恐ろしいことを腹に秘めていた。そしてメイを深淵に誘い込む。
つついてはいけない箱を、メイはつついてしまったのだ。その箱には、たっぷりと闇が詰まっていた。




